土人形のコリンズ男爵は愛しの大魔導師様を幸せにしたいのだけれど。

梅村香子

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番外編

エリオットからの贈り物

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本編の補足的な話です。
 

「アーニー……」

長らく時を止めて凍りついていた場所のすぐ近く。
玄関扉の前で、エリオットは動けなくなっていた。
もちろん、時が止まったわけでも、凍りついたわけでもない。
弟のアーノルドに強く抱きしめられて、身動きがとれないのだ。

「みんなが待ってるから、そろそろ行かないと」
「……ダリルに頼めばよくない?」
「だめだよ。僕が直接お礼と謝罪をしたくて、スティーブの家に来てもらってるからね」
「……人と会うのは好きじゃない」
「なら、お留守番してる?」
「嫌だ。兄さんと離れたくない」

幼い子供のようにぐずっている弟の背中を撫でながら、エリオットは小さく苦笑した。
これから、バンフィールド家で人と会うことになっている。
土人形の件で、多大な迷惑をかけてしまった、レイ・バンフィールドとヘンリー・メリアム。
彼らとは、早く会わなければと思いつつ、なかなか面会が実現できずにいた。
アップルビー魔法学園の最終学年に在籍している二人にとって、今年は卒業に向けた大事な年だ。
それなのに、重要であろう自由研究をぶち壊した上に、大罪に加担させてしまった。
幸い、土人形のことはおおやけにならなかったものの、スティーヴンにこってりしぼられたようだった。

――僕が無理を言ったばかりに……本当に悪いことをしたな……。

謝ってすむ問題ではないが、やっと今日、二人と話す機会を作ることができたのだ。

「家で待ってるのが嫌なら、もう出るよ」
「…………」
「ぎゅってするのは帰ってきてから。ね?」

広い背中をぽんぽんと優しくたたくと、アーノルドは渋々といった様子で腕の力をゆるめた。

「用がすんだら、すぐに帰りたい」
「長居するつもりはないよ」
「兄さんが焼いたスコーンが食べたい」
「うん。帰ってきたら、お茶の時間にしようね」

エリオットは軽く背伸びをして、弟の頬にちゅっと口づける。
すると、美しい漆黒の目が嬉しそうに細められた。

「じゃあ、早く終わらせよう」

アーノルドは、何かと極端だ。
今の今まで、行きたくないとぐずっていたのに。
一瞬でころっと態度を変えると、エリオットの手を引いて玄関扉を開けた。

「あっ、アーニーっ! 手を繋ぐのは、二人きりの時だけって約束だよっ」
「誰も見てないから、二人きりと同じだよ」
「いつ人が通るか分からないでしょっ。アーニーっ、待って!」
「大丈夫」

制止をさらっと受け流して、アーノルドは手を繋いだまま、前庭をずんずんと進んでいく。
こうなると、何を言っても、バンフィールド家に着くまで手を離さないだろう。
日ごと甘えん坊になっていく年上の弟。
スティーヴンからは、しっかりと厳しくしつけてくれ、なんて言われているけれど……。

「兄さん。スコーンはりんごジャムで食べたい」

エリオットの手を強く握って、無邪気に微笑むアーノルド。
その笑みは、とても幸せそうで――

――スティーブ、ごめんね……。厳しくなんて、僕にはできないよ……。

親友に心の中で謝ると、エリオットは弟に柔らかい表情を向けた。

「いいよ。いっぱい作ってあるからね」



バンフィールド家は、コリンズ家の斜向はすむかいにある。
幼いころから見慣れた玄関扉が開かれると、当主のスティーヴンが迎えてくれた。
その後ろには、馴染みの家令とメイドたち。
十五年前から変わらない顔ぶれで出迎えてくれたようだ。
エリオットにとって、バンフィールド家は第二の我が家であり、使用人にも物心つく前から世話になっている。
少し前に顔を合わせた時には、ここにいる皆が再会を心から喜んでくれた。

「今日は、お礼の場をもうけてくれてありがとね」
「レイたちもエリーに会いたがってたから、丁度よかったよ」
「もっと早く会えばよかったんだけど、贈り物を決めるのに時間がかかっちゃって」

そう言って、エリオットは右手にある手提げ袋を軽く持ち上げた。

「ブラグデンの?」
「うん。スティーブが相談に乗ってくれて助かったよ」
「レイから聞いていた学園の話が役に立ったな」

スティーヴンの従兄弟であるレイは、バンフィールド家で暮らしている。
通学に便利なので、アップルビー魔法学園への入学時から、ここで生活しているようだった。

「メリアムくんも、もう来てるよね?」
「そろって応接室にいるよ。行こうか」

使用人たちと軽く言葉を交わしてから応接室へ向かうと、スティーヴンがちらりと弟を見た。

「アーノルドは留守番じゃなかったんだな」
「来たら悪いのか?」
「いや、そうじゃないが、お前はこういう集まりは好まないだろう?」
「……兄さんと一緒なら我慢できる」

猛烈な人嫌いを抑え込んでまで、兄と離れたがらない弟に、スティーヴンは苦笑した。

「べったりなのも、ほどほどにしておかないと、エリーが窮屈きゅうくつな思いをするぞ」
「余計なお世話だ」

アーノルドは、ふんと鼻を鳴らす。

「大丈夫だよ。アーニーとの暮らしは楽しいから」
「エリーがいいなら、心配ないが――」
「お前の口出しはいらない」
「アーニーっ。そんな言い方しないのっ」

相変わらず、アーノルドはスティーヴンに対して当たりが強い。
兄と仲がいいのが気に食わないのだろうが、注意しても、なかなかトゲトゲが取れないのは困ったものだ。

――僕との生活が長くなれば、スティーブへの対抗心も少なくなっていくかなぁ……。

弟と親友の関係を悩ましく思っているうちに、応接室へ到着した。
スティーヴンが扉をたたくと、中から元気な返事が聞こえてくる。

「待たせてごめんね」

エリオットは入室しながら、中にいる二人に声をかけた。

「いえっ! 気にされないでくださいっ」

そう言って、勢いよくソファから立ち上がったのは、久しぶりに顔を合わせたレイとヘンリー。
不自然に空気がピンと張り詰めて、少し戸惑ってしまったが、二人の視線がアーノルドに向かっていて納得した。
エリオットにとっては甘えん坊のかわいい弟だが、アーノルド・コリンズといえば、帝国唯一の大魔導師。
高位の貴族だって頭を下げねばならない身分を持つ、最強の魔法使いだ。
そんな伝説級の人間を前にして緊張している二人を後目しりめに、アーノルドはさくっとソファに座った。

「兄さん。早く本題に入ろう」
「急かしたらだめだよ。まだ挨拶もすませてないんだから」
「俺がいると、誰もが過剰に気を遣ってくるから、本題だけでいい」

大魔導師という高すぎる立場のために、嫌でも特別視されてしまうアーノルド。
確かに、レイたちは気の毒なぐらい恐縮している。
自分の意思に反して、常に周りがかしこまることも、アーノルドが人から距離を置いている理由の一つだろう。

「今日は、僕が頼んで集まってもらったし、身分は気にせずに話そうね」

エリオットはそう言い添えつつ、アーノルドの隣に腰を下ろす。
テーブルをはさんで正面のソファには、スティーヴン、レイ、ヘンリーが並んで座った。

「すごく迷惑をかけたのに、会うのがこんなに遅くなってしまって」
「とんでもないですっ。共鳴が解けたのを見て、僕たちも喜んでいました。新しい生活で忙しくしていらっしゃる中で、こうしてお会いする機会を作ってくださって、とても嬉しいです。ありがとうございます」

レイの思いやりに満ちた言葉に、エリオットはそっと首を横にふった。

「僕はお礼を言われる立場にないよ……。謝ってすむようなことじゃないけど、土人形の件は本当にごめんなさい」

頭を下げると、二人は目を丸くした。

「男爵っ。どうか頭を上げてください」

ヘンリーが慌てた様子で口を開いた。

「男爵が土人形であることを内密にとお願いして、話を大事にしたのは俺なので、怒られても当然です」
「それは、僕が弟に会いたいって無茶を言ったからだよ。大切な自由研究も邪魔をしてしまって……。今更だけど、二人の研究は上手くいった?」
「はい。新しく課題を決めて、無事に提出できましたよ。それで、優秀賞をいただきました」
「すごいね……! 課題内容を聞いてもいい?」
「はい。『土壌の違いにおける土人形の強度や攻撃力の違い』を調べてまとめました」
「とても難しそうな題目だね……」
「色んな場所の土で人形を作っただけですよ。それに、大きな違いはありませんでした。当然ですが、土の違いよりも、術者の魔力と呪文の組み立ての方が重要ですね」
「優秀賞をもらうぐらい素晴らしい研究だったんだから立派だよ。スティーブから、二人は将来有望って聞いてるけど、その通りだね」

かけあたいなしに褒めると、学生たちは嬉しそうに笑った。

「僕たちは研究の道に進もうと思っています」
「じゃあ、卒業後は高等学院に?」
「はい」

魔法学園を卒業後、より高度な魔法学を身につけたい者は、高等学院へと進学するのがつねだ。

「将来は魔導師になって、大魔導師様のように、人々の役に立つ魔法術を確立するのが、俺たちの夢なんです」
「皇帝陛下のご意向で、来年から魔導師の人数を増やしていくから、二人が試験を受けるころには、少しは合格率が上がっていると思うよ」

スティーヴンの話を聞いて、エリオットは魔導師についての少ない知識を頭の奥から引っ張り出した。
現在、魔導師の人数は約二百人。
就任は試験制で、非常に狭き門として有名だ。

「枠が増えたとしても、難しいことには変わりないと思いますが、俺たちは魔導師を目指して頑張ります」
「うん。応援してるよ」

この二人なら、きっと立派な魔導師になれるだろう。
アーノルドが学生たちの目標になっていることも、とても誇らしかった。

「騒動に巻き込んでおいて、こんなことを言ってはいけないと思うけど……。僕は、二人の力で目覚められて、すごく感謝しているんだ。オリバー・イートンとして、魔力共鳴の研究を、わずかながら手伝うこともできたしね」
「巻き込まれたなんて思っていませんよ。男爵のお役に立てたなら嬉しいです。僕たちは、余計なことをしてしまったかと思っていたので……」
「え? どういうこと?」
「……土人形を生成してから数か月で、大魔導師様は魔力共鳴を完全解明なさって、ご兄弟での再会が叶っていらっしゃいました。それならば、僕たちが男爵の意識を土人形に込めてしまったのは、余計なことではなかったのかと――」
「いや。それは違う」

レイの話に反応して、ずっと黙っていたアーノルドが口を開いた。

「研究は決して順調じゃなかった。特にここ数年は、解消できない矛盾点に悩まされて、完全に行き詰まっていた。これさえ乗り越えれば、あとは呪文を組むだけ。だが、どれだけ試行錯誤しても、失敗に終わっていた。そんな時にオリバーが来た。どこか兄に似ている助手と生活していると、不思議と新たな理論を思いついて、矛盾点が消えていった……。それでも、完全に解明して呪文が完成したのは、盗賊を捕らえる直前だ」
「そうだったんですね……」

何年も研究が上手くいっていなかったという事実に、レイたちは意外そうな顔をしていた。
エリオットも少し前にこの話を聞いた時には、同じような表情になった。

「オリバーが来なければ、今も共鳴は解けてなかったと思う。お前たちの裏工作なく土人形の兄と会っていたら、喜びで気が緩んで、研究に身が入らなかっただろうしな。だから、その点では感謝している」

と言いつつも、アーノルドは二人に厳しい視線を送った。

「とはいえ、俺にまで話せないように口封じの魔法をかけるのは、本気でどうかしているからな」
「す、すみませんっ」
「そうだな。今回は、偶然いい方に事が進んだが――」

大魔導師と管理官によるお叱りの気配がしたので、エリオットは慌てて手提げ袋から中身を取り出した。
オリバーがエリオットだと判明したと同時に、盗賊と一緒に消えてしまった時。
アーノルドとスティーヴンは学園に乗り込んで、レイたちに詰め寄ったと聞いている。
その時に、二人はどれだけ怒られたのか……想像するだけで胸がヒリヒリしてしまう。

――僕のために色々としてくれたっていうのに、これ以上怒られるのは見てられないよ……!

「口封じの魔法は、僕が無理にお願いしたせいだから。結果的には共鳴も解けて、僕たち兄弟は大喜びだよっ」

場の空気を変えようと、エリオットは声を大きくした。

「それでね、今日は二人にお礼を品を渡そうと思って、これを持ってきたんだ」

エリオットは両手に乗るぐらいの長方形の箱を、二人にそれぞれ差し出した。

「えっ……お礼の品だなんて、そんな……っ」
「どうか、遠慮せずにもらってほしい。二人のおかげで、今の生活があるんだよ」

戸惑うレイとヘンリーに、エリオットは柔らかな笑顔を向ける。

「本当に、いいんですか……?」

何度も頷くと、二人は頬をゆるませて顔を見合わせた。

「コリンズ男爵から直々に贈り物をいだだけて、本当に嬉しいです」
「ありがとうございますっ」
「こちらこそ、色々とありがとう。よかったら、箱の中を見て欲しいな」
「はいっ」

二人は楽しそうに包装をいて箱を開ける。
そこには、細やかな模様が美しい万年筆が入っていた。
レイには深紅を、ヘンリーには紺青を。
どちらも箱の中で上品に輝いている。

「男爵っ。これ……ブラグデンの今年の限定品ですよねっ!?」
「うん」
「入手困難なのにっ」

二人は目を丸くして歓喜の声をあげた。
ブラグデンは老舗の文具店だ。
毎年、数量限定の万年筆を販売していて、それが学園内で流行っているようだった。

「今年のは特に人気で、俺たちのクラスは、誰も買えなかったんですよ」
「そうみたいだね。すぐに売り切れたようだから、手に入ってよかったよ」

本来なら、エリオットも人気の限定品を用意するなんて不可能だった。
一か月前に、スティーヴンから万年筆のことを聞いた時、入手は無理と知りながらも、ブラグデンに問い合わせをした。
すると、完売したはずのものが、すぐに我が家へ届いたのだ。
ブラグデン社長からの、長い長い感謝の手紙と共に……。
どう見ても、特別扱いだった。
アーノルドのおかげで、我が家はすっかり名門貴族の一員だ。
コリンズ家の思し召しとあらば、どんな無理難題も叶ってしまいそうで、エリオットは少し怖くなった。
もちろん、そんな大きな権力をふりかざす気は毛頭ないのだけれど。

「明日、クラスメイトに自慢しますっ」
「俺たち、ブラグデンの万年筆が初めてなんです。大切にしますね!」

万年筆を手にとって、満面の笑みを浮かべる学生たちを見て、エリオットは安堵に胸をなでおろした。

「喜んでもらえて安心したよ」
「こんなに素晴らしい品をいただいて、何だか申し訳ないです」
「僕たちがお礼をしたくて勝手に渡したようなものだから、気兼きがねせずに使ってね。僕もブラグデンの筆記用具を買ってみようかな。スティーブは使ったことある?」
「インクはずっとブラグデンのかな。祖父の代から使ってるよ」
「良質と評判で、発色がいいですよね。メリアム家も同じインクです」
「そうなんだ。人気だね~」

なんて、楽しく雑談をしていると、隣からくいっと袖を引かれた。

「兄さん、用事は終わった?」

もの言いたげに、じっとこちらを見つめてくるアーノルド。
……どうやら、もう帰りたいようだ。

「みんなともう少し話してからね?」

やんわり帰宅を拒否すると、わずかに眉根を寄せて、静かに不満を訴えてくる。
やはり、留守番をしていた方がよかったと思うのだが。

――アーニーは家の中でさえ、僕と離れるのを嫌がるからなぁ……。

これも、二人での生活が長くなれば、少しは落ち着くだろうか。
じっとりと見つめてくる弟の視線を受け止めながら、エリオットはコリンズ家の甘えん坊について、色々と思いを巡らせるのだった。





「二人がアーニーを目標にしてるのが嬉しかったね。彼らが魔導師になる日が待ち遠しいなぁ」

アーノルドの無言の催促を受けつつも、皆との談笑はおおいに盛り上がった。
次は一緒に食事でもしようと約束して、バンフィールド家を後にすると、思ったより日が傾いていたほどだ。
つい長居してしまったが、午後のお茶の時間を楽しむには、ちょうどいい頃合いだった。
兄弟で並んで歩く、コリンズ家までの短い帰り道。
ダリルの力により、見違えるほどピカピカになった我が家は、もう目の前だ。

「そういえば、魔導師の人数を増やすんだね。初めて知ったよ」
「二百人っていうのが、古い法律で決められた人数だからね。今の帝国の規模には合ってないんだよ」
「確かに、広い帝国内に二百人は少ないね」
「大魔導師も千人ぐらい増やせばいいのに」

無茶な要望に、エリオットは思わず笑ってしまった。

「それは難しいんじゃないかな。アーニーほど賢くて強い魔法使いは二人といないよ。アーニーの築いた功績は、誰にも真似できない素晴らしいものだからね」
「俺は、兄さんと会いたかっただけだよ。功績とか考えたこともない」

帰宅して玄関ホールに入ると、アーノルドにぎゅっと抱きしめられた。

「外出すると、好きな時に兄さんに触れないから嫌だ」
「我慢してたの?」
「うん」

ぐりぐりと首もとに頬を擦りつけてくる弟は、とてつもなく可愛くて。
エリオットは、口もとをゆるませながら、広い胸を抱き返した。

「兄さん……俺も兄さんからの贈り物がほしい……」
「何か欲しいものがあるの?」
「兄さんからもらえるなら、何でもいい」

どうやら、エリオットから万年筆をもらったレイたちが、うらやましかったようだ。

―――アーニーに贈り物かぁ……あっ! そうだ!!

エリオットは、一つの箱を思い出した。

「いいよ。アーニーにも贈り物をあげる。準備するから、部屋で待っててくれる? ダリルに頼んで、スコーンとお茶も用意してもらうね」
「本当に!? 何をくれるの?」
「それはまだ内緒っ」
「早く知りたいよ」

エリオットは、そわそわしている弟の背中を押して自室に向かわせる。
そして、ダリルにスコーンの準備を頼むと、書斎の扉を開けた。
質素な部屋の真ん中にある、古い机の一番下の引き出し。
書類の陰から、小さな箱を取り出した。
包装はされているものの、先ほどの万年筆のそれと比べたら簡素だ。
見劣りしてしまうが、こればかりは仕方がない。
喜んでくれるといいが、この中身は、自分の不甲斐なさを思い知らされる物でもある。

――とっさに思いついて、贈り物があると言ってしまったけど、よくなかったかな……。

少し後悔しながらも、エリオットは弟の部屋へ向かった。
指で軽くたたいて扉を開けると、兄の手にある箱を見て、ソファに座っているアーノルドが目を輝かせた。

「兄さん……それを俺に?」
「うん」

隣に腰を下ろすと、アーノルドが体をぴたりとくっつけてくる。

「俺のために用意してくれたの?」
「そうだよ。十五年前のものだから、今更あげるのは、おかしいかもしれないけど……」
「全然おかしくないよ」

期待感たっぷりに微笑む弟に、兄は少しためらいながら小さな箱を渡した。

「嬉しい……。兄さんからの贈り物……開けていい?」
「いいよ」

大きな手が、簡易的な包装を丁寧にいていく。

「箱を開けるの緊張してきた」
「あまり期待しないでね」
「するよっ。期待しかない」

ゆっくり箱を開けると、アーノルドは子供のように喜びの声をあげた。

「懐中時計だ……!」

植物をモチーフにした幾何学模様きかがくもようが上蓋に刻まれた、真鍮しんちゅうの懐中時計。
美しい品だが、アーノルドが持つと、手のひらに比べて非常に小さかった。
見るからに子供用だ。

「実は……この時計は、アーニーの十歳の誕生日に贈る予定だったんだ」

アーノルドが上蓋を開けると、余計な装飾のない文字盤が現れた。
手巻き式なので、今は動いていない。

「僕が子供のころに買ってもらったものでね。誕生日に自分のお古をあげるなんて、本当に情けない話だけど」

十五年前は、今のコリンズ家からすると、信じられないぐらいお金がなかった。

「それに、二十四歳のアーニーに贈るようなものじゃないよね」
「新品で高価な懐中時計より、俺はこれがほしいよ。兄さんの思い出が詰まってる、この時計がいい」

自虐的になっているエリオットに、アーノルドはまっすぐ言葉をぶつけた。

「十五年前、魔力至上主義の社交界で、兄さんが辛い思いをしながら頑張ってたのを知ってるよ。兄さんはコリンズ家や俺のために尽力してくれてた。情けなくなんかないよ」
「アーニー……」

魔力の強弱以前に、エリオットの当主としての手腕は、決して褒められたものではない。
十五年前の貧しい日々を責められても当然なぐらいなのに……。

「ありがとう。僕はアーニーの優しさに支えられてるね」
「それは俺の方だよ。俺はずっと兄さんの優しさの中で生きてる」

アーノルドは愛おしげな表情でエリオットを見つめながら、小さな懐中時計をそっと片手で包み込んだ。

「この時計……父さんに買ってもらったものだよね? 大事な時計なのに、俺がもらっていいの?」
「大事なものだから、何よりも大切なアーニーに贈ろうと思ったんだよ」
「……兄さん……っ」

強く強く抱きしめられて、アーノルドの喜びが全身から伝わってくる。

「一生の宝物にする」
「うん……」

アーノルドの喜びに幸せを感じて、エリオットはたくましい体をしっかりと抱き返した。

「さっそく、今日から使うよ」
「包装する前に手入れしたから、ちゃんと動くと思うけど……大丈夫かな」
「リューズを巻いてみるね」

そう言って、アーノルドは懐中時計の側面にあるつまみを回した。

「あ……動いたね! 壊れてなくてよかった」

二人が見守る中、時計の針がわずかに進んだ。

「十五年ぶりに時を刻みはじめて……俺たちみたいだ」
「本当だね……」
「ありがとう、兄さん。最高の贈り物だよ」

アーノルドは喜びをゆっくりと噛みしめるように微笑んだ。
十五年前から変わらない、エリオットの好きな笑顔だ。

「俺……時計が嫌いだったんだ。兄さんと会えないまま過ぎていく時間を、嫌でも認識させられるのが苦しかった。でも、今は違う。兄さんと一緒に刻まれる時間を見ていると、幸せな気持ちになる……」
「僕もアーニーと時を積み重ねられることに、すごく幸せを感じるよ。これからも、二人で時間を大切にして生きていこうね」
「うん」

幸福感にひたりながら見つめ合っていると、精悍な美貌が静かに近づいてきた。

「兄さん……」
「ぁ……アーニー……」

甘い口づけの期待に、エリオットの瞼が震える。
ゆっくりと目を閉じようとしたら、テーブルの上にスコーンや紅茶がぽんっと現れた。
ダリルが用意してくれたものだ。

「……スコーンが来たね」

エリオットがテーブルの方に顔を向けようとすると、おとがいを優しくつかまれた。

「スコーンよりキスが先だよ」

返事をする間もなく、二人の唇が重なった。

「……んっ……アーニー……っ」

温かいアーノルドの唇に何度も優しくついばまれると、それだけで何も考えられなくなる。

熱い吐息が混ざり合い、濡れた舌が絡み合って――

とろける口づけに夢中になっているコリンズ兄弟の側で、スコーンと紅茶がゆっくりと冷めていくのだった。

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