シロトラ。

黒谷

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13:喪失と救済と。

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「トラコ!」

 しかし刹那。
ロウの、声がした。
ずるっと身体が下に落ちる。
「!」
 驚いて振り向いた、そこには。
「大丈夫? 無事?」
「……ロウ……」
 ロウが、立っていた。
 がばっと、ロウがわたしの身体を抱きしめる。
「泣いてるの? ……そうか、景生っち……」
 そんなロウの言葉でわたしは、自分の頬がぬれていることに、初めて気がついた。
 慌てて手の甲でぬぐう。
 ああ、冷たい。
「……」
「! ……ロイズ……」
 ロウと、悪魔の視線が交差する。
 どういうことかはわからないが、知り合いのようだ。
 悪魔はひゅるるとワイヤーを回収すると、ふうとため息をついた。呆れているのか、思い通りにいかなくて怒っているのか、わからない。
「何をした」
「別に? ただ、ちょっと仲間の力を借りたのさ」
 そう言って、ロウはふっと背後に視線を送った。
 その視線をたどると、そこには。
「よお、馬鹿弟子。泣き顔も悪くはねえなあ」
「……ひげ面師匠」
 ルキノが、やはり煙草をふかせながら、立っていた。
 わたしの言葉で、少し眉をひそめる。
 どうやらカンに障ったようだ。
「なるほど。『言ノ葉』か」
 頷いて、悪魔は身構えた。
 しかしルキノは鳥居によしかかったまま、動かない。
 いっそ切り刻まれてしまえばいいのに。
「……逃げよう、トラコ」
 そんな様子をみつめていたわたしの肩を掴んで、一度身体を離すと、ロウは真剣な顔でみつめてきた。
 顔が近い。
 そしてついでに、声のトーンが、低い。
 ありきたりで、お決まりの台詞も、ロウがいえばもっともらしく聞こえるから、不思議だ。
 まあ、それと従うかは、別の話だが。
「お断りします。わたしは逃げません」
 わたしは悪魔から視線をそらさずに、呟いた。
 じじいのカタキは、なんとしてもわたしが、うちたい。
「あの景生っちが命をかけて、君を守ったんだ。無駄にしちゃいけないんだよ」
 ロウの必死な顔。
 必死な、言葉。
 視線を外さざるをえない。
 ロウを、みつめざるをえない。
 ああ、なんで貴方は、いつだって。
「逃がすものか」
「「!」」
 悪魔の声が、不意に響いた。
 カツ、カツ、と徐々にこちらに向かってくる。
 よくみれば身体自体は無事だが、その衣服はところどころ焼け焦げていた。
 ガラガラと神社が焼け落ちていく。
 ……ああ、消火活動も、できない。
「おうおう。分が悪いのはそっちだぜ? なんたって、悪魔が三人もいるんだからよ、こっちには」
 相変わらず鳥居によりかかったまま、腕を組んで、ルキノは不敵に笑った。
「三人?」
「おうよ。おーい、でてきていいぞー」
 ルキノが森に向かって、叫んだ。
 悪魔は辺りをみわたして、身構えた。……が、応答はまるでない。
 数秒して、鼻を鳴らす。
「ふん。お得意のハッタリか? ハインリッヒの出来損ないと放浪者の貴様に、このオスカー家である某は、負けん。安心しろ昔のよしみだ。痛みなく殺して…ぐふっ!」
 刹那、悪魔の身体が、横にぶっ飛んだ。
 続けざまにみえたのは、目の前の悪魔よりも鮮やかな、綺麗な、それでいて真っ赤な炎のような、髪。
 ――レオンだ。
「おいホスト。せっかく仕事を譲ってやったのに、何しやがんだコラ」
 ひどく不機嫌な顔をしたレオンが、服をぱんぱんと払いながらたっていた。
 風に黒いロングコートが、なびく。
「俺はな、抹殺が専門なんだよ。あっさり居場所バラしてんじゃねえよこのダメ男」
「うっせえ。せっかく非番だったのにそこにいたテメェが悪いだろうが」
「お前がちゃんと働くか、見に来たんだよ」
 それはもっともらしい意見だった。
 レオンの身体に炎がまといはじめる。
 吹っ飛ばされた悪魔は、ふらふらと立ち上がった。
 ……これが、悪魔同士の、戦い。
 思わず、刀を握る手に、力が入る。
「俺とこの小僧がテキトーにやってやっからよ、お前ら二人はバロックんとこでもいってな。邪魔だ邪魔」
 やっと、ルキノは鳥居から背を離した。
 逃げる?
 どいつも、こいつも。
 そんな、ふぬけたことを。
「……お断りします」
 ギロリ、とわたしはひげ面を睨んだ。
 どくんどくんと鼓動が激しい。
 気を抜いたら、失神してしまいそうだ。
 まだ血潮は冷めない。殺意も、冷めない。
 これがいわゆる、アドレナリンがでている状況なのだろうか。
 はたまた、わたしは。
 たった一人の保護者を失ったことで――、死に場所を、探しているのだろうか。

ぱんっ

 刹那、わたしの頬に、衝撃がきた。
「こんなこともわかんねーのか? 今のお前、おかしいくらいにクールじゃねえよ? 状況判断もできねーか?」
「……!」
 目の前に、ひげ面が立っていた。
 ひどく怒った、顔で。
 いや、どちらかといえば、無表情、なのだろうか。
「少し頭冷やせ。肉親亡くして自暴自棄になって、死んでやるってか? そんなことしたら、この神社立て直すのは誰なんだ? あ? もしかしてそんな大事なことまで投げ出すほど、自暴自棄になって?
 ――今お前がやらなきゃなんねーこと、何だ!」
 神社が崩れ落ちる音が、わたしの耳に届いた。
 目の前に広がっているのは、炎に包まれた世界だ。
 わたしが、育った、大切な、場所だ。
 わかっているのに。
 わかっているのに。
 わかっているのに。
 言葉は詰まって、身体は悔しさと後悔で、動かない。
 ガキの言葉に、同意したはずなのに。
 守り手になると、約束したはずなのに。
「行こう、トラコ。……大丈夫。オレが、ついてるよ」
「!」
 そっと、ロウがわたしの身体を抱えた。
 よくみたら、おかしいことに。
 ロウの方が、わたしの数倍。泣いていた。





◇◇◇







 雨が降った。
 激しい雨だ。
 葬式に、ふさわしい雨だ。
 しかし全てを、洗い流しては暮れなかった。
 そう、わたしの心までは。
 翌日のこと。
 サーカスまで逃げたわたしたちは、しかし手遅れだったことに気がついた。
 首飾りは、いつの間にか、盗られていた。
 帰ってきたひげ面からきいた話だと、『シャクス』という悪魔が知らないうちに強奪していたのだという。
 レオンはその日、帰ってこなかった。
 悪魔を追っていったのだと、ひげ面が喋っていた。
 ゆえにわたしの手元にあるのは、鬼切だけだ。
 そして、今。
 わたしがとれる方法は、二つ。
 バロックさんに協力を続けて、敵をたたきつぶす。
 責任をとって、ここで、自害する。
 ――圧倒的に楽なのは、後者だろう。
 ……結局わたしは、じじいの言いつけを、なにも守れなかった。
 それどころか、約束すら、守れていない。
 なのに冷静に状況を分析する自分が、ひどく気持ち悪く感じた。
「ああ、ここにいたんだ」
 背後から、ロウの声。
 しかしわたしは振り向かない。
「どうしたんですか」
 代わりに短く、返事をした。
「……どうするのか、聞きに来た。団長がね、様子みてこいっていうからさ」
「そうですか」
 いつもと変わらないロウの口調。
 わたしもいつもと変わらず返す。
 少しの沈黙の後、ロウが耐えかねたように、気まずそうに口を開く。
「――あのね、トラコ。団長からきいたんだけど。景生っち、トラコがちゃんと成長するまで、オレたちに影響されないように、幼少期の記憶、消してたんだって」
「………」
「消してたって言うか、うん、封印っていうか。とりあえず、思い出させないように」
 ロウの言葉を、右から左に聞き流す。
「だから、このまま普通に生きていったっていいんだよ? 神体のことなら、なんとかなるし」
 右から左に、聞き流す。
「トラコが望むなら、記憶消してあげたって――」
「もういいです」
「!」
 聞き流せなくなって、わたしはしゃがみ込んだ。
 思考が止まる。
 何も考えられなくなる。
 いや、何も考えたくない。
 だってそうだろう。大事なヒトが、亡くなったのだ。
 大事なものが、灰になったのだ。
 目の前に広がっているのは、もはやただの廃墟でしかないのだ。数時間前は、確かにわたしの、家だった。
 居場所だった。帰る、場所だったのに。
 記憶がどうだとか、そんなこと、今更どうでもよかった。
「……神体すら守れない『守り手』なんて、聞いて笑っちゃいますね。本当。大事なヒトすら守れませんでした」
「……トラコ」
「この国に生まれたのだから、強くあらねばと、今までいろいろ打ち込んできましたが、結局、無意味ですよ。無力ですよ人間なんて。できることは限られています。じじいも、死んじゃうし。……残された側の気持ちも、考えろってんですよ」
 つらつらと、吐き出せるだけ、出す。
 弱音で、戯言で、腐ったような言葉が、溢れ出る。
「わたしはこんな容姿で、捨てられて、じじいに育ててもらったのに。なにも恩返しできなかった。本当、出来損ないですよね」
 ききたくない言葉たちだ。
 ロウにだってきいてほしくない。
 だけど――誰かに、きいてほしい。
 身体が震える。手が震える。
 消えれるなら、消えたっていい。
 死神が今、裁きを下すというなら、神様がわたしに天罰を下すというなら、それ以上に嬉しいことは、ない。
 わたしに今必要なのは、それだ。
 自分が自分で許せない。
 無力で非力で情けない自分が、許せない。
 ぐしゃり、としめった地面を、えぐり取る。
 続けて視線は、腕へといった。
 ……ああ、この腕なんて。こんな無意味な腕なんて、いっそなくして、しましたい。
 いっそ、えぐって……。
「でもだからって、逃げ出さないでしょ?」
「!」
 そっと、ロウの腕が、わたしの首に回された。
「だってトラコは、逃げないんだもんね。ちゃんと向き合おうとするんだよ。大丈夫」
 ふと、わたしの手が止まる。
 腕をえぐらずに、止まる。
 いや、ロウに――とめ、られた。
「――オレなんて、大事なものと向き合いもしないで、逃げ出してさ。親父もお袋も健在で、弟もいたりして、妹だっているってのにこうしてフラフラしてる。もう何年も家に帰ってない。だけどトラコは違うもん。非行に走らずに、ただ、賢明に生きてただけだもん。すごいよトラコは。本当にすごい子だよ」
 身体が、密着する。
 ああ、あたたかい。
 ロウがそこにいると感じる。
 すぐ側にいると、感じる。
 声音が、優しすぎて、わたしは頬をぬらした。
「……っ」
 言葉が言葉にならない。
 嗚咽へと変わって、意味を持たない。
 手へかかる力が、弱くなっていく。
「トラコはわかってるはずだよ。ただ頭の中で、自分の中で、確認、整理をしたいだけなんだよ」
 やさしく、ロウの大きな手が、わたしの頭を撫でた。
 それは、いつかの、幼い頃の記憶を、呼び起こしているような、錯覚。
 じじいにいつか、撫でてもらった、記憶を。
 ――震えが、とまった。
「……そう、ですね。そうです」
 声が、しっかりと出る。
 そうだ。
 何を弱気になっていたんだ、わたしは。
 わたしは蘆屋虎子だ。
 じじいの、なまくら神主の娘だ。
 悪名名高き、ホワイトタイガーだ。
 だからわたしは、改めて。
 じじいのように――ロウに宣言した。
「わたしはこの地の『守り手』です。八百万の神から授かった神体……。返してもらいに、いきます」
「うん! そうだよトラコ。そっちの方が、トラコらしい」
 不敵に笑ったわたしをみて、ロウも笑った。
 やっぱり、太陽のような、温かい笑顔だ。
 そんな笑顔が、わたしは昔から、好きだった気がした。
 本当に、気がしただけ――なのかもしれないが。
「ついでにあの悪魔をフルボッコにします。ドリアンを口につめて、東京湾にでも沈めて、そうですね……。爪でも一枚ずつはがして……」
「すとっぷ! すとぉぉぉおおっぷ!」
 わたしのイメージをかき消すように、ロウが叫ぶ。
「だめだめだめ! それ、絵面的にダメええええ!」
「何故ですか。平気ですよ。……多分」
「多分ってついてるじゃん!」
 ぎゅっと、傍らに置いてあった、刀を握った。
 握り心地が、いつもと違う気がした。
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