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第三章「魔女と学校と世間体の話。」

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 原初の魔法使い。
 この世のひとに嫌気がさし、十人の子を攫って、島を創り、そこに閉じこもった万能のひと。
 傷を癒すことも。
 火を灯すことも。
 風を吹かせることも。
 水を生み出すことも。
 島を作り出すことも。
 文字通り、何でもできたと語り継がれるそんな魔法使いは、十人の子に、自分の力を分け与えた。
 子らを弟子とし、育み、学ばせ。
 そうして魔法使いは眠りに落ち、十人の弟子は方々に散ってしまった──。


「貴女のせいで僕らはとても生きづらいんですよ、ラビ」


 ──切り立った崖の上。
 自分で生み出した自宅の真上で、彼は空を見上げていた。
 真っ暗闇に、真っ白な頭はよく映えていた。
 す、と空に片腕を伸ばす。


「貴女さえいてくれたなら、こんな島国にまで、逃げ込んだりしなかった」


 姿を変え、名前を変え、時には死んだふりをして、時には『子』だと名乗って。
 与えられた魔法を守るように、誰にも奪われないように、ひっそりと生きてきた。
 数百年という中を生き抜くにあたって、腕だって犠牲にした。
 魔法があるから隻腕でもそう困ることはなかったけれど、それでも、喪失感はある。


「今頃はもう、目覚めているのでしょうか。それとも、まだあの質素なベッドで眠りこけているのでしょうかね──」


 ──彼こそは。
 彼こそは、まぎれもなく、原初の魔法使いの弟子。
 あの日、あの戦火の中で家族を失い、生まれつき特異な髪を呪われ迫害されていたところを攫われた子。
 数ある魔法の中から、『星』に関する魔法を与えられた者。
 十人の弟子たちと袂を別ち、方々に散ったものの一人だった。


「……いけない。しっかりしなくちゃ。今の僕は、『ユキさん』なんだから」


 ぱんぱん、と彼は自分の頬を片方ずつ、叩く。
 それからぐっと体を伸ばして、大きく深呼吸した。


「あら。まほうつかいさん、いいよるね」

「カティ」


 向かい側の大きな木の枝。
 そこに腰かける少女が、彼に微笑みかけていた。


「あなたも『げっこうよく』かしら」


 くすくすと、その笑い声が風に乗って聞こえてくる。
 彼女の手元には箒があった。
 それでここまで飛んできたのだろう。
 ともすれば、魔力は大部分が回復したのかもしれなかった。


「魔女じゃないからね、僕には必要ないさ」

「それもそうね」

「君は毎晩こうしているのかい」


 足をばたつかせて彼が言うと、カティはふふ、と頷いた。


「だって、あなたたちがうばったのでしょう。わたしたちはちゃんとちからをたくわえておかないと、だれかの『たべもの』にされて、おわりだわ」

「違いない」


 これには、彼も頷いた。


「僕もたくさん、そういうものを見てきたよ」


 ──魔力を持った子、というのは、存外いつの時代にも存在している。
 その多くは幼いうちに命を落とす。
 興味半分に近づいてきた大人に、生命にも近い魔力を削がれて、殺されるのだ。
 あるいは、魔物がその匂いに感付いて、その子を食べる。
 魔法使いや魔女の中には、『子を殺して食べて生き永らえる』というものもいるくらいである。


「君も出身は海の向こうだろう。ここがイイって誰かにきいたのかい」

「ええ。かぜのうわさていどに」

「僕もそうなのさ。ここはそういうものに寛大で、土地神も優しいってね」

「じっさいそうだわ。こうしてよそものをうけいれるかみさまなんて、ものめずらしいもの」


 カティは、木の幹を撫でつけた。
 そうされるたび、木は喜ぶようにその葉を震わせた。
 風もないのにゆらゆらと揺れる木からは、感嘆の声が漏れているようだった。


「……君は、原初の魔法使い、について何か聞いたことがあるかい」


 少し間をあけて、彼はそんなことを呟いた。


「そうね。わたしはかのじょに、あったことがあるわよ」

「えっ」


 カティの答えに、彼は目を丸くした。


「まだでしをとるまえのかのじょにね。あのうつくしくてしなやかなかのじょは、たいようにあいされていたわ」

「……それ、って、……まって、君は……」

「たいようをあいし、たいようにあいされ、あのごうまんなものたちにやかれた。ちのはてにいってしまったたいようをおいかけて、あのこはながいながいたびをしているの」


 それだけ告げると、カティは箒にまたがった。


「それじゃ、ごきげんよう。もうねむるわ」

「待って、君は、君は──」


 君は、と立ち上がった彼は、力なく空をつかんだ。
 カティは箒にまたがって、下の方に降りて行ってしまった。
 行き場のなくなった手を下げる。

(今の話は、ずうっと昔の話だ)

 抽象的な言葉に置き換えられてはいたものの、それがどのことをいっているのか、彼には理解できていた。
 何しろ、本人から昔話としてよくきかされたものだ。

(たいようをあいした)

 彼女は、とある神さまを愛していた。

(ごうまんなものたちにやかれた)

 彼女は一度、炎の中に埋もれている。

(ちのはてにいったたいようをおいかけて、ながいたびを──)

 彼女は、よく寝物語に話をしてくれた。
 いつか、遠く焼けた大地の果てに、辿り着くための旅をしていると。
 そこへ辿り着くための遠回りを今しているところで、その道すがらにお前たちを拾ったのだと。
 そこへ辿り着くまでは、決して死んだりは出来ないのだ、──と。

(だけど僕たちは、彼女を置いて逃げ出した。いつまで経っても目が覚めない彼女をみているのが、つらくて──) 

 今もそうだ。
 ベッドのふちで眠りこける阿久津の顔を見ていたら、彼女の寝顔がフラッシュバックした。
 それでいてもたってもいられず、こうして上に出てきたのだ。


「……僕らは、弱いんです」


 ぽつり。
 誰に呟くでもなく、彼は言う。


「ラビ、どうか目を覚まして、僕を──」

「ユキさん!」

「!」


 ハッと振り返る。
 すぐ後ろまで、阿久津が走ってきていた。


「え、なに、なんで、キミっ」

「ようやくみっけた」


 阿久津は、その小さな体を自分の腕の中に収めるように抱きかかえた。
 その体のあちこちには、土や葉っぱが付いている。
 無理矢理にここを登ってきたのだろう。それもわざわざ、崖の反対側に回り込んで。


「目ぇ覚めたらいないから、連れ去られたかと」

「ご、ごめん……ちょっと夜風に当たりたくて……」


 耳を澄ますと、彼の心臓の鼓動が聞こえてきた。
 確かに生きていると証明するように、どくどくと脈を打つ、元気な鼓動だ。


「阿久津くん」

「あ?」

「ちょっと、空でも飛ぼうか」

「は? ──おい!」


 ぐい、と彼の腕を引いて崖を落ちる。
 慌てたような顔を見ていると、なんだか気が紛れてきた。
 真下から、ぼこぼこと地面が揺れて、いつか阿久津がこんなもの運転できない、といったクラシックカーが飛び出してくる。


「まさか、あれで飛ぶってのか!」

「うん」


 ぱちん、と指を弾く。
 二人の体の落下速度は車にぶつかる直前で緩められ、車はドアを開けて二人を迎え入れた。
 左ハンドルのキャデラックである。


「空を走るというのも、中々オツでしょう?」

「走るったって、これ、どうやって……」

「ハンドルを回すだけさ。そうなるように魔法をかけた。たまには車から星空を眺めようじゃないか!」

「ああもう……」


 ため息をついた阿久津は、しかし結局ハンドルを握った。
 それから不慣れな手つきで、それを回す。
 車はぐ、とその方向に向きを変えた。


「アクセルとブレーキはそのままだよ。ささ、運転してみてよ」

「はいはい」


 諦めたようだった。
 ほどなくして、車はゆっくりと夜空を走り出した。







***







 ──昔の話をしてしまった、と彼女は後悔した。
 それもうんと昔。まだ、人と神とが完璧に袂を別つ前のことだ。
 魔法という概念も、魔術という概念もなく。錬金術などという単語もきくことのなかった時代。
 遠い砂の国で出会った、ただの少女だった『魔法使い』の話。


「どうかしているわね、わたしも」


 魔女という種族は、そのほとんどが死に絶えた。
 彼女を含めた幾人かはまだ生き残っているようだが、今の時代、魔女というものが生きるには厳しいものだ。
 何しろ、魔女というものが生きるうえでは魔力が必要不可欠だ。
 その魔力を得るには、『魔力がある子』を食べるか、自然から蓄えるかしかない。
 前者を行った魔女は『悪い魔女』とされ、人々に討たれ。
 自然から蓄えていた魔女は、自然を破壊されると同時に死に絶えた。


「とうめんのあいだなら、わたしもいきてはいられそうだけど……」


 この島国にはいまだ神秘というものがある。
 それは魔力に直結するものだ。


「ながくはむりかしら」


 す、と木の壁を指でなぞる。
 小学生になりすましてから、いろいろとこの国を勉強しているが先行きはよくなさそうだ。
 本当なら、ストレーガやウェルダーパークにでも身を隠すべきなのだろう。
 そこならまだいくらか生きられそうだが、それでも、そこも長くはない。


「ふふ」


 彼女は、テーブルの上に視線を落とした。
 真ん中に花と共に飾られているのは、一枚の写真だった。


「しぬならせめて、あなたのとなりがいいものね」


 貰った苗字は捨てた。
 未亡人というのは生きづらかったから。
 けれどその思いまでは捨ててはいない。
 新しい隠れ蓑として女に手を出そうとしたけれど、それでも心にはその写真のことがあった。
 だからこそ、手を引いた。
 あの場で駄々をこねようとは思えなかった。
 本当に愛しいと思う者同士を裂いてしまったなら。
 それは、自分と同じ目に遭わせるということなのだから。


「げんしょのまほうつかい。あなたがもしわたしたちのくらしをみたなら、なんていうのかしらね」


 ふふ、と微笑んで、彼女は寝室へと消えていった。
 翌日、学校に登校した彼女は出された宿題を忘れていたことに気づき、三倍の宿題を出され、人生で初めて途方に暮れることになるのである。


 
 
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