10 / 16
10
しおりを挟むドン、ドン。
強く玄関のドアをたたく音に、ゆらりとディーが動いた。
ぼくはベッドに横たわったままで、顔だって涙でぐしゃぐしゃ。お客さんを迎える状態なんかじゃない。
でも、それでいい。きれいなぼくじゃなくていいんだ。
「やあ、ディラン。久しぶりだな。まさか君がノアを預かっているなんて思わなかったよ」
「ご無沙汰しています。ええ、事情がありまして……」
大きな音を立てながら乱暴に廊下を歩く気配が近づいてくる。
開け放たれた寝室のドアから、見覚えのある男が顔を出した。
「よう!……探したぞ、ノア。俺がどれだけ心配したかわかるか。あのあと学園もやめたし、いろんな地方を転々としたよ。愛しいノア、やっと会えたな」
サフィールは少年時代の輝きと引き替えに、柄の悪い、影を背負った男になっていた。
品のない装飾がごてごて付いたコートを脱ぐと、不自然に胸元を開けた派手なシャツが現れた。ご自慢の銀髪はだらしなく伸び、灰色にくすんで見えた。
言葉で何を言おうとも、彼の瞳の中にあるのは愛情なんかじゃない。ほの暗い炎がちろちろと燻っているかのような情念だった。
「なあ、ディランは席を外してもらえるか。恋人同士で話したいことってあるじゃん?お前はもうお役ごめんなんだよ」
部屋に足を踏み入れたディーは、小さく頷くとうつむいて背を向けた。静かな足音がゆっくりと遠ざかっていった。
◇
サフは勢いよくドアを閉めると、ニヤリと嫌らしい笑いを浮かべた。
「ノア、ずいぶん可愛がられているみたいだな。もっと痩せこけてるかと思ったぜ。あれから俺に何があったか話してやるよ」
ベッドに腰かけて、ぼくの足首を強い力で掴むと、彼は話し始めた。
「おまえ馬鹿だよな。自分で馬車に飛び込むなんてさ。それで動けなくなって、あれだけコケにしてた婚約者のお世話になってさ。あいつに何回抱かれたんだ。人形みたいなのも癖になるってか?
俺があの場所から逃げたのは間違いだった。一部始終を学園のやつらに見られていたんだ。学園に行ったら、裏切り者扱いで家にもバラされて、結局卒業間近なのに退学することになったよ。それからも悪い噂だけがつきまとい、ろくな仕事につけなかった。見事な転落人生だ。ははっ。
なあ、ノア。なんであの時死んでくれなかった。無様な姿で周りに迷惑をかけやがって。
それなのになんでこんなに幸せそうなんだよ!」
ぼくはサフを見つめることしかできなかった。
「なあ、なんとか言えよ!」
もちろん、ぼくが答えられるわけがない。
それが気に入らなかったサフは、ぼくに這いよると胸ぐらを掴んで顔を殴った。
「手応えねえなあ。何しても表情変わんないのかよ……ははっ」
鼻にじんじんと鈍い痛みが走る。
シーツに点々と赤い血が落ちる。
昔ぼくが好きだったのは、こんな男だったのか。
ディーなら、彼ならいくら落ちぶれても人に暴力なんて振るわない。むしろ己の存在の方を消すだろう。
傷ついたぼくを見て、残忍な笑いを浮かべたサフは再び手を伸ばす。
それでもぼくはなにもできない。
「いっそ、ここで死ぬのはどうだ。責任は全部ディランに押し付けてやる。おまえは助けも呼べないんだったな」
いとも簡単に、サフは両手でぼくの首を絞めた――
苦しくて息ができない。
ディー助けて。あんなに君に大事にしてもらったのに、こんなにあっさりとぼくの命は奪われてしまう……
目の前が真っ暗になっていく。空気を求めた体がぴくぴくと痙攣すると、体性反射でぼくの足がばんと跳ね上がり、サイドテーブルを蹴った。置かれていた水差しが床に落ち、大きな音をたてて割れた。
ガシャン
「ノア! なにがあった? ……え、サフィール?」
寝室に飛び込んできたディーが見たのは、サフに首を絞められて息絶え絶えのぼくだった。
(ディーが来てくれた!)
「ちっ、邪魔が入った。こんな木偶の坊いるかよ」
サフは力まかせに、ぼくをベッドから投げ飛ばした。
落ちた先にあったサイドテーブルの角が、力を失ったぼくの頭を強打した。
――カチリ――
「ノアに何をする! サフ、今すぐ出ていけー!」
頭の奥でなにかが嵌まる音がした。
ディーの叫び声が遠くに聞こえる。
ぼくの体でなにかが起こっていた――最初に脳がぐらんぐらんして、体中の肌が粟立った。次に視界がぐるんと反転した。
そして、目の前のディーが転移魔法を放つその瞬間。
ぼくの全てが返ってきた――
「あっ、あっ、うああああああああああっ!ディーっ! ディーっ!」
いきなり、耳を塞ぎたくなる程の大きな声が出た。その声に愕然としたサフが、どこかに転移した。
ディーは。
ディーは、涙を流しながら床にうずくまった。
「……あっ、んんっ。声よしっ! ディーの馬鹿!なに座ってんのさ。ここは、ノアが治ったって喜ぶところだろ。ほら、ぼくを抱きしめろよ! けほっ……けほっ……んんっ。首絞められたからかな? 喉の調子がいまいちだ」
ぼくは這いずってディーのところまで行って、彼を力いっぱい抱きしめた。
「どう? 今のぼくの全力でハグしてんの。治ったら最初にディーに好きって言いたかったのに、ぼく鼻血まみれだし、ディーは涙が止まらないみたいだし、もうかっこつかないよ。でも、いいや……ディー、大好き。大好きになっちゃったんだ。ねえ、ぼくのこと離さないでいてくれる?頼まれても離れてなんかやらないけどさ。今朝だって、めっちゃ傷ついた。あんなヤツのことなんてずっと忘れてたのに――」
ぼくが一人で喋り続けると、ディーの体が突き上げるように震えだし、それは大きな笑い声となった。
「あはっ、あはははっ。ノア! ノア! 喋りすぎだ! 頭打ったのは大丈夫か。痛いだろ?
……私が不甲斐なくてごめん。サフを招いてごめん。ほんと、ごめん……」
「五年間話せなかったのが貯まってるんだよ。ぼく、ずっとディーの勘違いを正したかった。ぼくのせいだから、ぼくが直す。昔の自分のしたことは謝っても謝りきれるもんじゃない。ディーに深い傷をつけてしまった。ごめん。
この五年間ずっとディーを見て思ったんだ。ディーは素敵だよ。かっこいい。優しい。真面目で、勉強家で、揺るぎない強さを持ってる。
もっとその顔を見せてよ。
今のぼくは、世界で一番ディーが好きなんだ!」
「ふぇっ、ううー……」
ディーはまた泣いた。
小さい頃のディーはすぐにめそめそする泣き虫だったのを思い出す。強くなったんじゃなくて、強いふりをしていたのかもしれない。
ぼくを守るために。
ぼくはディーの髪をかきあげて、額にキスをした。
「泣きやまないと、口にもキスするぞ。泣きべそのディーとのファーストキッス。一生思い出に残るね♪」
ディーはぐしぐしと服の袖で涙を吹いて、ずびびっと鼻水をすすった。
「やべでぐだざい……ぐぅ……」
「からの、フェイントーー!」
ぼくはディーの唇に渾身のキスをした。ふたりの歯がガチッて音をたてた。
ディーは泣きながら笑っていた。
52
あなたにおすすめの小説
魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由
スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの少年二人は、15歳になり神の祝福でスキルを得た事で道をたがえる。彼らはやがて青年となり、片方は魔王討伐に旅立つ勇者として華々しい活躍をし、もう片方はただ彼の帰還を待つ相変わらずスラム暮らしの存在となる。
これは何も持たない青年がただ勇者の帰りを待つ日常を描いた作品です。
無自覚両片想いの勇者×親友。
読了後、もう一度だけ読み直して頂けると何か見える世界が変わるかもしれません。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
寂しいを分け与えた
こじらせた処女
BL
いつものように家に帰ったら、母さんが居なかった。最初は何か厄介ごとに巻き込まれたのかと思ったが、部屋が荒れた形跡もないからそうではないらしい。米も、味噌も、指輪も着物も全部が綺麗になくなっていて、代わりに手紙が置いてあった。
昔の恋人が帰ってきた、だからその人の故郷に行く、と。いくらガキの俺でも分かる。俺は捨てられたってことだ。
お花畑な母親が正当な跡取りである兄を差し置いて俺を跡取りにしようとしている。誰か助けて……
karon
ファンタジー
我が家にはおまけがいる。それは俺の兄、しかし兄はすべてに置いて俺に勝っており、俺は凡人以下。兄を差し置いて俺が跡取りになったら俺は詰む。何とかこの状況から逃げ出したい。
婚約破棄させた愛し合う2人にザマァされた俺。とその後
結人
BL
王太子妃になるために頑張ってた公爵家の三男アランが愛する2人の愛でザマァされ…溺愛される話。
※男しかいない世界で男同士でも結婚できます。子供はなんかしたら作ることができます。きっと…。
全5話完結。予約更新します。
悪役令嬢の兄、閨の講義をする。
猫宮乾
BL
ある日前世の記憶がよみがえり、自分が悪役令嬢の兄だと気づいた僕(フェルナ)。断罪してくる王太子にはなるべく近づかないで過ごすと決め、万が一に備えて語学の勉強に励んでいたら、ある日閨の講義を頼まれる。
ゲーム世界の貴族A(=俺)
猫宮乾
BL
妹に頼み込まれてBLゲームの戦闘部分を手伝っていた主人公。完璧に内容が頭に入った状態で、気がつけばそのゲームの世界にトリップしていた。脇役の貴族Aに成り代わっていたが、魔法が使えて楽しすぎた! が、BLゲームの世界だって事を忘れていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる