馬車に轢かれて恋人に逃げられた僕ですが、好きじゃなかった婚約者に拾われて恋に落ちました。

まめ

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 コン、コン

 軽くドアを叩く音。
 いつもディーは部屋に入ってくるとき、きちんとノックをする。
 体が動かないぼくを、対等の人間として接してくれる。こんな状況であっても、ぼくの心がすり減らないでいられるのは、ディーのおかげだった。
 ぼくの顔をのぞきこみ、目が覚めているのを確認してから、カーテンを開ける。清浄な朝の光が部屋に差し込んだ。

「おはよう、ノア」

 (ディー、おはよう)
 ぼくはまばたきで返事をした。

「今日はいい天気だよ。窓を開けるかい?」

 質問のときのまばたきは、"はい"なら一回、"いいえ"なら二回。
 ぼくは一回まばたきをした。
 ディーの口角がすっと上がった。
 
 彼の顔は長い前髪で隠されていて、ほとんど見えない。
 ぼくが最後にディーの顔をはっきりと目にしたのは、あの事故のとき。
 魔力の起こす風にあおられて、顔全体があらわになったディーは、怒ったような、それでいて今にも泣き出しそうな顔で、唇を噛みしめながら魔法を行使した。
 涙で潤む赤い瞳は魔力を帯びて輝き、確固とした意志を感じさせる眉は苦く歪み。長い黒髪が舞い上がった。
 婚約してから八年ぶりに見たディーの顔は、はっとするほど研ぎ澄まされた美しさがあった。
 ぼくやサフのような見かけの美しさとは次元が違う。ディーは生き物として、その存在こそが、美しかった――

「ノア、風が金木犀の香りを運んできたよ。わかるかな」

 窓から入るほのかに甘い花の匂いが、ぼくの鼻腔を満たす。
 ぼくは一回まばたきをした。
 (わかるよ。いいにおいだね)
        
 窓からは、紅葉した森の木々が見える。チーチーと小鳥の声が聞こえる。
 この家は森のそばに建っている。ぼくが知っているのはそれだけ。
 ここに来る前のぼくは、病院の病室にいた。


   
 ――事故に合い、ディーの魔法で時間を止めて病院まで運ばれたぼくは、医師の治癒魔法によって全ての傷を修復された。家族が駆けつけたときがまさしくその頃だった。

「おい、ノア! 目は覚めているんだろ?」
 
 治ったはずなのにぴくりともしないぼくに苛ついた父が、ベッドに横たわるぼくの体を強く揺さぶった。
 勢いで上にかけられていたシーツが剥がれ、キスマークが散らばったままの上半身があらわになる。

「なんだこれは……うちの息子は馬車の事故で運ばれたんだよな」

 医師は答えた。
 
「大きな外傷は全て治しました。スキャン時に、肛門に若干の腫れが見受けられましたが、事件性はないようです。ご子息は、事故の前に合意の上での性交をなさったようです」

「どういうことなんだ、ノア! ふざけるのもいい加減にしろ!」

 横向きに寝かされたぼくの口元からは、透明なよだれが尾をひくようにベッドに垂れ続けていた。
 それに気づいた母は、小さな悲鳴を上げた。

 父と連れ立ってやってきた伯父の顔が、不快そうに歪んだ。小さい頃からとてもぼくを可愛がってくれていた人だ。春に学園を卒業したら、彼の経営する魔道具店で働く予定だった。

「ちっ、お手つきかよ……婚約者は真面目で手も出せないって話じゃなかったのか?」

 伯父はぎろりと父の顔を睨む。
 今にも倒れそうに顔を青くした母が、医師に尋ねた。

「お医者様、こんなの困るわ……かわいいノアちゃんに戻るんですよね?」

「これも考えてみれば人形みたいでいいんじゃないか。好事家に売れんこともない」

「とにかくうちにはいらん。おまえにやるよ」

「こんなんじゃ、うちの店でも働けないな。それ以外にどう使えと」

 母の影に隠れていた、年の離れた弟がぽつりと言った。

「お兄ちゃん気持ち悪い……」

 父が大事そうに弟を抱き上げた。

「おまえはああなるんじゃないぞ」

 ぼくはこのときほど、自分の目と耳が正常であることを呪ったことはない。
 叫びたくても声は出ず、歯を食いしばることもできず、ただ横たわっているしかなかった。

  
「――少し、よろしいでしょうか」

 凛とした声が、病室の空気を切り裂いた。ディーだった。
 彼は静かにぼくの家族を見据えると、すっと手を上げた。
 
「クグロフ家の皆さん、ご無沙汰しております。ノアの婚約者のディラン・アフガルドです。皆さんに代わって、私がノアの生活を支えます」

 家族は部屋の片隅に佇むディーの存在にまったく気づいていなかったようだ。いきなりの出現と申し出に取り乱した様子だった。
 父がにやりと嫌らしい顔をした。

「うちのノアを傷物にしたのは、君か。責任をとってもらおう。結婚するよな?」

「いえ、結婚についてはノアが話せるようになってから、彼の意思を確認します。私はノアの気持ちを尊重したい」

「きれいごと言って逃げるなよ」

「はい、大事にさせていただきます。……行こう、ノア」

 ディーは、ぼくにシーツをぐるぐると巻き付けると、転移の魔法を使った。
 
 その日から、ぼくはこの家にいる。
 あれから家族とディーの間でどのような話し合いがもたれたのかはわからない。
 ディーと二人きり、誰もぼくを脅かさない日々が始まった。
 
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