とあるマカイのよくある話。

黒谷

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第五章「砂の王蛇と悪意の巣窟。」

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 想定通り、グラフィンはそこに現れた。
 身なりの整った男だ。ブルーグレイのスーツに、同じ色合いのロングコート。
 それからシルクのスカーフを首に巻き、スーツと同じ色のシルクハット。
 手には杖と、それからスーツケースが握られている。
 焦って走ってきたのか、はたまた別の事情なのか。
 グラフィンは肩を上下させて息をしていて、デスを見ると大きく目を見開いた。
 体は小刻みに震え、目からは涙を流し、口からは涎を垂らし──その両手は杖もスーツケースも手放し、彼の胸にある。


「おお……おお……」


 てっきり激昂すると思っていた。
 取り乱し、激怒すると。
 これでは、まるで天を仰ぐ狂信者だ。

(どういう感情だよ、あれ)

 出来れば、関わり合いにはなりたくないが、そうもいかない。
 彼の足元には、その陰に隠れるように子供がいる。
 立っているのもやっとのような細い竜人種の子。彼はぎゅっとデスの足を掴み、グラフィンを睨みつけていた。


「ああ、失礼! 取り乱してしまった……貴方が、かの有名な『死神』ですね!」


 彼は怒るどころか、まるで客人にそうするかのように両手を大きく広げて歓迎した。
 どうやらデスの足元にいる子供には気づいていないらしい。


「私、グラフィンと申します。北魔界を中心に奴隷商などしております」

「ああ、名前は聞いたことあるぜ。いろんなモン揃えてるって評判じゃねえか」

「ええ、ええ! まさにその通り!」


 肩よりも長い金髪を揺らしながら、彼は大げさな手ぶりで喜んだ。


「ここにしまってあったのは中でも貴重な竜人種でして。まさかすべて空っぽとは。私、驚きのあまり失神してしまいそうでした」

「別にそうしてもらっても構わねーよ。そのまま永眠させてやるから」

「いえいえ、ご心配には及びません」


 心配してねえよ。とは、デスの心の声である。


「損害はすぐに利益で埋めなければ、商人とは成り立たない。それで、ええ、私、『貴方』という商品に胸が高鳴っておりまして」

「……は?」


 ここでようやくのこと、デスはグラフィンの思惑を理解した。
 この男は、この商人は、『死神』を商品として陳列しようとしているのだ。


「今まで死神というものの取り扱いだけはないのです。ええ、まったく、彼らときたら『殺人鬼』のようなものですから」


 捕まえようにも、手の付けようがないのです、とグラフィンは続けた。


「それに死神機構に漏れなく属していますから、あれと敵対するのは気が引けまして」

「全員まとめて商品にするくらいの度胸はねーわけだ」

「ありませんね。だって損害の方が大きすぎます。あの死神たちは調教のしがいこそありますが、どれも使い物になるとは限りません」

「はは、そりゃそうだ」


 デスは拳をぱきぱきと鳴らした。
 死神機構の死神は、確かに戦闘狂というよりは殺人狂だ。
 殺さなければ生きていられないのかと思うほど純粋に飢えていて、そのために四肢を投げ捨ててでもターゲットを殺す。
 狙われれば最期、どこへ逃げても追いかけてくる。
 赤い月の殺戮集団。そんな狂った連中を商品などと、笑えてくる。


「それで俺を狙おうって?」


 それも馬鹿げた話だ、とデスは笑った。
 どうやら彼は理解をきちんとしていないらしい。
 あるいは、理解したうえで『おかしい』のかもしれないが。


「大義名分でしょう? 私に損害を与えたから、私は利益を生むために、貴方を商品に加える。これなら私は貴方が働いていたお店にも顔向けができます」

「俺がおとなしーく商品になると?」

「いえいえ、そうは思っていません。けれど私、貴方の大ファンでして。常々、貴方の捕獲を夢見て妄想をしておりましたので」


 グラフィンは落とした杖を拾い上げた。
 それからスーツケースの前にかがむと、ぱちん、とロックを外す。


「電気網、毒薬、閃光魔法弾に麻酔銃、簡易拘束魔法陣……たくさん拘束具は取り揃えがございます」

「うっわ……」


 スーツケースから飛び出してきたそれらをみて、デスはドン引きした。
 どれも当然のように見覚えはあるものだが、ここまで取り揃えがあると圧巻だ。


「……おや。その足元にいらっしゃるのは、私の商品ですね?」

「!」


 ようやくのこと、子供に気が付いたらしい。
 グラフィンは身を乗り出すようにして、彼にを見下ろした。
 子供の方はびくりと震えて、デスにできる限り身を隠していた。
 そんな子供の頭を、デスは優しく撫でつけた。


「こいつに妹がいたらしいんだが、あんた知らねえか」

「妹ですか? ああ、いましたね。そういうのも」

「誰に売ったとかわかるとありがたいんだが」

「それは個人情報の漏洩になりますので、出来かねます」

「だよなあ」


 わしゃわしゃとその子の頭を撫でまわして、それからデスは、ニタリ、と笑った。


「じゃあ、お前の身体に直接きくわ」

「ふ、ふふ、たまりません」


 深い青の瞳に冷たい視線で撫でられて、グラフィンは身震いした。
 もはやデスはそれに取り合わない。
 子供の頭をくいと離すと、その背を叩いて離れるように促した。


「おいで」

「……」


 柱の陰から、ゼノンが子供に手招きした。
 彼女もまたこの牢屋に連れ込まれていた一人だが、もうすっかり拘束具も外されている。


「ああ、そうでした。東魔王の娘さんもいたんでした」


 ゼノンはべーっと舌を出すと、子供を受け止めて柱の陰に引き込んだ。
 どうやら全員どこかへ逃げたわけではないようだ。
 ここにいる。今、この空間に。

(たまらない)

 利益ばかりだ。
 この空間にはまだ損害など生まれていない。
 グラフィンは蝶ネクタイを手で直すと、ごくり、と喉を鳴らした。


「死ぬ覚悟はできたか、変態野郎」


 かつん。
 死神の足音がした。
 ゆっくりと、近づいてくる。
 彼の身体はわずかに、青白い光に包まれているように見えた。
 その指が、くい、と官能的にグラフィンを手招きする。


「来いよ。お前は念入りに殺してやる」


 グラフィンは舌なめずりした。
 どんな商談よりも、その誘いは彼にとって魅惑的に見えていた。







***








「ファイナル、大丈夫? 立てそう?」

「ん……、ああ。なん、とか」


 ふらついた足で、ゆっくりと地面を蹴る。
 そんな彼女を、ハイゼットは肩で支えながら蛇を追っていた。
 毒とやらは徐々に抜けていっているようだが、いまだファイナルの顔色は優れない。


「そう不安そうな顔するな。平気だ。死にはしない」

「死にはしなくても俺は心配だし辛そうなファイナル見るのは嫌なの」

「それは……。……いや、そうか。すまない」


 ぎゅ、とハイゼットはファイナルを抱きしめた。
 治癒魔法にはいくらか覚えがあるが、解毒というと高度な医療魔法だ。
 ゼノンでもいれば何とかなるかもしれないが、彼にはその知識がない。

(剣で斬ってみる? いや、ファイナルに剣を向けるなんて死んでもやだ)

 ふいに思い浮かんだ案をかき消すように、ハイゼットは頭を横に振った。
 解毒剤などはあるのだろうか。
 せめて斬らずに、それを浄化さえできれば──。


「ハイゼット、しかしこれでは間に合わないかもしれない。デスとも合流できていないし、俺のことは置いていけ」

「絶対やだ」

「魔界がマグマに犯されるぞ」

「それでもやだ」

「ハイゼット!」

「いやなものはいやだ!」


 ハイゼットは頑として首を縦には降らなかった。
 ファイナルをきつく抱きしめて、離さなかった。


「無理矢理とられてもっと気づかされたよ。俺、ファイナルが誰かにああされるのは嫌だし、俺の知らない誰かと一緒にいるのもやだ」

「お前な……」


 子供みたいなことを、と呆れるファイナルは、しかし彼を引きはがせなかった。
 まだ力が入りきらないということもあるが、それだけではなかった。


「ファイナル」


 じ、と見つめられて、彼女はそっと顔をそむけた。
 その真剣な目は苦手だ。
 何を言っても、飲み込まれてしまう。


「キスしよう」

「……は?」

「だから、キス」

「いや、今はそれどころでは……む、む!?」


 ムードもへったくれもないほど強引に、ハイゼットの手はあっさりとファイナルの顎を掴んで引き寄せた。
 唇が触れる。あたたかな何かが、そこから流れ込んでくるような気がした。
 往来だぞ、とか。
 誰の目に触れるか、とか。
 ここは敵地だぞ、とか。
 いろいろと言いたいことはあったのだが、それもすぐに炎のように熱くなった頬の熱がかき消していった。


「ばっ、なっ、ななっ…………」


 うまく言葉が紡げない。
 ふしゅー、と頭のてっぺんから煙が出ているかのようだ。
 顔が熱い。顔の全体が熱い。


「どう? 体、まだ動かない?」

「は? それはまだ……、……? いや、動く、動くな……」


 ファイナルはハッとした。
 確かに、これまで力の入らなかった四肢に、通常通り力が入る。
 足が動く。
 手が動く。
 体が、動く!


「よかった、うまくいった」

「どういうことだ?」

「へへ、剣でやってることの応用。ファイナルの中の毒をね、俺の魔力で消したの!」


 えへへと笑うハイゼットに、ファイナルは目を丸くした。
 他者に魔力を流して行う医療魔法は高度なものだ。
 それをハイゼットが知っていたかどうかは知らないが、ぱっと思いつきでできるものじゃない。

(奇跡的にうまくいった、のか?)

 茫然とするファイナルの手を、ハイゼットは強く引いた。


「これで二人でセルくんを止められるでしょ?」

「……ああ、ああ。そうだな、その通りだ」


 ファイナルの腰には、何故か取り上げられなかった刀がまだ刺さっている。
 抵抗できないからと侮られたのかもしれないが、探す手間がないのは何よりだ。


「俺にちゃんと掴まれるよね?」

「ああ、問題ない」

「じゃあ、今度は飛べそうだね!」


 ハイゼットの背から黒い翼が生えた。
 以前落下の衝撃でだいぶ痛めてはいるものの、ファイナルを抱えて飛ぶ、のではなく彼女にしがみつかれながら飛ぶ、ならなんとかなりそうだ。
 腕でファイナルを支える筋力分、羽根の方に集中できるだろう。
 すでに蛇が向かっていった先に見える岩山からはわずかな振動が発生してきていた。
 黒い煙が、山のてっぺんからもくもくと上がり始めている。


「急ごう!」

「ああ!」


 差し出された手を、ファイナルは強くつかんだ。
 彼の背に乗るように肩へ腕を回す。
 デスほどではないが、鍛えられた肩周りの筋肉に体を預けながら、ファイナルはすり、とこっそり頬を寄せた。
 びくり、とハイゼットの方もそれに気づいたが、頬をゆるゆるにした程度で何とか踏みとどまって、彼は空を蹴った。
 羽根の痛みよりも、幸せの方が今の彼を支配していた。


 
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