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16話
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勇者キサラギが起こした騒動から半年余りになる。
王都の人々はこの騒ぎをキサラギの災禍と呼び、彼を勇者と崇めるようなことは無くなっていた。
そして、騒動の中心となった者達にも変化があった。
まずはジークとマリアが結婚したことである。
当初、頼るもの無く天涯孤独の身となったマリアは修道院で残る余生を健やかに送ろうとした。
しかし、ジークがそれを留めた、何度も首を縦に振らずジークからの申し出をマリアは袖にしていく。
マリアからすれば一度は婚約という約束を違えた身、そこに自分の意思が介在していなかろうとも体を許してしまった以上、素直に頷くことはできなかったのだ。
だがジークは頑としてマリアの拒絶にめげなかった。
ただひたすらら愚直なまでに自分の想いをぶつけていく。
マリア自身ジークには未練があったためかとうとう最後には首を縦に振った、けれど結婚式を挙げることはなくそれはマリアの願いからである。
さらに幸せであるはずの結婚生活の中でもマリアの顔には時折影が差した。
そんなマリアを見るたびにジークの心には逃走の途中でキサラギを倒せていればという思いが芽生える。
そして、ジークとマリアの結婚から程なくルドが出奔した。
そのことに対してジークは首をひねったが、元々魔族である彼女がここまで人間に肩入れしたほうがおかしいのだ。
去り際に彼女は幸せになれよとジークを思いっきりぶん殴る。
「これで父様の分はチャラだ」
最後に一度だけ笑みを見せてから彼女は去っていった。
キサラギに協力したルンフェイの最後は哀れであった。
死ぬ間際まで彼女はキサラギへの愛をうたいながら死んでいった。
その死は公表されることなく時間と共に人々の記憶から忘れ去られていくだろう。
イグニアは変わらず飄々(ひょうひょう)といつもと変わらない生活を送っている。
時折、ジークの家を訪れては夫妻をからかっていく。
たまにジークを追い出してマリアとイグニアの二人で長々と話し込んでいるが、ジークがその内容を知ることは無かった。
イグニアなりに彼女を慰めようとしての度々の訪問が行われる。
騒動の中心人物達の心の傷すらいつか癒えていく。
そう思えるような日々が過ぎていった。
だが、それなら傷すら負わずに済むのが最良ではないだろうか。
ある日のことジークは登城していくなかで何かに呼ばれるような気配を感じる。
耳に声が届いたわけでもない、ただただ行かねばならぬという思いが生じ導かれるように足が勝手に動いたのだ。
歩きながらジークは気付いた、行先は牢屋であるとそのまま薄暗い階段を一段ずつ降りていく。
やがて、陽の光も差さない蝋燭の明かりだけが頼りの薄暗い部屋へとたどり着いた。
「待っていたよ、ジーク」
先程まではいなかった、それが暗闇から突如として牢番が現れたのだ。
「驚かせないでくれ」
半ば責めるようにジークが牢番を咎める。
だが、牢番はジークの言葉を一向に介さず、微笑を浮かべて見せるだけだった。
「今日は君に褒美を持ってきたんだ」
そう言いざま、牢番の男はさっと手を挙げるとその動きに反応するかのように無人であったはずの牢の一角に囚人が姿を見せた。
いや、最早それは人ではなかった。
狂ったように笑い声をあげ目の淵は深く刻まれたようにどす黒く、発する言葉も不明瞭である。
極めつけはその口だ、本来は白色であったであろう囚人の歯は全て黒くあるいは黄色に冒されていた、距離が離れているにも関わらず悪臭がジークの元まで届き彼は顔を歪めた。
「これは……なんだ!? 俺にこんなものを見せてどうしようというのだ!?」
「こんなものとは……つれないことを言うね、君もよく知っている人物だというのに……」
「こんな男に見覚えは……!」
そこまでジークが言葉を紡いだ時、ハッと息を飲んだ。
ジークの脳裏に一つの仮説が浮かんだためだ、捕縛されてからジークにすら行方が分からなくなっていた男、半年以上も行方がようと知れなかった男……。
「思い出したようだね……彼はキサラギだよ」
にこりと牢番の男が笑ってみせる。
「…………」
ジークには質問したいことが山ほど湧いた。
この半年、キサラギはどうしていたのか、なぜ今更に自分に教えるのかなどなど、だがそれを口に出すことできず、牢番の怪しげな雰囲気の前に自然と口をつぐんでしまう。
「君には理解することはできないだろうが……褒美だよ……君がその機会をものにすることが出来るかはまた別だがね」
「……褒美……」
「そうとも褒美さ、君は悔やんだ過去をやり直したいと思った時はないかな、過ぎ去った時間を、間違えた選択をやり直す!! ……君はその機会に選ばれたのさ」
「時間を巻き戻すとでも言うのか? そんなこと不可能だ」
「ところが不可能ではない、神のごとき力を持つものならそれは不可能ではないのさ……もちろん素材が必要だがね」
「素材……?」
「そうさ、ジーク、今この場で一番過去をやり直したいと思っている人間は誰だと思う? 君か? 私か? いいや違う、彼だよ、この勇者を騙った男こそ君を過去へと戻す材料なのさ」
彼が半年あまりで溜め込んだ思いなら申し分ないと語る牢番の男の目は爛々と輝くように色めいていた。
「さあ、選択の時だよ、ジーク、過去に戻るか、今のわずかな幸せを望むかだ」
ジークはまるでおとぎ話のような展開に逡巡した。
(時間が巻戻りハッピーエンドを迎えるなど……)
「悩んでいるようだね、だが君は選ぶよ、愛しの伴侶のためにもね……」
(マリア……)
ジークは今は妻となった女性へ一瞬を想いを馳せると決断した。
「時を戻したい……!」
牢番はジークの言葉に頷いてみせた。
「これから君を過去へ戻そう、時は君が重症を負う少し前でいいかな?」
問いかける牢番にジークは黙って頷いた。
その答えを聞くやいなや牢番が中空に手をかざすと同時にキサラギの体が砂のように崩れさっていく。
「ジーク、チャンスは一度切りだ、神の恩寵にやり直しはない、君が不幸になるか幸せになるかは君次第だ」
「一度……きり」
「さあ行きたまえよ!!」
牢番の督促にジークは目の前に出来た空間の歪みに駆け込んでいく。
ジークの姿が見えなくなると同時に歪みは収まり、牢番は憑き物が落ちたように倒れ込んだ。
「つう~~頭がいでえ……なんだこりゃ?」
いつもの職場で目を覚ました牢番は手にまとわりついていた砂に首をかしげるのであった。
王都の人々はこの騒ぎをキサラギの災禍と呼び、彼を勇者と崇めるようなことは無くなっていた。
そして、騒動の中心となった者達にも変化があった。
まずはジークとマリアが結婚したことである。
当初、頼るもの無く天涯孤独の身となったマリアは修道院で残る余生を健やかに送ろうとした。
しかし、ジークがそれを留めた、何度も首を縦に振らずジークからの申し出をマリアは袖にしていく。
マリアからすれば一度は婚約という約束を違えた身、そこに自分の意思が介在していなかろうとも体を許してしまった以上、素直に頷くことはできなかったのだ。
だがジークは頑としてマリアの拒絶にめげなかった。
ただひたすらら愚直なまでに自分の想いをぶつけていく。
マリア自身ジークには未練があったためかとうとう最後には首を縦に振った、けれど結婚式を挙げることはなくそれはマリアの願いからである。
さらに幸せであるはずの結婚生活の中でもマリアの顔には時折影が差した。
そんなマリアを見るたびにジークの心には逃走の途中でキサラギを倒せていればという思いが芽生える。
そして、ジークとマリアの結婚から程なくルドが出奔した。
そのことに対してジークは首をひねったが、元々魔族である彼女がここまで人間に肩入れしたほうがおかしいのだ。
去り際に彼女は幸せになれよとジークを思いっきりぶん殴る。
「これで父様の分はチャラだ」
最後に一度だけ笑みを見せてから彼女は去っていった。
キサラギに協力したルンフェイの最後は哀れであった。
死ぬ間際まで彼女はキサラギへの愛をうたいながら死んでいった。
その死は公表されることなく時間と共に人々の記憶から忘れ去られていくだろう。
イグニアは変わらず飄々(ひょうひょう)といつもと変わらない生活を送っている。
時折、ジークの家を訪れては夫妻をからかっていく。
たまにジークを追い出してマリアとイグニアの二人で長々と話し込んでいるが、ジークがその内容を知ることは無かった。
イグニアなりに彼女を慰めようとしての度々の訪問が行われる。
騒動の中心人物達の心の傷すらいつか癒えていく。
そう思えるような日々が過ぎていった。
だが、それなら傷すら負わずに済むのが最良ではないだろうか。
ある日のことジークは登城していくなかで何かに呼ばれるような気配を感じる。
耳に声が届いたわけでもない、ただただ行かねばならぬという思いが生じ導かれるように足が勝手に動いたのだ。
歩きながらジークは気付いた、行先は牢屋であるとそのまま薄暗い階段を一段ずつ降りていく。
やがて、陽の光も差さない蝋燭の明かりだけが頼りの薄暗い部屋へとたどり着いた。
「待っていたよ、ジーク」
先程まではいなかった、それが暗闇から突如として牢番が現れたのだ。
「驚かせないでくれ」
半ば責めるようにジークが牢番を咎める。
だが、牢番はジークの言葉を一向に介さず、微笑を浮かべて見せるだけだった。
「今日は君に褒美を持ってきたんだ」
そう言いざま、牢番の男はさっと手を挙げるとその動きに反応するかのように無人であったはずの牢の一角に囚人が姿を見せた。
いや、最早それは人ではなかった。
狂ったように笑い声をあげ目の淵は深く刻まれたようにどす黒く、発する言葉も不明瞭である。
極めつけはその口だ、本来は白色であったであろう囚人の歯は全て黒くあるいは黄色に冒されていた、距離が離れているにも関わらず悪臭がジークの元まで届き彼は顔を歪めた。
「これは……なんだ!? 俺にこんなものを見せてどうしようというのだ!?」
「こんなものとは……つれないことを言うね、君もよく知っている人物だというのに……」
「こんな男に見覚えは……!」
そこまでジークが言葉を紡いだ時、ハッと息を飲んだ。
ジークの脳裏に一つの仮説が浮かんだためだ、捕縛されてからジークにすら行方が分からなくなっていた男、半年以上も行方がようと知れなかった男……。
「思い出したようだね……彼はキサラギだよ」
にこりと牢番の男が笑ってみせる。
「…………」
ジークには質問したいことが山ほど湧いた。
この半年、キサラギはどうしていたのか、なぜ今更に自分に教えるのかなどなど、だがそれを口に出すことできず、牢番の怪しげな雰囲気の前に自然と口をつぐんでしまう。
「君には理解することはできないだろうが……褒美だよ……君がその機会をものにすることが出来るかはまた別だがね」
「……褒美……」
「そうとも褒美さ、君は悔やんだ過去をやり直したいと思った時はないかな、過ぎ去った時間を、間違えた選択をやり直す!! ……君はその機会に選ばれたのさ」
「時間を巻き戻すとでも言うのか? そんなこと不可能だ」
「ところが不可能ではない、神のごとき力を持つものならそれは不可能ではないのさ……もちろん素材が必要だがね」
「素材……?」
「そうさ、ジーク、今この場で一番過去をやり直したいと思っている人間は誰だと思う? 君か? 私か? いいや違う、彼だよ、この勇者を騙った男こそ君を過去へと戻す材料なのさ」
彼が半年あまりで溜め込んだ思いなら申し分ないと語る牢番の男の目は爛々と輝くように色めいていた。
「さあ、選択の時だよ、ジーク、過去に戻るか、今のわずかな幸せを望むかだ」
ジークはまるでおとぎ話のような展開に逡巡した。
(時間が巻戻りハッピーエンドを迎えるなど……)
「悩んでいるようだね、だが君は選ぶよ、愛しの伴侶のためにもね……」
(マリア……)
ジークは今は妻となった女性へ一瞬を想いを馳せると決断した。
「時を戻したい……!」
牢番はジークの言葉に頷いてみせた。
「これから君を過去へ戻そう、時は君が重症を負う少し前でいいかな?」
問いかける牢番にジークは黙って頷いた。
その答えを聞くやいなや牢番が中空に手をかざすと同時にキサラギの体が砂のように崩れさっていく。
「ジーク、チャンスは一度切りだ、神の恩寵にやり直しはない、君が不幸になるか幸せになるかは君次第だ」
「一度……きり」
「さあ行きたまえよ!!」
牢番の督促にジークは目の前に出来た空間の歪みに駆け込んでいく。
ジークの姿が見えなくなると同時に歪みは収まり、牢番は憑き物が落ちたように倒れ込んだ。
「つう~~頭がいでえ……なんだこりゃ?」
いつもの職場で目を覚ました牢番は手にまとわりついていた砂に首をかしげるのであった。
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