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第一章「とある雪の日の邂逅」
03
しおりを挟む山道を普通車で移動すること小一時間。
すっかり日が暮れた頃、ようやくのこと幽々子の家周辺までたどり着けた。
「あとはここを真っ直ぐいくだけ。突き当りにあるマンションがそうだよ」
後部座席で、幽々子は元気そうだ。
「……もっと何か起きるかと思ったけど、何もなかったな」
「何かって?」
「例えば、うーん、電車が突っ込んでくるとか、橋が落ちるとか」
「なんだいそれ。フィクションの定番だな」
俺の呟きに、ユキさんはケラケラと笑った。
どうやら少しは回復できたようだ。
ちなみに俺の方は、久しぶりの運転で結構疲れた。早く帰って寝たい。
「そういや一緒に住んでるっていうその恋人サンよ、大丈夫なのか?」
「ああ、直希はなんていうか、そういうの全然見えなくて。全くダメージなし。私一人怖がってる、みたいな」
「フーン」
難儀なモンだ。
俺がその立場なら、やるせなかったかもしれない。
何しろ怖いという『それ』がみえないのだ。どうしてやりようもない。
俺のそんな感情を感じ取ったのか、幽々子は慌てて首を横に振った。
「でも心配してくれてないってわけじゃないよ。信じてないってわけでもないし。前に私にお守り買ってきてくれたし」
「お守り?」
聞き返したのはユキさんだ。
「う、うん。数珠みたいなのとか、キーホルダーとか。どれもすぐに壊れてなくなっちゃったけど」
「ふうん……あ。阿久津くん、そこのパーキングに入れよう」
「ン」
幽々子の今の話に、ユキさんは何か引っかかりを覚えたみたいだった。
直希。ナオキ。なおき。
うん、全然心当たりがない。高校のやつではないのだろう。
あるいは、転校していった先で出来た恋人なのかもしれない。
ともすれば、その『プレゼントしたお守りがすぐ壊れる』という話のどこに問題があったのかわからない。
大体、お守りなんてのはそんなもんだろうに。
「さて、それじゃ行こう。トランクを忘れないで持ってくれ」
「はいはい」
車から降りる。そのやけに重たいトランクを担ぐ。
「ほんとに画材だけ入ってんの、これ」
「そうだよ。僕の画材は特注だからね」
「怪しい……」
やや遅れて、幽々子が下りてきた。
道の突き当りに、確かにマンションが見える。結構立派なもんだ。
俺と同い年のこいつが購入できるマンションとは思えないけど、やはり何かわけありなのではないだろうか。
幽々子は、マンションが近づいてくるたび、顔色を青ざめさせた。
ぎゅっと胸の前で両手を握りしめて、何かに怯えるようだった。
「つーか、突然訪ねて平気なのか? そのナオキとやら、怒るんじゃねえの」
マンションはまばらに電気がついていた。
たくさんある窓に灯る電気がまばらなことに、何か違和感はおぼえる。が、その程度だ。
よくいわれるような『嫌な感じ』とかはとくにわからない。
「それはないよ。直希は一週間の出張中で、今、ちょっと留守なの」
「ご都合主義だな」
修羅場になることだって考えてはいたのだが。一応。
「阿久津くんは、こういうの初めてだよね?」
「あ?」
ふいに、ユキさんが俺の腕を引いた。
「要するにお化けと対決することさ」
「お化けって、あんたな」
「いいかい。もし何に見えても、決して『僕』以外を頼ってはいけないよ。現場において、『僕』以上はない。そう心にとめておいて」
「……、……おう」
少し間が空いたのは、決して怖かったわけでも、戸惑ったわけでもない。
ただユキさんが、不思議な表情を浮かべたからだった。
まるで俺に祈るかのような、願うかのような、すがるかのような。そんな顔だ。
「それじゃ行こう。ぱっぱと片付けて帰ろうじゃないか」
すぐに表情は戻る。
いつものユキさんの顔だ。
マンションの入口はオートロック仕様だった。
幽々子がそれを解除して、俺たちも後に続く。
六階までエレベーターであがると、六〇六と書かれたドアプレートの前で幽々子は立ち止まった。
「うわ」
思わず声が出た。
ここまでくると、ようやくのこと俺にも何か感じ取れる。
黒いもや、というよりは、黒いどろどろした何か、質量をもったものだ。
油汚れのように悪質で、取りづらく、掃除のしづらい。そんな『汚れ』が思い浮かぶ。
「あ、開けます」
上ずった声で、幽々子が鍵を回す。
がちゃり。
やけに重たい音がした。
それから、ゆっくりとドアが開く。
「…………」
部屋の中は、暗くて何も見えない。
ただその暗闇の中に、何か、もっと、黒い塊があるような気がした。
「電気つけますね」
ぱち。
こちらは軽い音がして、室内の電気が灯った。
まるで四散するように、暗闇に紛れていた何かはその姿を隠してしまった。
「根源ってのは、藁人形とか、そういうもんなのか?」
「どうだろう。ケース・バイ・ケースだからね」
そういうと、ユキさんは室内に入っていった。
辺りをぶしつけにきょろきょろと見渡している。
「となりの部屋は?」
「空き部屋です。確か」
「ふうん……」
コンコン、とユキさんが壁を叩く。
音の響きを確認するような動作だった。
(にしても……)
部屋の中は、幽々子いわくの『ザ・女子』という感じだ。
全体的にピンクで、雑貨が多く、ベッドに彼氏の意見は反映されていないのか、こちらもピンクである。
なんだかいづらくて、視線を天井へそらす。
……そうして、後悔した。
「ユ、ユキさん、あ、あれ」
「うん?」
天井を指さす。
ユキさんも、俺と同じように上を見上げた。
「あらま」
そうして、そんな言葉を呟いた。
天井には、びっしりと、女の髪がひしめいていた。
そりゃもう、ところせまし、という感じだ。
天井のライト回りだけを避けるようにして蠢くそれらは、控えめにいっても気味が悪い。
「これはまた、ずいぶんと……」
「はーいお茶淹れたよ~って……なんで二人そろって上見てるの?」
遅れて、幽々子が台所からこちらに戻ってきたらしい。
そうして俺たちと同様、上を向いたのだろう。
「ひっ!」
と、喉をひきつらせたような悲鳴と共に、カップが床で割れる音がした。
「な、なに、なに、これえ……!」
今にも泣きそうな、幽々子の声がする。
それから、「うーん」と唸るユキさんの声。
俺はと言うと、それから目が離せなかった。
まるで生き物のように天井に張り付いてひしめき、蠢くそれが本当におぞましい。
「思った以上にでかいな……、とりあえずはこれを……」
「! ユキさん!」
天井に張り付いていたそれらが、一斉に動く。
その矛先はすぐにわかった。
ユキさんの体を抱き留めるようにして、床を転がる。
先ほどまでユキさんが立っていた場所には、髪の毛の柱が出来上がっていた。
「おや。助けてくれたのかい、阿久津くん」
ユキさんの危機管理能力も、ここまでくると大物感がある。
「では僕も、君の『主人』として相応しい動きをみせよう」
彼はそんなふうにのんびりと呟くと、片手を向けた。
──思わず、息をのむ。
その手にキラキラとした星の輝きみたいなものが集まっていく。
そうして、それは球体を象ると徐々に大きくなっていった。
「わん、つー、すりー!」
ぱちん、と指パッチンによく似た音が鳴る。
球体は弾かれたように飛び出して、その髪の柱にぶつかった。
途端に球体がはじけ飛ぶ。
中に詰め込まれたたくさんの温かな光が星のように散らばって、天井のそれらに張り付く。
「その光は命の輝き、生命の灯火。全てを焼き焦がすもの──『Sirius(シリウス)』!」
ユキさんの声にこたえるように、星たちは一斉に強い光を放った。
もう目の前は真っ白だ。何一つ見えやしない。
すぐ傍にあるユキさんだけは、かろうじてぼんやりと確認できた。
じゅ、という音がする。
言葉の通り、この強い光で『髪たち』を焼き尽くしているのかもしれない。
「……え」
目を凝らしていると、不意に。
その光の中から──母親が、歩いてきた。
俺の母親だ。そこにいるはずのない、母親だ。
思わず立ち上がろうした俺を、ユキさんの非力な腕が掴んで制した。
「ダメだ。アレはキミに見えてる誰かじゃない」
「で、も」
「僕を信じて。僕以外は、頼ってはならない」
はっとした。
そうだ。俺は、その言葉をかけられた。
ここに来る前に、ここに足を踏み入れる前に。
改めて、目の前に視線を戻す。
「──ッ!」
光の中にいたのは、母親などではなかった。
そこにあったのは、ただのバケモノだ。
髪の長い女。定番の白いワンピースに身を包んで、手と足を真っ赤に濡らした、気味の悪い女だ!
「阿久津くん、トランクをとってくれるかい」
「トランクっていったって、何も見えやしな……」
俺は言葉を失った。
すぐ足元に、あのトランクがある。
「ほら。これでいいか?」
ユキさんに差し出すと、トランクはひとりでに口を開けた。
それから、画材道具たちがわらわらと一人でに溢れ出てくる。
「キミは僕を『魔法使い』で『画家』だと信じてくれたけど、本当は少し違うんだ」
筆がひとりでに宙に浮く。
絵の具がパレットに飛び出して、イーゼルはひとりでに立ち上がった。
最後にキャンバスが、のそのそと歩いてきて、イーゼルの上によじ登る。
キャンバスがセットされると、筆はユキさんに握られることなく、べたべたと絵の具をキャンバスの上に載せ始めた。
「……うわ……」
思わず声が漏れた。
真っ白な光の中に立つ女は、筆によってキャンバスの中に描きこまれていく。
そうしてそれと同時に、そこに立つ女の姿は徐々に薄くなっていくのだ。
──まるで、キャンバスの中に閉じ込められていくかのようだ。
ユキさんは、少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「キミにはずっと内緒にしていたかったのだけれど。……僕の本業は、『こういうもの』なのさ」
俺は、ここで初めて、ユキさんの作業風景をここ一年であまりみたことがないことに気が付いた。
最初の頃は居心地が悪くて町をうろついた。
だから絵を描いている姿なんてみなくても当然だと思ってた。
ここ一年の間で売れた絵はほんの数枚で、いつみたってキャンバスは白のまま。
そりゃそうだ。
こういう事象に立ち会う経験をしたのは今が初めてで、ユキさんが単独で行う姿も俺は見ていない。
かたん。
筆が落ちる。
光が止んで、色が戻ってくる。
天井にはもう髪が蠢いていたりしなかった。
どこかくすんでいた部屋の空気が、少しはマシになった気がした。
……そうして、キャンバスにはやつがいる。
あの薄気味悪い女が、閉じ込められている。
「さて」
ユキさんが指を弾くと、どこからともなく黒い布がキャンバスを覆った。
まるで梱包するかのようにキャンバスを包み込む。
そうして、トランクの中へとそれは放り込まれていった。
「これで完了だ。おそらくはもう安全だと思うけど」
「おわ、った、んだ」
幽々子は、放心状態だった。
呆然とこちらを見つめていて、心ここにあらず、といったようだ。
「さあ、帰ろうか、阿久津くん」
「あ、ああ」
すでに踵を返しているユキさんのあとを、慌てて追いかける。
重いトランクをひっつかむと、いくらか重さが増しているように思えた。
「ま、待って!」
幽々子が俺たちを呼び止める。
ユキさんが、「うん?」と振り返った。
つられて俺も振り返る。
幽々子は、涙目でこちらをみて、震えていた。
「あ、ありがとうございました!」
「いいえ。困ったときはお互いさまさ」
答えたのはユキさんだった。
彼が足を進めたので、俺もそれに続く。
幽々子の震えが少し気になったが、まあ、ユキさんが大丈夫というのだから大丈夫なのだろう。
マンションの階段を下りて、正面の出口から出る。
あのパーキングまで戻ってオーリスに乗り込むと、時刻が十九時を回っていることを知った。
「ユキさん、今日はこのへんで食べてかない?」
助手席に乗り込む彼に声をかける。
しかしユキさんは首を横に振った。
「それより先に、やることがあるだろう?」
「やること?」
絵の販売登録とか? と小首を傾げた俺に、ユキさんは言った。
「バルミューダだよ! 究極のトースターさ! 絵を描き上げたのだから、当然、買って帰る権利があるだろう?」
呆れてしまった。
こんなことがあったのに、よもやそこに意識があるとは。
どれだけ究極のトースターとやらを食べたいんだ、このひとは。
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