隻腕の魔法使いとその助手の話。

黒谷

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第一章「とある雪の日の邂逅」

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 それは、雪の降る寒い日。
 体にどんどんと白い重しが乗っていって、それから、どんどんと体が冷たくなっていく。


「……はは」


 一か所だけ、熱い場所がある。
 胸だ。心臓のあるあたり。
 先ほど貫かれたそこが、馬鹿みたいに熱い。
 どくどくと、『まだ生きてる』と叫ぶみたいに脈を打つ。

(どのみち、もうダメなのに)

 徐々に視界がぼやけてきた。
 目の前にさっきまでいた男たちの姿も、もう見えやしない。
 報復だ、といっていたのだったか。
 はたまた、復讐だ、といっていたのだったか。
 そのどちらにしたって変わりはしない。
 ただ、好き勝手に生きた俺が、好き勝手にここで死ぬだけのことだ。


「キミ」


 ふと、声が上から降ってきた。


「死んじゃいそうだね」


 わしゃ、と頭を撫でられて俺はその手を振り払った。 
 最期の抵抗だった。
 気軽に体へ触れるんじゃねえよ、と怒鳴り散らしてやりたいところだが、それは出来そうにない。
 何しろもう声を出すのもしんどいのだ。
 世間一般にいわれる『死』というやつは、もうすぐそこまで来ている。


「ねえ」


 まだ声が降ってくる。同じ声だ。
 諦めることをしらないのか、あるいは好奇心を抑えられないタイプなのか。
 はたまた、ただのお節介ヤロウなのか。


「もしよければ、だけれど」


 もう一度頭に、手が触れる。
 俺はそれを振り払うことすらできなかった。腕が重い。上がりそうにない。


「それ、僕に買い取らせてくれないか?」


 瞼もろくに開かなくなった。
 声が何を指しているのかはわからなかったが、勝手にとっていけ。そう思った。
 最期の力を振り絞ってうなずく。
 それきり俺の体は動かなかったし、胸の熱さも意識から遠のいていった。
 ──次に目が覚めたとき、俺の体は嘘みたいに軽くなっていて、嘘みたいに生きていた。
 胸の熱さはなく、ただ、心臓が当たり前のように鼓動を打つ。
 着ていたスーツは破れた個所までなくなっていて、まるで全てが夢だった、みたいに思えた。


「は、え、なんで」


 慌てて起き上がった俺を迎えたのは、小柄で華奢な男だった。
 真っ白なふわふわの髪と、長い前髪に片方隠れた赤い目。
 整った顔立ちと──片方しかない腕。
 優しげな声音で、彼は俺に言った。


「やあ。初めまして、阿久津くん」


 どうして名前を、という前に彼の手には免許証が掲げられていた。俺のものだ。


「今日からキミには料理とか、掃除とか、そういったことをやってもらうけど、何か不得手はあるかい?」

「……料理? 掃除? なんで俺が」


 じろりと睨みつけると、彼は不思議そうに小首を傾げた。


「なんでって、そりゃ、僕がキミを買ったからだよ。僕の眷属としてね」


 今度は俺が小首を傾げる番だった。
 買った? なんだそりゃ。


「一人で生きるのもまあ、悪くはないんだ。悪くはね」


 彼は免許証を机に置いて、片腕だということをアピールするようにひらひらと手を振った。


「僕は魔法使いだから、隻腕でもとくに困りはしないし」

「魔法使いって……」

「童貞という意味合いじゃあないよ。ほんとのほんとに魔法使いさ。そうじゃなきゃ、キミのことを蘇生なんて出来るもんか」


 ふふ、と微笑む彼の顔に嘘はなさそうだった。
 そんな彼の背景にある部屋が、見覚えのない部屋だと気づいたのはこの時だ。
 病院じゃなければ、どこかのマンションの一室、というふうでもない。
 まるで穴倉に作られた住処のようなそこは、間違っても現代に生きる成人男性のものとは思えない。
 子供がつくった秘密基地でないのだとしたら、あまりに簡素で、『家電』というものがなさすぎる。


「でも一人きりだと寂しいでしょ。だから、キミを買ってみた」


 にこり、と彼は笑った。
 まるで子供みたいだ、と俺は思った。
 俺はもう言葉が出てこなくて、ただただ、固まった。
 そうして弾丸に貫かれたはずの右胸に、手を当てた。
 確かに熱かったそこは、穏やかな熱に包まれていて、トクン、トクン、といつもより少しゆっくりと脈を打っていた。


 ……というのが、一年ほど前の話である。


 今はもうすっかり、ユキさんとの生活に慣れてしまった。
 蘇生したという俺の体は生前よりも使い勝手がよく、軽やかでしなやかだ。
 ユキさんさえ生きていれば、俺の体は損傷しても大概、元通りに直る。
 そういう点でも、だいぶ生きやすくなった。ように思う。


「ユキさん、それだめ。置いて。電子レンジじゃなくて、オーブントースターだから」

「だ、だが、これ凄くないか? 『究極のトースト』とやらが焼けるらしい。名前もかっこいいぞ! バルミューダだ!」

「でも電子レンジじゃないから」


 シックな黒いオーブントースターをなんとか手放させる(魔法で浮かび上がらせているので質が悪い)と、ユキさんは唇を尖らせた。
 拗ねているらしい。年甲斐もなく。


「……そんなに欲しいのかよ、これ」


 値段を見てぎょっとした。二万円を超えているのだ。
 オーブントースターで二万を超えるものなんて、そうそうない。

(高級オーブントースター……)

 ポップをみると、確かにユキさんの言う通り、『究極のトースト』とやらが焼けるとある。
 掲げられた写真は美味しそうなチーズトーストだ。
 昔、両親が生きていたころはよく母親が作ってくれた。たまに母親の気分がいいときには、分厚いトーストで。
 そういえばもうしばらく食べていない。食べようとも思わなかったし、思い出しもしなかった。


「なあなあ、一枚ちゃんと描き上げて売るからさ。これを買って帰ろう。そして、キミと一緒に究極のトーストを食べるんだ」


 金を出すのはユキさんだ。俺じゃない。
 だから本当は、俺に彼を止める権利なんてものはない。

(……だけどなあ)

 俺が把握しているのは今持っている財布の中身と、銀行口座の残高だけ。
 そうしてそれでやりくりしているのは俺で、つまるところこの奇妙な二人暮らしの家計をなんとかしているのは俺なのだ。
 それは決して楽なものじゃない。
 ユキさんの絵は確かに不思議な魅力があって高く売れるが、いかんせん、描きあがりが異常に遅いのだ。


「じゃあ、描きあがったら買おうぜ」

「へ?」

「ユキさんが描き上げられたら買うんだよ。んで、その次の日の朝には、究極のトーストと、熱々のココアを朝食にするんだ」

「トーストと、ココア……」

「いつも買う六枚切りのやつじゃなくて、四枚切りの分厚いヤツな。ココアもインスタントじゃなくて、鍋でいれてやるよ」


 みるみるうちに、ユキさんの顔が明るくなっていった。
 それからくい、と俺の腕をつかんで引く。


「じゃあ今すぐ帰ろう! そしたらもうすぐに描き上げようじゃないか!」

「ぷはっ」


 その顔があまりに子供っぽくて、俺は思わず吹き出した。
 弟というものがいたことはないが、もしいたりしたら、こんな感じなのだろうか。
 笑いをかみ殺して、俺は電子レンジを指さす。


「待てって。電子レンジ買ってないし、食材も買ってないし」

「ううー、じゃあ、はやく。はやくしよう、はやく!」


 結局電子レンジは一番安いものを買った。
 それに食材も、いつもは「あれも」「これも」なんてうるさいユキさんが我儘一つ言わなかった。
 どんだけ『究極のトースト』とやらが欲しいんだ、このひとは。

(可愛いとこもあるもんだ)

 一週間に一度の買い出しを終えて、帰路につく。
 群青色のコートをひらひらとはためかせて地下鉄の階段を下りるユキさんの背中はやはり小さい。
 俺の身長が一九〇近いというのもあるが、ユキさんなら学生服を着せたって違和感がないだろう。
 前に一度、俺と出会う前はどうしていたのか、聞いたことがある。
 そうしたら、


「今の時代、誰にでも使える魔法があるだろう。ほら、お湯をいれるだけでご飯ができるやつだよ」


 いい時代になったよね、なんてユキさんはしみじみしていた。
 恐らくは非常食のことを言っているのだろう。
 あの、お湯を入れるだけで食べれるようになるやつ。

(栄養偏るだろうに)

 俺だって料理が得意なわけじゃない。
 だから栄養は偏っているかもしれないが、それでもまあ、生野菜はとれているはずだ。
 くあ、と欠伸を漏らした直後、後ろから、


「……阿久津?」


 と、声がかかった。
 振り返ると、そこに。
 高校時代、付き合っていた彼女が、鼻頭を真っ赤に染めて立っていた。


 
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