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押し花とイジメ
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◆
僕は音楽室の重い扉を思い切って開けた。
「エリーゼのために」がぴたりと止んだ。
音楽室の中は外と流れている空気も時間も違うように感じられる。
授業で生徒がいる時と、石谷さんのような少女が一人でいる時とはまるで違う。
音楽室の重厚感溢れる窓のカーテンがゆらゆらと風にそよいでいる。
「村上くん?・・」
昼休み、僕は石谷さんがピアノの練習をしているはずの音楽室に来た。
石谷さんの長い髪も風にそよいでいる。
石谷さんは椅子から降りた。
「あ、あの、この前は、ごめんなさい。保健室につき合わせたりして」
「別にかまへんて、石谷さん、慌ててたんやから」
長田さんの押し花について訊くつもりだった。
「それで、私に何か用事?」
なぜ石谷さんなのか?
他に二組に特に親しい知り合いもいないから石谷さんを選んだ、と言えば嘘になる。
ピアノを弾く女の子、石谷さんに興味があったせいかもしれなかった。
「ピアノの音が聞こえてきたから、じかに聴きたくなったんや」
それは言い訳だ。
「素人のピアノだから、人に聴かせるようなものじゃないわ」
「僕には違いなんてわからへんから、別にええやん。黙ってここで聴いとくだけやし」
「ごめんなさい。そこにいられると、ピアノに集中できないの」
「こっちこそ、ごめん。本当のことを言うと、ピアノを聴きにきたんやないんや」
「えっ、だったら、何の用なの?」
石谷さんは戸惑ったような顔をした。
「芦田さんに訊いてもよかったんやけど、芦田さんに会いに和菓子屋さんに行くのも変やし、いる場所が分かってるの石谷さんだけやったから」
「わ、わかったわ。それで、私に何の話なの?」
「僕、クラスの副委員長やってて、匿名の投書の中に長田さんの押し花のことが書かれてあったんや」
「それなら、私ももらったけど」
「それ、クラスの中でイジメを生み出すものかもしれへんねん」
「いじめ?」
少しは何か知ってるようだった。石谷さんの表情が語っている。
「たとえば、押し花をもらうことを断るとかしたら」
◇
去年の発表会の成績は四位だった。
三.四年生での成績と五、六年生の成績とはまたレベルも違ってくる。みんなきっと上達しているだろう。新しくピアノを習い始めた子も参加する。
長田さんはいつから弾いているのだろう?
私は新しいお洋服に袖を通した。
さすがに小さくなってしまった去年までの洋服を新調した。気分が入れ替わった気がする。ちょっと智子に見せたい気がした。
去年は見せる相手なんていなかった。
私は智子を失いたくない。
「あ、あの、石谷さん、ちょっといい?」
今日、廊下を歩いていると、クラスの大人しい伊藤さんが珍しく私に話しかけてきた。
「うん。いいよ」
「こんなこと、私が言うのもあれなんだけど、石谷さん、芦田さんとお友達みたいだから、私、放っておけなくて」
智子のこと?智子のことなら私も放っておけない。
「私、見たの」
「何を?」
「そ、その、この前、芦田さんが宿題のプリント忘れて立たされてたでしょ」
たどたどしく伊藤さんは語り始める。
「うん。智子が宿題忘れるなんて、今までなかったから、よく覚えているよ」
「休み時間に、川田さんが芦田さんのランドセルから、プリント抜き取っていたを見たの」
智子、そんなことされていたんだ。川田さんが許せない。
「その時に、橋本さんも一緒に立たされていたんだけど、そ、その、橋本さんは前にスープの中にウサギの餌が入っていたって言ってたでしょ、それって最初はそんなもの入ってなかったって、後になって川田さんが入れてたのを他の人が見たっていうのを聞いたの」
そんな気はしていたけど、あの時、橋本さんのことも疑っていたことが悔やまれる。
「芦田さん、あの時、私をかばってくれたし、すごく悪くて」
「それって、もう立派ないじめじゃない、ひどい!」
赤坂さんもあの時、川田さんとグルになっていたから、きっと仲間だ。
「橋本さんは芦田さんにそのことを言ったんだけど、芦田さん、聞いていないみたいだったし、橋本さんと話して、友達の石谷さんに言った方がいいっていうことになって」
「ありがとう。伊藤さん」
伊藤さんと橋本さんがいなければ私はこの事実を知ることができなかった。
「いいよ、これくらい。二人、仲がいいみたいだから。私、少し羨ましかったの」
伊藤さんはそう言うと少し笑った。
「でも、こんな大事な話をしてくれるなんて、伊藤さんも友達だよ」
私がそう言うと伊藤さんは首を横に振った。
「ありがとう。でも私、これがきっかけで橋本さんと仲良くなったの。今度、家に遊びに行くことになって。私は二人に感謝してるくらい」
「そう、よかったね」
「私、大事な人は一人でいいと思うの」
伊藤さんの言うとおりだ。大事な人は一人でいい。私は智子を絶対に守る。
「ちょっと訊いていい?伊藤さんとその橋本さんも、長田さんっていう一組の女の子から押し花ってもらった?」
私は村上くんから聞いていたことを訊ねた。
「ああ、その話、以前、クラスの子に聞いたことがあるけど、私たちはもらってないわよ」
伊藤さんと橋本さんは私たちと同じように二学期になってようやく友達ができたくらいに大人しい子たちだ。
村上くんは言っていた。「押し花をもらったことを他の人に伝えない可能性がある子には渡していないのではないか」と。
そして、「クラスにいじめが存在していたら、先生に報告するかして解決しなければならない。副委員長である前に、人として」とも。
村上くんって、ちゃんとした人だ。
村上くんは続けてこうも言っていた。
「押し花は長田さん本人も渡したことを忘れてしまって、みんなの中では風化してしまってるかもしれないけど、もらった人の一部は断った人のことをいつまでも憶えているものだ」と。
智子は「押し花を受け取ることを考えさせてください」と長田さんに言ったと以前に聞いていた。
それを誰かが見ていたか、長田さんがそのことを誰かに言ったかのどちらかだ。
私は伊藤さんと別れたあと、この後どうするかを考えた。
下校時間も智子は何も言ってくれない。
「智子、最近、様子、おかしいけど、何かあった?」と聞いても、首を横に振って「何もないよ。加奈ちゃんの気のせいよ」と答える。
それ以上問い詰めると「私の顔、変やから、そう見えるんや」と言い出したりする。
たぶん、前に電話をかけたときもそうだったけど、私に心配をかけたくなくて、きっと黙っているんだろう。
あんないい子をいじめているのだとしたら許せない。
私の怒りはどこへぶつければいい?
長田さんなのか?川田さんと赤坂さんの二人なのか?
僕は音楽室の重い扉を思い切って開けた。
「エリーゼのために」がぴたりと止んだ。
音楽室の中は外と流れている空気も時間も違うように感じられる。
授業で生徒がいる時と、石谷さんのような少女が一人でいる時とはまるで違う。
音楽室の重厚感溢れる窓のカーテンがゆらゆらと風にそよいでいる。
「村上くん?・・」
昼休み、僕は石谷さんがピアノの練習をしているはずの音楽室に来た。
石谷さんの長い髪も風にそよいでいる。
石谷さんは椅子から降りた。
「あ、あの、この前は、ごめんなさい。保健室につき合わせたりして」
「別にかまへんて、石谷さん、慌ててたんやから」
長田さんの押し花について訊くつもりだった。
「それで、私に何か用事?」
なぜ石谷さんなのか?
他に二組に特に親しい知り合いもいないから石谷さんを選んだ、と言えば嘘になる。
ピアノを弾く女の子、石谷さんに興味があったせいかもしれなかった。
「ピアノの音が聞こえてきたから、じかに聴きたくなったんや」
それは言い訳だ。
「素人のピアノだから、人に聴かせるようなものじゃないわ」
「僕には違いなんてわからへんから、別にええやん。黙ってここで聴いとくだけやし」
「ごめんなさい。そこにいられると、ピアノに集中できないの」
「こっちこそ、ごめん。本当のことを言うと、ピアノを聴きにきたんやないんや」
「えっ、だったら、何の用なの?」
石谷さんは戸惑ったような顔をした。
「芦田さんに訊いてもよかったんやけど、芦田さんに会いに和菓子屋さんに行くのも変やし、いる場所が分かってるの石谷さんだけやったから」
「わ、わかったわ。それで、私に何の話なの?」
「僕、クラスの副委員長やってて、匿名の投書の中に長田さんの押し花のことが書かれてあったんや」
「それなら、私ももらったけど」
「それ、クラスの中でイジメを生み出すものかもしれへんねん」
「いじめ?」
少しは何か知ってるようだった。石谷さんの表情が語っている。
「たとえば、押し花をもらうことを断るとかしたら」
◇
去年の発表会の成績は四位だった。
三.四年生での成績と五、六年生の成績とはまたレベルも違ってくる。みんなきっと上達しているだろう。新しくピアノを習い始めた子も参加する。
長田さんはいつから弾いているのだろう?
私は新しいお洋服に袖を通した。
さすがに小さくなってしまった去年までの洋服を新調した。気分が入れ替わった気がする。ちょっと智子に見せたい気がした。
去年は見せる相手なんていなかった。
私は智子を失いたくない。
「あ、あの、石谷さん、ちょっといい?」
今日、廊下を歩いていると、クラスの大人しい伊藤さんが珍しく私に話しかけてきた。
「うん。いいよ」
「こんなこと、私が言うのもあれなんだけど、石谷さん、芦田さんとお友達みたいだから、私、放っておけなくて」
智子のこと?智子のことなら私も放っておけない。
「私、見たの」
「何を?」
「そ、その、この前、芦田さんが宿題のプリント忘れて立たされてたでしょ」
たどたどしく伊藤さんは語り始める。
「うん。智子が宿題忘れるなんて、今までなかったから、よく覚えているよ」
「休み時間に、川田さんが芦田さんのランドセルから、プリント抜き取っていたを見たの」
智子、そんなことされていたんだ。川田さんが許せない。
「その時に、橋本さんも一緒に立たされていたんだけど、そ、その、橋本さんは前にスープの中にウサギの餌が入っていたって言ってたでしょ、それって最初はそんなもの入ってなかったって、後になって川田さんが入れてたのを他の人が見たっていうのを聞いたの」
そんな気はしていたけど、あの時、橋本さんのことも疑っていたことが悔やまれる。
「芦田さん、あの時、私をかばってくれたし、すごく悪くて」
「それって、もう立派ないじめじゃない、ひどい!」
赤坂さんもあの時、川田さんとグルになっていたから、きっと仲間だ。
「橋本さんは芦田さんにそのことを言ったんだけど、芦田さん、聞いていないみたいだったし、橋本さんと話して、友達の石谷さんに言った方がいいっていうことになって」
「ありがとう。伊藤さん」
伊藤さんと橋本さんがいなければ私はこの事実を知ることができなかった。
「いいよ、これくらい。二人、仲がいいみたいだから。私、少し羨ましかったの」
伊藤さんはそう言うと少し笑った。
「でも、こんな大事な話をしてくれるなんて、伊藤さんも友達だよ」
私がそう言うと伊藤さんは首を横に振った。
「ありがとう。でも私、これがきっかけで橋本さんと仲良くなったの。今度、家に遊びに行くことになって。私は二人に感謝してるくらい」
「そう、よかったね」
「私、大事な人は一人でいいと思うの」
伊藤さんの言うとおりだ。大事な人は一人でいい。私は智子を絶対に守る。
「ちょっと訊いていい?伊藤さんとその橋本さんも、長田さんっていう一組の女の子から押し花ってもらった?」
私は村上くんから聞いていたことを訊ねた。
「ああ、その話、以前、クラスの子に聞いたことがあるけど、私たちはもらってないわよ」
伊藤さんと橋本さんは私たちと同じように二学期になってようやく友達ができたくらいに大人しい子たちだ。
村上くんは言っていた。「押し花をもらったことを他の人に伝えない可能性がある子には渡していないのではないか」と。
そして、「クラスにいじめが存在していたら、先生に報告するかして解決しなければならない。副委員長である前に、人として」とも。
村上くんって、ちゃんとした人だ。
村上くんは続けてこうも言っていた。
「押し花は長田さん本人も渡したことを忘れてしまって、みんなの中では風化してしまってるかもしれないけど、もらった人の一部は断った人のことをいつまでも憶えているものだ」と。
智子は「押し花を受け取ることを考えさせてください」と長田さんに言ったと以前に聞いていた。
それを誰かが見ていたか、長田さんがそのことを誰かに言ったかのどちらかだ。
私は伊藤さんと別れたあと、この後どうするかを考えた。
下校時間も智子は何も言ってくれない。
「智子、最近、様子、おかしいけど、何かあった?」と聞いても、首を横に振って「何もないよ。加奈ちゃんの気のせいよ」と答える。
それ以上問い詰めると「私の顔、変やから、そう見えるんや」と言い出したりする。
たぶん、前に電話をかけたときもそうだったけど、私に心配をかけたくなくて、きっと黙っているんだろう。
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