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青野夜子のお話。
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名乗ってすぐあとに、女子高生は「ああ」と声をあげた。
「こういうとき、『名前をきくならそちらから名乗れ』とか言わなきゃいけないんでしたっけ?」
そこか。
気になるのはそこだけか。
「そういうのは、その、フィクションの中だけの、おはなしで……」
「でも別にお姉さんの名前は知らなくてもいいしなあ」
「うぐ」
それはそれで、心にくるものがある。
できればそういうことは、心の中だけで言ってほしい。
「あ、じゃ、こうしましょ。お姉さんの身の上話をきいてあげます。それで名前の件はちゃらってことで」
何がちゃらなのかはまるでわからなかった。
けれども女子高生は納得してしまっていて、すでに私の手を握ったまま、地面に腰を下ろしている。
かがむような姿勢になった私もやむを得ず腰を下ろす。
客観的にみた今の光景は、異様なものだろう。
深夜のビルの屋上に、女子高生と社会人が二人きり、だなんて。
「ささ、どーぞ。なんでもお話ください」
笑うとちらりと八重歯が見えた。
肉を食べるときに便利そうだ、なんてぼんやりどうでもいいことを思ってから、私は一呼吸置く。
(どうせしぬなら)
どこの誰かも知れない(名前だけは廸子さんといったか)女子高生に、自分の身の上を話す。
そんな経験が冥土の土産として役に立つかはわからないが、それもまた不思議と抵抗を感じなかった。
「……私はこのビルに入っている会社で働いていました」
今度は言葉に詰まらなかった。
つかえがとれたように、言葉がすらすらと口から飛び出ていく。
「毎日、毎日、慣れない業務に山のような残業……。でも私の要領が悪いのがいけないんだって、そう思って、たくさん、たくさん、仕事をしてました」
言葉にすると、脳裏に当時の光景が不思議と鮮明に思い浮かんだ。
まるで映画のように、客観的に自分と周囲の光景が瞼の裏側に浮かんでいる。
これが走馬灯というやつなのだろうか。
(もっと泣くかと思ってた)
思いのほか、そこに感情は抱かなかった。
浴びせられる罵倒も。嘲笑も。さげすむような言葉の数々も。
今、こうして頭の中に浮かぶものには、とくに何も思えない。
「でも、いつまで経っても仕事には慣れないし、いつまで経っても新しいひとは入社しない。いつまで経っても仕事は減らないし、いつまで経ってもここから出られなくて……」
上司はたまに、という頻度で変わっていった。
別の部署に異動した、と聞かされたりもしたけれどそのあとその部署に顔を出しても上司はいなかった。
不思議には思ったけれど、それがどういうことを意味するのかは考えなかった。
減っていく同僚。
減っていく上司。
ついにはフロアを埋めていた社員という社員はまばらにしかいなくなってしまって、積みあがった書類は減らなくなった。
どれだけ業務内容を改善しようとしても。
どれだけ業務内容を簡素化しようとしても。
どれだけ業務内容を軽減しようとしても。
もうままならなかった。
どうにもならなかったのだ。
「だから、私、疲れちゃって……、もう、ラクに、なりたくて……」
ふらふらの足でたどり着いたのが屋上だった。
さび付いて建付けの悪いドアをあけた先に広がっていたのは、雲一つない夜空だった。
自由だと思った。
この空を飛べたなら、そのあと死んだとしても、その一瞬だけは自由だと。
「それであそこから飛ぼうと」
こくり。
女子高生の言葉にうなずく。
彼女はしばし考え込むような仕草をとってから、再び立ち上がる。
「それじゃあ、一緒に飛んでみましょうか」
「えっ」
そうして、再び私の手をとった。
「こういうとき、『名前をきくならそちらから名乗れ』とか言わなきゃいけないんでしたっけ?」
そこか。
気になるのはそこだけか。
「そういうのは、その、フィクションの中だけの、おはなしで……」
「でも別にお姉さんの名前は知らなくてもいいしなあ」
「うぐ」
それはそれで、心にくるものがある。
できればそういうことは、心の中だけで言ってほしい。
「あ、じゃ、こうしましょ。お姉さんの身の上話をきいてあげます。それで名前の件はちゃらってことで」
何がちゃらなのかはまるでわからなかった。
けれども女子高生は納得してしまっていて、すでに私の手を握ったまま、地面に腰を下ろしている。
かがむような姿勢になった私もやむを得ず腰を下ろす。
客観的にみた今の光景は、異様なものだろう。
深夜のビルの屋上に、女子高生と社会人が二人きり、だなんて。
「ささ、どーぞ。なんでもお話ください」
笑うとちらりと八重歯が見えた。
肉を食べるときに便利そうだ、なんてぼんやりどうでもいいことを思ってから、私は一呼吸置く。
(どうせしぬなら)
どこの誰かも知れない(名前だけは廸子さんといったか)女子高生に、自分の身の上を話す。
そんな経験が冥土の土産として役に立つかはわからないが、それもまた不思議と抵抗を感じなかった。
「……私はこのビルに入っている会社で働いていました」
今度は言葉に詰まらなかった。
つかえがとれたように、言葉がすらすらと口から飛び出ていく。
「毎日、毎日、慣れない業務に山のような残業……。でも私の要領が悪いのがいけないんだって、そう思って、たくさん、たくさん、仕事をしてました」
言葉にすると、脳裏に当時の光景が不思議と鮮明に思い浮かんだ。
まるで映画のように、客観的に自分と周囲の光景が瞼の裏側に浮かんでいる。
これが走馬灯というやつなのだろうか。
(もっと泣くかと思ってた)
思いのほか、そこに感情は抱かなかった。
浴びせられる罵倒も。嘲笑も。さげすむような言葉の数々も。
今、こうして頭の中に浮かぶものには、とくに何も思えない。
「でも、いつまで経っても仕事には慣れないし、いつまで経っても新しいひとは入社しない。いつまで経っても仕事は減らないし、いつまで経ってもここから出られなくて……」
上司はたまに、という頻度で変わっていった。
別の部署に異動した、と聞かされたりもしたけれどそのあとその部署に顔を出しても上司はいなかった。
不思議には思ったけれど、それがどういうことを意味するのかは考えなかった。
減っていく同僚。
減っていく上司。
ついにはフロアを埋めていた社員という社員はまばらにしかいなくなってしまって、積みあがった書類は減らなくなった。
どれだけ業務内容を改善しようとしても。
どれだけ業務内容を簡素化しようとしても。
どれだけ業務内容を軽減しようとしても。
もうままならなかった。
どうにもならなかったのだ。
「だから、私、疲れちゃって……、もう、ラクに、なりたくて……」
ふらふらの足でたどり着いたのが屋上だった。
さび付いて建付けの悪いドアをあけた先に広がっていたのは、雲一つない夜空だった。
自由だと思った。
この空を飛べたなら、そのあと死んだとしても、その一瞬だけは自由だと。
「それであそこから飛ぼうと」
こくり。
女子高生の言葉にうなずく。
彼女はしばし考え込むような仕草をとってから、再び立ち上がる。
「それじゃあ、一緒に飛んでみましょうか」
「えっ」
そうして、再び私の手をとった。
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