廸子さん。

黒谷

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昼河柚黄のお話。

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 お昼のワイドショーが揃って同じ報道を繰り返す。
 どうやら自殺の名所で有名な滝つぼで、生徒手帳と成人男性の名刺が見つかったらしい。
 遺体は発見できていないようだが、滝つぼの近くにある山小屋では大量の血液反応が出たそうだ。
 赤野文香(あかの ふみか)と書かれた生徒手帳にも、べったりと彼女の血がついていたらしい。
「……うわあ、ひっどい。これって、この名刺の男が殺したんですかねえ」
 隣に座ってお弁当を食べていた青山のぞみが、そんなことを呟いた。
 男の名前には、憶えがある。
 昼河柚黄。世間一般には『元カレ』、と呼ばれる存在だ。
「どうだろうなあ」
 私は、す、と口元を抑えた。
「どっちもまだ遺体はみつかってないんだから、案外、ただの駆け落ちかもよ」
「まあ……それもそうですけどお」
 二人は一週間ほど前から行方不明だった。
 それぞれに接点はないことから、別の事件として捜査されていたようだがこうなってしまうと、事件は洗い直しになるだろう。
「どこで知り合ったんでしょうね」
 もぐ、とハンバーグを口に放り込んで、青山のぞみがつぶやく。
「女子高生と知り合う機会って、そうそうないと思いません?」
「そうかな。案外、曲がり角でぶつかって、かもしれないよ」
「そんな少女漫画みたいな展開、そうそうありませんって」
 ──所詮は、ただの雑談だ。
 お昼休憩のOLの、他愛ない会話。
 他人事のようにとらえている青山のぞみも、この私も、彼らの人生とは何ら関係のない、いわば傍観者だ。
 だから、本当は、真相をしるよしもないのだけれど──。
「ところで青ちゃん、ネットではね、女の子の方は自殺希望だったって話だよ」
 にたりと笑って、少しだけ私が持っているものを放す。
 それはエサのようなものだ。彼女を私に引き付けておく、重要なエサ。
「えっ! てことは、これって……」
 青山のぞみの顔が、好奇心に満ちる。
 ああ、そうそう。
 そういう表情のきみが、一番、可愛い。
 私は人差し指を手に当てて、に、と笑う。
「そうさ」
 彼女を笑顔にするためなら、私はなんだってするしなんだって使う。
 たとえそれが、元カレだったとしても。
 私とは一切関係のない女子高生だったとしても。
 ──都市伝説だったとしても。

「もうわかるだろ? ──これは、きっと『廸子さん』の仕業なのさ」

 青山のぞみが、「こわーい!」と声を上げる。
 声とは裏腹に、顔は笑顔だ。
 このワイドショーを、楽しんでくれたようだった。
 私はそれで満足だ。
 次のネタを考えるのには少し困りものだが、うん、これはいい余興だった。
「でもドキドキわくわくしますね。滝つぼかあ、いいなあ。マイナスイオンとかありそう~」
「それじゃ、次の休みに私といくかい?」
「ええっ、いいんですか!」
「もちろんだとも。青山ちゃんさえよければだがね」
「もっちろーん! ちょっと怖いですけど、私、そういうの大好きなんですよねえ!」
 すでに彼女の視線は、ワイドショーにはない。
 私だけに向けられていて、無防備な口元にはご飯粒がついている。
 可愛らしい彼女のために、私はまた『エサ』を入手する必要がありそうだ。
 そんなことを思いながら、私はご飯粒を指ですくった。
「ほあ……高山さんって、かっこいいですよね。あこがれちゃうなあ」
「ははは、そんなことないよ」
 ほどなくして、昼休憩の終わりを知らせるチャイムが鳴る。
 最近導入されたものだ。青山のぞみは慌てて弁当の残りを口にかきこむと、「それじゃ!」と愛らしく敬礼して去っていった。
 私はそんなサマを見送ってから、喫煙室へと足を踏み入れる。
(自殺志願の子を見つけるのは結構しんどかったけど)
(インターネットを使わなかったから足はつかない)
(誰も私まではたどり着けない。それに、私は殺してないから罪にも問えない)
 赤野茉理、とちゃんと偽名を名乗れただろうか。
 私は一度だけ会った、あの女子高生のことを思い出す。
 あの子も中々、世を悟ったような顔をしていた。
 もし彼氏の件がなければ、あの子はこんな目にあうどころか、私とも出会わなかっただろう。
(──あ)
 ふと、元カレのことが頭をよぎった。
 フる際は、あとくされがないように簡潔にした。
 一番衝撃が残るように、彼から出てくる言葉を待たないで、私は去った。
 だからそのあと、彼がどういう表情をして、どうしてそうなったのかはわからないが──。
「そういえば、あいつ。最期まで私を名前で呼べなかったな」
 ふふ、と笑みをこぼして、煙草に火をつける。
 いつになったら名前で呼んでくれるんだ? とせかしたこともあった。
 いつかは呼ぶから、今日は勘弁して。
 それが彼の口癖だった。
 彼は、私の予測通り──『廸子さん』に出会えただろうか?
「……私も現場に行けばよかったかなあ」
 ぐりぐりと、つけたばかりの煙草を消す。
 スマホが鳴っていた。
 青野夜子、と表示されている画面の下、電話のマークを指でタッチして、耳に当てる。
「はい、高山ですけど」
『……こんにちは』
「?」
 青野夜子の声ではなかった。
 けれど、旦那だという男の声でもなさそうだ。
 スマホ越しに聞こえてくるのは、少女の声だった。
(はて、青野夜子に妹なんていたっけか)
 あの、と声を出すよりも早く。
 彼女は、私に言った。
『高山いつこさんですね? うふ。私、貴方に伝言を仰せつかっていて』
「伝言?」
 さては青野夜子は、スマホを落としたのかもしれない、と思った。
 それを女子高生か誰かに拾われて、いたずらに使われて──
『昼河柚黄さんからです』
「──は?」
『それでは、どうぞ』
 呆然とした私の耳に、息遣いのあらい、確かに、柚黄の声が届く。
 死んだはずだ。彼は、確かに。
 だって、名刺しか見つからなかったのだ。
 状況的に、生きているわけは──。
『あ、愛して、た、……いつこ』
 とぎれとぎれに、それは聞こえた。
 ノイズに阻まれながらも、そうだ、名前だけは。
 彼が自分の名前を呼ぶ、その声だけは、はっきりと、聞こえた。
「ちょ、待って。あんた誰だ? どういう……」
 思わず声を荒げる。 
 昼休憩が終わった直後ということもあって、社員は他に誰もいないのが救いだった。
『私ですか?』
 少女の声に代わる。
 後ろから、ざしゅ、とか、ぐしゅ、とか、ざく、とか、えぐい、音がする。
 うふ。少女が、──嗤った。

『廸子さん、とお呼びください?』
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