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第二章「魔法使いの町。」
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しおりを挟むまことしやかに囁かれる都市伝説のような町。
ここはそういう場所で、どの地図にも載っていないし、どこの国のものでもない。
強いて言えば、そうだ。ここに王として君臨すべきは、十人の弟子をとって消えたという原初の魔法使いくらいのものだろう。
男とも女とも知れぬその魔法使いは、様々な魔法を駆使するといわれている。
何しろ島を一つ、魔法で作り上げてしまうほどだ。
この町にいる魔法使いも、魔女も、彼女の弟子の系譜を持つものばかりで、その全員が合わさっても島など、造れるかどうか。
いや、作れはしない。
この町だって、何人もの人垣の上に成り立っているようなものだ。
(ともすれば、原初の魔法使いとは、どれほどのものだったのか)
男、マギサ・バルサーモはじ、と目の前のフラスコが青色の液体を煮えたぎらせるのを見つめた。
錬金術師として生計を立てる彼は、こうして薬を作っては、商人に流すのが仕事だった。
「そういえば、ウェルダーパークの方で何やら騒ぎがあったそうだよ」
ぎい、と音を立てて入ってきた声に、彼は苦虫を嚙み潰したような顔を向けた。
「……ジェルマン。納品はまだかと思うが」
「心得ているよ、バルサーモ公。今日の私はただの客人さ」
かっちりとしたスーツに身を包んだ紳士は、軽く会釈した。
その頭に乗ったシルクハットがふわっと一瞬とんで、男の頭を離れる。
男が顔をあげると、シルクハットはまた元の位置にひとりでに戻った。
「僕のことを『公』などと呼ぶのはやめにしてくれ。何度も言っているだろう。僕には誇るべき地位など何もない」
「謙遜はよしたまえよ。君はこの町の錬金術師の中で間違いなくトップクラス。それはこの町の誰もがわかっていることだろう」
「ははは。また馬鹿げたおべんちゃらを」
彼はキッとその紳士を睨みつけた。
サン・ジェルマン伯爵。それが『今の』彼の名であり、当分の偽名だ。
いやもしかしたらずっと使う気なのかもしれない。何しろ十八世紀頃からずうっと使い続けているのだから。
彼には何を言っても無駄とわかっていたマギサは、はあ、と大げさにため息をつくとまたフラスコへと向き合った。
「そもそも、あんな偽物だらけの町がどうなろうと僕の知ったことじゃない」
吐き捨てるように呟くと、サン・ジェルマン伯爵はこつ、と足音を立てる。
「偽物の中にもホンモノは埋まっているとも。それを探すのもまた、商人としては好ましい行為のひとつだよ」
「……商人、ねえ」
最近のサン・ジェルマン伯爵がもっぱら言って回っている職業だった。
本職ではないことを、マギサはよく知っていた。
「バルサーモ公は『原初の魔法使い』に大変憧れがあっただろう?」
伯爵は勝手にソファへどかりと腰を下ろす。
そうしてその長い足を組み替えると、マギサを見た。
マギサはぴくりと反応して、手を止めた。
「……それに関することで、何かあったとでも?」
「いいや、本人じゃないがね。『彼女』の十人の弟子の方で、少し」
フラスコの火を止める。
そうしてそれを金属のトングでつかむと、そっと冷水に浸した。
ジュッという音が短くあがる。
「弟子のひとりが現れたとでもいうつもりか? それこそ笑えないジョークだ」
嘲るように、マギサは笑った。
「彼らはみな、一様に姿をくらました。それも、もう何百年にもなる」
「生きているかどうかわからない、と?」
「実際、以降動きがないんだ。そう考えたって当然のことだろう」
フラスコを冷水から引き上げると、青かった液体は紫色になっていた。
成功だ。
ニイ、と思わず口角をあげる。
「見事だ」
「!」
いつのまにか隣に伯爵が立っていた。
覗き込むように、掲げたフラスコを覗き込んでいる。
「君の錬金術はいつ見ても素晴らしい。私も覚えはあるが、ブランクがひどくてね」
マギサはフラスコを机に戻すと、ため息をついた。
「……結局何があったのかはぐらかすつもりか?」
「ああ、失礼。やはり興味があったのだね」
「嫌味なやつだ」
「誉め言葉として受け取ろう」
伯爵は、再び歩いて、今度は窓際へと行った。
その薄っぺらなガラス窓に指を這わせると、どこか遠くを見てほくそ笑むように笑った。
「悪い冗談さ。──機械仕掛けの魔法使いが現れたらしい」
「は」
手にした試験管を、危うく落とすところだった。
マギサはぐるんと体を回転させて振り返ると、伯爵に勢いよく詰め寄った。
「十人のうち、よもや、『別次元に消えた』弟子が、現れただと!」
「あくまでも噂だよ、噂。魔術師たちの流した噂のひとつにすぎない」
だが、と伯爵は続けた。
「ウェルダーパークもまた、別次元のようなものだ。こことは違う。──ならば、『その次元』と『あの町』が繋がっていてもおかしくはあるまい?」
マギサは、しばらく黙り込んだ。
それから、じり、と後ずさった。
「どうだね? 私と共に、あの町へ行ってはみないか?」
「……断る」
「ほう」
伯爵は眉をぴくりと動かした。
「それは、なぜか、理由をきいても?」
マギサは、また、実験設備の前まで戻ると、試験管に手を伸ばした。
空っぽのそれに、フラスコの中身をほんの少し入れると、試験管置き場に戻す。
そうしてまた、空っぽのそれに手を伸ばす。
「僕はあの町が嫌いだ。もし弟子がいたとしても、だ」
「……ふうむ」
その真っ赤な目に見つめられて、伯爵は困ったように唸った。
「残念だ。私としては、旧友にすがりたかったのだが」
「僕を友として数えたのがそもそもの間違いだったな」
マギサにはそれに取り合う様子がまるでなかった。
彼はもはや、自分の作業に目を向けている。
「帰りたまえよ。靡かないものに無駄な言葉をはぐ時間など、君にはないだろう」
マギサがそう吐き捨てると、ややしばらく間をあけてから、「そうするよ」と伯爵は呟いた。
ようやくのこと、諦めたようだった。
マギサがふうとため息をつくと、伯爵はぴたり、とその足を止めた。
ドアの前だった。
「もし、気が変わったなら言ってくれ。私と共にきてくれるなら、それ相応の謝礼も用意しよう」
「金なら要らない。僕には有り余っている」
「ふふ、そんなものじゃあないさ」
伯爵はまたほくそ笑むようにして、今度こそドアから外へと出ていった。
ごーん。ごーん。ごーん。
古い置時計が鳴る。
午後三時を知らせる音だった。
(休憩か)
マギサは手を止めて、ぐぐ、と体を伸ばした。
サン・ジェルマン伯爵とは長い付き合いになるが、彼だけが、原初の魔法使いを『彼女』と呼ぶ。
誰もがその姿を目にすることのない町で──彼だけが。
(会ったことがあるんだろう、あの男。詳しく話すことはないが)
その事実を加味しても、マギサはウェルダーパークには行こうと思えなかった。
あの魔術師の町にもし行く機会があるとすれば、あの町のものたちを皆殺しにするときくらいのものだ。
保冷庫をあけて、ペットボトルを手に取る。
中の液体を口の中に流し込んで、マギサはソファに座り込んだ。
ほのかに香るサン・ジェルマンの残り香が、彼の眉間に少しのしわを寄せていた。
***
ユキさんは朝からご機嫌だった。
鍋で淹れた熱々のココアと、四つ切りのふかふかトースト。
奮発してのせた四角のバターがとろけるさまは、確かに俺も少し興奮した。
ばり、という香ばしい音。
鼻腔をつく麦とカカオの匂い。
「確かに究極のトーストだよ……」
ふるふると震えながらそう呟くユキさんの姿はなんだか微笑ましかった。
トースト一つでここまで感銘を受けれる、というのが、なんとも。
「美味しいねえ、阿久津くん」
「そうだな」
ずず、と啜るココアの苦みも好ましい。
これで朝日でも窓から差し込もうものなら、本当に最高の朝である。
「今日は絵、売りにいくのか」
横目で真っ黒な布に包まれたまま、イーゼルに立てかけられているキャンバスを見る。
あれには、きちんとあの魔女の力の一部が封じ込められているらしい。
それを売るというのだから、なんだか危険な感じがするし、魔女的にもいいのかとは思ったが、『いい』らしい。
力なんて自然に回復するから、と彼女はオーリスの中で話していた。
「ウン。一応、そういうものを取り扱う商人にアテがあってね。今日は彼に会いにいく予定だよ」
「ふーん……どんなやつ?」
「ちょっと変わってるけど、昔馴染みさ。阿久津くんもついてくるかい?」
「……まあ、別に用事はないけどよ」
俺がそう切り返すと、ユキさんは少し目を丸くして驚いたようだった。
「ほ、ほんとに? ついてきてくれるの?」
「用事ねえからな。……なんだよ?」
「いや……今まで誘ってもついてきてくれなかったから……」
今度は俺がきょとんとする番だった。
誘われた記憶はほとんどないが、そういえば、そうだったかもしれない。
なんだかんだここが『家』だと認識できたのもつい最近のことだし。
「なんか、嬉しいな。キミとあの『町』を歩けると思うと、わくわくする」
「あの町って、なんだ、このへんじゃねえのか?」
「うん。絶滅危惧種的な僕らにも、町があるんだ。列車に乗るよ」
「列車って……地下鉄じゃなくて?」
ユキさんと移動するときは、もっぱら地下鉄だった。
地下鉄の付近まで箒で飛んで、そこから地下鉄に乗るのだ。
この方が魔力の削減にもなるし、近代に触れられてユキさん的に満足らしい。
今は車があることもわかったし、俺としては別に、あのオーリスでもいいのだが……。
「僕ら専用のものがあるからね。そこまで行くための『鍵』もあるんだよ」
ほら、とユキさんは懐から大きなカギを取り出した。
複製がラクそうな、アンティーク調のものだ。
今どきの鍵穴には到底はまりそうもない。
「これを、どうすんだ?」
「適当なドアをつくって、そのカギ穴に差し込んで回すだけ。そしたら向こう側にすぐ出れるの」
飲み終えたココアのカップがテーブルに置かれた。
空っぽになった皿とカップが、ひとりでにふよふよと浮いて、流しの方へ去っていく。
「さっそく準備をしよう。通貨が違うからね、向こうの硬貨を取り出さないと……ええと、どこにあったかな」
ごそごそと、ユキさんはトランクを漁り始めた。
ので、俺は自分のカップと皿を流しの方へ持っていく。
みれば流しの中は洗濯機みたいに泡だらけになっていて、食器たちがその中で泳いでいた。
ユキさんの魔法だ。
たぶん、機嫌がいいあまり、何か漏れ出してしまっているに違いない。
(……子供かよ、ほんと)
まだココアの粉は残っているし、パンも二つある。
今度はチーズトーストでも作ってやろう、とそう思った。
「ねえ、僕の手袋とか知らない? そのへんに投げてたやつ」
「あー、全部まとめて洗濯して、そのへんにしまったけど」
「ほんと? どこいっちゃったかなー」
「そもそもそのへんに投げるな。ちゃんとしまっておけよ」
「片腕だからしまいづらいんだよー」
「魔法があるだろ、魔法が」
ほどなくして俺はあの重たいトランクを持たされ、灰色の外套をかぶせられた。
マントみたいなものだ。古めかしいもので、背丈の関係上、腰より少し下くらいまでしかない。
ユキさんは珍しく杖を持っていて、それでとん、と家の壁を叩いた。
「うお」
ずず、と音を立ててドアが壁から浮き出てくる。
そのドアノブの下には、あの鍵が入りそうな大きなカギ穴があった。
「……前からこうやって出入りしてたのか?」
「うん。キミがいないときだけれどね」
ユキさんの手から離れた鍵が、ゆらゆらとただよって、がちゃり。
鍵穴でひとりでに回ると、今度はドアノブがひとりでに回って、ゆっくりとドアが開く。
あのアンティーク調の鍵はユキさんのポケットへ。
ドアの向こう側には、どこか慌ただしい駅のホームがあった。
「まじかよ……」
「まじだよ」
俺の呟きに、ユキさんはどこか自慢げにうなずいて歩き出した。
その背中を慌てて追いかける。
どこかヨーロッパの風が吹くそこを行き交う人々は、誰も彼もが、俺たちと同じように外套をまとっていた。
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