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第七章「希望の基に。」
03
しおりを挟む身体中を貪られるような激痛に、ずっと苛まれている。
意識を失ってもまたすぐに痛みに呼び起こされ、そうして痛みによってまた意識を失うことになる。
その永遠の繰り返しの中でさえ、ファイナルは『死なない』身体に初めて感謝した。
もはや耳に音は聞こえない。
目の前の男が誰なのかも、わからない。
「ふむ、確かに手ごわいな。コアまで届かない」
男、ゴルトはそう呟いて、ファイナルの身体を持ち上げた。
身体中を彼の魔力が這っているが、それだけだ。
侵食には至っていない。
「始まりより手ごわいとは、予想外だ」
ゴルトはちらりと、傍らをみた。
黒い液体が入った容器の中には、『彼女』がいる。
ファイナルと同じか、それよりも炎の色に近い髪をした女。
この世界をリ・スタートさせる機能を持つ、『始まり』の存在。
「ええ、まったく。始まりの方はもう完璧なのですが」
モニター画面を睨みつけながら、ドクトールは頭を掻いた。
数値は一定で、何の変化を見せる様子もない。
「やはり……」
ドクトールが、ゴルトを見上げる。
「ああ」
ゴルトもまた、それに頷いた。
そうして、ドアノブに手をかける。
「帝王を殺す。その方が早そうだ」
***
帝王城を上る。
見慣れた廊下に兵士たちの姿はない。
多少影が潜んでいたが、その程度だ。
「グリード本体がどっかにいるぞ。注意しとけ」
「うん!」
階段を駆け上がりながら、ハイゼットは頷いた。
ちくちくと、突き刺すような痛みは全身にある。
ゴルトの魔力片への対策は万全だが、それもうまくいく保証はない。
(でも、大丈夫)
ぐ、と剣の柄を強く握る。
保証はないと言われたが、それでもハイゼットはその方法を信じられた。
他でもない、デスが施すカウンターじみた術式だ。
「デスは、体平気?」
「当然だろ。誰だと思ってんだ」
手刀は降ってこなかった。
かわりに、ニッと笑顔が返ってくる。
それだけで十分だった。いつもの笑顔だ。
帝王城の内部は、以前よりずっとボロボロになっていた。
誰も手入れをきちんとしなかったせいだろう。これもあとからリフォームが必要そうだ。
「城の中にさ、子供部屋とか、デスの部屋とか作ろうと思ってるんだ」
ぽつりと、ハイゼットは呟いた。
「は?」
「だから、皆で住もうと思って。たくさん部屋をつくって、兵士たちもここで暮らせるように」
「…………」
「中庭を改造して家庭菜園して、ごはんもここでつくれるようにして、たくさん笑顔が溢れる場所にするの」
キラキラした夢だ、とデスは思った。
そうしてその中に、自分もちゃっかり組み込まれている。
「なんで当然のように俺が一緒なんだよ。普通、家族で住むだろ」
呆れたようにそう返すと、ハイゼットはキョトンとした。
「どうして? みんなもう、家族みたいなもんじゃない。デスはとくにそうだよ」
「お前な……」
「次にそんな環境を手に入れたら、俺は絶対に手放さない。父さんが出来なかったことを、ずーっと、成し遂げてみせる」
力強くそうつぶやくハイゼットに、デスは押し黙った。
彼が夢見ているのはきっと、子供時代の楽しかった日々の延長だ。
それに『帝王』としての義務と債務が乗っているだけにすぎない。
所詮は子供だましの夢だ。
この魔界で、それがどれだけ続くかなど、誰だって察しはつくだろう。
(だが)
デスは、不思議と「馬鹿だな」とは言えなかった。
そんなもん続くわけない、とも言えなかった。
おそらく、ハイゼットなら成し遂げてしまうのだ。そんな奇妙な革新が、そこにあった。
「気味の悪い夢物語です」
「!」
曲がり角を勢いよくまがると、そこに。
最上階へと続く階段をふさぐように、グリードが立っていた。
「グリード……」
「ご安心を。今回は正真正銘生身ですよ。ほら、証拠に」
彼は、自分の腕をぴっと爪でひっかいた。
じわ、と赤い液体があふれ出てくる。
「そこを退いて。……じゃないと、キミを斬ることになる」
「ええ、そうなるでしょう。優しい貴方が、私という犠牲を払えればの話ですが」
にたりとグリードが笑うと、ハイゼットは剣を構えた。
傍らで、デスが鎌を放って、ごきり、と拳を鳴らす。
「ハイゼット」
「わかってる」
デスの声に、ハイゼットは頷いた。
そうして、じり、と二人一緒に、前に出る。
グリードは思わずわずかに後退した。奥の手はある。指を鳴らすだけでいい。
けれど。
(気迫、でしょうか)
気圧されるという言葉を思い出す。
あれは、きっとこういう状況を指すのだろう。
「安心しろよ。お前を殺すのは俺だ」
「!」
とびかかってきたのはデスの方だった。
青い炎をまとったそれが、グリードを掴もうと容赦なく繰り出される!
「く」
なるほど、と思った。
それを避けているうちにあいた階段へ、ハイゼットは真っすぐに向かっている。
(では)
とびっきりの絶望を、と。
彼は、その指を鳴らした。
──ぱちん。
途端に、ハイゼットの足が止まる。
ぐら、と倒れかけた彼の身体を見て、グリードは口角をつりあげ──そうして。
「は……?」
その光景に、目を見開いた。
「く、う!」
青色の炎が、ハイゼットの身体を巻いている。
それはまぎれもなく、デスの発したものだ。
そんなはずではなかった。彼の合図で、魔力片が心臓を詰まらせる手はずだった。
そうして帝王は死に至るはずだった。はずだったのだ!
「驚いただろ?」
「はっ」
ドッと彼の顎に、デスの拳がヒットする。
彼の身体はいとも簡単に天井へと跳ね上がった。
「そもそも俺が魔力片をどう『処理』したと思う? ──俺はな、自分の身体の中のそいつを、『殺した』んだよ」
デスはとんとん、と胸を自分の手で叩いた。
「だからすぐに能力使えるし、自由に動けた。ハンデで少しばかり治りは悪かったが、『それだけ』だ」
べしゃり。
天井から、勢いよくグリードは地面に衝突した。
ぐぐ、と顔をあげると、そこにデスが立っていた。
深い青の瞳が、彼をじ、と見下ろしている。
「あいつにも同じことしただけだ。加減が面倒だから極力やりたくなかったが、動き出した瞬間ならわかりやすい」
「……なるほど。だから、ここまで……」
派手に動いた魔力片だけを、ピンポイントで打ち抜く術式をかけたのはつい数時間前のことだ。
発案者はゼノンで、この術式の補助をしたのも彼女だった。
「どうだ」
デスはハイゼットの方を振り返った。
ハイゼットの身体にもう青い炎は残っていなかった。
彼はぐ、と手のひらを握っては開いて、何かを確認しているようだった。
そうしてデスの方を向くと、ブイサインをつくって笑った。
「ばっちり」
「そりゃなにより」
はは、と笑って、デスは言った。
「じゃ俺はこいつを始末するから、お前は先にいけ。すぐ行く」
「……うん!」
少し間を空けて、ハイゼットは階段を駆け上がっていった。
それを確認してから、デスはぐり、とグリードの頭を踏みつけた。
「グリード・アレックス。……まさか六大家のうち二つがつるんでいたとはな」
「……どこかでお会いでもしてました? 私がアレックス家のものだと、いつお気づきに?」
「いいや。今しがたゼノンから得た情報だよ。あいつのいう『無意識の海』からな」
デスはポケットから煙草を取り出した。
そうしてそれに火をつけると、口にくわえた。
「どうせまだ隠し種とか奥の手とかあるんだろ。付き合ってやるから仕掛けてこいよ」
グリードは目を丸くした。
何を言っているのか、理解ができなかった。
「はは、わかんねえか?」
デスはしゃがみこむと、グリードの頭をがし、と掴んだ。
そのぐしゃぐしゃになった髪が、より一層乱れる。
確かに隠し種はまだある。戦えないわけではない。
今も、ただこうして機をうかがっているだけだ。
「お前の全部を『打ち破った』上で殺してやるっていってんだ」
「!」
「楽に死ねると思ったか? 死神の能力でか? はは、ふざけんな」
ぱっと手を放して、デスは笑った。
「ハイゼットを殺すつもりで地中から刃を放っただろ。俺が軌道をずらさなかったら、確実に心臓をえぐってたはずだ」
「…………」
「それも、お前はあいつが『お前ら』を殺すつもりがないことを知ってた。知ってた上でそうした」
だから、とデスはつづける。
「お前は徹底的に嬲って殺す。ラクになんて死なせるかよ。──ほら、立て。お前に抵抗を許すんだ。まだ優しいだろ?」
グリードは、初めて彼にぞっとした。
その深い青の瞳には、一切の光がない。
情けも容赦も加減も持ち合わせていないことを、その目が証明していた。
それは、死だ。
逃れられない死。
魔界の誰もが恐れる『死』が、今、目の前で嗤ってる。
決して、親友には見せまいとしている『悪い顔』で。
「ひ、い」
初めて理解した。
北魔界にも顔がきく意味を。
ゴルトも一目置いていた意味を。
他の悪魔らがそれとなく彼には近寄る意味を。
──彼は、根っからの『こちら側』なのだ。
親友のそばにいるために、ただ、少し仮面をかぶるだけで。
「なんだよ、何もねーのか? だったら、仕方ねえな。一方的に殴り殺すぜ」
ごき。という音に、グリードは慌てて立ち上がって退いた。
影から剣を抜く。
必死に肩を上下させて、彼は目の前の死神を睨んだ。
(死神機構には属してないんだ。落ち着け、あの戦闘狂集団じゃないんだ)
まるで全身の血の気がひいてしまったようだった。
楽しくない。楽しくない。楽しくない。
こんなものは、望んでいない!
「ほら」
デスが、ひょいと飛んで距離を詰める。
その拳を避けて、グリードは思い切り刃をふるった。
が、斬り損ねなどないはずのそのレプリカの剣は空を切る。
(まだだ)
だん、とグリードは地面を蹴った。
床から影が飛び出して、いつかのようにデスの心臓めがけて剣がとぶ。
──が。
「またこれか?」
そのすべてをデスはひょいとかわして、グリードへと迫った。
「ええ、またこれ、です!」
その瞬間、グリードの足元から影が遅れて飛び出した。
勢いよく飛び込んできたデスの胸めがけて、剣がその切っ先を向ける。
「な」
グリードの口から、声が漏れた。
デスは、それをとくに意にも介せず。
自分の腕に突き刺して受け止めると、そのままグリードの腹をドッと蹴り上げた。
「ガッ」
再びグリードの身体が天井へ激突し、そうして床へと落ちる。
青い炎が見えた。
彼の身体に入り込んだそれが、殺されたのだと悟った。
ぼたぼたと、彼の腕からは赤い液体が落ちている。けれど彼は、それを何とも思っていないようだった。
ただ、嗤いながらこちらへと歩いてくるのだ。
「あいつがいるときにこうすると、あいつ、すげえ怒るから出来ねえんだけど」
化け物だ、と思った。
死なないからといって腕を盾代わりには普通しないのだ。
痛みという概念が彼にはないのか、とグリードは死神を睨みつけた。
が、死神は変わらない。
平然と、ぐり、とグリードの肘あたりに足を乗せる。
(あ)
ぞくりとした。
これは、まずい。
動かそうとした腕はまるで動かない。
死神の足が、がっちりと地面に彼の腕を固定している。
「今はいいよな? これも俺の憂さ晴らしだ」
グリードは、生まれて初めて、自分の骨が『砕ける』音をきいた。
──ばきり。
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