とあるマカイのよくある話。

黒谷

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第五章「砂の王蛇と悪意の巣窟。」

05

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 彼がその異変に気付いたのは、ハイゼットらがまさにセルに追いついた頃だった。
 地面から伝わるかすかな振動と、お気に入りの奴隷商人グラフィンの挙動が、思考の鍵となった。


「んー……」


 ふかふかのソファで、ゆっくりと紅茶を飲む。
 こういうゆったりした時間はたまらない。
 とくに、そうだ。
 大きな変化を終えて、自分好みの部屋にリフォームし終えたこの瞬間は、本当に悦が過ぎる。


「本当なら、キミにも紅茶をふるまって、この異変について議論したかったところなんだけどねえ」


 彼は、床に伏せた悪魔にそう声をかけた。
 それはつい数十分前までは、動いていて、彼の上司だった。
 けれどそれはあくまでも数十分前までの話だ。
 今となっては、それには何の価値もない。
 ただの肉片であり、ただの悪魔の死骸だ。


「おーい、終わったぞ。アルマロス」

「むっ」


 彼のティータイムを邪魔するように、大きな音を立てて金髪の悪魔が入ってきた。
 彼の容姿には少しの優雅さもない。
 粗雑なシャツと、アルマロスがあげたスラックス。
 前髪は伸びきっていて、その赤い目をやんわりと隠していた。


「終わってないよ。だってまだここにゴミあるし」

「は? お前、これ自分でやったやつじゃん。ちゃんと片付けろよな」

「だって僕が触ったら手袋汚れちゃうし」

「俺だって手は汚れるんだが!」


 ぶつぶつと文句を言いながら、金髪はそれをがしりと掴んだ。
 それから、ずるずると引きずっていく。


「アルシーくんさあ」

「あん?」


 金髪は、不意に愛称を呼ばれて振り向いた。
 彼、アルマロスは紅茶をカップの中で揺らしながら、呟いた。


「グラフィン、死んじゃうと思う?」


 いい商品を仕入れてくるし、調教スキルも素晴らしいと思った。
 だからお気に入りにして、自由にさせた。
 鍵も与えていろんな世界を見せてあげたし、いろんな種族をとらえるためのスキルも道具も与えた。
 ──けれども。


「彼ねえ、何かの連絡を受けて僕とのティータイムを放り出していったんだよ」

「へえ」


 興味のなさそうな返事だった。


「たぶん緊急の連絡だったんだと思うけど、今までね、そういうことってなかったから」

「ああ」

「そういうことかなって」


 カップをテーブルの上に置くと、それはかたかたとわずかに震えた。
 小さな地震が、断続的に起こっているのだ。


「心配なら見に行ってやりゃいいのに」


 がりがりと頭を掻いて、金髪はため息をついた。


「心配? 僕が?」

「そうじゃなきゃなんだってんだ」

「いや、単純に興味だよ。だって気になるでしょ? 死神くんも最近は全然きてくれないし」


 アルマロスは、ぼんやりと銀髪の死神を思い浮かべた。
 彼をゴルトに紹介したのは、ほかならぬアルマロスだ。
 頼み込まれてのことだったが、彼に貸しを作っておくなんてチャンスはそうそうない。
 そうしてそれ以来、ちょくちょくあっていたのだが、それも帝王の目覚めと共に終わった。

(そうだった。帝王くん、今、魔界をうろちょろしてるんだった)

 このほんのわずかな胸騒ぎは、そういうことなのだろうか、とアルマロスは思った。
 先代の帝王もそうだったが、彼らはアルマロスにとっては障害だ。
 彼にとって居心地のよい、住みやすい世界を作るための壁。
 それでいて壊すことが難しい、問題の種だ。


「話は以上か? ならこれ、捨ててくるけど」

「ああ、うん。いってらっしゃーい」


 頷いて、あっさりと去っていく後ろ姿を見送る。
 ずるずると引きずられていった肉片のあとには血がべったりと残っていて、彼がまだそこにいるかのような錯覚をおぼえた。


「……ふふ」


 裏切り。強奪。策略。陰謀。腹の暴き合い。
 そういうものが肯定されている世界の、なんと居心地のよいものか。

(グラフィン、早く戻ってこないかなあ)

 カップを手に取って、また口をつける。
 アルマロスは、彼が去っていったドアをじ、と見つめた。







***







 ハイゼットらがセルに追いついたのは、マグマの湖のほとりだった。
 そばに立っているだけで火傷しかねない温度だ。長時間いることは危険だろう。


「は、はは、ほんとに追ってきやがった」


 そんな場所で、セルはふらふらと魔法陣の上に立っていた。
 鉱山の中にあるその湖の真上には、わずかに開いた噴射口がある。
 そこからマグマを飛び出させるつもりなのだろう。


「キミはここの王なんだろ。民を危険に合わせるなんて、馬鹿げてる」

「そんなありきたりで王道な説教なんかいらねーんだよ」


 ハイゼットの言葉をばっさりと切り捨てて、彼は大蛇の頭を撫でた。
 大蛇もまたその長い体をぐったりとさせていて、マグマの熱に当てられているようだ。


「今更自分だけは正義ですってか? 俺たちのこと長い間、気にもかけなかったのに。俺のかわりに俺の民も守ろうって?」


 お優しいこった、とセルは吐き捨てた。
 反吐が出る、と思った。
 そんなきれいごとは、聞き飽きた。
 聞き飽きたから魔界にきた。魔界ですらそういった男がいたから、砂漠の中に逃げ込んだ。


「やってみろよ、お前が正しいならできるだろうよ! 一を殺して百を救う英雄行為を、見せてみろよ!」


 セルは思い切り地面をたたいた。
 魔法陣が起動するように輝き始め、マグマが唸り始める。
 すぐに変化は訪れた。
 ハイゼットたちの足場が次々とひび割れて、マグマがあふれ出してきたのだ。


「あっぶな!」

「ハイゼット!」


 飛び跳ねて回避するファイナルを確認したあと、ハイゼットはセルたちに目を向けた。
 彼らは、動く様子がない!


「大蛇、俺と一緒に死んでくれるよな?」

「ぐおお、おお!」


 頷くような声と、それに寄り添う仕草。
 その大きな体が、セルを抱きしめるようにぐるぐるととぐろを巻く。
 二人の地面にもひび割れが起き、マグマの方は今にも沸騰しそうなほどグツグツと蠢き始めていた。

(一か百か? 馬鹿げてる!)

 地面を蹴る。
 マグマの暴走など、止めようと考えたこともない。
 止められると思ったこともない。


「ファイナル、壁、壊せそう!?」

「ああ! 幸いなことに炎がある。これなら、俺の能力も生かせそうだ!」


 マグマから跳ねた炎が、ファイナルの周りに集まった。
 真っ赤な髪が、炎のようにゆらゆらと揺らぐ。


「──炎よ。我が声に応じ、球となり、弾となって、障壁を打ち砕け!」


 大きな一個のエネルギー体となったそれが、ハイゼットの真後ろの岩壁を容赦なく貫いた。
 がらがらと崩れた隙間から、外が見える。
 建物のない荒野と、遠くにそびえる宮殿。
 まだ街の方に被害は見当たらない。マグマがたまっているのは、ここだけのようだ。
 ハイゼットは跳躍すると、揺れのひどい地面から宙へと移動した。
 黒い羽根は焼け焦げそうだが、そんなことは言っていられない。

(セルくんはともかく、あの大蛇は念力で投げるしかないな)

 幸いマグマはまだ噴き上げる様子がない。
 まだ数分は猶予があるだろう。


「! ハイゼット!」

「あ!」


 ふと。
 二人のいた地面は大きく割れて、真下のマグマへと、その巨体が落下していくのが見えた。
 慌てて魔力を向ける。
 なんとか大蛇は念力でキャッチできたが、セルの身体はその地面の狭間に落ちていく。


「くそっ!」


 大蛇の身体を思い切り外へ。
 それからハイゼットは、その崖のような狭間へ飛び込んだ。


「セルくん!」

「は──なんで、お前、飛び込んで、」


 まどろんだ目で、セルは自分をキャッチしたハイゼットをみた。
 彼の頬は、マグマに近づいたためだろう。
 赤く変色し始めていた。


「一か百かなんてね、俺は選ばないの!」


 黒い羽根が、力強く上へと羽ばたく。


「なにせ俺、強欲なので! 君もこの町も魔界も、ぜーんぶ助けたい!」


 セルは目を丸くした。
 そんなことをいう彼の顔は火傷していて、無理に浮上したために黒い羽根だってボロボロだ。
 何とか地上へ戻ったハイゼットは、セルを大蛇の方へ放り投げた。


「ハイゼット、どうする?」

「マグマかあ、魔法陣はもうないし、一回起爆したら手遅れ、みたいなやつだよねえ」


 ははは、と困ったように笑うハイゼットは、しかし諦める様子がない。
 彼はポケットから、どういうわけか携帯端末を取り出した。


「? 何を……」

「俺にできなくてもほら、一人だけ、マグマの掌握ができる子に心当たりがあるんだよね」


 にこっと笑って、彼はファイナルにその画面を見せた。


「なるほど……確かに、あの子なら可能だろう」

「でしょ。さすが、デスの妹ってだけあるよね。大事なところで大活躍! みたいな」


 だから俺たちも脱出しよう、とハイゼットはファイナルの手を引きながら大蛇の方へジャンプした。
 外の空気が頬に触れる。
 熱気が近くにない、というだけでいくらか体はラクだ。
 しばらく翼は使い物にならないかもしれないが、まあ、これこそゼノンと合流さえすればなんとかなるだろう。
 大蛇もセルも、呆けた顔で、あっさり出てきたハイゼットを見た。


「まさか、もう、止めたってのか?」

「ううん」


 セルの問いかけに、ハイゼットは首を横に振った。
 それから、じ、と天を仰ぐ。


「だけど手は打ったから、大丈夫」

「はあ?」


 やけに自信満々なハイゼットの背後で、マグマはついに噴き出した。
 この街を焼くことなく、それは真っすぐに地上へと吹き上がっていく。
 しかしハイゼットはにこやかで、セルは口をあんぐりと開けてそれを見上げた。
 何年も、確かに何年もかけて、これを計画してきた。
 いつかはこの地中に眠る財産、マグマで魔界を更地に代えて、自分が支配者に。
 そう思ったのは、嘘ではない。


「ほら」


 地上へと上がったマグマは、砂の熱い壁をぶち抜いて、空高く昇っていく。
 ──けれど、それはすぐに失敗だったとわかった。
 地上に柱のように続いたそれは、しばらくするとどこにあふれることもなく、また元いた場所へ戻っていったのである。


「な──」


 何が、という前に。
 ハイゼットはセルに指でブイマークを作ると、ニッと笑った。
 彼の手に持つ携帯端末には、デスの妹へのメッセージが残っていた。
 彼女の持つマグマを掌握する能力で、サポートしてくれ、との旨が書かれたそれがちらりと見えて、セルは体を地面に倒した。
 なんだそりゃ。と、そう思った。
 確かにこの魔界にはよくわからない能力もちがいるが、そんな。
 そんなピンポイントで、ご都合主義な能力が、帝王の身近にいるとは、考えもしなかったのだ。


「ね! 一も百も、皆救えたでしょ!」

「う、うう、うぜえ~……」


 セルは両手で目を覆った。
 生涯において人前で泣いたことはないが、今日だけは泣きたい、とそう思った。


 
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