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昼河柚黄のお話。
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女子高生の、彼女の名前は赤野茉理(あかのまつり)というらしい。
はにかみながら見せてくれた学生証は今どきっぽいICチップの入ったカードになっていた。
病室で僕らは、お互いの話をした。
僕は、彼女にフラれたこと。
赤野茉理は、今の彼氏についてだった。
「あたしの彼氏、年上なんだけど結構ワルいひとでさあ。あたしにも薬とか勧めてきて、イヤって断ったら殴るんだよ。もうサイアク」
たはは、となんでもないことのようにいう赤野茉理の顔に張り付いた笑顔は、いびつだ。
「学校まで迎えに来るし、家に帰してくれないし、だから、学校途中で抜け出してきちゃった」
「警察に連絡したりは、しないの? 親とか……」
「んー、まだ何も起きてないから動けないって言われちゃった」
ぺろり。
舌を出してそんなふうに、彼女は言う。
「親はね、あたしんとこいないも同然だから。二人ともアイジンのとこいって、帰ってこないの」
だから平気。
そう笑って、彼女はいう。
平気なものか、と僕は思った。
全然平気そうじゃなかった。
彼女の顔にずっと笑顔が張り付いているだけで、その顔の裏側が透けて見える。
泣いている。
僕はそう思った。
笑顔の仮面の裏側で、彼女は泣いているのだ。
「逃げよう」
僕は彼女の手をとって言った。
「僕も、会社から逃げるから。君も、一緒に逃げよう」
彼女は、ふるふると首を横に振る。
「無理だよ。だってあたしの彼氏、どこにいても絶対に追いかけてくるもん」
諦めたような目だった。
どうやら、そういう行為は一度試みているらしい。
だから、と赤野茉理は僕の手をとりなおす。
「どうせなら、あたしと一緒に、死んでほしいの」
一人は怖いから、と呟く。
一人は寂しいから、と呟く。
一人は難しいから、と呟く。
目が本気だった。
彼女の真っ黒な瞳の中に、闇のようなどろどろとした何かが見えた気がした。
「逃げるならあたしは、地獄の底に逃げたいの」
僕は答えられなかった。
答えない僕の手を、彼女は放さなかった。
死ぬとか、生きるとか、僕の人生の中にこんなにも深く絡みついてくる予定はなかった。
言い換えれば。
僕は、そういう部分を考えてこなかったのかもしれない。
「……どうやって、死ぬ、つもりなの」
答えるかわりに、僕は質問を口にした。
赤野茉理は、笑って言った。
「睡眠薬!」
***
病室から出た僕らは、病院の薬品庫から睡眠薬を盗んだ。
この大きな市立病院は今どきは珍しく薬局もセットになっていて、在庫がここにあるということは赤野茉理が知っていた。
正確には、彼氏という男からきいたそうだが。
(もしかすると、犯罪者だったのでは)
ほかにもあちこちの防犯にかかわる情報を、赤野茉理は知っていた。
犯罪の片棒を担がされていたのだとすれば、まあ、死にたくなっても仕方ないだろう。
バラしたところで彼氏という男に殺され、そうでなくても社会的に死ぬのだ。
「柚黄くんが断らなくてよかった」
病院からも抜け出し、タクシーに乗り込むと赤野茉理がぽつりとつぶやいた。
これから死ににいくというのに、やけに穏やかな表情だった。
……僕は、断れなかった。
小さく震えている彼女の手を、ついに払いのけることができなかった。
手をひかれるまま、彼女についていくことしかできなかった。
「あたし一人だと、できそうにないからさ」
それは金銭的な話も含んでいるのだろう。
こういう、移動手段の一つにしても、お金というものはついて回る。
「僕でよかったの?」
「柚黄くんがよかったんだよ」
不毛なやり取りだと思った。
彼女はそれでも、彼氏という男が好きなのだろう。
彼氏から初めてもらったのだというネックレスをしきりに指で触っている。
(血迷っているのは僕なのか、彼女なのか)
赤野茉理はともかくとして、僕はどうするべきなのだろうか。
流れていく景色を見つめて、ぼーっとする頭で考える。
(もしかすると僕には、死ぬような理由なんてないのでは)
だって彼女にフラれて。
会社から逃げ出しただけで。
僕にはまだお金というものが残っている。
やり直そうと思えば、やり直せるのだ。
(だけど、彼女は)
赤野茉理は違う。
本人も死にたがりのようだが、彼女を取り巻く環境が違う。
(もしもその彼氏という男がいなかったら、彼女の人生は違っただろうな)
あいにく、僕に腕力はない。
喧嘩をして、勝てるような自信もない。
もちろん、殺すつもりで挑んだって返り討ちにあうだろう。
「これからいくのはね、自殺の名所なの」
トンネルに差しかかった、薄暗い車内で彼女は僕に囁いた。
「きっと死にやすいと思う」
幸せそうな笑顔だった。
僕はそれが、少しだけ恐怖に感じ始めていた。
はにかみながら見せてくれた学生証は今どきっぽいICチップの入ったカードになっていた。
病室で僕らは、お互いの話をした。
僕は、彼女にフラれたこと。
赤野茉理は、今の彼氏についてだった。
「あたしの彼氏、年上なんだけど結構ワルいひとでさあ。あたしにも薬とか勧めてきて、イヤって断ったら殴るんだよ。もうサイアク」
たはは、となんでもないことのようにいう赤野茉理の顔に張り付いた笑顔は、いびつだ。
「学校まで迎えに来るし、家に帰してくれないし、だから、学校途中で抜け出してきちゃった」
「警察に連絡したりは、しないの? 親とか……」
「んー、まだ何も起きてないから動けないって言われちゃった」
ぺろり。
舌を出してそんなふうに、彼女は言う。
「親はね、あたしんとこいないも同然だから。二人ともアイジンのとこいって、帰ってこないの」
だから平気。
そう笑って、彼女はいう。
平気なものか、と僕は思った。
全然平気そうじゃなかった。
彼女の顔にずっと笑顔が張り付いているだけで、その顔の裏側が透けて見える。
泣いている。
僕はそう思った。
笑顔の仮面の裏側で、彼女は泣いているのだ。
「逃げよう」
僕は彼女の手をとって言った。
「僕も、会社から逃げるから。君も、一緒に逃げよう」
彼女は、ふるふると首を横に振る。
「無理だよ。だってあたしの彼氏、どこにいても絶対に追いかけてくるもん」
諦めたような目だった。
どうやら、そういう行為は一度試みているらしい。
だから、と赤野茉理は僕の手をとりなおす。
「どうせなら、あたしと一緒に、死んでほしいの」
一人は怖いから、と呟く。
一人は寂しいから、と呟く。
一人は難しいから、と呟く。
目が本気だった。
彼女の真っ黒な瞳の中に、闇のようなどろどろとした何かが見えた気がした。
「逃げるならあたしは、地獄の底に逃げたいの」
僕は答えられなかった。
答えない僕の手を、彼女は放さなかった。
死ぬとか、生きるとか、僕の人生の中にこんなにも深く絡みついてくる予定はなかった。
言い換えれば。
僕は、そういう部分を考えてこなかったのかもしれない。
「……どうやって、死ぬ、つもりなの」
答えるかわりに、僕は質問を口にした。
赤野茉理は、笑って言った。
「睡眠薬!」
***
病室から出た僕らは、病院の薬品庫から睡眠薬を盗んだ。
この大きな市立病院は今どきは珍しく薬局もセットになっていて、在庫がここにあるということは赤野茉理が知っていた。
正確には、彼氏という男からきいたそうだが。
(もしかすると、犯罪者だったのでは)
ほかにもあちこちの防犯にかかわる情報を、赤野茉理は知っていた。
犯罪の片棒を担がされていたのだとすれば、まあ、死にたくなっても仕方ないだろう。
バラしたところで彼氏という男に殺され、そうでなくても社会的に死ぬのだ。
「柚黄くんが断らなくてよかった」
病院からも抜け出し、タクシーに乗り込むと赤野茉理がぽつりとつぶやいた。
これから死ににいくというのに、やけに穏やかな表情だった。
……僕は、断れなかった。
小さく震えている彼女の手を、ついに払いのけることができなかった。
手をひかれるまま、彼女についていくことしかできなかった。
「あたし一人だと、できそうにないからさ」
それは金銭的な話も含んでいるのだろう。
こういう、移動手段の一つにしても、お金というものはついて回る。
「僕でよかったの?」
「柚黄くんがよかったんだよ」
不毛なやり取りだと思った。
彼女はそれでも、彼氏という男が好きなのだろう。
彼氏から初めてもらったのだというネックレスをしきりに指で触っている。
(血迷っているのは僕なのか、彼女なのか)
赤野茉理はともかくとして、僕はどうするべきなのだろうか。
流れていく景色を見つめて、ぼーっとする頭で考える。
(もしかすると僕には、死ぬような理由なんてないのでは)
だって彼女にフラれて。
会社から逃げ出しただけで。
僕にはまだお金というものが残っている。
やり直そうと思えば、やり直せるのだ。
(だけど、彼女は)
赤野茉理は違う。
本人も死にたがりのようだが、彼女を取り巻く環境が違う。
(もしもその彼氏という男がいなかったら、彼女の人生は違っただろうな)
あいにく、僕に腕力はない。
喧嘩をして、勝てるような自信もない。
もちろん、殺すつもりで挑んだって返り討ちにあうだろう。
「これからいくのはね、自殺の名所なの」
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