血を吸うかぐや姫

小原ききょう

文字の大きさ
上 下
90 / 118

もう一人の来訪者②

しおりを挟む
 そして、渡辺さんがここに来た目的。それは、この女性の状態がこの先、どうなるかを伊澄さんに訊きたかったのだろう。
 さっき伊澄さんは、渡辺さんの問いに、
「いずれ、体に宿っているものに体を奪われる」と言っていた。
 まさしく、その状態がこれだ。
 僕の横で神城が腰を抜かし、その場にへたり込んだ。何か言おうとしているが、声にならない。君島さんは僕の背中に顔を押しつけている。
 そして、神城が言った。
「屑木くん、私、体が動かない」
 君島さんも「やだ、私もだわ・・」と訴えた。
 誰かがそうしている。この状況では誰が催眠をかけているのかわからない。

 そんな中、
「懐かしい人のご登場ね」
 伊澄瑠璃子はそう言って冷やかに微笑を浮かべた。
 懐かしい人? 伊澄さんの知っている人間なのか? いずれにせよ、この生命体は僕らの敵であることは間違いないだろう。
 だが、伊澄瑠璃子はこんな状態の中、少しも動じていない。
 その理由なのか、化物の動作が異常に遅い。「あれ」との同化がここまでくると逆に身動きがとれなくなるのだろうか。

 そして、渡辺さんは僕らに向き直り、
「紹介しよう。僕の妹のサヤカだ。渡辺サヤカだよ」と言った。
「君たちに分かりやすく言うと・・サヤカは、伊澄さんの姉の女友達だよ。それが、僕の妹だ」
 伊澄さんのお姉さんの女友達・・
 伊澄さんのお姉さんの美貌を妬み、山の中で男に強姦させた女。
 その女の兄が、渡辺さんだったのか。
 
「んぐふううっ」
 そのサヤカという女が咆哮を上げた。獣が上げるような声だ。およそ人間の雄叫びとはかけ離れている。その形状も、もはや人間と呼べるものかどうか。
 長く伸びた腕を触手のように空中に舞わせている。おまけに、体のあちこちから何かの液体が吹き出ている。

 渡辺さんは妹の紹介を終えると、
「妹の中の『あいつ』はね、すごく成長しているんだよ。あの大崎という奴のとは大違いだ」と自慢なのか、悲劇の告白なのか、どちらともとれる口調で言った。

 そんな渡辺さんの言葉を打ち砕くように伊澄瑠璃子が言った。
「あら、でも妹さん、骨がほとんど溶けているようね。腕には、もう骨がなくなっているようよ」
 あの触手のような腕は、中に骨が無いせいで、あれほど長く、ぶらぶらとさせているのか。
 神城は「じゃ、奈々もいずれ、こんな体になるっていうの?」と絶望的な口調で言った。

 すると、サヤカが、初めて言葉のようなものを発した。
「・・レミ」
 くぐもった様な声で、はっきりとは聞こえないが、「レミ」と確かにそう聞こえた。
「レミ」というのは、人の名前なのか?
 そのサヤカの声を受けて、伊澄瑠璃子が口を開いた。
「レミというのは、私の姉の名前よ」
 そう言って、少し悲しげな表情で、
「伊澄レミ・・私が大好きだったお姉さん」と続けた。

「君たちも、これで分かっただろう。この姉妹はね、僕の妹のサヤカが、たった一度犯した過ちを許さず、こんな仕打ちをしたんだよ。随分とひどいだろ?」
 渡辺さんは僕らにそう説明した。
 たった一度の過ち・・
 それは、何の罪もない伊澄さんの姉を騙し、男に性的暴力をさせたこと。
 だが、それを「たった一度の過ち」と言うだろうか。

「あら、それだけで、この女は、こんな姿にならないと思うわよ」
 そんな僕の疑問に答えるように、伊澄瑠璃子が言った。
「この女はね、私のレミ姉さんが、その後、どうなったのかを確認しに、山に来たのよ」
 このサヤカと言う女は、暴行の現場に居合わせたのか。
 性的暴行をされた後、友人だと思っていたサヤカが現れた時、伊澄さんのお姉さんは、何を思ったのろう。そして、そこでどんな会話が交わされたのだろう。
 いずれにせよ、その後、お姉さんは、男に殺され・・
 いや、待て!
 そこにサヤカがいたのなら、男の行動を制止するはずだ。
 サヤカは、男の暴挙を止めなかったのか?
 まさか、サヤカは、男を止めることなく、そそのかしたのか?

 そう思った時、伊澄瑠璃子の切れ長の瞳が恐ろしいほどに吊り上った。
「あなたの妹が、男に指示したのね・・レミ姉さんを殺めるように」
 そう伊澄瑠璃子は言った。
 それが本当なら、いき過ぎた悪戯、いや、卑劣を極める犯罪だ。
 自分たちの罪を隠蔽するためか、伊澄さんの姉に対する腹いせだったのか。どちらにせよ、サヤカが男に命令したということだ。サヤカは暴漢男とそういう仲だったのか?

「んぐぷっ、むふうっ」
 伊澄瑠璃子の言葉に呼応するようにサヤカが、声を出したようだが、上手く発声できずに、ドロドロした液体を涎のように口から垂らした。液体は畳に落ち、沈み込む。

 僕は伊澄瑠璃子に当たり前の問いをした。
「伊澄さん、この女の人は、その時、罪に問われなかったのか?」
 伊澄さんは僕に向き直り、
「その時、この女はまだ未成年。屑木くんが思うほどの罰は与えられなかったわ。それに、そんな証拠もない」と言った。
「けど、その男が言うだろう。『女に命じられた』と証言するんじゃないのか?」
 男が警察で、女に唆されたと言うはずだ。
「その男はね・・そんな知恵のある男ではなかったのよ」
 伊澄さんはそう言った。
 その犯罪を犯した男は、頭が弱く、卑劣なサヤカの言いなりだったということか。
しおりを挟む

処理中です...