馬車に轢かれて恋人に逃げられた僕ですが、好きじゃなかった婚約者に拾われて恋に落ちました。

まめ

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 数ヶ月に一度、ディーは王都にある魔法技術庁に仕事の依頼を受けに行く。
 転移魔法があるから納品は家からできるけど、依頼の時だけは顔を合わせる必要があるのだそうだ。

「今日は仕事で出かけるから、家政婦さんを頼んだよ。ノアの様子を見てくれるだけでいいんだけど、時間がもったいないと言うので大掃除も頼んでる。元気のよいご婦人だよ。悪い人じゃないから安心してね」

 そして、ディーは出かけた。
 入れ違いにやってきた家政婦さんとはまだ会っていないけど、家のあちこちからいろんな音が聞こえてくる。
 床をホウキで掃く音。窓をキュッキュと磨く音。お皿のガチャガチャいう音。トタタタタと廊下を走る音。音だけでも彼女が働き者なのがよくわかる。
 たまに歌声が聞こえてくる。楽しそうでなによりだ。
 
 ぼくは椅子に座って、窓の外を見てる。北からの渡り鳥が群れをなして森を訪れるのだ。空を飛ぶのは気持ちいいだろうな。
 と、いきなり部屋のドアが開いた。
 ぼくは振り向くことができないから、どんな人が後ろに立っているのかわからないけど、きっと家政婦さんだ。

「あら、きれいな髪。お人形さんみたいだわ」

 年配の女性の声がした。
 彼女はぼくの見える場所まで来て、「こんにちは?」と言った。
 たしかディーは、まばたきで話ができることを伝えていたはずだ。

 ぼくはまばたきを一回した。
 (こんにちは)

「あなた、お姫様みたいね。……ほんとに男性なの?」

 ぼくはまばたきを一回した。
 (そうだよ) 

 ぼくの母くらいの年齢だろうか。少々たくましく、エネルギッシュなその女性は、にっこり笑ってぼくの髪に触れた。

「ねえ、この髪編ませてくれない?あたし、若い頃は街で髪結いの仕事をしていたの。こんなに癖のないサラサラの髪は珍しいわ。一本一本が絹糸みたいに光ってる。丁寧にお手入れしてるのね」

 ぼくはまばたきを一回した。
 (髪、好きにしていいよ)
 ぼくの髪はディー任せだけど、ほめてもらえるのはうれしいな。
 
「ちゃんと話がわかるのね。じゃ、旦那様が惚れ直しちゃうくらい素敵にしてあげる!」

 家政婦さんはカバンから櫛を取り出すと、ぼくの背後で鼻歌を歌いながら髪をいじりはじめた。
 髪がくいくい引っ張られる感覚以外は、何が起きているかわからないけど、気のよさそうな人だ。変なことにはならないだろう。

「ふん、ふん、ふふふーん!一丁上がり!なんか飾りが欲しいかもー。ちょっと離れるわね」
 
 窓からは、庭で花を摘む彼女が見えた。楽しそうに花を選ぶ姿に、鼻歌が聞こえるような気がした。
 庭から戻った彼女は、小さな白い花を見せてくれた。マトリカリアの花だ。清涼感のある落ち着いた香りが部屋に広がった。
 葉や茎の長さを調節された小花は、ぼくの髪の間に次々に差しこまれていった。
 今のぼくどうなっているんだろう。ああ、鏡が見たいなあ。

 その時、庭にディーが降り立つのが見えた。転移魔法の光がほどけて消えていく。風に舞い上がる黒髪、ひるがえる紺のローブ、とてもかっこいい。

「あら、旦那様がお帰りだわ。とっても可愛くできたから、びっくりしちゃうかもね。うふふっ」

 ぼくはまばたきを二回した。
 (旦那様じゃないです。今は)
 
 ◇

「なぜドアが開いている! ノア! ノア! 大丈夫か?」

 開け放たれたドアから、転がりこむようにディーが入ってくる。
 家政婦さんは、そんなディーの様子にも、全く動じる様子もなく、にこやかに挨拶をした。

「旦那様お帰りなさいー。奥様の許可をいただいて、髪を結わせてもらいました」

「妻じゃないっ。……今は」

 ぼくはまばたきを一回した。
 (ぷぷっ、そうだねえ)

 ディーはぼくの正面まで来ると、飾り付けられた髪をまじまじと眺め、ぽっと頬を赤らめた。
 そして、俯きながら「とてもきれいだ。まるで妖精の様だ……」と小さな声で言った。
 背後で家政婦さんがガッツポーズをした。とても強そうだ。
 ぼくはまだ自分の姿を見ていない。いや、この家に来てから一度も鏡を見ていないかも。もしかして、顔に大きな傷でもあるのかな?
 ふと気がついたディーが、小さな手鏡を持ってきてくれた。

「自分が鏡を見る習慣がないので失念していた。……ノア、ごらんよ。とても愛らしい……」

 鏡の中のぼくは、白金色の髪を貴婦人のようにゆるやかに結い上げられ、あちこちから白いマトリカリアの花が顔を出していた。窓から光が射し込む……キラキラでふわふわだ。
 控えめに言って、これはとてもきれいだ。
 家政婦さんの腕前は伊達じゃなかった。

「今日は楽しかったわ。うふふ!また結わせてね。旦那様ぁー、またのご用命をお待ちしてまぁす!」

 最後までにぎやかに彼女が帰ると、家はいきなり静かになった。

「……ノ、ノア、ほんとに素敵だよ。記録の魔法はまだ習得していないんだ……。ううっ、すごく残念、です」

 ええ、ええ、そうでしょうとも。ディーがしどろもどろになってるの、かわいくてうれしいな。

 しばらくディーは放心していたが、思い出したように話をきりだした。

「職場に懐かしい人から手紙が届いていた。ノアもよく知っている人だよ。そのうち顔を出すそうだ。……そんな可愛い姿を見られたら、きっと連れていかれちゃうな……。
 君をびっくりさせたいから詳しくは秘密。きっと治るきっかけになるかもね」

 言葉は明るいものなのに、ディーの表情には暗い影がさしていた。
 なんでそんな顔をするの?
 胸の奥がすっと冷える感覚――嫌な予感しかしなかった。 
 
                

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