16 / 18
この先、口を開くべからず
空虚の城の主人
しおりを挟む
人間は醜い。
記憶に残った微かな恐怖が、夢の中で私を襲う。
首に呪いの紋を刻まれ、この美しい城でのたうち回る私を主人はただ静観していた。捧げられた供物がどこにでもいるような垢抜けない子供だったことは申し訳なかったが、ただ、主人はその中で最も美しいものを奪っていった。
もうやめて、と主人に縋ろうと声を上げた時、主人に逆らった罰として私の喉は紋に締め付けられた。
幼かった私は、村人たちのすがるような目を思い出して泣きじゃくった。
自分が病を呼んだのではない。ただ、父と母を病で失い、孤児だっただけ。その自分が流行病を止める生贄に選ばれたのは、罪を犯したからではなく、守る人間がいなかったからだ。
美しくもなく、賢くもない、ただの痩せた子供。
主人が対価として受け取れたのは自由民の身分くらいのものだった。
◇
夜闇の中で目を覚まし、汗に濡れた額を拭った。震える手を押さえつけるために、私は自分を慰めようと記憶の隅に引っかかった子守唄を歌う。この歌を歌ってくれた母の記憶も朧げだ。
月光に駒鳥の手紙が照らされている。柔らかく穏やかな文字は、彼女が学校へ通っていたことの証左である。
『あなたの歌声は綺麗です』
本当にそうであるならば、主人はこの声を奪っただろう。
ただ、駒鳥はこの静寂に満ちた屋敷の中で人の気配を求めているだけだ。
それでも、ただ城を美しく保つだけだった人生に一粒の星のような灯りを灯したことは間違いない。
彼女は気づいているだろうか。若く美しい自分が、ただの城の番人に恋焦がれている矛盾に。もの言わぬ使用人を、美しい少女が必要とする『恋心』の相手として落とし込んでいるということに。
だから明日の朝、主人に審判を問おう。
私の醜い姿を見れば、これが恋でさえないことに気がつくことだろう。
薄暗い部屋に置かれた一枚の鏡に私が起き上がった姿がうっすらと映し出されている。
青白い顔。痩せた体。人間を恨む陰惨な目つき。美しさから遠くかけ離れた姿に、身震いをした。
あの美しい駒鳥が、この醜い奴隷に恋を?
「……馬鹿馬鹿しい」
到底あり得ない話だ。
心根が優しいほどに、私の姿に恐怖するはずだ。
だがもしも、私のこの醜さを、彼女が受け入れてくれたらどれほど嬉しいことだろう。愛するわけでもなく、ただ、私の醜さに目をつぶってさえくれれば。そして、愛する者を求めてここを出ていってくれたら。
それだけで、命尽きるまでこの空虚の城に囚われる価値がある。
星々が遠く、朝焼けに変わっていく色が見える。
私は窓から月を見上げた。
「……朝焼けではない」
城の端、森と城の柵の間から、獣の雄叫びが聞こえてくる。手に松明を持ち、唸り声をあげ、だんだんとこの城に近づいてくる。一本の道を辿る松明が道を照らし出し、それが行列であることを知った。
彼らは柵の周りに次々と集まり、やがて一つの入り口から一気に雪崩れ込んでくる。
「……駒鳥を守らねば」
ここに迷い込んだ犬はこの際良いだろう。彼らの目的が何にせよ、ただの犬を害することはないはずだ。
しかし駒鳥は、若く美しい女だ。奴らの目的が略奪なのであれば、真っ先に『褒美』として扱われることだろう。
部屋から飛び出して階段を駆け下り、駒鳥の元へと急ぐ。彼女の部屋は襲撃場所からとても近いのだ。主人への贄が奪われればどんな災厄が起きることか。
霧を重ねたような繊細な布を捲り上げ、駒鳥の寝床を露わにする。
「起きてくれ、襲げき……」
しかし、そこで眠っていたはずの駒鳥も子犬もいなかった。
ベッドの脇に用意した部屋履きがない。
まずいことになった。ヒヤリと冷たい汗がこめかみを伝う。何としてもあの子を守らなければ。
部屋から駆け出し、屋敷中を走り回る。図書館、食卓、大広間、庭。襲撃場所からちょうど正反対の場所にある柵の戸の前まで駆け抜けた時、草を掻き分ける男の声が聞こえた。
「本当にローザがここにいると思うか?」
「しらねぇ。興味ねぇ」
「ま、土がいいから何でも育つよな、ここなら。さっさと魔女とやらをぶっ殺そうぜ」
ローザとはあの子の名だろうか。返してやりたいが、主人を狙っているのなら話は別だ。
「せめて、主人だけでも……」
男たちが遠ざかった後、暗い方へ駆け出す。この城には無数に張り巡らされた使用人用の出入り口がいくつもあり、中で入り組んでいる。私が主人と逃げ出す方が、奴らが主人の元へ辿り着くよりも早いだろう。
塔を駆け上りながら窓の外を眺めると、至る所で松明が光っているのが目に留まった。駒鳥はこの景色を見ているだろうか。彼女ならこの景色を、星空を城に流し込んだようだと形容するかもしれない。
正面玄関が乱暴に打ち破られる音が聞こえた。額の汗が目に入って痛い。乱暴に拭って私は主人の前に転がり出た。
ガラスでできた美しい薔薇の花。月光を浴びてほのかに光り輝いている。
美しく朽ちない空虚の城。それを作り上げているのがこのたった一輪の花だと知っても尚、彼らはこの城を欲しがるのだろうか。
記憶に残った微かな恐怖が、夢の中で私を襲う。
首に呪いの紋を刻まれ、この美しい城でのたうち回る私を主人はただ静観していた。捧げられた供物がどこにでもいるような垢抜けない子供だったことは申し訳なかったが、ただ、主人はその中で最も美しいものを奪っていった。
もうやめて、と主人に縋ろうと声を上げた時、主人に逆らった罰として私の喉は紋に締め付けられた。
幼かった私は、村人たちのすがるような目を思い出して泣きじゃくった。
自分が病を呼んだのではない。ただ、父と母を病で失い、孤児だっただけ。その自分が流行病を止める生贄に選ばれたのは、罪を犯したからではなく、守る人間がいなかったからだ。
美しくもなく、賢くもない、ただの痩せた子供。
主人が対価として受け取れたのは自由民の身分くらいのものだった。
◇
夜闇の中で目を覚まし、汗に濡れた額を拭った。震える手を押さえつけるために、私は自分を慰めようと記憶の隅に引っかかった子守唄を歌う。この歌を歌ってくれた母の記憶も朧げだ。
月光に駒鳥の手紙が照らされている。柔らかく穏やかな文字は、彼女が学校へ通っていたことの証左である。
『あなたの歌声は綺麗です』
本当にそうであるならば、主人はこの声を奪っただろう。
ただ、駒鳥はこの静寂に満ちた屋敷の中で人の気配を求めているだけだ。
それでも、ただ城を美しく保つだけだった人生に一粒の星のような灯りを灯したことは間違いない。
彼女は気づいているだろうか。若く美しい自分が、ただの城の番人に恋焦がれている矛盾に。もの言わぬ使用人を、美しい少女が必要とする『恋心』の相手として落とし込んでいるということに。
だから明日の朝、主人に審判を問おう。
私の醜い姿を見れば、これが恋でさえないことに気がつくことだろう。
薄暗い部屋に置かれた一枚の鏡に私が起き上がった姿がうっすらと映し出されている。
青白い顔。痩せた体。人間を恨む陰惨な目つき。美しさから遠くかけ離れた姿に、身震いをした。
あの美しい駒鳥が、この醜い奴隷に恋を?
「……馬鹿馬鹿しい」
到底あり得ない話だ。
心根が優しいほどに、私の姿に恐怖するはずだ。
だがもしも、私のこの醜さを、彼女が受け入れてくれたらどれほど嬉しいことだろう。愛するわけでもなく、ただ、私の醜さに目をつぶってさえくれれば。そして、愛する者を求めてここを出ていってくれたら。
それだけで、命尽きるまでこの空虚の城に囚われる価値がある。
星々が遠く、朝焼けに変わっていく色が見える。
私は窓から月を見上げた。
「……朝焼けではない」
城の端、森と城の柵の間から、獣の雄叫びが聞こえてくる。手に松明を持ち、唸り声をあげ、だんだんとこの城に近づいてくる。一本の道を辿る松明が道を照らし出し、それが行列であることを知った。
彼らは柵の周りに次々と集まり、やがて一つの入り口から一気に雪崩れ込んでくる。
「……駒鳥を守らねば」
ここに迷い込んだ犬はこの際良いだろう。彼らの目的が何にせよ、ただの犬を害することはないはずだ。
しかし駒鳥は、若く美しい女だ。奴らの目的が略奪なのであれば、真っ先に『褒美』として扱われることだろう。
部屋から飛び出して階段を駆け下り、駒鳥の元へと急ぐ。彼女の部屋は襲撃場所からとても近いのだ。主人への贄が奪われればどんな災厄が起きることか。
霧を重ねたような繊細な布を捲り上げ、駒鳥の寝床を露わにする。
「起きてくれ、襲げき……」
しかし、そこで眠っていたはずの駒鳥も子犬もいなかった。
ベッドの脇に用意した部屋履きがない。
まずいことになった。ヒヤリと冷たい汗がこめかみを伝う。何としてもあの子を守らなければ。
部屋から駆け出し、屋敷中を走り回る。図書館、食卓、大広間、庭。襲撃場所からちょうど正反対の場所にある柵の戸の前まで駆け抜けた時、草を掻き分ける男の声が聞こえた。
「本当にローザがここにいると思うか?」
「しらねぇ。興味ねぇ」
「ま、土がいいから何でも育つよな、ここなら。さっさと魔女とやらをぶっ殺そうぜ」
ローザとはあの子の名だろうか。返してやりたいが、主人を狙っているのなら話は別だ。
「せめて、主人だけでも……」
男たちが遠ざかった後、暗い方へ駆け出す。この城には無数に張り巡らされた使用人用の出入り口がいくつもあり、中で入り組んでいる。私が主人と逃げ出す方が、奴らが主人の元へ辿り着くよりも早いだろう。
塔を駆け上りながら窓の外を眺めると、至る所で松明が光っているのが目に留まった。駒鳥はこの景色を見ているだろうか。彼女ならこの景色を、星空を城に流し込んだようだと形容するかもしれない。
正面玄関が乱暴に打ち破られる音が聞こえた。額の汗が目に入って痛い。乱暴に拭って私は主人の前に転がり出た。
ガラスでできた美しい薔薇の花。月光を浴びてほのかに光り輝いている。
美しく朽ちない空虚の城。それを作り上げているのがこのたった一輪の花だと知っても尚、彼らはこの城を欲しがるのだろうか。
0
あなたにおすすめの小説
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
どなたか私の旦那様、貰って下さいませんか?
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
私の旦那様は毎夜、私の部屋の前で見知らぬ女性と情事に勤しんでいる、だらしなく恥ずかしい人です。わざとしているのは分かってます。私への嫌がらせです……。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
政略結婚で、離縁出来ないけど離縁したい。
無類の女好きの従兄の侯爵令息フェルナンドと伯爵令嬢のロゼッタは、結婚をした。毎晩の様に違う女性を屋敷に連れ込む彼。政略結婚故、愛妾を作るなとは思わないが、せめて本邸に連れ込むのはやめて欲しい……気分が悪い。
彼は所謂美青年で、若くして騎士団副長であり兎に角モテる。結婚してもそれは変わらず……。
ロゼッタが夜会に出れば見知らぬ女から「今直ぐフェルナンド様と別れて‼︎」とワインをかけられ、ただ立っているだけなのに女性達からは終始凄い形相で睨まれる。
居た堪れなくなり、広間の外へ逃げれば元凶の彼が見知らぬ女とお楽しみ中……。
こんな旦那様、いりません!
誰か、私の旦那様を貰って下さい……。
嘘コクのゆくえ
キムラましゅろう
恋愛
アニーは奨学金とバイトで稼いだお金で魔法学校に通う苦学生。
生活は困窮、他の学生みたいに愛だの恋だのに現を抜かしている暇などない生活を送っていた。
そんな中、とある教授の研究室で何らかの罰としてアニー=メイスンに告白して来いと教授が学生に命じているのを偶然耳にしてしまう。
アニーとは自分のこと、そして告白するように言われていた学生は密かに思いを寄せる同級生のロンド=ハミルトンで……
次の日、さっそくその命令に従ってアニーに嘘の告白、嘘コクをしてきたロンドにアニーは……
完全ご都合主義、ノーリアリティノークオリティのお話です。
誤字脱字が罠のように点在するお話です。菩薩の如き広いお心でお読みいただけますと幸いです。
作者は元サヤハピエン主義を掲げております。
アンチ元サヤの方は回れ右をお勧めいたします。
小説家になろうさんにも時差投稿します。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
自由を愛する妖精姫と、番にすべてを捧げた竜人王子〜すれ違いと絆の先に、恋を知る〜
来栖れいな
ファンタジー
妖精女王と精霊王の間に生まれた特別な存在――セレスティア。
自由を愛し、気ままに生きる彼女のもとに現れたのは、竜人族の王子・サイファルト。
「お前は俺の番だ」
番という名の誓いにすべてを捧げた彼は、王族の地位も未来も捨てて森に現れた。
一方のセレスティアは、まだ“番”の意味すら知らない。
執着と守護。すれ違いと絆。
――これは、ひとりの妖精姫が“特別”に気づいていく物語。
甘さ控えめ、でも確かに溺愛。
異種族の距離を越えて紡がれる、成長と守護のファンタジー。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
【完結】私が愛されるのを見ていなさい
芹澤紗凪
恋愛
虐げられた少女の、最も残酷で最も華麗な復讐劇。(全6話の予定)
公爵家で、天使の仮面を被った義理の妹、ララフィーナに全てを奪われたディディアラ。
絶望の淵で、彼女は一族に伝わる「血縁者の姿と入れ替わる」という特殊能力に目覚める。
ディディアラは、憎き義妹と入れ替わることを決意。
完璧な令嬢として振る舞いながら、自分を陥れた者たちを内側から崩壊させていく。
立場と顔が入れ替わった二人の少女が織りなす、壮絶なダークファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる