悪夢の淵までさよなら

野木千里

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夢叶うまで

小さな私の宝箱

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 若草が深い色になって、庭には白いニワトコの花が咲いている。
 青い空の向こう側に浮かんだ白い雲が目に眩しい。
 小川のせせらぎ、麦の揺れる音。何もかもが美しい。

 母を喪ったのも、こんな季節だった。寡婦だった母と結婚してくれた義父を秋の頃に亡くし、母も追うように亡くなった。
 残されたのは私と、2人の妹だった。後ろ盾を失った私は顔も見たことのない婚約者も同時に失い、領主の立場を押し付けられた。

 毎晩の祈りの時間、いつも神に恨みつらみを吐き出していた。

 なぜ、私だけ。どうして、私だけ。私はこの冷たい石の城の中で、1人朽ちていくことしかできないのか、と。
 エラが領主になるまでの間、私は何度間違え、人々に嘲笑され、恨まれなければならないのか、と。

 月の眩しい夜だった。
 気づけば家事を終えたエラが執務室で祈る私の後ろに立っていた。

「分かるわ、お姉様」

 そのたった一言が私を今でも奮い立たせている。

 月光に照らされたエラはどんな表情をしていただろうか。ただ、私の澱のように溜まった感情を許してもらったのは、あれが初めてのことだった。

 
 ◇

「お姉様、こんなことやめましょう」

 震える声でエラが言った。
 窓の外、領地の隅の方に煌めく金の馬車が見える。エラの手にはその馬車にそっくりな白と金で飾られた手紙が握りしめられていた。

「王宮に上がりたいの?」
「もちろん。そのために舞踏会へ行ったの」

 自信なさげに瞳を揺らしたままエラが返事をする。

「王宮では何もしてはいけない」

 私の言葉にエラはじとりとこちらを睨みつけた。
 小間使いを失いたくないだけだろう、と言いたげな目だ。そう思われたって構わない。

「声を上げて笑うことも、イチゴを摘みに散歩に出かけることも、民と触れ合うことも。つま先一つ、髪の先一本もはみ出してはいけない。あなたにそれができる?」
「できるわ。王子殿下と結婚したいの」

 13の娘が何を言っているのだろう。できるわけがない。

 あの舞踏会で無意識に王子を挑発したことが何よりの証左ではないか。

 この子は愛がなんたるか知っている。領民から愛され、領民を愛し、大衆を扇動する能力がある。それは、領主や国王に求められる資質であり、妃に求められるものではない。まだ教育途上である王子の存在を霞ませるエラは、きっと部屋から出ることさえ許されないだろう。

「……それで、靴は熱くなったの?」

 靴を履いたつま先でエラのふくらはぎに触れると、短い悲鳴が上がった。
 あの晩エラが履いていたものだ。今にも燃え上がりそうなほど熱い。こんな代物をよこした乳母を恨む。あの場で話の種になるようなものをこの子に持たせるなんて。

 エラはじっと俯いたまま、部屋の中で立ちすくんでいる。

「後で誰かに開けさせるわ」

 部屋から出て鍵を閉めても、エラは何も言わなかった。
 氷が落ちるように冷たい音が廊下に響く。私の歩く音だ。それとは相反するように靴は燃えるように熱かった。

 これで良い。
 私は自分を慰めるように胸に手を置いて深呼吸をする。

 暖炉の隅にエラが可愛がっている猫を見つけた。いつも、気がついたらあの屋根裏部屋で眠っている怠惰で可愛い猫。私はそっと猫の首に紐に通した鍵をかけた。

「ほら、しっしっ」

 猫は暖炉から自分を押し除ける私をひと睨みすると、不服そうに別の寝床を探しに行った。腹が減ったらあの子を探すだろう。

 これで良い。

 エラも猫も、自分で生きていく場所を探さなければ生きていけないのだから。
 この石の牢獄で首輪をかけられないと生きていけない私と違って。

 燃え尽きかけた暖炉の音が、私に静かな拍手を送っているようだった。
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