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しおりを挟むその日は意外と早く訪れた。
前の晩、ディーはいつもよりさらに入念に、ぼくの髪を洗った。
香油をたっぷり塗りこんだ髪は、淡いランプの光でも瞬くような輝きを見せた。ディーは慈しむように、一櫛一櫛丁寧にその髪をといた。
ベッドにぼくを横たえた後も、ずっと落ち着きのないディーを、ぼくはまっすくに見つめた。
ねえ、何を考えているの。
どうしてそんなに悲しそうなの。
ようやくぼくと目を合わせたディーは、かすれるような小さな声で言った。
「……。今夜だけ、君を抱きしめて眠ってもいいだろうか……」
ぼくはゆっくりまばたきをした。
(もちろんだよ)
「ありがとう……ノア……」
そのとき、ぼくはディーの長い前髪の間から、光る滴が伝い落ちるのを見た。
ディーはぼくを背中から包みこむと、両腕をぼくの胸にまわした。ぎゅっと力をこめて、自分のほうに引き寄せた。
背中ごしに感じる息づかいは、なにかをこらえるようにかすかに震えていた。
泣いてるの?
ぼくの手足が動くなら、ディーを抱きしめてあげたかった。彼を悲しませる元凶から、守ってあげたかった。
ディーからもらったたくさんの言葉や愛情を、まだ一つも返していないのに。
それまでにして彼が恐れる者、ぼくと離れる覚悟をさせる者。一人しかいない。
昔のぼくの恋人。事故の直前まで愛を交わしていた相手。
きっと、明日、サフィールが来る――
◇
悲しいくらいにきれいな青空だった。
ディーはいつものようにカーテンを開けた。
最初にぼくの目に入ったものは、雲ひとつない澄みきった空。
「おはよう、ノア。来客は昼頃だよ。この前の家政婦さんみたいに髪を結うことはできないけど、花を飾ろうか」
ぼくは二回まばたきをした。
(嫌だ)
「今日はご機嫌が悪いのかな?」
なんだよ、それ。ご機嫌って?
ぼくが不機嫌な理由に気づいてるくせに!
今までぼくを対等に扱ってきたくせに、今になって知らない子どもみたいな言葉を返すなよ。距離をとるな!ぼくから離れるな!
ぼくはめちゃくちゃにまばたきをした。
それを見たディーは泣いてしまった。
「……わかっているんだね。そう、今日来るのはサフィールなんだ。彼はずっと君を探していたそうだ。私が病室から君をさらってしまったから……、愛し合う君たちを引き離してしまった。今、君は私に情を感じているかもしれない。それは私が世話をしたからで、使い勝手のよい道具を手放すようなものだよ。
真実の愛なんだろう、君たちは。
私など道端の石ころのようなものだ。ノア、愛しているよ。ずっと君の幸せを祈っている」
もー!ディーの馬鹿!すっごい馬鹿!そんなこと考えてたの?
ぼくが一番辛いときに、そばにいてくれたのは君だけじゃないか。サフは事故にあったぼくを見て、助けることもなくその場で逃げ出したんだよ。病院にすら来なかったじゃないか。
真実の愛?ああ、確かに学生時代はそう思ってたさ。今思うとバカバカしいよ。楽しいことだけ共有するのは、真実の愛なんかじゃない。きっとそんなものがこの世にあるとしたら。
それがあるのはディーの中だ――
ぼくは興奮して、まばたきを際限なく続けた。生理的な涙が頬を伝い、ぽたぽたと服を濡らしはじめてもやめなかった。
「ノア、ダメだ。やめるんだ……」
ディーの手がそっとぼくの目を覆う。こんなに悲しいのに、ぼくの口も手も足も何事もなかったように、ただそこにあるだけだった。
その時、玄関のドアを誰かがノックした――
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