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第五章「砂の王蛇と悪意の巣窟。」
01
しおりを挟む砂の中から彼女の赤い瞳を見たとき、彼は『ほしい』と思った。
まるで宝石だ。
意思が強く、それでいてしなやかな瞳は美しい、と思った。
夜のように暗い、砂の下で暮らす自分に、相応しい。太陽のような女だ、と、そう思った。
同時に、彼女は『帝王』のそばには相応しくない。そう思った。
「大蛇、今晩は宴だ。彼女たちをうんと酔わせて、既成事実を作ろう」
「ぐおお」
大蛇が唸る。
喜んでいるような声に、彼はふっと口角をあげた。
金髪の少女はついでだった。
彼女だけをさらおうと思ったら、勢い余って連れてきてしまった。
「う……」
腕の中で、彼女が蠢いた。
どうやら意識を取り戻してしまったらしい。
「……貴様……」
「うはっ」
鋭い視線に晒されて、彼はドキリとした。
胸が高鳴る。
これは恋だ、とそう確信した。
「ああ、ああ、やっぱり良い! お前は、俺様に相応しい女だ!」
「……生憎だが俺はお前のような男は願い下げだ」
「はは、お前の意思なんてどうでもいいんだよ。どうせ満足に動けないだろ?」
「? ……な……!」
今更ながら、彼女はハッとしたようだった。
わずかに身じろぎくらいはできるものの、確かに、指先も震えて満足に動かない。
「俺様の能力さ。神経毒を撒けるんだよ、すげえだろ?」
「卑怯者め……」
心の奥底から蔑むような視線に、彼は胸を高鳴らせた。
「そそるなあ。いいなあ。へへへ、滾ってきた」
する、と彼女の赤い髪を撫でつける。
睨みつけることしか抵抗のできない彼女は、悔しそうに小さく震えていた。
「今晩、ちゃーんと抱いてやる。俺様の妃になれるように、な」
ぎり、と彼女は唇を強く噛んだ。
その口端からは、つー、と血が流れだしていた。
***
暗い砂の中をひたすらに突き進むこと、数分。
比較的簡単に、彼らはその街にたどり着いた。
「これは──」
空に浮かんだまま、二人はその街を見下ろした。
砂岩で造られた大規模な街がそこにあった。
先ほどの大蛇に乗った男同様に、誰も彼もがターバンを巻いている。
その頭からは竜の角のようなものが生えていた。
尻のあたりからはトカゲのしっぽのようなものが生えている。
「知らなかったぜ……こんなとこがあったのか」
「うん……へたしたら誰も知らないのかも……」
二人はゆっくりと床に降りた。
砂漠とは違って、地面は固い。
これもまた、砂岩のようだ。
「いいか? お前は口を閉じてろ。絶対にだぞ」
「な、なんで?」
「こいつらが全員味方かどうかわかんねえだろ。ほら、そのマフラー、頭に巻いとけ」
「ええ~」
渋々、ハイゼットは首からマフラーを取り外すと頭に巻き始めた。
遠巻きに見える彼らを真似るように巻かれたそれは、なかなかサマになっていた。
「デスはどうするの?」
「俺は別にこのままでいい」
「むー」
子供のように、ハイゼットは頬を膨らませた。
それからすぐに何か閃いたように、ポケットから布切れを取り出した。
何かの役に立つかも、とこの前の市場で買ったものである。結局なんの役にも立ちはしなかったが。
「おい、それどうす……」
「──『糸』よ。我が魔力を糧として、その体躯を伸ばしなさい」
ハイゼットの手のひらで、布切れが輝いた。
みるみるうちに、手のひらより少し大きいほどだった体積が、大きく、長く、マフラーのようになっていく。
「星の輝きを飲み干し、その身を数多のものと紡げ!」
やがてそれは、ハイゼットのマフラーと同じサイズまで成長して止まった。
彼の深い青の瞳と同じ色のそれを、ハイゼットはにこにこしながらデスに手渡した。
「つけろって?」
苦笑いを浮かべるデスに、ハイゼットは、
「えへへ。お揃いがいいんだもん」
と呟いた。
デスは頭を抱えた。
それから、少し間を空けてそれを受け取ると、乱雑に頭に巻いた。
「満足か?」
「うん!」
ハイゼットはニコニコである。
そんな彼に嘆息しながら、彼は街の方へと歩き出した。
砂の街は賑やかだ。
しかしそれは、東魔界のはずれにあったザイールの町とはまた違う賑やかさだった。
(華やかだ……)
金銀財宝があちこちの露店に並んでいる。
商人たちの身体にも同じようなものがつけられていて、彼らは気味が悪いほどにこやかだった。
ハイゼットはそんな商人たちから向けられる視線に耐えかねて、デスの背中を見つめた。
彼はハイゼットを守るように、道を先導しているのだ。
「おや。見かけない旦那だね。どこからきたんだい」
びくり。声に震える。
しかしデスはとくに反応する様子もなく、
「この街の噂をきいてな、ふらりと立ち寄った」
と、平然と答えた。
「おや珍しい。じゃ、旦那さん方は外から?」
「お前さんらも外からきたみたいなもんじゃねえのか」
「ははは、確かに。竜人種なんて珍しいでしょう、いい奴隷、たくさん地下に取りそろえがありますよ」
「いいや止めとくわ。今はそういう気分じゃねーんだ」
しっしっと手で寄ってきた男を追い払うと、デスはハイゼットをちらりと振り返った。
約束通り、ハイゼットは一言も口を挟まなかった。
けれどその目には、はっきりと怒りが現れていた。
(だから連れてきたくなかったんだ)
魔界で奴隷市場なんてざらにある。
ハイゼットがこれまで目にしなかっただけで、デスだってその売り場も商人も知っている。
買うことも利用することもない。他人事だ。
目にしようと思わなければ見えないし、とくにどうだっていい。
けれど、ハイゼットは違う。
おそらく彼の脳内には、『そんなもの許せない』と怒りが息巻いていることだろう。
ファイナルを助ける傍ら、この町からそれもなくしたい、と。
(でもなあ、それも『悪』の一種だし)
そもそもここは魔界だ。
悪魔やその他の種族が暮らす、悪徳の許された世界。
それも許されてこそ、魔界だと言われればそうなのかもしれない。
「あらぁ、いい身体してるわねえ、お兄さん。遊んでいかない?」
「んー、ちと野暮用があるからなあ……それが終わったら、あんたと遊んでもいいんだが……俺は高いぜ?」
「うふふ。私を買うんじゃなくて、自分を売るの? やだもう、素敵~!」
ぎゅっと抱き着いてきた女の目をやんわりとデスは覆った。
後ろのハイゼットを見せないためなのか、はたまた別の意図があるのか。
彼はそのまま、女の耳元で囁いた。
「ここの『王様』は何処にいるんだ? 俺はそいつに呼ばれて来てるんだよ」
「ん~? セルさまぁ? ふふ、ここの通りをねえ、ずーっと歩いてくと、宮殿が見えるわよぉ。そこにいらっしゃると思うけどぉ」
女はくねくねと体をしならせた。
その尻から突き出した尻尾もまた、求愛するようにゆらゆらと蠢いている。
「セルさまのご友人ならぁ、もしかしてすーっごいお偉いさん? 帝都のひととか?」
「だったらどうするんだ?」
「お近づきになりた~い! だぁって、ついに私達も『魔界の一員だ』って認めてくれるってことでしょ~?」
「野暮用が終わったら戻ってくるよ。それまでいい子で待ってられるか?」
「うんうん~! 待つ~!」
ぱっと女がデスから離れた。
それから彼女は、通り沿いにある大きな建物を指さした。
看板には『幻夜亭』と書かれている。どうやら宿屋か何かのようだ。
「あたし、ここで働いてるからねえ。マキナって、指名してねえ~!」
ぶんぶんと手を振って、彼女は離れていった。
デスもそれに手を振る。
それからハイゼットを連れて、すたすたと道を進んでいった。
「……デス」
囁くような声で、ハイゼットはデスを呼んだ。
「あの子……」
「ああ」
所々破けた服から覗いていた四肢を思い出して、ハイゼットは唇を噛んだ。
手首には何かで締め付けられたような痕。
太ももにも同様にそういう痕があり、腕には古傷や痣がたくさんあった。
しかしそれはさして、珍しいものではないということをデスは知っていた。
(あれは俺に期待してんだろうなあ。帝都に連れ出してくれるかもってか)
帝都だって似たようなものだ。
あそこにも地下には奴隷市場があり、老若男女問わず、売り買いされている。
むしろここは隔離されている分、まだ『北魔界』の影響が少ないくらいだ。
その後も声をかけてくる商人を受け流し、デスとハイゼットはようやくのこと、大きな宮殿の前に出た。
黄金で作り上げられたらしい煌びやかなそれは、確かに強大なものだ。
入り口の門には、蛇の装飾があしらわれている。
(門兵はさすがにいるな。周りをウロウロしたら怪しまれるか)
ぐい、とハイゼットはデスの腕をわずかに引いた。
「ここから、ファイナルの気配がする」
そんな声が、背中越しに聞こえてきた。
ついに気配まで感じられるようになったらしい。
(とはいえ、俺もゼノンの魔力くらいは感知できるんだが)
ここにいるのは間違いないようだ。
あとはどうやって忍び込むか。
あるいは。
どの程度まで、やってしまうか。
(アルマロスもまあ知り合いだし、シャルルも名は通ってるし、俺も素性明かせばまあ、入れるかもしれねーんだけど……ハイゼットにバレたくないんだよなあ)
彼が幼いときから行っている仕事。
それはこういうところに蔓延るそれと何ら変わらないものだ。
もう長くなるし、店の名前だって無名じゃない。
けれどずっとはぐらかしてきた、彼にとって最大の秘密である。
「デス」
「あ?」
「こっち」
ハイゼットが、わき道を指さした。
暗がりだが、人気はなさそうだ。
傍には砂漠の地下とは思えないほど大きな川が通っている。
整備されてあるために堤防があってそれを下らないと川までは近づけないが、その脇には整備用の道がちゃんと通っていた。
「みて、あそこ」
「下水道か」
指さす先にあったのは、丸い穴だ。
入り口こそ鉄の柵はされているものの、川を通す橋の下は真っ暗で、何かしていてもすぐには見つからないだろう。
「宮殿とつながってるかな」
「排水設備は必須だからな。間違いねえだろ」
「じゃあ、あそこから中に入ろう」
思い切りがあまりによかった。ハイゼットはとっと手すりを乗り越えると、堤防をあっという間に下って橋の影へと隠れた。
デスもそれに続く。間近でみると、鉄の柵は思いの外乱雑な取り付けになっていた。
かなり錆びついていて、簡単に壊せそうだ。
「よっと」
デスがそれを握ると、想定通り、それは簡単に砕け散った。
「よし、行こう」
「まあまて。そう急ぐな。俺が先導するから」
ぐいぐい行こうとするハイゼットを引っ張って、デスはそっとその丸い穴に足を踏み入れた。
ぴちゃん。音がする。
下にはわずかに水が残っている。
「ちと暗いが……大丈夫か?」
振り返ると、もうすぐそばにハイゼットが迫っていた。
「お前な……」
「ご、ごめん。でも、その、心配で」
「わかったわかった。だから落ち着け。お前はファイナル救出した後のことちゃんと考えておけよ」
「後のことって……」
ハイゼットはハッとした。
そうだ。
彼は見てしまったのだ。
一見賑やかそうだったあの街に蔓延る悪を。
奴隷、というものが売り買いされている事実を。
女の子が、乱暴に扱われているという事実を。
「……デスは、ああいうの、知ってた、んだよね」
ぽつり。
呟いた声に、わずかに間をあけてデスは「ああ」と頷いた。
「じゃあ、昔っからあるんだね」
「そうだな」
「どこにでも、あるんだね」
「まあ」
手短になってしまうのは、無駄口を叩きたくないわけではない。
ただ、何といっていいのかわからないのだ。
彼だって、その悪の一端を担っているようなものなのだから。
(死神機構は、これが『行き過ぎた』と判断するとターゲットとして認定するけど、まあ)
この程度だとしないだろうなあ、とデスはぼんやり思った。
下水道の仲は真っ暗だったが、彼にとっては些事だ。
とくに難なく、彼はすたすたと進む。
「俺はね」
ハイゼットは、デスの手を掴んだ。
手をつなぐようだった。
「知らなかったけど、知っちゃったから、放ってはおけない」
「言うと思った」
ぎゅ、とハイゼットの手がデスの手を強く握りしめた。
どれだけ規制しようと、強制しようと、そういう悪はなくならない。
おそらくもっと水面下で、彼らはそれを行うだろう。
依存症にも似た快楽を求めて、金を求めて、彼らはそれを行うのだ。
もとより倫理観など、欠落した連中なのだから。
つまりは、やるだけ無駄だ。
無駄だから、これまで誰もやっていないのだ。
「でもま、お前がそう思うなら、付き合うぜ」
はは、と笑ってデスは言った。
そこまでわかっていても、結局はハイゼットの望みをかなえてやりたい、と思ってしまうのだ。
それもある意味では、その快楽と同じだ。
ハイゼットが笑うと『愉しい』から、そうしたい。
ただそれだけのことなのだと、彼は自覚していた。
「へへ。ありがと」
デスから握り返された手を、ハイゼットは愛しそうに見つめた。
こんな状況下ではあるが、なんだか小さい頃にした冒険のようだ、とぼんやり思った。
(やっぱりデスと一緒なら大丈夫。なんでもできる)
(だから)
(ファイナル、キミのことをちゃんと、迎えに行ける)
ハイゼットは前を見た。
真っ暗でほとんど何も見えないが、その先にファイナルがいると彼は確信していた。
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