醜いのは誰でしょうか

やぎや

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とある日の宝石店にて

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 布袋の中には、溢れるほどの金貨が詰まっている。
 平民ならば一生生活するのに困らないであろう金額を、今私は持っている。
 その事実がもたらす高揚感に包まれながら、私はベッドの上でただただ考えを巡らせていた。

 アントワーヌ修道院に入って待っているのは厳しい生活と死のみだ。
 かといって私は修道院に入る以外の選択肢を持っていない。
 もし逃げたとしても、人前を堂々と歩くことは一生できないだろう。
 そもそも、神を全く信じていない私が修道女になんてなれるわけがない。私が修道女になるなんていう馬鹿げた話が、どこにあると言うのだろう?
 修道女になれないのならば、やっぱりどこかの山奥に息を潜めて毎日怯えながら暮らすしかない。どちらにしても、私には輝かしい未来というものはないのだ。

 愛した人には裏切られ、家族には蔑まれ、私の人生はなんだったんだ、と問いたくなってしまう。

 私は少しの間だけでも、心から生まれてよかったと思える体験がしたくなった。
 私が自分のことを醜いと自覚するずっと前のこと、私は童話に出てくるプリンセスになりたかった。
 心が清らかで、美しくて、自分に忠誠を誓う騎士も、美しい王子様と結ばれる未来も、全てを持っているプリンセス。
 山ほどの宝石と、花々と、美しいドレスに囲まれて生きているプリンセス幸せな女の子
 醜い私は王子様にも出会えず美しくもなれないかもしれないが、それと似たようなことは出来る。
 美しい服を着て、美しい宝飾品をつければ形だけでもプリンセスになれないだろうか?


 私は金貨の袋をもって部屋から出た。あまり目立ちたくはないので、執事に頼んで辻馬車を呼ぶ。家の執事だけは私の言うことをすぐに聞いてくれるのだ。私は彼の名前すらも知らないのだけれど、小さな頃から感謝をしていることは彼自身が一番知っていることだろう。
 悶々とそんなことを考え続けて、椅子に座りながら辻馬車を待った。

 辻馬車は私が思っているよりもすぐに来た。
 安さを売りにしている辻馬車なので、座り心地はお世辞にもいいと言えるものではないが、私はその安っぽさが嫌いではない。今まで張り詰めてきた糸のようなものが、辻馬車に乗れば少しほぐれるような気がするのだ。
 執事が馬車の扉を開けた。
 私はその辻馬車に侍女も連れずに乗り込む。淑女としてあるまじき行為ではあるが、私についてきてくれる侍女など誰一人としていないのだから、仕方の無いことだろう。
 いつもならば眉を顰めてしまうだろうけど、私は全てが面倒くさくなってしまった。たまにはこんな日があっても良いのでは無いか、と思うのだ。



 「本日はどちらまで行かれるのですか?」

 御者が私の顔を見ずに不愛想に告げた。

 「……そうね、大通りの宝石店に行って頂戴。あの、あそこじゃ無いわよ、ええっと……なんと言ったかしら……。ああ、もういいわ。お店の名前が出てこないから。平民向けの宝石店ではないのよ。国一番の宝石店の方へ言って頂戴ね。」

 「…承知致しました。」
 
 御者は何も言わずに私を宝石店まで送り届けてくれた。
 馬車から降りる間際に、御者はたった一言私に尋ねた。

 「お帰りの馬車は、どうなさいますか」

 いつもはそんなことを聞かないから、返事をするまでに少し間が空いた。
 そうして、私は少し考えて、御者に言った。

 「そうね、2~3時間後にまた来てもらってもいいかしら?」

 御者は帽子を深く被り直して頷いた。了解、という意味なのだろう。その御者の表情は帽子に隠れてよく見えないが、こんな私に丁寧に接してくれるだなんて心優しい人だなと思う。
 たとえ平民だとしても、最近新聞を賑わせている、ヴェールを被った若い貴族令嬢なんて私くらいしかいないことを知っている筈なのに。

 馬車が出発する音がガラガラと聞こえ始めたので、私は宝石店に向かって少しだけ歩いた。
 ドアマンが私を値踏みするように眺めながら、静かにドアを開けてくれる。有難いことに私は客だと判断されたようだ。

 ガラスのショーケースに並んでいるきらびやかな宝石が見える。
 私はそれを少し見たが、私の欲しい宝石は置いていなかった。

 「マダム・ルイーズにようこそ。お客様、本日は何をお求めでしょうか?」

 店員が私の元に来て言う。
 (この宝石店の名前はマダム・ルイーズだったのか)とぼんやりと考える。
 店員は、私がこのショーケースの中の宝石を買っていくと思っているようだった。
 けれども、私はこのショーケースに並んでいる宝石よりも良いものがこの店に置いてあることを知っていた。

 「ここのショーケースに入っていない宝石が欲しいの。ピジョンブラッドの指輪が特に欲しいのだけど、ここには置いてあるかしら?」

 店員は、私の瞳をじいっと見つめた。奥の部屋に通しても良い客かどうか見極めているようだ。
 私は小さなレティキュールの中から金貨の入った袋を取り出し、その中に入れていた銀貨を一枚店員に渡した。

 「あなたが有能な人であると、わたくしは信じているのだけど……。」

 店員はすぐさまそれを制服のポケットに入れて、にやりと笑った。

 「奥のお部屋にご案内致します。最上級の品々を用意致しますので、部屋で少々お待ち頂けますか?」
 「ええ、もちろんよ。でも、出来るだけ早くしてくれると助かるわ。他にも買わなくちゃいけないものがあるから。」

 そう言えば、その店員はすぐに私を奥の部屋に案内した。
 広くも狭くもない部屋だったが、部屋の中には重厚感のある机と美しいソファが置いてあり、床には赤くて柔らかい絨毯が敷いてあった。
 私は案内されたソファに座り、宝石が運ばれてくるのを待っていた。

 店員はすぐに美しい品々を運んできて、私に見せた。
 しばらくすればマダム・ルイーズもやって来て、私に宝石の説明をしてくれた。

 「ようこそいらっしゃいました、マドモワゼル……」
 
 マダムがヴェールを被った私の顔をちらっと見た。きっと私が誰なのかは知っている筈だけれど、そこは礼儀として言わないようにしてくれるようだ。

 「キャサリンですわ、マダム・ルイーズ。」

 「失礼致しました、マドモワゼル・キャサリン。本日はピジョンブラッドの指輪をお求めでいらっしゃったとお聞きしました。今、ここにあるのは当店で最も美しい品々です。ピジョンブラッドは手に入れ難い宝石ですけれど、当店にあるものは最高品質のものばかりですわ。ゆっくりご覧下さいませ」

 マダム・ルイーズが綺麗に笑う。髪に白いものが混ざる年齢になっても綺麗な顔なのだから、若い頃はもっと美しかったのだろう。

 ああ、と私は心の中でため息をついた。
 こんなところでも人の容姿に気を留めてしまう自分に嫌気がさす。

 私は自分の沈んだ気分を悟られないために、運び込まれた美しい宝石を眺めた。
 様々なカットをされ、美しい台座にはめ込まれた指輪が、私の事を見つめているように思えた。

 その時、一つの指輪が私の目に留まった。

 それと同時に、隣の部屋から聞いたことのある声が聞こえた。
 若い男と、若い女の声。楽しそうに笑う、その二人の笑い声。

 

 私はその二人が自分の知っている人達ではない事を願った。

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