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エピローグ
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しおりを挟むぐぐーっと体を伸ばす。
ぼやけた視界には、この先見慣れることになるであろう天井が見えた。
たった三日で作り上げた城だ。
そこにかつての面影はほとんど残されていない。
(城二つ分作るのは、さすがに、疲れた)
アドレナリンが出ている状況下でなければ、恐らくは成し遂げられなかっただろう。
城を再構築されたアルマロスはとてもご機嫌だったし、報酬として部下を要求してきたアルシエルには履歴書をいくつか手渡した。
好きな子を選んでいい、と言うとまじまじと見つめていたので、そのうち決まることだろう。
とはいえ、いまだやることは山積みだ。
もう二度と帝王が不在などという情勢不安に陥らないようにシステムを再構築する必要がある。
運よくセルとは分かり合え、無事に協定が結ばれたし森の王者を名乗るミシェルとも知り合うことはできたが、まだ足りない。
聞くところによると、海の中にも都市があるらしい。
彼らは全くこちらには干渉してこないらしいが、それも後々、顔を見せにいく必要があるだろう。
そうして魔王不在の西魔界も、誰かを魔王に就任させる必要がある。
(あー、頭痛い。やることたくさんで、嫌になっちゃう……)
おかげさまでハイゼットはてんてこ舞いである。
せっかく正式に婚姻となったファイナルとの触れ合いなどほとんどない。
本当なら子供は欲しいし、もっとイチャイチャして過ごしたい。とは思うのだが、それにかまけていてはダメなことくらい、ハイゼットも理解している。
(せっかく平穏を取り戻したっていうのに、デスもいたりいなかったりだし)
彼には部屋を用意したのだが、それを告げる前にふらりといなくなってしまった。
いや、いるにはいるのだ。
何しろ最後にゴルトを処理したのは彼だ。
床に突っ伏した彼を、ずるずると引きずっていった。
「死神機構が持ってこいってよ。さんざんやらかしたから、『対象』にされたんだろ」
などといって笑う彼の目は、決して笑ってはいなかった。
おそらくは自らの手で処したかったのだろう。
その後ややしばらく戻ってこなかったので少し心配したが、彼はひょっこりとなんでもないように戻ってきた。
しかし、それもずっとそばにいてくれるのではなくなった。
たまに会議に同席したり、アイサツ回りについてきたりはするのだが、またすぐにふらりといなくなってしまう。
(俺の知らないところで何をしてるんだろう……)
と、気にはなるものの聞けもしない始末である。
ゼノンなんかは大喜びで部屋の改造を始めていた。よほど東魔界から解放されるのが嬉しかったらしい。
中庭の家庭菜園計画はフェニックスが引き継いでくれた。忙しいハイゼットの代わりに野菜などを育てている。
妹のエターナルの方は天の国が気に入ったようでアマテラスと共にそちら側へ帰ってしまった。
それでも、ハイゼットは彼女たち『二人』の部屋も用意した。
いつ帰ってきてもいいような、実家のようなものになればいいと思っているのだ。
帝王城に勤務する兵士たちはそのほとんどが継続雇用を申し出た。
彼らの住まいたる宿舎も、帝王城内部に併設され、それが内外に広がったのか、勤務希望者が増えているらしい。
近いうちに採用の案内を出すつもりだ、と兵士教育係りに就任したシェリルは張り切っていた。
夢見ていた賑やかで楽しい日々はまだ少し遠そうだ。
「……ん」
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「いや、目が覚めただけだ」
もぞもぞと、ハイゼットの傍らでファイナルが動き出す。
ハイゼットは、その赤い髪を撫でつけた。
そうして、彼女の額に唇を落とす。
「そういえば、デスに部屋のことはいったのか」
「ううん。まだ。あいつ、すぐにいなくなっちゃって」
そうか、とファイナルは起き上がった。
「事が落ち着いたら、ゆっくり話せるといいな」
「そうだね。……デスとこんなふうに離れるのって、ヘンな感じ。俺、ずっとそばにデスがいたんだなあ」
ぼんやりと、ハイゼットは窓の外を見た。
衛兵たちが穏やかに談笑し、城下町の方にも悪魔がまばらに歩き出している。
あれほどくすんで見えていた帝都は、ハイゼットの方針で緑が植えられ、明るくなった。
治安の維持等の関係で、店が集まる広場にかつての猛者たちが隠居を決めたことも相まって、喧嘩や揉め事も数えるほどだ。
赤と黒の空は、もはやそこにはない。
常に青い空が広がり、穏やかに魔界を照らすようになっている。
(この空を、デスと、ファイナルと、三人でもっかい見たかった)
子供のころには当たり前にあった、頭上の空。
あれは父親がなしていた所業なのだと、今ならば理解できる。
「……やっぱりだめだ。俺、デスも傍にいないと、何か」
立ち上がると、ファイナルが彼を見つめていた。
そうしてすぐに彼女もベッドから立ち上がる。
「お前の留守くらいなら、俺でも預かれる。ゼノンと結託してな」
「!」
「今日くらいは、ヤツを探しにいってもいいんじゃないか? そしてきちんと話をつける。その方が、仕事の効率もあがりそうだ」
「ファイナル……」
彼女はきゅっと長い髪を一つにまとめあげた。
ベッドの傍らに立てかけていた刀を腰に差す。
「一度しっかり捕まえておかないと、そのうち、本当にいなくなってしまうぞ」
その言葉に、ハイゼットはぎゅ、と心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。
デスが、いなくなる。
ファイナルがいなくなったときと同じような感覚だ。
自分にとって大事なものが、ぽっかりとなくなってしまう。
そういう喪失感が、予感として押し寄せてくる。
「……でも、俺、今日はアイサツ回りがあるし……」
「かまうものか。それにはアイツがいた方がいいに決まってる」
ぱっといって、連れ戻してこい。
と、ファイナルはハイゼットの背をぱし、と叩いた。
ハイゼットはその背をさすって、こくり、と頷いた。
ここは、平和主義で傲慢で強欲な『帝王』が治める魔界。
弱肉強食。強いものが偉いといったシンプルなルールに従う、魑魅魍魎たちの楽園。
誰も彼も、良いも悪いも、善意も悪意も混沌も、ごった煮にして混ぜあうことが許された世界。
あらゆるものが許容されたその世界を彼らは『魔界』と呼び、居住地とした。
中で生まれたものも、外から来たものも。
そこでは分け隔てなく、ただ『悪魔』として取り扱われるのである。
だからこれは、そんな、とある魔界のよくある話。
権力がどうだとか、強さがどうだとか、陰謀が、悪意が、世界が! と揉めたり、揉めなかったり。
かと思えば「どうして部屋まで作ったのに一緒に暮らさないなんていうの!」と恋人でもない親友に責め立てられたり。
一転シリアスに、魔王の座をかけて帝王に内緒でこっそり殺し合いをしちゃったり。
ちょっとした痴話喧嘩から離婚論争に発展し、家出してきた奥さんが西魔界の魔王になったり。
平穏だとつまらないから、と六大家のひとつをけしかける堕天使がいたり。
──そんな、とあるマカイの『よくある話』は、今後も帝王を中心に続いていくのである。
***
──ぱちゃ、と池が跳ねる。
澄んだそこは深く大きく広がっていて、彼はその在り様に目を見開いた。
もはや彼が知る池ではなかった。
それは池などとよべる代物ではなく、もはや湖として、この社を取り巻く海と一体化していた。
「……はは。暗のやつめ」
ぽつりとした呟きに、返す声はない。
よほど疲れたのか、彼女は彼のそばで丸くなるように眠っている。
その手の平からはころころと水晶玉が転がっていて、それに『かつての池』の中が映し出されていた。
ずっと胸にあった痛みも、苦しみも、憎しみも、嘘みたいに消え去っている。
いつかの時と、一緒だ。
最初に彼女を失って、どうしようもないほどつらかった時。
この社に一人籠り、何者の言葉も受け付けなかった時。
「まさか、『希望』がアレの息子として、目覚めているとは」
彼のすさんだ心に新たな水を与えたのは、『希望』という存在だった。
システムとして構築した七つのうちのひとつ。
どのシステムよりも軽薄で、魅力的で、それでいて、彼女は自由だった。
決められた役割を放置してなお、魔界を終わらせろと命じられた終焉を必死に止めようとしていたほどだ。
そこにあったのは、『私情』だった。
システムとして割り当てられる前に持っていた、『彼』への感情だ。
思えば、それは今回と、同じだった。
違ったのは結果だ。
今回は、終わりはなく。始まりもなく。
ただ淀みは解消され、魔界はあるべき姿に落ちついた。
「これが執念だとすれば、凄まじいな」
眠ってもなお、諦めることはなく。
月日を経て、別のものに成りはてようとも、『輝き』続ける。
決して消えることも、霞むこともない。
それは、不死なる怪物のように恐ろしい、と思った。
(だが、それゆえに、愛したものと結ばれたのだとすれば)
ぎゅ、と手のひらを握る。
自分には成し得なかった。
大局以外は見れない自分には、無理なことだった。
す、と床の外にある水に手を浸す。
同化したそこから、『帝王』が魔界に加えた変化をまじまじと感じ取ることができた。
「これはまた、大規模な改修を行ったな」
もはや笑いすらこみあげてきた。
かつて彼が魔界の安定のために生み出した七つのシステム。
それは定期的に醜く淀むソレを浄化するためのものだったが、新しい帝王はどうやらそれを拒絶したらしい。
そして拒絶したというのに消し去ることはせず、あえてそれを受け入れ、飲み込んだ。
その全てを上書きして、まったく別の『新しい存在』へと昇華してしまった。
「褒美を与えなければならんな」
水から手を引き抜いて、傍らに眠る暗の髪を撫でつける。
彼女は部下を欲していた。この社を少しだけにぎやかにしたいと。
友に頼んで、どこからか一人、こちらへ引き上げるとしよう。
そんなことを思いながら、彼女の髪に視線を落とし、不意に気付いた。
……長らく、そういう長い髪には触れていなかったな、とふと彼は思い出した。
手のひらに残る髪の感触。
それの最後は、きっと。
「一か百かは選ばない主義、か。はは、強欲にもほどがある。よほど、悪魔らしい」
希望という存在をベースにして、創り上げられた『帝王』は魔界の核となりえるほど強大になった。
彼は望んだとおり、『終焉』や『死』と、いつまでも笑ってその世界に在るのだろう。
それは、この魔界を生み出した彼には、成し得なかったことだ。
すでに『ほかの国』の核である彼には、不可能だったことだ。
「ああ、アルバス。せめてお前に、『私情』を打ち明けられていたなら。何か、変わっただろうか」
「……いいや。何も変わらなかっただろうよ」
「!」
唐突に返ってきた言葉に、彼は、ハッと振り返った。
「終わったことだ。そうだろう?」
そこに立っていたのは、燃えるような赤の長い髪を揺らしてたつ、『始まり』だった。
体中の傷は、もはやない。その身に負っていたであろうあのひどい痛みの原因ともいえる黒は、どこにもない。
「我々七つの存在はもはや、解放された。そのうちすべてのものが、『別』のものとして目覚めるだろう」
「……お前もか?」
「いいや、私は違う」
彼女はふるふると首を横に振った。
「私は不死鳥。生と終わりの概念。それに、お前が無理矢理『システム』として私を『始まり』へあてはめたに過ぎない。私は何度死んだって、『私』のままだ」
だから、と彼女は続けて言う。
「こうしてお前に会いにきた」
す、と彼女が手を差し出す。
彼は呆然と立ち上がって、その手を見た。
それから、もう一度、彼女の目を見る。
彼女は、ゆっくりと歩いてきた。
「ま、待て。怒っているだろう? 我はお前を一度、葬った者だ」
じり、と退いた彼の手を、彼女は少し駈けて掴んだ。
それは力強いもので、逃がさない、という意思を明確にしたものだった。
彼女はたん、と足を彼の股下に踏み入れて距離を詰める。
「だが私もその次の生で、お前を忘れ、違う者と恋人になったぞ」
「ああ! それは知っている、思い出したぞ! そうだ、お前アレは浮気というものではないのか!」
「あの時はお互い喧嘩別れをしたようなものだろう。浮気ではない、と認識する」
「しかしだな、子まで成し、産むというのは」
次第にヒートアップし、二人が言い争いになる間際、「んん」と暗が起き上がった。
「……あら? 痴話喧嘩ですか、お二人様」
「「違う!」」
顔を真っ赤にしてムキになる二人をみて、暗はくすくすと微笑んだ。
少しにぎやかになった社の周り。
その水面近くで、ぱちゃん、と魚が跳ねる。
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