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しおりを挟む「……ノア、寒い? 鳥肌が立ってる」
少し低めの穏やかな声。ぼくの肩や胸元に温かいお湯をかけながら、気遣うようにディーが尋ねた。
ぼくはゆっくりとまばたきを一回して、ディーに安心するよう伝えた。
(それほどでもないよ、大丈夫。)
今夜は気温が低く、日中からディーは冬支度を始めていた。あたたかな衣類、ふかふかの寝具、カーテンも分厚いものに替えられた。
もうすぐ冬が来るんだな……ぼくがこの家に来て、五年になろうとしていた。
「お湯の温度を上げるね。……大切なノアが風邪をひいたら困ってしまう。ふふっ、ぽかぽかにあったまろうね」
彼が片方の手を上げ、指先をくるくる回すと、柔かな暖色系の光がちゃぷんちゃぷんと湯に飛び込んでいく。
水面に光が接するたびにじゅわっと上がる水蒸気の白い靄と、魔法の光が織り成す小さなショーが目を楽しませた。
今、ぼくはディーに抱えられて風呂に入っているのだ。二人とも裸。ぼくが溺れないようにと、背中から体を重ねるようにして湯船に浸かっている。
初めの頃に感じていた羞恥心はとうに失くなった。どちらにせよ「恥ずかしい」と、意思を伝える方法などないのだけど。
自分では動かすことができないぼくの体を、ディーは隅々までやさしく丁寧に洗う。ハーブの香りの石鹸やシャンプーは、ぼくが昔から愛用しているものを揃えてくれた。
次は洗髪だ。ディーはぼくの長い髪をたくさんの泡で包みこんだ後、地肌を軽くマッサージしながら洗う。その指先のここちよさに、ほうっと生理的なため息が漏れた。
「ノア、気持ちよかった? うれしいな」
そうディーはぼくに話しかけると、俯きながらわずかにほほえんだ。――彼は自分の見た目を気にしている。ぼくのせいだ……
風呂から上がり、大きなタオルでぼくの体を拭いて寝間着を着せると、温風の魔道具でぼくの髪を乾かす。長い髪は今や腰に届くほど伸びた。こんなの切ってもかまわないのに……
髪の手入れが終わったぼくを、ディーはそっと横抱きにして寝室に運んだ。
安定した足取り、たくましくはないけど力強い腕。ぼくの世話をし始めたばかりの頃は、たまによろけていたっけ。
ディーは魔法がつかえる。体の簡単な汚れならば、クリーンと唱えて魔法を行使するだけだ。ぼくの移動だって、手を触れる必要などないのだ。
しかし、彼は全てを自分の手でやりたがった。この屋敷には通いの家政婦が一人。彼女に屋敷の掃除と町への買い出しを頼む以外は、この屋敷はディーたった一人でまわっている。
「たとえ君の心がサフィールにあるとしても、ぼくが触れるのを許してほしい。ノア、私の愛しい人」
とうの昔に"サフ"のことなどぼくの心から消え去ったというのに。今ぼくが愛しているのはディーだけだと言うのに。――ぼくはその気持ちを伝えることができない。動かせるのは眼球とまぶたのみ。
暖められた寝室に入ると、ディーはぼくの体を柔らかいベッドに横たえ、体が冷えないように肩まで布団をかけてくれた。
その手つきは心のこもった、そしてあくまで礼儀をともなった距離感のあるもので、ぼくはそれに寂しさを覚えた。そうさせてしまった自分の過ちをどれだけ後悔したかわからない。
ディーの手がぼくの頬を大切そうに包み、額に軽くキスを落とされる。
「おやすみ、ノア。よい夢を」
ぼくはゆっくりとまばたきを一回した。
(おやすみ、ディー。ありがとう)
ディーの濡れたままの黒髪から、ぽとりとしずくが落ちた。彼はちいさなくしゃみをして、部屋を出ていった。
ぼくの世話を優先して、体が冷えてしまったのだ。また風呂に入り直すのだろう。いつもありがとう、ディー。
ぼくはまどろみながら眠りに落ちていった。
◇
事故で全身が動かせなくなったぼくに、ディーだけが以前と変わらぬ愛情を向けてくれた。
恋人だと思った人も、家族や親族も、あれだけ"美しいぼく"を欲しがった人たちが、今度はやっかい者を押し付けられるのを恐れ、病室で舌戦を繰り広げていた。
その醜い一部始終をぼくはベッドから見ながら、こんな体になっても"生きたい"と思ってしまう自分の浅ましさに絶望していた。
そんな病室の片隅で、ひっそりとたたずむディー。彼だけが静かに清廉な光を纏って見えた。
寡黙で真面目でつまらないぼくの婚約者ディラン・アフガルド――ディーは、すっと手を上げると、「ぼくがノアの生活を支えます」と名乗り出たのだ。
結婚するでも、引き取るでもない、支えるという言葉は、お互いの親族にとても都合がよかった。
こうしてぼくは彼の家に身を寄せることになった。
◇
目は見える。耳も聞こえる。体の感覚もある。
事故後に治癒魔術で全身を整えてもらったぼくに、もう治すべき部分はない。
ただ、脳と体がリンクしていないのだ。
一時期魔道具師を志したぼくには分かる。
この体のどこかに致命的なズレがある。誰も気づけないくらいに、小さくわずかなズレが情報の伝達を防げている。
それを正して回路を繋がないと、ぼくはディーに謝罪も感謝の言葉も、愛を伝えることすら出来やしない。
ぼくは生きる。その日を待ちながら……
――だれか、ぼくの回路をつないで――
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