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第五章「砂の王蛇と悪意の巣窟。」
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しおりを挟む──巨大な日本家屋、その大広間では多くの鬼が勢揃いしていた。
彼らの頭には皆一様に角があり、彼らの視線の先には、琥珀色の鋭い眼光を飛ばす男がいる。
その男こそ、彼らの頭。
この一族のトップ。
大中小様々な鬼たちを従える──ハインリッヒの頭首である。
「皆の者、もう聞いているとは思うが、一族の者が一人、消息を絶っている」
わずかに群集がたじろいだ。
ざわざわと声が漏れだす。
あの噂はやはり、とか。では本当に、とか。
そんな些細なものだったが、次の瞬間には一人の声で沈黙した。
「静粛にッ!」
声を発したのは、一人の大男だった。
彼は頭首の傍らで柱のように佇んでいて、その手に持った鉾が思い切り床にたたきつけられる。
がしゃああんという音に、鬼たちは揃って震えあがった。
「消えたのは他でもない。某の妻だ」
静まり返った室内が、少しまた、ざわつく。
まるでたいらな水面に、彼がしゃべるたび石が投じられるようだった。
「ゴルトに呼び出されて帝王城にいったのち、消息を絶っている。何かがあったと考えるのが妥当だろう」
彼らは、肌がひりつくのを感じていた。
頭首から、威圧感が漏れだしているのだ。
ごく、と生唾をのみ、逃げ出さないように身を固めなければならないほど、頭首は怒っている。
「卿等にはこれの捜索をお願いしたい」
それから、と頭首は続けた。
「ゴルトはもはやハインリッヒにとって敵となった。奴に従う必要はもはやどこにもない──場合によっては、交戦を許可する」
頭首がすっと立ち上がると、鬼たちは全員一斉に頭を垂れた。
彼はその中をすたすたと歩き、広間を後にした。
その彼の少し後を、たたた、と駆けてくる少女の姿があった。
「父上!」
「む」
彼はその足を止めて振り返る。
幼い娘の手には、文が握りしめてあった。
「兄上からです」
「ジルから? ……はて」
小首を傾げて、彼はそれを受け取った。
ジル・ハインリッヒは彼の息子だ。帝王不在に絡み、本来は帝王城で勤務するところを、東魔界へ身を置かせている。
そんな彼から手紙があるとすれば、何か。
本家に大事を知らせるもの──ということだ。
「……これは……」
──拝啓、頭首殿。
そんな言葉から始まった手紙には、彼の目を大きく見開かせる言葉が記されていた。
すなわち、帝王。
長らく不在であり、その玉座から身を下していた『それ』が──東魔界を発って、北魔界へと向かっている、というものであった。
それも、ゴルトを討つために、魔王連中を味方につけている、というものである。
「レイナ、これを青にも見せなさい」
「青おじさんに?」
「ああ。それから、キジを呼んでアルフェスト家のせがれと、ザイラー家へ通達を」
彼は手紙を娘へ返すと、再び歩き出した。
「我々は『帝王』につく。貴殿らがどうするか、御教えいただきたい、と」
「承知致しました!」
遠ざかっていく背中に、娘から返事が届く。
彼の琥珀色の瞳はじっと前を睨みつけていた。
これから起こり得る争いのソレを、感じ取るように一斉に庭のカラスらが飛んでいく。
「なんてタイミングの良い──これで堂々と、『戦争』が出来る」
口角が吊り上がると、彼の鋭くとがった八重歯が露出した。
ぐっと握りしめた手からは、つー、と赤が垂れる。
それが、廊下に点々と線をひいていた。
***
北魔界を目指す一行は、東魔界の森を抜けて砂漠の一帯にたどり着いていた。
踏み出すたびに雪とはまた違ったクッション感がある。
とはいえそれは決して歩きやすい、というものではない。
あげくせっかく買った防寒具の一切は役に立ちそうになかった。
「あ、あつーい……」
「アァ……」
一行の額には大粒の汗がにじんでいた。
最後尾を行くのはゼノンで、それをエスコートするようにファイナルが肩を支えている。
「帝都を真っすぐ突っ切るって手もあったんだが、良い手じゃねえだろうしなあ……」
魔界の中心部にある帝都を通れば、この砂漠地帯を通過することはない。
わずかにいる行商人らはこの砂漠を通らず、帝都を通行する。
つまりはこんな場所を通っていく旅人も、物好きも、さほど多くはないのである。
「デス、ここは来たことあるの……?」
「ない」
「そーなんだぁ……」
もはや語気に覇気はない。
ハイゼットはうつろな表情で前方を見つめている。
「ああ、でもな、この地帯にはでっけえ蛇が住み着いてるって噂があったなァ」
「蛇ィ?」
ははは、とハイゼットは苦笑した。
「でっかい蛇に乗ったらここ進むのも早いかなあ」
「それを言うなら俺たちが飛んだ方が早いだろー」
「そっかー、それもそうだねえ……」
ファイナルやゼノンを抱えて飛べば足場のことなど問題はないのだが、そうしない理由が彼らにはあった。
帝王城は高い見張り塔を備えている。
そこから見渡せば、このあたりはよく見えることだろう。
魔物と悪魔の違いすらくっきりだ。
まして、何かを抱えて飛んでいれば、すぐにゴルトにバレるだろう。
「……蛇、探す?」
「探さねえよ。面倒を起こすな、面倒を」
デスは肩を落とした。
ここもいわゆる『みたものを真似した』だけのものだ。
下界の方の砂漠は太陽が照り付けるようだが、ここにはそれはない。
赤と黒の空がひたすら続き、太陽もないのに蒸し暑いだけだ。
「大体な、お前は知らないかもしれねーけど北魔界なんてろくなとこじゃねえぞ」
魔界の中でも、北魔界はとびきりに治安が悪い。
男でも女でも悪魔でも魔物でもあるいはそれ以外でも、あらゆるものの『悪意』が集っている。
(オスカーの本拠地も確か北魔界の西よりにあったはずだし)
それは例えば、誘拐。人身売買ならぬ悪魔売買。
臓器の切り売りからそうではない体の売り買いまで、北魔界ではありとあらゆるものに『値段』がつく。
誰かの快楽を満たすために、あの区域は存在しているようなものだ。
どの町でも奴隷市場は存在し、酒場では当たり前のように『ダーツ台』として子供が吊るされている。
そんな場所にハイゼットを連れていくのは本当に絶対にしたくないのだが……とデスは顔をしかめた。
誰かの苦痛が、誰かの快楽に。
いわばそこは、西洋の『それ』と一番に近い。
「町でなんか絶対に休めないから覚えておけよ」
「……そんなにひどいの?」
「できればゼノンもファイナルも連れていきたくないと思う程度には」
「ええ……もしかして東で待っててもらった方がよかったかな……」
ハイゼットはちらり、とファイナルたちを見た。
危険だとわかっていても彼は行かねばならないし、デスは当然必要だ。
けれどファイナルやゼノンを『当然』と危険な目には合わせたくない。
「ま、目を離さなきゃ平気だって」
「うん……」
ぴく、と何か嫌な予感がして、ハイゼットはハッと振り返った。
「デス!」
「あ? ……!」
ハイゼットに言われて振り返ったデスは、目を見開いた。
確かに少し後ろを歩いていた二人が、綺麗さっぱり消えている!
「はは、帝王ってのは思った以上にどんくさいやつなんだな?」
どこからともなく声が響き渡ったのは、そのすぐ後のことだった。
じり、と二人が背を合わせて周囲を見渡すも、砂の大地以外に敵影は見当たらない。
「くそ、どこにいる!」
たまらずハイゼットが声を荒げると、ずず、と足元がずれるような錯覚をおぼえた。
ハッとする。
砂の中、この足元に、何かいる!
「ハイゼット! 飛べッ!」
「うん!」
デスに言われて飛びのいた直後、二人が立っていた足場は陥没。
大きな音を立てて真っ黒な穴が出現し、その中を、『それ』が蠢いていた。
丸太よりもまだ太く長い胴体を、ずるずると這いずる、『それ』が。
「蛇……!」
周囲の砂は穴へとどんどん流れ落ちていく。
その中心部から、やがて『それ』は頭をガッと突き出した。
蛇の頭の上には、ターバンを巻き、顔にうろこのようなあざがある男が鎮座していた。
──ファイナルと、ゼノンを抱きかかえて。
「ファイナル! ゼノン!」
「ひでえじゃねえか。この世界を統べるだとかいう大層な存在なのに、俺様に挨拶が無いなんて」
男はくつくつと長い舌を垣間見せて笑う。
「まあひでえのは今始まったことじゃねえか。お前さんら、誰一人も俺様たちなんか相手にしねえもんな」
ハイゼットはじ、と男を見た。
そんなことを呟く彼の目は、怒りではなくどことないもの悲しさを内包しているように見えた。
「この娘さんたちは通行料として貰ってくぜ。関所通らないで『不法侵入』したお前さんたちが悪いんだぞ」
「! 待て!」
慌ててハイゼットが手を向ける。
砂の中にずるずると帰っていく蛇の進路を妨害しようとしたが、蛇の全長がわからない以上、あの『壁』を生む力は使えない。
(ダメだ、この子の身体を切断しかねない!)
ハイゼットは手を引っ込めると、その徐々に閉じようとしている穴に向かって突進した。
「馬鹿、お前、突っ込む気か!?」
背後からデスの声が追いかけてくる。
その声に、ハイゼットは「うん!」と頷いた。
「きっとこの真下に彼の領土があるんだ! 追いかけるよ!」
「だってお前、こんな、生き埋めになりかねな……」
「デス、俺につかまって! アレで、箱作るから、たぶんうまくいく!」
「! ……はは、りょーかい!」
ぐ、とデスはハイゼットの肩を掴んだ。
そのまま二人の身体は、閉じていく大きな黒い穴に向かって落ちていった。
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