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厳かな昼食①
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案内された食堂は、まるでフランスの宮殿のような具合だった。ロココ様式じみたテーブルにいす、暖炉、壁掛け時計、天井からはシャンデリア。南側の壁は一面ガラス張り。バルコニーから跳ね返った陽光をこれでもかと室内に取り込んでいる。屋敷のなかで一番豪華な部屋に違いない。
もっとも、僕ははしゃがなかった。異国情緒がいきすぎて、ファミレスの安っぽい内装と見分けがつかない。なによりも、この部屋は開かずの扉の真下に位置するのだ。いつ天井から物音が聞こえるかと、そちらが気になってしかたない。
席の前にはそれぞれネームプレートが立てられている。奥の誕生日席に雄二郎さん。右側は手前から乾、美銀さん、マナさん、佳乃。佳乃というのはたしか、雄二郎さんの奥さんの名だ。左側は梅子さん、僕、寒川、小松となっていた。
人間は自分の左に立つ人に警戒心を抱くという。梅子さんは料理を運ぶ仕事があるから例外として、なんだか雄二郎さんの意図を感じる。
「他の方を呼んでまいります。席でお待ちになってください」
梅子さんはスキップでもするように浮き立って出ていった。いっきにしんと静まり返る。部屋には僕とマナさん、雄二郎さんだけ。自然な会話ができるはずもない。
「曲でも、かけてもいいかな」
口火を切ったのは、意外にも雄二郎さんだった。ふところからタブレットを取り出し、スッスッと指で操作する。すると備え付けられたスピーカーから昭和歌謡が流れ出した。僕は不覚にも感心してしまった。僕の祖父母も彼と同じくらいの世代だけれど、こんなふうには使いこなせない。
「なになに、この曲?」
廊下から元気な声が響いた。この声は、開かずの扉について話したあの少女のものだ。次の瞬間には少女が食堂にやってきた。美銀さんもそそくさと後に続いて入ってくる。
「あれ、席って決められている感じですか」
少女はキョロキョロとテーブルを見渡す。なにか決心したようにうなずくと、僕のとなりの席についた。
「はーい、さっきぶり」
馴れ馴れしい。けれど張り詰めた空気ばかり吸っていたから、若者のゆるさのようなものが心地いい。そういえば、この少女の名はなんというのだろう。置かれた名札には寒川の文字。
「扉は調べてくれた?」
「ちょっとまだ。でも、なにか発見がありそうで興味深いよ、寒川さん」
雄二郎さんがピクリと反応する。マナさんはその様子を訝しんで見ていた。
「寒川——ああ、そうね。フフ。わたしは寒川姫代。神主の家系なんだ。あなたは?」
「僕は結城響斗。あちらがさっき話した弁護士のマナさん」
「ふーん、よろしくお願いします」
彼女は妙に仰々しく頭を下げた。マナさんは気にしていなかった。
また話し声が聞こえてくる。ガラガラという車輪の音はキッチンワゴンだろう。梅子さんが食事を運んできたのだ。
「佳乃さんを連れてまいりました」
梅子さんと話していたのは、きっちりと和装した後年の女性だった。彼女の印象は、とても凛としていた。枝毛のない白髪を後ろにまとめ、目を疑うほど小顔である。若さの象徴である肌のハリこそないけれど、顔の作りが美しく、彼女の壮年の姿を想像せずにはいられない。そしてなにより姿勢がいい。立てば座ればなんとやら、その言葉は彼女のためにあるのではないか。
「はじめまして、雄二郎の妻でございます」
彼女は腰から曲げておじぎをした。小股で静かに部屋をまわり、自分の席に浅く腰掛ける。目にする所作のすべてが洗練されて美しい。彼女を「女性」と一括りにまとめることが、むしろ失礼とすら思ってしまう。
マナさんは隣の佳乃さんに声をかける。
「弁護士の黒野です。今回のご依頼を担当させていただきます」
「そう、あなたがうちの人の勝手に付き合わされる弁護士さんですか。よろしく。あまり堅苦しくならなくて結構です」
佳乃さんは抑揚のある強い口調でそう言った。その響きに、雄二郎さんが使っていた「内密な話」という言葉がふと思い出される。
脅迫状の件を佳乃さんは知らないのだろう。雄二郎さんにしてみれば、この話を妻に打ち明けるのは難しかったに違いない。だが彼女にしてみれば、突然夫が赤の他人に屋敷を相続すると言い出したようなものだ。どう受け止めろというのか。前向きになどなれるはずもない。
佳乃さんはジロジロとマナさんを品定めするような視線を送る。
「あなた、どうしてスカートではなくズボンを履いているの。失礼、男性だったのね。お美しいから勘違いしてました。ごめんなさい」
「なっ」
僕は思わず声を漏らした。ふつう間違えるだろうか、いやない。今のは明らかに侮辱している。パンツスタイルなんて珍しいものでもないし、そもそもどんな服を着るかなんてマナさんの自由だ。まして人前でこんな言い方をされる筋合いはない。
「あら、どうかなさいまして?」
佳乃さんは上品な口調で、目だけこちらに向けた。
「ああいえ……」
僕が口ごもったその時、マナさんの顔が視界に入った。表情はいつもと変わらないけれど、耳が真っ赤に染まっていた。
僕の中でなにかが燃え上がった。
「佳乃さん、きっと僕はいい話し相手になれると思いますよ」
「まあ、それは楽しみですわね。どういう意味かしら」
彼女はゆっくりと目を細めた。
「佳乃さんほどのお方なら、昔から洋装の変遷をたくさんご覧になっているでしょう。僕もそういった歴史に興味がありまして、ぜひお話をお聞きしたいです。イヴ・サン=ローランがいた頃なんか特に」
「それはうれしいわ。わたくし、いつも離れのお茶室におりますの。ぜひ遊びにいらして?」
「ええ、よろんで伺います」
佳乃さんの図星が「年齢」だと踏んだが、どうやらそこを突いても反応は薄いらしい。だが、そんなことはどうでもいい。彼女の矛先がマナさんではなく僕に向いたなら、それで十分だ。
ちょうどその時、壁掛け時計が鐘を鳴らした。梅子さんは前菜を配膳し始める。二つの空席と刺すような空気をまとったまま、隠花亭の昼食は静かに始まった。
もっとも、僕ははしゃがなかった。異国情緒がいきすぎて、ファミレスの安っぽい内装と見分けがつかない。なによりも、この部屋は開かずの扉の真下に位置するのだ。いつ天井から物音が聞こえるかと、そちらが気になってしかたない。
席の前にはそれぞれネームプレートが立てられている。奥の誕生日席に雄二郎さん。右側は手前から乾、美銀さん、マナさん、佳乃。佳乃というのはたしか、雄二郎さんの奥さんの名だ。左側は梅子さん、僕、寒川、小松となっていた。
人間は自分の左に立つ人に警戒心を抱くという。梅子さんは料理を運ぶ仕事があるから例外として、なんだか雄二郎さんの意図を感じる。
「他の方を呼んでまいります。席でお待ちになってください」
梅子さんはスキップでもするように浮き立って出ていった。いっきにしんと静まり返る。部屋には僕とマナさん、雄二郎さんだけ。自然な会話ができるはずもない。
「曲でも、かけてもいいかな」
口火を切ったのは、意外にも雄二郎さんだった。ふところからタブレットを取り出し、スッスッと指で操作する。すると備え付けられたスピーカーから昭和歌謡が流れ出した。僕は不覚にも感心してしまった。僕の祖父母も彼と同じくらいの世代だけれど、こんなふうには使いこなせない。
「なになに、この曲?」
廊下から元気な声が響いた。この声は、開かずの扉について話したあの少女のものだ。次の瞬間には少女が食堂にやってきた。美銀さんもそそくさと後に続いて入ってくる。
「あれ、席って決められている感じですか」
少女はキョロキョロとテーブルを見渡す。なにか決心したようにうなずくと、僕のとなりの席についた。
「はーい、さっきぶり」
馴れ馴れしい。けれど張り詰めた空気ばかり吸っていたから、若者のゆるさのようなものが心地いい。そういえば、この少女の名はなんというのだろう。置かれた名札には寒川の文字。
「扉は調べてくれた?」
「ちょっとまだ。でも、なにか発見がありそうで興味深いよ、寒川さん」
雄二郎さんがピクリと反応する。マナさんはその様子を訝しんで見ていた。
「寒川——ああ、そうね。フフ。わたしは寒川姫代。神主の家系なんだ。あなたは?」
「僕は結城響斗。あちらがさっき話した弁護士のマナさん」
「ふーん、よろしくお願いします」
彼女は妙に仰々しく頭を下げた。マナさんは気にしていなかった。
また話し声が聞こえてくる。ガラガラという車輪の音はキッチンワゴンだろう。梅子さんが食事を運んできたのだ。
「佳乃さんを連れてまいりました」
梅子さんと話していたのは、きっちりと和装した後年の女性だった。彼女の印象は、とても凛としていた。枝毛のない白髪を後ろにまとめ、目を疑うほど小顔である。若さの象徴である肌のハリこそないけれど、顔の作りが美しく、彼女の壮年の姿を想像せずにはいられない。そしてなにより姿勢がいい。立てば座ればなんとやら、その言葉は彼女のためにあるのではないか。
「はじめまして、雄二郎の妻でございます」
彼女は腰から曲げておじぎをした。小股で静かに部屋をまわり、自分の席に浅く腰掛ける。目にする所作のすべてが洗練されて美しい。彼女を「女性」と一括りにまとめることが、むしろ失礼とすら思ってしまう。
マナさんは隣の佳乃さんに声をかける。
「弁護士の黒野です。今回のご依頼を担当させていただきます」
「そう、あなたがうちの人の勝手に付き合わされる弁護士さんですか。よろしく。あまり堅苦しくならなくて結構です」
佳乃さんは抑揚のある強い口調でそう言った。その響きに、雄二郎さんが使っていた「内密な話」という言葉がふと思い出される。
脅迫状の件を佳乃さんは知らないのだろう。雄二郎さんにしてみれば、この話を妻に打ち明けるのは難しかったに違いない。だが彼女にしてみれば、突然夫が赤の他人に屋敷を相続すると言い出したようなものだ。どう受け止めろというのか。前向きになどなれるはずもない。
佳乃さんはジロジロとマナさんを品定めするような視線を送る。
「あなた、どうしてスカートではなくズボンを履いているの。失礼、男性だったのね。お美しいから勘違いしてました。ごめんなさい」
「なっ」
僕は思わず声を漏らした。ふつう間違えるだろうか、いやない。今のは明らかに侮辱している。パンツスタイルなんて珍しいものでもないし、そもそもどんな服を着るかなんてマナさんの自由だ。まして人前でこんな言い方をされる筋合いはない。
「あら、どうかなさいまして?」
佳乃さんは上品な口調で、目だけこちらに向けた。
「ああいえ……」
僕が口ごもったその時、マナさんの顔が視界に入った。表情はいつもと変わらないけれど、耳が真っ赤に染まっていた。
僕の中でなにかが燃え上がった。
「佳乃さん、きっと僕はいい話し相手になれると思いますよ」
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彼女はゆっくりと目を細めた。
「佳乃さんほどのお方なら、昔から洋装の変遷をたくさんご覧になっているでしょう。僕もそういった歴史に興味がありまして、ぜひお話をお聞きしたいです。イヴ・サン=ローランがいた頃なんか特に」
「それはうれしいわ。わたくし、いつも離れのお茶室におりますの。ぜひ遊びにいらして?」
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佳乃さんの図星が「年齢」だと踏んだが、どうやらそこを突いても反応は薄いらしい。だが、そんなことはどうでもいい。彼女の矛先がマナさんではなく僕に向いたなら、それで十分だ。
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