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第六章「暴力と快楽と信仰。」
07
しおりを挟む真上から光が降り注ぐのを、茫然と見た。
その先でファイナルが連れ去られるのも、茫然と見た。
ぐ、と奥歯をかみしめるしかなかった。
目の前にいた。
走ればいい距離だった。
魔法さえ使えれば、どうとでもなることだった。
「ハイゼット!」
「!」
泣き叫ぶようなゼノンの悲鳴と、腰あたりの衝撃にハッとした。
ゼノン、フォルテとその妹が、ハイゼットを守るように抱き着いている。
目の前の影はもうない。
グリードの撤退と共に、みんな跡形もなく消えてしまった。
(そうだ、今は)
デスが動けない今、この光を、まずは、何とかしなければ──!
「う、く!」
痛む腕で、落とした剣を拾い上げる。
何とかそれを構えて、空へとむける。
魔法が使えなくても、なんとか。
なんとかしなければ、皆を救えない!
「まあまあ、肩の力抜いて」
「……アルマロスくん……」
ぽん、と肩に手を置いたのはアルマロスだった。
彼の傍らに佇むアルシエルの腕には、デスが担がれている。
「これなら僕でなんとかなる。できれば僕の後ろに隠れてくれるかい」
「で、でも」
「大丈夫だよ。キミ一人でなんとかしなくてもいいんでしょ? ふふ、僕も一応、『魔王』だからね」
くすくすと笑うと、アルマロスは何気なく、すっと空へ手を向けた。
ほどなくして、光が、彼の手の先に触れ──バツンッ、と、消えた。
「え」
ハイゼットは目を丸くした。
確かに今、強大な光が空から落ちてきたはずだ。
それを、指先一つで、アルマロスは消して見せた。
「無効化、というんだけどね。こういうのなら僕、どれだけでも消せるよ」
「そのかわり攻撃手段はゼロだ」
「ゼロじゃないよ、失礼だな」
むっとして言い返すアルマロスにはとりあわず、アルシエルはデスをハイゼットに差し出した。
「それよりこれ。こいつ。なんとかしねえとあんたの戦力ガタ落ちだろ」
デスはぐったりとしていて、まるで反応がない。
こんなデスをみるのは初めてで、ハイゼットはアルシエルからデスを受け取ると、ぎゅっと抱きしめた。
……わずかに、まだ温かい。
けれど、心臓の音があまりに聞こえない。
みるみるうちにハイゼットは青ざめた。
こんな状況もまた、初めてだった。
「どうしよう、デスが、ええと、休ませるとこを」
ぱちん、とゼノンの手がハイゼットの頬をひっぱたいた。
「落ち着いて! こいつの言うとおりでしょ! ハイゼットは一人じゃないんだよ!」
「ゼノン……」
「キミ一人で決めなくていいし、キミ一人で背負い込まなくたっていい! ここからならセルのとこが近いし、助けてもらおうよ!」
ゼノンは背伸びして、大きな目で精一杯ハイゼットを睨みつけながらそう叫んだ。
「反省するのはそのあとでしょ! この場でファイナルちゃん殺してないんだから、まだ奪い返すチャンスはある!」
「……うん、うん! そうだね、そうしよう」
ぐし、とあふれ出しそうになる涙を拭って、ハイゼットはぐっと前を見た。
デスを抱え上げて、アルシエルとアルマロスを振り返る。
「セルくんとこね。ま、僕も知り合いだし、久しぶりにお邪魔するとしよう」
アルマロスは、す、と地面に手を当てた。
ぶわっと魔法陣が広がると、彼はそれに手を埋めた。
そうして、ずるずると扉を取り出した。
「確か、このドアがセルくんとこに繋がってたはず」
「ド、ドアってそんなふうにしまえるんだ……」
「うん。これも魔法の一種だよ。キミもコツさえつかめば同じことできると思うけど」
ドアノブをがちゃりと回して、アルマロスはドアを開けた。
開けた先に見えたのは、壁の穴に見覚えのある部屋だった。
***
「えーと? 何、なんだって?」
セルは小首を傾げた。
目の前で元気なくしょげる帝王と、ニコニコする取引相手(北魔王)と、見たことのない金髪をみて怪訝な顔を浮かべた。
この前見たときは死にそうになかった死神は死にかけていて、それを必死に金髪の少女が治療していた。
そうしてその光景を、大蛇は少し心配そうに見下ろしていた。
「だからね、ちょっとだけここにいさせてほしいんだよ」
「いやそれはわかったけど……」
セルはハイゼットを見た。
あの時元気いっぱいに笑っていた彼の面影はない。
とてつもなくしょげていて、小突いただけでも大泣きしそうだ。
「あんだけゴルトを倒すって息巻いてたそれは、どうしたわけ?」
「ちょっと魔法使えなくなってしょげてるんだよ」
「魔法使えなくなったって……なんで? 俺の毒すら効かなかったお前が?」
とてもじゃないが信じられなかった。
何しろ、セルもこの街も魔界も救った時のハイゼットは、まさしく帝王だった。
できないことなど何もないというような、自信にあふれていたのだ。
「へー……なんか意外だな。お前、もっとなんでもできるやつなのかと思ってた」
「…………」
「それとも何、恋人も親友もやられて意気消沈って感じなのか?」
「……それは……」
「変なやつ。やり返せばいいじゃねえか、俺の時みたいに」
セルはケロッとそんなことを呟いた。
「俺があの女奪った時には血相変えて怒ったじゃん。マグマのときも、諦めないで飛び込んできたじゃん」
じ、とセルの目がハイゼットを映す。
ハイゼットの銀の目も、またセルを映した。
「いいのかよお前、このままで」
銀の瞳が、揺れる。
「とられたんなら奪い返そうぜ。仕方ねえから俺も一緒にいってやるからよ」
「! セルくん……」
「いちか百か、選べないっていっただろ。どっちも欲しいって。どっちもとられたなら、どっちも奪い返すまでだろ」
「い、いいの?」
「当然だろ。俺のこと『友達だ』とかいったのお前だぞ」
呆れたようにため息をつくセルに、ハイゼットは少し震えて、それからボロボロと泣いて、抱き着いた。
「うおっ」
突然の行動に、セルは大きくよろめいた。
そんな光景を、少しあきれるような目でアルマロスが見つめていた。
アルシエルに至っては、もはや見てすらいない。
「あり、ありがと、ありがとお、セルくうん」
「わかったから俺で涙を拭くな! 金とるぞ!」
もはや服はびしゃびしゃのぐしゃぐしゃである。
「にしても、魔法なあ」
セルは何かを思い返すように、うーん、と唸った。
ゴルトのことはセルもよく知っている。
オスカー家という魔界にある六大家の一つの出身で、野心家の悪魔だ。
けれどそんな能力は聞いたことがなかった。
そんな制限をかけられる魔法が使えるなら、彼はもっと手早く魔界を掌握していたはずだ。
「お前、魔法以外に戦う手段ねえの? その剣とか」
「……使える、けど、その」
ハイゼットは口ごもった。
ちらり、と自分の腰に視線を落とす。
「殺したくねえとか言うんだろ」
「! デス!」
その先を喋ったのは、むくりと起き上がった死神だった。
慌ててゼノンがその体を抑えるが、彼はそれをやんわりと片手で制した。
「剣で斬れば最悪は死ぬ。手加減できるかわからないから、自分からは極力振り下ろしたくない」
「デス……」
「いいぜ、お前はそれで。後は俺がやってやる」
その真っ白な肌は、いまだ血色がよくない。
「お前が背負いたくないってんなら、俺が背負ってやる。恨みも憎しみも俺が貰う。お前はただ、ファイナルを奪い返すことだけ考えてろ」
「…………」
「誰も殺したくねえなんていって、お前が殺されちゃ話にならねえ。それなら俺がお前を殺すやつを殺す。それでいいだろ」
ハイゼットは、セルから離れると、デスに歩み寄った。
その目にはたくさんの涙があふれていて、口を開いても言葉が出てくるのには時間がかかりそうだ。
彼はそっと、その包帯に赤がにじむ体に抱き着いた。
先ほどよりは、はっきりと心臓の音が聞こえる。
それに、ほんのりと温かい。
「言っただろ。お前ら二人が笑ってられる世界を奪い取るためなら、俺はなんだってしてやるって」
ケラケラと笑うと、ハイゼットはより強くデスを抱きしめた。
じわ、と包帯にさらに血がにじむ。
(見たくなかった)
こんなデスをみるのは、幼い頃以来だ、と思った。
街のはずれにたまたま立ち寄ったらしい盗賊と戦った時に、デスは同じく胸をえぐられた。
その時も平気だといって、彼は一人で盗賊たちを打ち倒した。
(もう、見ないって誓ったのに)
死なないから別にいいんだ、泣くな。
そういった彼の顔を、ハイゼットは目に焼き付けて、それを糧に魔法も剣術も頑張った。
姉からつけてもらう稽古に頑張って励めたのは、彼の隣に並んで戦うためだ。
自分の守りたいものを、守れるように、なるためだ。
「……ハイゼット?」
「……ごめんね、デス。もう大丈夫」
ぐっと下唇を噛む。
何処までも甘い自分が、心底嫌になった。
こんなんだから、ファイナルを奪われる。
こんなんだから、デスを傷つけられる。
こんなんだから、こんな目に合う。
(でも)
その程度では、諦められない。
どうしたって、彼はファイナルが欲しいのだ。
隣にいて、笑ってくれる未来が欲しいのだ。
そうしてその反対には、デスがいてほしい。
今まで得たみんなが、それぞれ楽しい毎日を送ってほしい。
魔法を阻害された程度で、それは諦められない。
「大丈夫」
言葉を口に出す。
自分に信じ込ませるように、身体に言葉をしみ込ませる。
「俺なら、できる」
「そうだ」
顔をあげると、デスがニッと白い歯を見せて、笑っていた。
「お前ならできる」
──何か、胸のつかえがとれるような、そんな感覚がした。
こつん、と彼の額に、ハイゼットは額をぶつけた。
温かい何かが、額を通じて流れ込んでくるようだ。
それは、体の中にある違和感を丸ごと拭い去るような、そんな感覚だった。
「……うん! 俺なら、できる! デスがいれば、何でもできる!」
「当然だ」
もうそこにはしょげるハイゼットはいなかった。
まるで失った輝きを取り戻すかのように、明るい顔で前を見る彼がいた。
セルはそれを眩しそうに見つめて、ゼノンは二人の傍らでため息をついた。
アルマロスはニタニタとどこか呆れたように笑い、アルシエルは、そんな光景をじ、と黙って見ていた。
「なあ」
「なに?」
アルシエルの問いかけに、アルマロスは視線を彼に向けた。
「あれで付き合ってねえのか?」
「ぶふっ」
アルマロスは吹き出した。
真顔でそんなことをきく彼に、デリカシーというものが備わっていないことを再度認識しなおした。
幸い彼らには聞こえていないようだ。
「アルシーくん」
「あ?」
「ああいうのもまた、『友情』というんだよ」
「ユウジョー」
片言である。
聞き覚えがない単語だったのだろう。
「そう。友達同士はね、ああやって落ち込んだものを慰めるんだ」
「へーえ」
本当はそんなこともないのだけれど。とは言わなかった。
あれは特殊だ、とも付け加えなかった。
しかしとくに疑問を抱くこともなく、アルシエルは頷いた。
そうして、初めて目にするものをみるように、物珍しそうに、二人を見つめていた。
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