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第七章「希望の基に。」
04
しおりを挟む耳をつんざくような悲鳴に、ハイゼットは少しだけ顔をしかめた。
塞いで、聞こえないようにしてしまいたかったけれど、それはやめた。
そうしたら、本当に『デス一人』に背負わせてしまうような気がした。
「……はは、怒ってるなあ」
他人事のように感じる怒りは、すこしだけ怖い。
もしデスのものじゃなかったら、もっと怖かっただろう。
まだ、デスのものだから。
彼が『何』に対して怒っているか、理解しているから問題ない。
たぶん、自分もそうだ。
同じ思いを持っているから、あえてあの場で彼を止めなかった。
(……本当のホントウに、話し合いで解決できたなら、よかった)
しかしもうそれが無理なことも理解している。
多分、分かり合えないのだ。
お互いがお互いに夢見る世界があまりに違う。
譲れないものが被ってしまったのだ。ハイゼットは、ファイナルのことを譲ることだけはできなかった。
残りわずかとなった階段を駆け上がる。
その先に広がっていた光景に、ハイゼットは全身の血が沸くのを感じた。
「ファイナル!」
おや、と振り返ったのはゴルトだった。
彼の傍らには、黒いもやをまとった、ファイナルがいる。
そうしてそのそばには、一人、首のあたりを真っ赤に染めた紫色の髪の男が立っていた。
彼の首には、一度切り離したような縫い目が一周するようにあり、その髪からは片側だけ一本、角が飛び出ていた。
「遅かったな、帝王。彼女は目覚めてしまったよ」
ゴルトは、ファイナルを指さした。
彼女はその真っ赤な目を黒く染め、少し宙に浮きながら、こちらを見下ろしている。
ずっと出すことはなかった、いや幼い頃に失ったと聞いていたその翼は、闇のように真っ黒だった。
赤い髪の毛先から、黒が浸食している。
「ファイ、ナル……?」
「そうだ。名が表す通り、彼女こそ『終焉』。これこそ、真なる姿よ」
くつくつと、ゴルトは勝ち誇ったように笑った。
「……お前、ファイナルに何をした……!」
「何、とは? 俺の力を使い、強制的に目覚めさせただけのこと。少し抵抗はされたが、ふふ、俺にはグリードの他にまだ手駒がある」
「はい。手駒でございます」
ゴルトに応えるように、紫色の髪をした男は軽く会釈した。
「先ほどは少々お姿をお借りしました」
「……?」
「終焉が中々堕ちなかったのでな。お前の姿を象らせ、目の前で首を切り落とさせたのだ」
「な……!」
ハイゼットは目を見開いた。
確かに男の首には縫い目があるが、首を落とされて生きていられる存在など数えるほどしかない。
「よくできているだろう? これはグリードが自身の細胞を元にして作った『スライム』だ」
「ええ。スライムですので変形と分離が可能でして」
にこ、と男は微笑むと、自身の体を剣で真っ二つに切り裂いた。
べた。と地面に落ちた男の体は、みるみるうちに再生し、そうして、それぞれ、元通りになった。
つまりは、二人に増えた。
「こういう芸当も可能にございます」
「隠し種というのは最後までとっておくものだ。お前は俺の魔力片を『死神』でどうにかしたようだが、その死神は下で遊んでいるのだろう? ふふ、もう隠し種はあるまい。いくら魔法が使えようと、愛した女を手にはかけられないだろう?」
確かに、デスが階段をあがってくる様子はまだない。
けれど、あがってきたところで、彼がファイナルをどうにかできるわけじゃないのだ。
(……ファイナルを、元に戻さなきゃ)
ぎゅ、と柄を握って、剣を引き抜く。
そうできなければ、望みは達成しない。
(でも、どうすれば……。ゴルトと、あのスライムと、ファイナル。三人を相手に、どう立ち回れば……)
突破口はみえてこない。
ゴルトは、勝利宣言でもするかのように両腕をバッと広げた。
「さあ、終の存在、『終焉』よ。お前の行く先を阻むアレを、始末してしまえ」
「…………」
す、と彼女はハイゼットに手をかざした。
彼女の手のひらから、真っ黒なエネルギー体が集っていく。
(直撃は、やばそう!)
放たれた直後、ハイゼットは右にバゥと飛んだ。
そこを、真っ黒なエネルギー砲が地面を抉るようにとんでいく。
階段がガラガラと崩れ落ちていく。……もはや、上がってくることはできないだろう。
(いや、俺一人でも、なんとかしないと!)
ハイゼットは、す、と剣を構えた。
剣に、いつかの浄化魔法を這わせる。あの黒いものはゴルトの魔力とはまた違うもののようだが、それでも何とかかき消せるかもしれない。
「避けられては困ります」
「! ちょっ」
ぐ、といつの間にか後ろにいたスライムが、ハイゼットを羽交い絞めにした。
思ったよりも力が強い。慌てて魔力を込めた右手に、今度はざくり、とゴルトの投げたナイフが突き刺さる。
「いっ」
たい、と続けるよりも早く、ゴルトはスライムごとハイゼットを壁に打ち付けた。
左手、右足、左足に、壁と固定するようにナイフが刺さる。
どろ、と背後でスライムが溶けた。
そうしてそれは、壁を伝い、床に落ちるとハイゼットの目の前に立った。
「ご安心を。私はトドメをさしません。あくまであなたを殺すのは、──あちらです」
「くっ……!」
ナイフから魔力片が入ってきたのか、力を入れると激痛が走った。
スライムの背後から、真っ黒なエネルギー砲が見える。
(まずい……)
ナイフはぴくりともしなかった。
このままではアレをまともにくらうだろう。
じわ、と腕に赤が伝う。
「死ね、帝王」
ゴルトがそう呟くのと同時に、エネルギー砲が放たれた。
地面を抉りながら、凄まじい轟音と共にソレが迫ってくる。
ぐ、と奥歯を噛み締める。
受けるしかないのなら、せめて受けきってそれから、活路を──。
「言ったでしょう。貴方は一人じゃないのよ、って」
ハッと顔をあげる。
彼の目の前に、逆光の中に、彼女は立っていた。
真っ黒な長い髪を頭の上でお団子にしてまとめ、その身にはどこで購入してきたのか、アオザイ風のぴっちりした服を身にまとっている。
「ハッ!」
ばつん。
彼女の声と共に繰り出された掌底は、嘘みたいにエネルギー砲をかき消した。
あまりに突然のことに、ゴルトは目を見開き、スライムも身構える。
「アマテラス……」
ハイゼットの呟きに、彼女はニコッと笑って答えた。
「ええ。助けにきたわよ! ──もちろん、友人としてね!」
***
戦局が変わったのは、上と下、奇しくも同時のことだった。
影が勢いを増し、鬼たちを圧倒し始めたのだ。
「手負いのものは下がれ、後衛と交替せよ!」
ダンテは槍を振り回しながら、シェリルと背中を合わせて叫んだ。
影たちは倒しても倒しても一向に減らなかった。
それどころか、上で一度、砲撃の音がしてからは勢いを増していた。
(これは、よくない)
こちらには限りがある。永遠に戦い続けられるわけじゃない。
「無事かい、シェリル」
妻にそう問いかけると、彼女は少し疲れた顔で応答した。
「応! あたしはまだまだいけるぜ」
「はは、そうか。頼もしいな」
それが強がりであることは、すぐに見て取れた。
周囲も同様だ。
入口を塞ぐように暴れているアルシエルにはあまり疲れが見えないが、後方で陣を守る南魔王イーラにも疲れがある。
そうして東魔王夫妻や、竜人種の兵たちにもそれは明らかに見えた。
大蛇の上に乗るセルにもまた、それは見て取れる。
(長くはもたない。帝王様、早く、決着を)
ぐ、と影を貫いた直後のことだった。
びき、と地面が割れて、そこから棘のようにまっすぐ、黒い線が突き出てくる。
「しまっ──!」
「! ダンテ!」
妻の声がした。
慌てて飛びのくも、一歩、間に合わない。
(くっ)
とっさに痛みへの防御姿勢をとる。
奥歯を噛み締める彼の目の前で、──べきッと、黒い棘は、拳にへし折られた。
「な」
頭上から降ってきたのは、銀髪の少女だった。
その赤い目が、ダンテを見てニッと笑う。
「ハハッ、くたばりやがれ!」
拳は、そのまま地へと叩きつけられた。
同時に衝撃がダンテを襲う。風に煽られて転倒した彼の下に、シェリルは慌てて駆け寄ってきた。
そんな、目の前。
土煙に巻かれながら、一人。
見たこともない少女が、拳についた土を払っていた。
そうして、彼女はこちらを振り返ると、大声で怒鳴った。
「聞けッ、帝王側の者たちよ! 我が名はアデル! 先代帝王の娘にして、『現帝王』の姉である! 援軍をつれて馳せ参じた! 今この時よりは、貴君らの味方だ!」
ダンテは目を見開いた。
彼女の視線の先から、ぞろぞろと、確かに『援軍』らが入ってくる。
それは、ダンテもよく知った者たちだった。
「せっかく隠居してたってのに、まったく、面倒なことをしてるねえ」
短い金髪を揺らして、ぐん、とその大きな斧を彼女は肩に担ぎ上げた。
顔にはいくつかの古傷がある。
「……軍神、ライラ……」
「おや。そこにいるのはダンテじゃないか。はは、何をこの程度でへばってるんだいまったく」
彼女は、寄ってきた影をまるで埃でも払うかのように、斧を振り回して追い払った。
べちゃ、と影が地面に叩きつけられる音がする。
「まあそう言うな。後輩たちは、これでも頑張ったのだ。むしろ褒めてやれ」
ざっくりと影ごと地面をえぐりながら、もう一人、金髪の男が現れる。
彼の頭には、獣の耳がある。その手には大きく鋭い爪があり、彼の後ろには森の中に住む獣たちがぞろぞろと続いていた。
まさしく、百獣の王だった。
「森の王者ミシェルまで……」
「……ダンテ? 知り合いなのか?」
肩を貸すシェリルがそう呟くと、ダンテは頷いた。
「かつて、帝王側に与し、戦った猛者たちだ……。戦いのあと、どこかへ消えたと聞いていたが……」
「かつてって……前の帝王が、『帝王』になったときの?」
「ああ。あの時もこうして戦いがあった。俺も、幼いながらそばでみていた」
ダンテは、しばらくの間呆けたように彼らを見つめていた。
影は彼らの前に、手も足も出ない。
まったく歯が立っていないのだ。
「おいおい、ボーッとすんなよ。まだ終わってねえんだからな!」
二人の背後から、ベチャッと音がした。
アデルが、忍び寄っていた影を片手で握りつぶしてこちらを見ていた。
確かに、彼女には面影がある。
先代の帝王の銀髪と。
その妻──ではない、『彼女』の赤い目が。
「あんだよ?」
少し不機嫌そうに、彼女は拳を鳴らした。
「いや……、貴方は……貴方の、母君は……」
「ああ。あんた、母さんを知ってるのか。はは、どうだ。イカすだろ、この目!」
彼女、アデルはそういうと、傍にいた影を思い切り殴り飛ばした。
圧倒的だ。
その威力は後ろからきているかつての猛者たちと、まるで変わらない。
「でも弟どもには内緒だぜ、あいつらしらねーから、そこんとこ!」
また一人。
影が空へと跳ね上がる。
「ダンテ」
シェリルが、ダンテの顔を覗き込んだ。
そうして、彼女は空を指さす。
「あれ」
帝王城の真上。
そのてっぺんから、光の柱があがっていた。
それは赤と黒のコントラストを貫き、そのまま空へと上がっていった。
ドッ
と、音がした。
空の上で何かが爆発するような音だ。
すぐに衝撃波が襲って来て、ダンテはシェリルを抱きしめた。
はらはらと、何かが降ってくる。
「これは……」
手のひらを出すと、それ、は手のひらに舞い落ちてきた。
雪か、あるいは花びらのように散るそれは、魔力片だ。
それも、高い魔力。清らかな力の欠片。──帝王のものだ。
「一体何が……」
「あいつ、またモノにしたな」
その魔力片を吹き飛ばしながら、アデルはまたひとつ、影を投げ飛ばす。
「お前らアイツの能力知らないだろ? 誰にでもある固有能力。個人差ってのがあるが、最低でも一つ、多いヤツだと三つ持つってやつ」
「帝王の、ですか?」
「そ。あいつ自身ずーっと自覚ないまま使ってたみたいだが、結構便利なモンだぜ」
アデルに放り投げられた影に、ダンテは槍を突き刺した。
ぶす、と刺さった体はどろりととけて地に落ちる。
けれど、今度はそこから再生してこなかった。
「相手の能力の『模倣』だよ。見たものを真似して使うんだ。あげく、そのまま自分のモノにしちまう」
だからこれは、とアデルは降ってきた魔力片をがしりとつかんだ。
「ゴルトの真似だ。それをさらに応用したもんだろうな。おかげさまで、みろよ」
「……影たちが、消えていく……」
魔力片に触れた影たちは、砕かれれば再生してこなかった。
それどころか、触れただけでじわじわとその黒が消え、中から悪魔が出てくるものまであった。
どんどんと、影たちの数が減っていく。
「アデル。物の怪たちも呼んできた。これで足りそうか?」
「おお、シュカ!」
おまけに、さらなる援軍である。
城壁を擦りぬけるようにして、百鬼夜行の大群がこちらへ向かって来ていた。
アデルの隣には、九つの尻尾を持つ狐耳の男が並ぶ。
「へへ、ばっちりだ。あとはここ片付けて、上にいくぞ!」
彼女は、帝王城の上を指さした。
それぞれが、視線をそこに向ける。
──その直後。
まさに全員の視線をくぎ付けにした、帝王城の最上部は──大きく光を放ち、爆発した。
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