診察室の午後<菜の花の丘編>その1

スピカナ

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第11章 新しいステージへ

215話 思いがけないチャンス

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 菜の花テラスの引っ越しが重ならないように、交通整理をしないといけない。

一応、各自の希望をメールしてもらった。

同じ日に重なっている場合には、時間をずらしてもらうようにお願いした。

それから、初日にはテラスの寮母・植村真理子さんに入居してもらう。

もう~本当は11月からなのに……。

これは明らかにみんな東京見物だな。

それでも汚くされたらかなわないから、こっちが折れることにした。

見張り番になってもらわないといけないからね。

ただし、寮生には何も料理を作らないようにお願いした。
公平ではなくなるからね。

さて、夏から話があると言って来た。

桐生さんも一緒だ。

「話ってなあに?」

夏が言いにくそうにうつむいていた。

言い出せないようなことなのか?

桐生「じゃあ、私からご説明しますね。実はVOXIVE(ヴォクシヴ)の事務所から打診がありました。

この事務所は<Orion Music Works(オリオン・ミュージック・ワークス)>と言います。

打診してくれたのは、事務所の社長さんで黒田 剛志さんという方です。

7月の19日と20日に東京でコンサートがあるのですが、それに期間限定で一緒に出てみないか?というものです。

コンサート自体は2日間で、準備に1か月は身体を空けてほしいとのことです。

主にみんなでダンスレッスンと、もし歌えるならボーカルもレッスンして様子を見るそうです。

全部の曲目をカバーするのは無理なので、5~6曲くらいを集中して練習してほしいとのことです。

これは前に代役で出た時のダンスの振付師・RINさんや監督のショーさんの推薦があったそうですが、どうでしょうか?ということでした」

俺は夏を見つめていた。夏は目を合わせることなく、じっと俯いたままだった。

「桐生さん、アニメプラスは理事が1か月いなくても大丈夫ですか?」

桐生「はい、それはそれなりに何とかします。決済関係は院長や社長にお願いするので、困ることはないと思います」
「そうですか。分かりました。ではすみませんが、本人とちょっと話し合いたいと思います」

桐生「はい、承知しました。では失礼します」

どうしたものか分からなかった。

行きたいなら止めるすべはない。

ただ、どうしようもない寂しさが襲ってきた。

でも、言いに来たくらいだから、行きたいんだろう。

「夏は自分から話したいことはないの?」

じっと待った。

1か月も夏と離れるなんて、考えたこともない。

夏は俺から見れば若いけど、31歳は芸能界では決して若くはない。

もしかしたら、最後のチャンスなのかもしれない。

一か月限定か……。

「夏、本当の気持ちを言ってごらん」

「……俺、やってみたい。一か月限定なら戻って来れるし、せっかく誘ってくれるならチャレンジしてみたい」

「うん、そうか。じゃあ、行っておいで」

その時、夏がサーッとそばに来て抱きついてきた。俺もぎゅっと抱きしめた。

「お兄さんと離れるのはつらい。寂しい……それだけは自信がない」

「俺も自信がないよ。でも行っておいで。夏もあの世界の中では若い方じゃないでしょう? だから行くなら今だよ」

「うん」と頷いた。

聞けば、6月から週に3回ほどトレーニングが始まり、ボーカルレッスンも入っているそうだ。

そして7月からは、コンサートまでは全員合宿して練習に励むのだそうだ。

「そうだ、夏って歌えるの? 俺は聞いたことないぞ」

夏がぷっと笑った。

「そうなんだよね。俺なんか、ろくに歌ったこともないのにね。どういう発想なのか分からないよ」

「見ものだな」

ふふふと夏が笑った。

「素人が1か月くらいで舞台で歌えるなら、誰でも歌手になれるんじゃないの?」

「もう~お兄さん、めげさせないでよ。俺プレッシャーなんだからさ」

「合宿に行くなら白衣と医療カバンは持って行け。ついでに湿布もいっぱいね」

「うん、わかった。多分湿布は俺一人で使いまくると思うよ」

「ご両親には話したのか?」

「まだ話してない」

「なんとおっしゃるかね。今から行っておいで。先延ばしにしてもしょうがないだろう?」

「うん、わかった。じゃ、行ってきます」

嬉しそうな表情を見ると、何も言えなくなる。

夏が幸せなら、それでいい。


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