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友達に言えない
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◇
「骨は大丈夫ですから、ピアノを弾くのには問題ないですよ」
お母さんは心配して外科の先生に何度も「先生、本当に大丈夫なんですか?」と訊いた。
「そうですね。問題があるとしたら、しばらく手に少し力が入りにくいくらいのことです」
それが一番、私にとっては大事なことだけど、先生にはそこまでのことはわからない。
今日、体育の合同練習の時、誰かが後ろからぶつかってきた。たぶん一組の女の子だ。
髪型が長田さんに似ていることくらいしか覚えていない。
私は体のバランスを失い前に倒れる時、とっさに指を守ろうとして、手のひらをつかず肘をついた状態で転んだ。変な力が腕に入ってよけいに痛かった。肘に血が滲みはじめた。
智子が駆け寄ってきて「加奈ちゃん、大丈夫!」と何度も訊いていた。
智子は人の心配なんかしてる場合ではないのに、自分のことのように丸い顔をくちゃくちゃにして泣きそうになっていた。
「全然、平気」私は答えたけれど、両腕が痺れたようになっていたので、もしかしたらピアノが弾けなくなるかもしれない、と勝手に考えて私は気が遠のいていくのを感じた。
これって貧血というのだろうか。こんなことは初めてだ。
体が後ろに傾いていく、また怪我をすると思った瞬間、誰か男の子が私の体を支えていた。
村上くんだった。
私は村上くんに付き添われて保健室に行き応急手当てをしてもらった。
私は何度も村上くんにお礼を言った。
でも、どうしてこの人は一番に私のところに駆けつけたのだろう?理由はわからないけれどとても嬉しかった。
村上くんとは音楽室の扉を開けた時に知り合った。あの時は智子のいる保健室に急ごうとしていたのだ。ひょっとしたら村上くんは智子が引き合わせてくれたのかも知れない。
その日のうちにお母さんが迎えに来て学校から直接病院に行き検査を受けた。
「新しいお洋服でなくてよかったよ」私はそう言ってお母さんに微笑みを見せた。
洋服は長袖なので転べば肘が破れてしまったかもしれない。
「加奈ちゃん、どうだった?」
次の日、智子が心配そうにしながら私の席に駆け寄ってきた。
「検査を受けたけど、何ともなかったよ。ごめんね、心配かけて」
私は微笑みを浮かべながら答えた。
「心配で眠れなかったよ。電話しようと思ったんだけど、寝てたら悪いな、と思って」
私は智子が布団に入って目を開けまま寝ているところを勝手に想像して可笑しくなった。
「加奈ちゃん、村上くん、優しかったね」
「うん、そうだね。私、びっくりした」
合同練習とはいえ、まさか、他のクラスの男の子が駆け寄ってくるとは思わなかった。
私は男の子にそんなにされたのは初めてのことだった。
「村上くん、優しいお姉さんがいるから、村上くんも優しいのかな?」
智子が言うのには村上くんのお姉さんというのは「芦田堂」にお買い物に来たお客さんだということだ。
二回目に会った時、前に転んだ時にできたおでこの怪我のことをちゃんと覚えてくれていたことなどを話した。
「ふーん。村上くん、そんなお姉さんがいるんだ」
「えへへ。本当は叔母さんなんだけどね」
丸い顔にくりくりした目がまるでお母さんに悪戯をする子供のように動く。
「なに、それ?」
「加奈ちゃんも会えばわかるよ。本当にお姉さんみたいだから」
そう言いながら微笑みを浮かべる智子は、とてもいじめられている子には見えなかった。
「智子、私、実は村上くんから話、聞いたんだけど。この話、聞いてくれる?」
下校時間、私は思い切って智子に言ってみた。
「うん。加奈ちゃんの話なら何でも聞くよ。今日、お店にくる?」
智子の返事の一つ一つが私には嬉しい。
「そ、その、長田さんの押し花の話なんだ」
私がそう言うと智子が少し俯いた。
「うん、聞くよ。お店でする?」
「歩きながらでいいよ」
秋の陽射しと風がこんなに体に心地いいのに、どうして私はこんな話を大好きな親友に話さなければならないのだろう。
私はそんなことを考えながら智子に村上くんの話や伊藤さんから聞いた話をゆっくり歩きながら話し始めた。
「私、いじめられてるのかな?」
話し終わると智子は呟くように小さな声で言った。
「そうに決まってるよ」
「私がブスだから、ってずっと思ってた」
「えっ、そんな風に考えてたの?」
「お兄ちゃんも私がブスだって言って、よく怒っているし」
「ひどいお兄さんだね」
智子は首を振った。
「お兄ちゃんは格好いいよ。サッカーをやってて、二年生になって、レギュラーになったし」
「いくら格好よくても、妹のことをそんな風にいうのはよくないよ」
「仕方ないよ。本当のことなんだし」智子はそう言うとまた俯いた。
「もうっ、智子、そんな風に自分のことを言うのはよくないよ。それに智子はブスじゃないんだってば」私は少し声を荒げた。
智子は俯いた顔をあげて微笑んだ。
「えへへ。ありがとう。加奈ちゃん」
丸い顔のほっぺたに涙が伝わっていた。
「でも、いいよ。ボールぶつけられただけだし」
「それって、すごくひどいことだよ」
「でも、おでこ、もう顔も治ったよ」智子は顔を撫でながら笑った。
それは笑うことじゃない。でも、もっとひどい怪我でなくてよかった。
「それだけじゃないじゃない。プリントだって取られたし」
「今度から取られないように気をつけるよ」
私は思った。私が同じ立場だったら、同じようにそう答えるのではないだろうか。
私が肘を怪我した時も誰かがぶつかってきたことを智子に話さなかった。
友達ってそういうものなんだろうか?
ちゃんと正直に言うものではないのだろうか?
こんな時、大の親友がひどい目に会っていると知っている時、私はどうすべきなんだろう?
香山さんなら、あの大人しい小川さんがいじめられたりしたらどのような行動をとるのだろうか?
もう「芦田堂」の前に着いた。十分はあっという間だ。いや、十分以上は経っている。
着いていたのに気づいていなかっただけだった。私は同級生と立ち話ってしたのは初めてかもしれない。私たちはずっと話しながら「芦田堂」の前に立っていたのだ。
「加奈ちゃん、この話、店の中ではできない話だったね。店でしなくてよかったよ」
「でも、ご両親にも知ってもらった方が」
いじめは先生や両親にも話して知ってもらう方がいい。
「お父さんとお母さんには心配かけられないよ」
「骨は大丈夫ですから、ピアノを弾くのには問題ないですよ」
お母さんは心配して外科の先生に何度も「先生、本当に大丈夫なんですか?」と訊いた。
「そうですね。問題があるとしたら、しばらく手に少し力が入りにくいくらいのことです」
それが一番、私にとっては大事なことだけど、先生にはそこまでのことはわからない。
今日、体育の合同練習の時、誰かが後ろからぶつかってきた。たぶん一組の女の子だ。
髪型が長田さんに似ていることくらいしか覚えていない。
私は体のバランスを失い前に倒れる時、とっさに指を守ろうとして、手のひらをつかず肘をついた状態で転んだ。変な力が腕に入ってよけいに痛かった。肘に血が滲みはじめた。
智子が駆け寄ってきて「加奈ちゃん、大丈夫!」と何度も訊いていた。
智子は人の心配なんかしてる場合ではないのに、自分のことのように丸い顔をくちゃくちゃにして泣きそうになっていた。
「全然、平気」私は答えたけれど、両腕が痺れたようになっていたので、もしかしたらピアノが弾けなくなるかもしれない、と勝手に考えて私は気が遠のいていくのを感じた。
これって貧血というのだろうか。こんなことは初めてだ。
体が後ろに傾いていく、また怪我をすると思った瞬間、誰か男の子が私の体を支えていた。
村上くんだった。
私は村上くんに付き添われて保健室に行き応急手当てをしてもらった。
私は何度も村上くんにお礼を言った。
でも、どうしてこの人は一番に私のところに駆けつけたのだろう?理由はわからないけれどとても嬉しかった。
村上くんとは音楽室の扉を開けた時に知り合った。あの時は智子のいる保健室に急ごうとしていたのだ。ひょっとしたら村上くんは智子が引き合わせてくれたのかも知れない。
その日のうちにお母さんが迎えに来て学校から直接病院に行き検査を受けた。
「新しいお洋服でなくてよかったよ」私はそう言ってお母さんに微笑みを見せた。
洋服は長袖なので転べば肘が破れてしまったかもしれない。
「加奈ちゃん、どうだった?」
次の日、智子が心配そうにしながら私の席に駆け寄ってきた。
「検査を受けたけど、何ともなかったよ。ごめんね、心配かけて」
私は微笑みを浮かべながら答えた。
「心配で眠れなかったよ。電話しようと思ったんだけど、寝てたら悪いな、と思って」
私は智子が布団に入って目を開けまま寝ているところを勝手に想像して可笑しくなった。
「加奈ちゃん、村上くん、優しかったね」
「うん、そうだね。私、びっくりした」
合同練習とはいえ、まさか、他のクラスの男の子が駆け寄ってくるとは思わなかった。
私は男の子にそんなにされたのは初めてのことだった。
「村上くん、優しいお姉さんがいるから、村上くんも優しいのかな?」
智子が言うのには村上くんのお姉さんというのは「芦田堂」にお買い物に来たお客さんだということだ。
二回目に会った時、前に転んだ時にできたおでこの怪我のことをちゃんと覚えてくれていたことなどを話した。
「ふーん。村上くん、そんなお姉さんがいるんだ」
「えへへ。本当は叔母さんなんだけどね」
丸い顔にくりくりした目がまるでお母さんに悪戯をする子供のように動く。
「なに、それ?」
「加奈ちゃんも会えばわかるよ。本当にお姉さんみたいだから」
そう言いながら微笑みを浮かべる智子は、とてもいじめられている子には見えなかった。
「智子、私、実は村上くんから話、聞いたんだけど。この話、聞いてくれる?」
下校時間、私は思い切って智子に言ってみた。
「うん。加奈ちゃんの話なら何でも聞くよ。今日、お店にくる?」
智子の返事の一つ一つが私には嬉しい。
「そ、その、長田さんの押し花の話なんだ」
私がそう言うと智子が少し俯いた。
「うん、聞くよ。お店でする?」
「歩きながらでいいよ」
秋の陽射しと風がこんなに体に心地いいのに、どうして私はこんな話を大好きな親友に話さなければならないのだろう。
私はそんなことを考えながら智子に村上くんの話や伊藤さんから聞いた話をゆっくり歩きながら話し始めた。
「私、いじめられてるのかな?」
話し終わると智子は呟くように小さな声で言った。
「そうに決まってるよ」
「私がブスだから、ってずっと思ってた」
「えっ、そんな風に考えてたの?」
「お兄ちゃんも私がブスだって言って、よく怒っているし」
「ひどいお兄さんだね」
智子は首を振った。
「お兄ちゃんは格好いいよ。サッカーをやってて、二年生になって、レギュラーになったし」
「いくら格好よくても、妹のことをそんな風にいうのはよくないよ」
「仕方ないよ。本当のことなんだし」智子はそう言うとまた俯いた。
「もうっ、智子、そんな風に自分のことを言うのはよくないよ。それに智子はブスじゃないんだってば」私は少し声を荒げた。
智子は俯いた顔をあげて微笑んだ。
「えへへ。ありがとう。加奈ちゃん」
丸い顔のほっぺたに涙が伝わっていた。
「でも、いいよ。ボールぶつけられただけだし」
「それって、すごくひどいことだよ」
「でも、おでこ、もう顔も治ったよ」智子は顔を撫でながら笑った。
それは笑うことじゃない。でも、もっとひどい怪我でなくてよかった。
「それだけじゃないじゃない。プリントだって取られたし」
「今度から取られないように気をつけるよ」
私は思った。私が同じ立場だったら、同じようにそう答えるのではないだろうか。
私が肘を怪我した時も誰かがぶつかってきたことを智子に話さなかった。
友達ってそういうものなんだろうか?
ちゃんと正直に言うものではないのだろうか?
こんな時、大の親友がひどい目に会っていると知っている時、私はどうすべきなんだろう?
香山さんなら、あの大人しい小川さんがいじめられたりしたらどのような行動をとるのだろうか?
もう「芦田堂」の前に着いた。十分はあっという間だ。いや、十分以上は経っている。
着いていたのに気づいていなかっただけだった。私は同級生と立ち話ってしたのは初めてかもしれない。私たちはずっと話しながら「芦田堂」の前に立っていたのだ。
「加奈ちゃん、この話、店の中ではできない話だったね。店でしなくてよかったよ」
「でも、ご両親にも知ってもらった方が」
いじめは先生や両親にも話して知ってもらう方がいい。
「お父さんとお母さんには心配かけられないよ」
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