馬車に轢かれて恋人に逃げられた僕ですが、好きじゃなかった婚約者に拾われて恋に落ちました。

まめ

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 ドン、ドン。

 強く玄関のドアをたたく音に、ゆらりとディーが動いた。
 ぼくはベッドに横たわったままで、顔だって涙でぐしゃぐしゃ。お客さんを迎える状態なんかじゃない。
 でも、それでいい。きれいなぼくじゃなくていいんだ。

「やあ、ディラン。久しぶりだな。まさか君がノアを預かっているなんて思わなかったよ」

「ご無沙汰しています。ええ、事情がありまして……」

 大きな音を立てながら乱暴に廊下を歩く気配が近づいてくる。
 開け放たれた寝室のドアから、見覚えのある男が顔を出した。

「よう!……探したぞ、ノア。俺がどれだけ心配したかわかるか。あのあと学園もやめたし、いろんな地方を転々としたよ。愛しいノア、やっと会えたな」

 サフィールは少年時代の輝きと引き替えに、柄の悪い、影を背負った男になっていた。
 品のない装飾がごてごて付いたコートを脱ぐと、不自然に胸元を開けた派手なシャツが現れた。ご自慢の銀髪はだらしなく伸び、灰色にくすんで見えた。
 言葉で何を言おうとも、彼の瞳の中にあるのは愛情なんかじゃない。ほの暗い炎がちろちろと燻っているかのような情念だった。

「なあ、ディランは席を外してもらえるか。恋人同士で話したいことってあるじゃん?お前はもうお役ごめんなんだよ」

 部屋に足を踏み入れたディーは、小さく頷くとうつむいて背を向けた。静かな足音がゆっくりと遠ざかっていった。


 
 サフは勢いよくドアを閉めると、ニヤリと嫌らしい笑いを浮かべた。

「ノア、ずいぶん可愛がられているみたいだな。もっと痩せこけてるかと思ったぜ。あれから俺に何があったか話してやるよ」

 ベッドに腰かけて、ぼくの足首を強い力で掴むと、彼は話し始めた。

「おまえ馬鹿だよな。自分で馬車に飛び込むなんてさ。それで動けなくなって、あれだけコケにしてた婚約者のお世話になってさ。あいつに何回抱かれたんだ。人形みたいなのも癖になるってか?
 俺があの場所から逃げたのは間違いだった。一部始終を学園のやつらに見られていたんだ。学園に行ったら、裏切り者扱いで家にもバラされて、結局卒業間近なのに退学することになったよ。それからも悪い噂だけがつきまとい、ろくな仕事につけなかった。見事な転落人生だ。ははっ。
 なあ、ノア。なんであの時死んでくれなかった。無様な姿で周りに迷惑をかけやがって。
 それなのになんでこんなに幸せそうなんだよ!」

 ぼくはサフを見つめることしかできなかった。

「なあ、なんとか言えよ!」

 もちろん、ぼくが答えられるわけがない。
 それが気に入らなかったサフは、ぼくに這いよると胸ぐらを掴んで顔を殴った。

「手応えねえなあ。何しても表情変わんないのかよ……ははっ」

 鼻にじんじんと鈍い痛みが走る。
 シーツに点々と赤い血が落ちる。
 昔ぼくが好きだったのは、こんな男だったのか。
 ディーなら、彼ならいくら落ちぶれても人に暴力なんて振るわない。むしろ己の存在の方を消すだろう。
 傷ついたぼくを見て、残忍な笑いを浮かべたサフは再び手を伸ばす。 
 それでもぼくはなにもできない。

「いっそ、ここで死ぬのはどうだ。責任は全部ディランに押し付けてやる。おまえは助けも呼べないんだったな」

 いとも簡単に、サフは両手でぼくの首を絞めた――
 苦しくて息ができない。
 ディー助けて。あんなに君に大事にしてもらったのに、こんなにあっさりとぼくの命は奪われてしまう……
 目の前が真っ暗になっていく。空気を求めた体がぴくぴくと痙攣すると、体性反射でぼくの足がばんと跳ね上がり、サイドテーブルを蹴った。置かれていた水差しが床に落ち、大きな音をたてて割れた。
 
 ガシャン

「ノア! なにがあった? ……え、サフィール?」

 寝室に飛び込んできたディーが見たのは、サフに首を絞められて息絶え絶えのぼくだった。
 (ディーが来てくれた!)

「ちっ、邪魔が入った。こんな木偶の坊いるかよ」

 サフは力まかせに、ぼくをベッドから投げ飛ばした。
 落ちた先にあったサイドテーブルの角が、力を失ったぼくの頭を強打した。
 
 ――カチリ――

「ノアに何をする! サフ、今すぐ出ていけー!」

 頭の奥でなにかが嵌まる音がした。
 ディーの叫び声が遠くに聞こえる。
 ぼくの体でなにかが起こっていた――最初に脳がぐらんぐらんして、体中の肌が粟立った。次に視界がぐるんと反転した。
 そして、目の前のディーが転移魔法を放つその瞬間。
 ぼくの全てが返ってきた――

「あっ、あっ、うああああああああああっ!ディーっ! ディーっ!」

 いきなり、耳を塞ぎたくなる程の大きな声が出た。その声に愕然としたサフが、どこかに転移したとばされた
 ディーは。
 ディーは、涙を流しながら床にうずくまった。

「……あっ、んんっ。声よしっ! ディーの馬鹿!なに座ってんのさ。ここは、ノアが治ったって喜ぶところだろ。ほら、ぼくを抱きしめろよ! けほっ……けほっ……んんっ。首絞められたからかな? 喉の調子がいまいちだ」

 ぼくは這いずってディーのところまで行って、彼を力いっぱい抱きしめた。

「どう? 今のぼくの全力でハグしてんの。治ったら最初にディーに好きって言いたかったのに、ぼく鼻血まみれだし、ディーは涙が止まらないみたいだし、もうかっこつかないよ。でも、いいや……ディー、大好き。大好きになっちゃったんだ。ねえ、ぼくのこと離さないでいてくれる?頼まれても離れてなんかやらないけどさ。今朝だって、めっちゃ傷ついた。あんなヤツのことなんてずっと忘れてたのに――」

 ぼくが一人で喋り続けると、ディーの体が突き上げるように震えだし、それは大きな笑い声となった。

「あはっ、あはははっ。ノア! ノア! 喋りすぎだ! 頭打ったのは大丈夫か。痛いだろ?
 ……私が不甲斐なくてごめん。サフを招いてごめん。ほんと、ごめん……」

「五年間話せなかったのが貯まってるんだよ。ぼく、ずっとディーの勘違いを正したかった。ぼくのせいだから、ぼくが直す。昔の自分のしたことは謝っても謝りきれるもんじゃない。ディーに深い傷をつけてしまった。ごめん。
 この五年間ずっとディーを見て思ったんだ。ディーは素敵だよ。かっこいい。優しい。真面目で、勉強家で、揺るぎない強さを持ってる。
 もっとその顔を見せてよ。
 今のぼくは、世界で一番ディーが好きなんだ!」

「ふぇっ、ううー……」

 ディーはまた泣いた。
 小さい頃のディーはすぐにめそめそする泣き虫だったのを思い出す。強くなったんじゃなくて、強いふりをしていたのかもしれない。
 ぼくを守るために。
 
 ぼくはディーの髪をかきあげて、額にキスをした。

「泣きやまないと、口にもキスするぞ。泣きべそのディーとのファーストキッス。一生思い出に残るね♪」

 ディーはぐしぐしと服の袖で涙を吹いて、ずびびっと鼻水をすすった。

「やべでぐだざい……ぐぅ……」

「からの、フェイントーー!」

 ぼくはディーの唇に渾身のキスをした。ふたりの歯がガチッて音をたてた。
 ディーは泣きながら笑っていた。
 
 
 
 
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