血を吸うかぐや姫

小原ききょう(TOブックス大賞受賞)

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君島律子①

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◆君島律子①

「今度は、私が、あなたの体で遊んじゃおうかしら?」
 小山蘭子は楽しそうに言うと、
 ググーッと、異様な音がした。小山蘭子の首からだ。
「きゃっ!」神城が叫んだ。「み、見て、あの人の首を」
 君島さんが、「首が変・・」と言うと、佐々木が、
「首が伸びちゃってますね」と不可思議な現象でも見るように言った。

 小山蘭子の首が面白いくらいに伸びている。まるで軟体動物だ。
 松村や、伊澄瑠璃子の腰巾着の白山あかねや黒崎みどりも首や背骨が異様に曲がっていた。体に「あれ」が入っているとそうなるようだ。
 だが、今見ている小山蘭子の首は曲がり過ぎ、そして、伸びすぎだ。

 何の為にそうしたのか? それは吉田女医の血を吸うためだ。
 小山蘭子の首が、吉田女医の喉元に回った。そして、
 吉田女医の牙より、更に大きく鋭い牙がズズズッと伸びた。
 だが、何故か噛み付きはしなかった。その理由もすぐに分かった。
 吉田女医の喉に小さな穴が開いたのだ。穴が見えたかと思うと、あっと言う間に赤い糸のように血が噴き出した。
 何度も見た空中に噴き出す糸のような血だ。小山蘭子は噛まずして、血を吸っている。
 先生の喉元から伸びた赤い糸が、小山蘭子の口腔に吸い込まれていく。
 ゴクンゴクンと小山蘭子の喉が鳴った。
「あっ、あっ、あああっ」
 吉田女医の喘ぐ声が上がった。そして、その顔が見る見るうちに青白くなっていく。

 このままでは、先生が・・先生の体が萎んでしまう。
 そう思った瞬間、僕は松村から授かったナイフを構えた。
 今だ! 小山蘭子が先生の血を吸っている間、体が自由になった。
 小山蘭子を刺す! 僕は彼女の心臓を刺す!

「屑木くん、ダメよ!」
 苦悶の表情を浮かべている吉田女医が僕を制した。先生は動けないはずなのに、必死で僕を止めようとしている。人を殺めてはダメだ。それは先生としての言葉なのか? 
 けれど、小山蘭子はもはや人ではなく、
 ただの化け物と化している。
「でも、このままでは先生が!」吉田女医が血を吸われてしまう。
 僕は完全に血を失った人間の末路を何度も見ている。先生をそんな体にしたくない。

 小山蘭子が横目でチラリと僕を見た。
「あら、和也くん、先生より、自分の心配をしたらどう?」
 言われなくても分かっている。出血のせいで、体がフラフラだ。視界もぼんやりしている。だが、まだ大丈夫だ。正常な思考は保っている。
 問題は、このナイフで彼女を刺せるかどうかだ。そこまでの力を感じられない。

 そう思った瞬間、
「屑木くん、私にナイフを貸して!」
 僕の手からナイフの柄がするっと抜けた。ナイフを握りしめているのは君島さんだった。
 君島さんは、「こんな女、私、大嫌いなのっ!」と叫び、
「屑木くんをイジメる人間は、私が許さない!」と言って、小山蘭子に向かった。
「君島さん、やめるんだ!」
 小山蘭子に向かう君島さんを僕は追った。
 だが、もう遅かった。
「ああっ!」君島さんの声が聞こえたのと同時に、全身に衝撃を覚えた。
 一瞬、何が起こったのか分からなかった。
「屑木くん!」神城と佐々木が叫んだ。
 僕と君島さんは、滑り台近くまで吹き飛ばされていた。
 ぼんやりした視界に小山蘭子があざ笑っているのが確認できた。
 見ると、倒れ込んだ僕の足元に、同じように君島さんが仰向けになっていた。
 おそらく、小山蘭子のパワーで吹き飛ばされた君島さんの体が僕にぶち当たったのだろう。ある種の吸血鬼は人によっては強烈な力を持っている。あの体育の大崎や、自転車の少女がそうだった。人を吹き飛ばす力だ。

 それは理解できたが、もうダメだった。吉田女医を救うどころか、僕の体がダメだ。出血の上に、吹き飛ばされた衝撃で立ち上がることさえままならない。
 更に驚いたのは、神城と佐々木も倒れ込んでいた。意識はあるようだが、動けないようだった。

 ごめんなさい、先生。こめん、みんな・・
 血があれば・・何とかできたものを・・
 意識が薄れていく。
 僕は景子さんを救わなければならないのに・・

 そう思った時、僕の胸元に熱い息が感じられた。
 君島さんだ。
 僕の体に覆い被さるようにして、ズルズルと乗っかってきた。君島さんの髪が頬に降りかかる。
「君島さん?」
 彼女が何をしようとしているのか分からない。
 君島さんの顔が僕の顔と向き合う位置まで来ると、こう言った。

「屑木くん、私の血を吸って・・」
 そうすれば、屑木くんの体は回復する。そして、このナイフを使って小山蘭子を刺すことができる。君島さんはそう言った。
「けれど・・」
 僕はこう返した。
いつも君島さんと血を吸い合っているような量ではない。僕の失血の量は、君島さんが想像しているよりも多い。
 けれど、君島さんは言った。
「いいの・・私はかまわないの」君島さんは強く言った。
「かまわないことはないよ。そんなことをしたら、君島さんが死んでしまうかもしれない」
 けれど、君島さんは首を強く横に振った。そして、
「さっきの衝撃で、体がもうダメみたい」と言って、 
「好きな人の為に死ぬのなら、私、全然かまわないわ」と僅かに微笑んだ。
 その様子を見ると、小山蘭子に吹き飛ばされた衝撃で体にかなりのダメージを受けていることが分かる。その上で僕が血を吸ったりしたら、本当に死んでしまうかもしれない。

「そんなことをしちゃ、ダメですよ!」
 倒れていた佐々木が起き上りながら叫んだ。
 神城もよろよろと立ち、「君島さん、死んでしまっては何にもならないわ」と言った。
 吉田女医は、意識がもうろうとしているのか、淀んだ目で僕たちを見ているだけだった。

 ちくしょうっ! 何もできない自分が不甲斐なく思えた。
 だが、次の瞬間、
 柔らかいものが僕の唇に触れた。
 それは、君島さんの唇だった。君島さんは僕の唇をなぞるようにして這わせた後、自分の喉元を僕の口にあてがった。
 君島さんの肌の匂いと、血の匂いが身近に感じられた。同時に強烈な吸血願望が襲った。
いつもとは比較できないほどの血の欲望だった。彼女の体を流れる全ての血を吸ってしまいたい。それほどの欲望に駆られた。
 気づいた時には、僕は君島さんの喉に噛み付いていた。
 ドクンドクンと芳しい血が僕の体に流れ込んでくる。すると、同時に君島さんが体の力をなくしたのか、ドッと僕に寄りかかった。

 遠くで声がした。
「屑木くん!」佐々木が叫んでいる。
「それ以上、君島さんの血を吸ったら、君島さんは死んでしまいます!」
 ごめん、佐々木。もう止めようがないんだ・・僕は心の中で佐々木に謝った。
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