忘れられた側室は、次期王の寵妃になりたくないので

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8 「毎日毎日よく飽きもせず、擽ったい言葉を吐きますね」

「淫売のくせによく王宮に居座れるわね?」

「またあなたですか…不憫と思って前回は見逃したのですが」

美しい庭園、リーシャはこの場所が好きだった。そして、外に出る唯一の場所でもある。

もう例の側室宮にもしばらく立ち入っておらず、自室に使っている皇后宮か、この庭園でのみその美しい姿を見せる。

「この魔女!陛下を洗脳しておかしくしたのよ!そのせいで陛下は未婚にも関わらず、側室も婚約者候補も一切受け付けないじゃない!」

「はぁ、平和になったという事ですね。謀反で陛下も…殿下も亡くなった時はどうなる事かと思いましたが」

リーシャは、令嬢の激昂に目もくれず赤色の液体を煽った。

「ちょっと!聞いてるの?!あんたさえ居なくなれば、フェルディナンド様は私を見てくれるはずよ!なんせ私は元婚約者なのですからね!」

その言葉に、リーシャは女をちらりと見た。
どこから入ってきたのか、侍従が装うお仕着せではなく小綺麗なドレスを纏っている。

「……あなたがフェルディナンドの…。あなたも被害者ですね。謀反で婚約者を失ったのですから」

「…は?まだ私は陛下の婚約者ですわ!婚約破棄の手紙もどうせあんたが送らせたんでしょ?!私はあんたの悪事の証拠をたーくさん持ってるんだから」

表情を変えないリーシャの横で、これまた変わらない表情のアイリスが紅茶を注ぎいれた。

美しい所作の二人は、まるで令嬢が見えないかのように庭園でのひと時を楽しむ。

「証拠ねぇ、どうせ陛下の側室なのに第一王子の殿下も誘惑して陛下のお怒りに触れたとかそんなものでしょう」

図星だったようで、令嬢はビクリと身体を揺らした。

「……そんな事が知れればいくら温厚な陛下だって目を覚ますはずだわ!」

もちろんフェルディナンドはその事も知っているし、何なら即位してからも弟とすら関係を持っている。その事がふと浮かび、リーシャは少し微笑んだ。

「帰った方がいいんじゃないですか?そろそろくるでしょう、あの人」

令嬢は、何を思ったかリーシャの紅茶を掴むと自らのドレスに浴びせた。

「きゃあ!」

令嬢の目線の先にはフェルディナンドが丁度近づいているのが見えたからだろう。
今来た者には、いたいけな令嬢にリーシャが紅茶を掛けたように見えたに違いない。

「リーシャ?」

「フェルディナンド」

「その者は?」

令嬢が、リーシャに虐められたと口にしようとした時だ。

「目障りなので紅茶をご馳走致しました」

リーシャは、自分の罪でないと慌てるでもなく、むしろ逆の事をフェルディナンドに嘯く。

優しいフェルディナンドには、熱い紅茶が浴びせられた令嬢を無視できるわけが無いと、令嬢は口角を上げた。

「リーシャ、その紅茶…隣国から輸入したものだからと僕にもあまりくれた事ないのに…」

「っ!ちょっと!陛下?!この男、私にこんな事をしたのです!熱い紅茶を掛けて… しかも色んな男と関係を持っている!陛下は騙されているのです」

リーシャの美しい瞳を覗き込むフェルディナンドが、ちらりと令嬢に目をやる。

「……今なんと?」


「陛下!この男は、前王の他にも第一王子まで誑かして……」
「リーシャ、こんな事は以前からあったのですか?何故言わないのです」

フェルディナンドに着いてきた侍従は…令嬢が何を言おうが罪に問われるのはお前だと言わんばかりに冷たい目をしている。

この王宮で、正論などなんの意味も持たない。
ここでの法律の軸は…まず第一にリーシャなのだから。

「フェルディナンド、怖い顔しないで」

「リーシャ、言ってくれれば…こんな者…すぐに死罪に致しますから」

もう即位してからはや四ヶ月。
優しい顏はそのままだが、死罪を口にする目は鋭く、王として自覚を持つ男のものになっていた。

「フェルディナンド、寒い。この者に割く侍従やあなたの時間がもったいない。部屋に戻ります」

散々淫売だと罵ったその男に、令嬢は結果として助け舟を出された。
せめて勝ち誇った目で令嬢を見たのなら、やはり悪辣だったと言い張れるのに、リーシャはただ無関心のままフェルディナンドの腕に抱かれる。

それが日常だとでも言うように、抱き上げられ首に腕を回した。その間も、フェルディナンドの悦を含んだ翠色はリーシャを見つめている。

「あっ、待って……陛下、私は…あなたの」

「誰?リーシャの情けに免じて放免にしますから、もう来ないでください。次に王宮に来たらリーシャがなんと言おうが死罪にする」

膝から崩れ落ちた令嬢は、口をパクパクと動かし、涙を流す。

それにフェルディナンドは見向きもせず、踵を返し庭園を去っていった。

令嬢が見えなくなると、リーシャは腕の中から降りたがるが、フェルディナンドはそれに気づかない振りをする。

公務の隙間にようやく会えたリーシャを少しでも抱いていたいのだとでも言いたげだ。

「あの者、あなたの婚約者だそうです」

「………ああ、侯爵家の。写真を見た事はあるのですが、会った事はなくて分かりませんでした。以前は、第五王子の僕を扱き下ろしていたのに…本当に……立場が変わっても変わらないのはあなただけです」

「ふふ、令嬢が好む寓話のようですね。そんな話を読んだ事があります。王位を賜っても敬わない令嬢を気に入ってしまう…みたいな」

「…僕は変わってくれて一向に構いません。僕が王になったからと、僕に媚び甘えるリーシャでも、今みたいに敬意の欠片もなく冷たくて意地悪なリーシャでも…何でも大好きなのです」


中央堂での謀反から四ヶ月。
リーシャが廃人のようだった時期も考えれば約三ヶ月程の時間は、二人の距離を縮めた。

「毎日毎日よく飽きもせず、擽ったい言葉を吐きますね」

「…嫌ですか?」

少し前のリーシャであれば口癖のように唱えられていた、嫌と嫌いの二刀流。
だがリーシャは口を噤み、肯定も否定もしなかった。

リーシャ自身も、フェルディナンドとの甘い時間を少しずつ享受し始めていたのだろう。

最初は、愛とは絶望の根源だと思っていたリーシャも、長く続いた時間は当たり前になっていく。

ぬるま湯の温度に慣れると、もう冷水の中に戻れなくなる事を知っているのに。

「…そこまで言うなら一生言い続けると誓いなさい。別に誰を娶ってもいい。だから、私に毎日愛していると言いなさい」

その言葉は、まるでフェルディナンドの愛を求めているかのような甘言。

初めて、リーシャがフェルディナンドに与えた好意的な言葉に脳みそが沸騰する。

だが、フェルディナンドの脳内には、またリーシャがフェルディナンドを揶揄う為では無いかという疑念や、恐ろしい何かを要求されるのではという色々な考えが生まれた。

だが、頬を赤く染め眉を下げるリーシャの顔は…そんな事どうでもよくなる程に、美しかったのだ。

毎日一緒に居ても、酷く焦がれる美しい人。

意地悪で、悪戯好きの妖艶な悪魔。
フェルディナンドにとって、王政の神として鎮座しても届かない…たった一人の天の華。

何も言わない、いや言えなかった。

ただ、フェルディナンドはその身体を抱き締め…痛いくらいに腕の中に押し込める。

永遠なんて無い事くらいリーシャは知っているが、その抱擁は誓いに変わりない。

「フェルディナンド…しつこい、苦しい」

数分程そうしていたが、リーシャの鬱陶しそうな声にフェルディナンドは手を離す。

「……あ、すみません…」

「フェルディナンド、毎日毎日鬱陶しいことと言えば、アルベルトが毎日贈り物やら文やら送ってくるのです」

アルベルトと最後に交合った日を思い出せないくらいに期間が空いている。

リーシャの思惑ゆえとはいえ、面白い程にアルベルトは思い通りに動いていた。



そして、アルベルトはそんな甘い二人を睨みつける。ガゼボでリーシャが涼んでいるのを聞きつけて来た時にはもう遅かった。

頻りに揺する足には、苛立ちが見て取れる。
巻き毛をかきあげると、アルベルトはイライラと二人の抱擁を見つめていた。

「王様がそんなに偉いかよ」

「殿下……イライラするならこんな所まで来なくていいのではないですか?」

「だって、リーシャ様呼んでくれないし皇后宮には入っちゃいけないし、見に来ないとあの人の姿も見れない。令嬢に絡まれてるの助けようと思ったら陛下来ちゃうしさ」

アルベルトは、もはやその懸想を隠そうともしない。痺れを切らし皇后宮でリーシャを訪ねようとしたのは流石に許されはしなかった。

リーシャからの誘いをただ待つだけの時間はひたすらに長い。

そんな間にも、たった一年早く産まれただけのフェルディナンドの腕にリーシャは抱かれている。

「…リーシャ様の事はお忘れになったらどうですか?これ以上陛下の目に触れれば処罰になる可能性も……」

「リーシャ様はそんな事許さないだろ。リーシャ様は俺を…好きだと思うし。俺に誘いが来ないのだって兄上が許さないからだ。あーもう…やっぱり殺……」

「殿下」

それはこの国では許されない大罪。
一線を超えようとしたアルベルトを止めたのはアイリスの、アルベルトを呼ぶ声だった。

「あ……君は、リーシャ様の…」

「アイリスにございます、こちら…リーシャ様からです」

リーシャがいつも側室宮に呼ぶ時のピンク色の文。小さな紙に美しい字で認めてある。

『アルベルト、二時間後に側室宮で』

アルベルトは自分の単純さを自嘲した。
そのヘイトはリーシャそのものにも向く程に苛立っていたはずなのに、その少ない文字たちを見ただけで胸が高鳴る。

嬉しくて、感情が声になって出てしまえば叫び出してしまいそうなくらい。

小さな紙に顔を近づけると、リーシャの甘い香水の香りがした。大好きで堪らないその香りは、あと二時間を数日にも感じさせる。

「アイリス、ありがとう」

「リーシャ様も楽しみにしていらっしゃいます、今日は…そのまま朝を迎えたいから、そのつもりで…と言伝を」

「……え!?朝を……?いつもなら、終わったらすぐに帰っちゃうのに!」

アイリスは愛想笑いを浮かべた。

「でも…陛下はいいのでしょうか?」

アイリスに聞かれても分かるはずはないが、アルベルトはアイリスに詰寄る。

「……リーシャ様が仰る事ですから大丈夫なのでしょう」







「リーシャ…なんで、嫌です…嫌です」

「一日だけだと言っているでしょう」

アイリスは表情を変えぬまま、大丈夫じゃなかったのですね…と唇を動かした。

髪を結い、逢瀬の準備をするリーシャにフェルディナンドが縋り付く。

「……リーシャ、こんな事を言えばあなたは怒るかもしれないけど、暗殺を恐れるならもう殺してしまいませんか?殺してしまえば、僕を暗殺する者はいなくなる」

「じゃあ、あなたが皇后を娶り子を作るのですね?私は別に構いませんが、その場合他の側室のように私も解放されるのでしょう?」

フェルディナンドは眉尻を下げ押し黙る。


「うう…、絶対に嫌です。リーシャ以外の者を正室にするのも、僕の血が入った子がもしリーシャの邪魔になったらと思うと、リーシャが命じても子は作れませんし、もちろんあなたの事も離せない」

「フェルディナンド、わがままを言わないでください。アルベルトには王族信仰の私の息の掛かった者を置く必要があります。アルベルトを転がせるのは私だけ。あなたが権力でアルベルトを動かせば、必ずそこにヘイトが生まれますから」

リーシャの言い分を咀嚼しながらフェルディナンドは首を傾げた。

ここまでして暗殺の芽を摘み、アルベルトに世継ぎを作らせる理由が分からない。

聖女の末裔だと言われる王族を信仰しているリーシャにとって、そんなにも大切なのだろうか。

全てを投げ出してリーシャと逃げてしまいたいフェルディナンドと違い、リーシャはしっかりと前を見据えている。

「……フェルディナンド、そんな顔しないで。たった二人しか居ない王族なのですよ?あなたとアルベルトには啀み合って欲しくはない」

「リーシャが何もしなければアルベルトは僕を殺していたのでしょうか」

「はい、確実に動きはあったでしょう。ただでさえあれは流されやすい上に馬鹿で権力を欲しがる。アルベルトからすれば、全てを統べるあなたが羨ましい…そして、殺してしまえばそれが自分のものになるのですから」

フェルディナンドは、王位などこれっぽちも欲しくは無かったのに。

愚王の誕生が目に見えてるとはいえアルベルトが兄であれば良かったと、フェルディナンドは口惜しがった。

だが、それはリーシャがフェルディナンドの腕の中に居る事が前提で…全てが願っても仕方のない、泡沫の夢のような御伽噺である。

フェルディナンド自身が子を作る気がない以上、アルベルトを頼るしかないのも事実で、唇を噛むフェルディナンドの頭をリーシャは撫で上げた。

「陛下と、第一王子は仲が良くありませんでした」

「…そうなのですか?あまり兄上も父上も話す機会は無かったので、知りませんでした」

リーシャは、座るフェルディナンドの頭を赤子のように抱き締めると、小さく絞り出す。

「もうあの二人のような王族を見たくはありません。折角聖女に生かされたこの命、出来ればあなたの横で死ぬまで……王族の為に使いたいのです」

フェルディナンドは、リーシャの胸元におでこを擦り付けると、腰に腕を回しソファに倒れ込んだ。

「リーシャ、一日あなたを取られただけでいじけた僕を許してください」

密着したままリーシャの腰を抱き、独占欲を顕にした声色を震わせる。独占欲と悔悟…その二つを宿したまま、リーシャに許しを乞う。

「フェルディナンド、うまくアルベルトが婚姻まで進んだら、その時はあなたに聞いて欲しい事があります。あなたが……私を救った話を」

リーシャは首筋に掛かるフェルディナンドの吐息を擽ったそうに目を細めた。

「僕が……あなたを救った話?」

リーシャは口付けた、王族という箱庭で惑わされる哀れな男を。

「フェルディナンド、私はあなたを守りたい」


二つの鼓動同士を合わせ、同じ生物になったみたいに二人は、ただ抱き合っていた。


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