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06 丸山
しおりを挟む田中を抱き抱えて眠った翌日の夜、またもや俺は、田中のベッドに忍び込んでしまった。
たまにある無意識下の行動――意識がぶっとんだ状態でやらかしたことだが、言い訳の仕様もなかった。
無意識とは言っても、どこかで制御はかかっていて、人に干渉することは今までなかった。
しかし、一晩にして、俺の本能は、田中に安らぎを求めるようになってしまったようだ。朝起きて驚いた。
不機嫌そうな田中に、嫌われたくないと思った。
懸命に考えながら、言葉を口にした。
「……ん、悪い。俺、昔から絵に夢中になりすぎたり、なにか考えごとしてると、おかしなことやらかすんだ」
すると、田中は俺に理解を示したのだ。
「気にすんな。そういうことってあるよな」
その軽い口調は、俺への思いやりが感じられた。田中の表情は、俺を気づかうように、眉がきゅっと下げられた笑顔で、少し情けなくて、とても愛らしかった。
俺はそのやさしさに感動した。
(田中!おまえはなんて心の広いやつなんだ。俺が逆の立場なら、二度と口など聞きたくないと思うだろう。気持ち悪いと怒るだろう。それを気にしなくていいだなんて。ありがとう!ありがとう!)
とは言っても、俺の口からは「……ああ」しか、出なかったのだが。
田中の許可をもらった俺は、それから毎日同じふとんに入って眠った。
それからの俺には、描きたくても描けないものができた。
今までは自分に見えている世界を、ただ描いていた。それは色やこの世界をねじ伏せたいという、俺なりの生きる上での戦いでもあった。
田中を胸に抱え込んで得られる世界は、とても静かで、ささやかで、どうやったら描けるのかわからなかった。
しとしとと降る雨音の柔らかさ。ぐるぐるとくぐもったような遠雷。早起きのキジバトの鳴き声ホーホーホッホー、ホーホーホッホー。
どれもこれも今まで存在すら気がつかなかったもので、気づいてしまえば、それらはとてもいとおしかった。
目に見えないものはどうやって描けばいいのだろう。わかりそうになったとたんに、霧消してしまう。
俺は、ただキャンバスに筆を走らせた。
二週間後、雨漏りしていた天井の修繕が終わり、自分の部屋に戻る日がきた。
そのころには、俺は田中に執着心を感じていた。こいつのそばを離れたくなかった。
朝や晩に少し交わす会話。おとなしそうだけど、芯の強さを感じさせる瞳。照れると鼻の下をこする癖。
ささやかな発見をするたびに、それらは積み上がって、俺の中で田中を作り上げていった。
修繕が終わった自分の部屋に戻ると、一人で過ごせる快適なはずの部屋は、なんだかつまらなかった。
俺の部屋は、ほとんどの家具を黒一色にしてある。壁や天井の白と家具の黒。色の無い部屋は、今までは安らげる空間だった。でも、なにか物足りない。
世界が語りかける煩わしさに辟易していたはずなのに、なにかが足りなかった。
夜が来て、俺が眠気を感じはじめた頃、俺の無意識が立ち上がった。
――朝になって目覚めた俺は、また田中のふとんの中にいた。
田中は、俺の腕の中で、面白そうに笑っていた。寝起きの乱れた髪が、ふわふわ揺れる。
「昨日深夜に押しかけてきたのはおまえだ。
オレの背中がそんなに好きかよ」
そのとおりだ。認めるしかなかった。
「……ああ。」
俺の返事に、田中は嫌な顔ひとつしなかった。むしろ、うれしそうにすら見えた。
「制作に詰まったら、また来いよ」
その声と共に、田中の後ろの景色が色を放って立ち上がった。俺のいつも見ている世界が侵食してきていた。
しかし、田中は田中のままだった。色が幾重に被さっても、光が尖った刃を向けてきても、飲み込まれたりしなかった。
ぼさぼさの髪が光に透けて淡い金色になる。はにかんだ笑顔にうっすらと赤がさす。茶色味を帯びた目の虹彩に、微かな緑があった。
暴力的な色の世界で、田中は静かに個を保っていた。
すごく愛しかった。
すごく欲しかった。
ようやく俺は自覚した。
――これは恋だ。
俺にとって、田中の存在が、世界を凌駕した瞬間だった。
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