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手袋 2
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手袋越しの私の手に触れた殿下は、少しだけ寂しそうな顔をした。
「手袋を外してもいいんだよ。ここには僕らを見ている人たちなんていないのだから。」
それでも、私ははずせなかった。この手袋を外せば私の醜さを感じさせてしまうから。
だから言葉を嘘で塗りたくった。
「いいえ、いけませんわ。お母様からきつく言われていますの。」
なんだか鼻にかかったような偉そうな声が出てしまった。
高飛車、とでもいうのだろうか。これを私がされてしまったら、きっと私は怒るだろうと思ってしまうほど生意気な態度。
それでも殿下は私を包み込んだ。哀れな子供を見ているように、同情するように、包み込んでくれた。それがどんな感情だったのか、私は知らない。知りたくも無い。
でもその時だけはその優しさに包まれていたかったのだ。自分が幸福だと信じ込みたかったのだ。
「あなたの心を煩わせるような人はここにはいないんだよ。外してしまおう? 僕はあなたと仲良くなりたいんだ。宮廷は窮屈すぎるからね。」
殿下はからからと笑いながら言ったけれど、本当は笑いながら言えることではなかったのだろう。自分を認めてくれない王家やその周りの貴族、社交界に苦しめられて、息もできない状態だったのだろう。
私は殿下のその態度から、するすると手袋を外した。
自分だけは殿下の心に寄り沿ってあげられる存在になりたかった。
醜い自分も人の役に立つことができるならそれはとても幸せなことだと思う。こんな役立たずの自分も、人を救えるような存在になりたかった。
だから外した。自分が殿下の隣にいていい存在になりたくて、自分を少しでも必要としてもらいたくて。そうするには、この手袋が邪魔をしていると思ったから。
けれど私は殿下に忠告をすることを忘れなかった。万が一殿下が私のことを拒否した時に、ほらみたことか、といつものように言うために。
「でも、殿下。わたくしの評判を聞いたことがありますでしょう? わたくしはとても醜いのです。この手だって、何をしてもすべすべとした美しい手にはなりませんのよ。硬くてガサガサとしていて、不快になられてしまうかもしれません。ですからこの手袋をしているのです。殿下はそんな手でも、触れたいと仰るのですか? 触れた瞬間、そう言ってしまったことを後悔するのではないですか?」
一瞬声が震えてしまったが、それはどうしてなのだろう。自分でもそれが分からない。ただ分かるのは、私が恐れの感情を抱いているのだろう、ということだけ。
その心配も無駄なものだと気づいたのは、その数十秒後だった。
「キャサリン嬢、僕の話を聞いてくれる?」
薄く微笑まれながら、殿下が言った。その口調は有無を言わせないような一種の圧力を感じさせるものだったので、いつも人に流されているばかりの私はすぐに顔を上下に動かしながら「ええ、もちろんですわ」と呟いた。
「僕は小さい頃にここがダメになってしまった。」
目に手を当てて、殿下が言った。
「5つくらいだったかな、朝起きたら世界が真っ暗なんだよ。熱を出してからここは機能しなくなったけど、最初はそれも信じられなくて泣き続けていたんだ。ありえないだろう? そんなこと、この国の第1王子がすることじゃない。父上もそんな僕に愛想を尽かしてしまったのかもしれないね。段々僕に話しかけることもなくなったから。
ああ、話が脱線してしまった。そう、それで、慣れるまでにすごく時間がかかってね、扉が少し軋む音も、誰かが急に声を出すことも恐ろしくて堪らないんだよ。」
だからね、と話を続ける。
「僕は触れ合えるような人がいなかったんだ。婚約者の君とは、いずれ夫婦になるんだ。こんな王家のお荷物みたいな、後ろ盾も何もない僕の婚約者になってくれたキャサリン嬢のことだ。僕の願いを聞いてくれるね? キャサリン嬢は同情して、こんな僕と生涯を共にしようと思ってくれたんだろう? 僕はどんな手でも構わないんだよ。ただ、僕のそばにいてくれる人がいるって実感が欲しいだけなんだ。キャサリン嬢も、ずっと震えているじゃないか。君も僕と同じ、そうだろう? 気配で分かるんだよ。あなたも僕と同じように、辛い目に合ってきたんだろう? だから、そうやって始終悲しそうにしている。」
色素が薄い目で、私を見つめる。見えていないはずの目で、私を見つめる。全てを見透かしてしまいそうなほど、じいっと。
私はそれに2度目の恐れを感じた。それと共に、悲しみとも喜びとも受け取れる涙が頬を伝った。それは拭っても拭っても渇くことなく流れ続けた。やっと自分をわかってくれる人がいたと、自分の存在を認めてくれる人が見つかったと歓喜して、そんな可愛そうに見える自分に嫌気がさした。
部屋の中では私が鼻をすすりながら嗚咽を漏らす音が響いた。隣に座っている殿下は私の背中に恐る恐る触れて、慰めてくれた。優しい言葉をかけてくれて、寄り添ってくれた。
そんなことをしてくれたのは、とうの昔に解雇されてしまった乳母だけで、優しさに触れた私は数十分泣き続けた。
目が赤く腫れあるまで泣き続けた私は、ハンカチで目元を何度もこすって、手袋を外した手を、殿下の手に重ねた。
その時だけは自分の肌がとてもすべすべした淑女の肌になった気がして、なんだか嬉しかった。決してそんなことはないのに、この部屋に漂う雰囲気がきっとそうなのだと思わせてくれた。
殿下の手は、少し前と違ってとても暖かかった。
「手袋を外してもいいんだよ。ここには僕らを見ている人たちなんていないのだから。」
それでも、私ははずせなかった。この手袋を外せば私の醜さを感じさせてしまうから。
だから言葉を嘘で塗りたくった。
「いいえ、いけませんわ。お母様からきつく言われていますの。」
なんだか鼻にかかったような偉そうな声が出てしまった。
高飛車、とでもいうのだろうか。これを私がされてしまったら、きっと私は怒るだろうと思ってしまうほど生意気な態度。
それでも殿下は私を包み込んだ。哀れな子供を見ているように、同情するように、包み込んでくれた。それがどんな感情だったのか、私は知らない。知りたくも無い。
でもその時だけはその優しさに包まれていたかったのだ。自分が幸福だと信じ込みたかったのだ。
「あなたの心を煩わせるような人はここにはいないんだよ。外してしまおう? 僕はあなたと仲良くなりたいんだ。宮廷は窮屈すぎるからね。」
殿下はからからと笑いながら言ったけれど、本当は笑いながら言えることではなかったのだろう。自分を認めてくれない王家やその周りの貴族、社交界に苦しめられて、息もできない状態だったのだろう。
私は殿下のその態度から、するすると手袋を外した。
自分だけは殿下の心に寄り沿ってあげられる存在になりたかった。
醜い自分も人の役に立つことができるならそれはとても幸せなことだと思う。こんな役立たずの自分も、人を救えるような存在になりたかった。
だから外した。自分が殿下の隣にいていい存在になりたくて、自分を少しでも必要としてもらいたくて。そうするには、この手袋が邪魔をしていると思ったから。
けれど私は殿下に忠告をすることを忘れなかった。万が一殿下が私のことを拒否した時に、ほらみたことか、といつものように言うために。
「でも、殿下。わたくしの評判を聞いたことがありますでしょう? わたくしはとても醜いのです。この手だって、何をしてもすべすべとした美しい手にはなりませんのよ。硬くてガサガサとしていて、不快になられてしまうかもしれません。ですからこの手袋をしているのです。殿下はそんな手でも、触れたいと仰るのですか? 触れた瞬間、そう言ってしまったことを後悔するのではないですか?」
一瞬声が震えてしまったが、それはどうしてなのだろう。自分でもそれが分からない。ただ分かるのは、私が恐れの感情を抱いているのだろう、ということだけ。
その心配も無駄なものだと気づいたのは、その数十秒後だった。
「キャサリン嬢、僕の話を聞いてくれる?」
薄く微笑まれながら、殿下が言った。その口調は有無を言わせないような一種の圧力を感じさせるものだったので、いつも人に流されているばかりの私はすぐに顔を上下に動かしながら「ええ、もちろんですわ」と呟いた。
「僕は小さい頃にここがダメになってしまった。」
目に手を当てて、殿下が言った。
「5つくらいだったかな、朝起きたら世界が真っ暗なんだよ。熱を出してからここは機能しなくなったけど、最初はそれも信じられなくて泣き続けていたんだ。ありえないだろう? そんなこと、この国の第1王子がすることじゃない。父上もそんな僕に愛想を尽かしてしまったのかもしれないね。段々僕に話しかけることもなくなったから。
ああ、話が脱線してしまった。そう、それで、慣れるまでにすごく時間がかかってね、扉が少し軋む音も、誰かが急に声を出すことも恐ろしくて堪らないんだよ。」
だからね、と話を続ける。
「僕は触れ合えるような人がいなかったんだ。婚約者の君とは、いずれ夫婦になるんだ。こんな王家のお荷物みたいな、後ろ盾も何もない僕の婚約者になってくれたキャサリン嬢のことだ。僕の願いを聞いてくれるね? キャサリン嬢は同情して、こんな僕と生涯を共にしようと思ってくれたんだろう? 僕はどんな手でも構わないんだよ。ただ、僕のそばにいてくれる人がいるって実感が欲しいだけなんだ。キャサリン嬢も、ずっと震えているじゃないか。君も僕と同じ、そうだろう? 気配で分かるんだよ。あなたも僕と同じように、辛い目に合ってきたんだろう? だから、そうやって始終悲しそうにしている。」
色素が薄い目で、私を見つめる。見えていないはずの目で、私を見つめる。全てを見透かしてしまいそうなほど、じいっと。
私はそれに2度目の恐れを感じた。それと共に、悲しみとも喜びとも受け取れる涙が頬を伝った。それは拭っても拭っても渇くことなく流れ続けた。やっと自分をわかってくれる人がいたと、自分の存在を認めてくれる人が見つかったと歓喜して、そんな可愛そうに見える自分に嫌気がさした。
部屋の中では私が鼻をすすりながら嗚咽を漏らす音が響いた。隣に座っている殿下は私の背中に恐る恐る触れて、慰めてくれた。優しい言葉をかけてくれて、寄り添ってくれた。
そんなことをしてくれたのは、とうの昔に解雇されてしまった乳母だけで、優しさに触れた私は数十分泣き続けた。
目が赤く腫れあるまで泣き続けた私は、ハンカチで目元を何度もこすって、手袋を外した手を、殿下の手に重ねた。
その時だけは自分の肌がとてもすべすべした淑女の肌になった気がして、なんだか嬉しかった。決してそんなことはないのに、この部屋に漂う雰囲気がきっとそうなのだと思わせてくれた。
殿下の手は、少し前と違ってとても暖かかった。
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