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本編 第1章

第1話

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 思えば、私の人生というものは。

 大体、他者に奪われているのではないか。それに気が付いたのは、愚かなことに二十歳を迎えてからだった。

「彼女を責めないでくれ。……俺は、彼女が好きなんだ」
「……はぁ?」

 自分の口から漏れたとは思えないほどに、間抜けな声だった。

 私の目の前に膝をつき、私を見上げる婚約者の男。彼を強く睨みつけ、見下ろす。

 彼はびくっと肩を一瞬だけ揺らすものの、すぐに側にいた女性に視線を向ける。

 つられるように私も彼女に視線を向ける。が、「メリーナ」という男の声に引き戻された。

「責めるなら、俺を責めてくれ。彼女は、なにも悪くない」

 そう言う彼に、若干どころかかなり腹が立った。

 だって、そうじゃないか。私と彼の婚約は社交界の中では常識で、彼女も貴族なのだ。……知らないなんて言い訳が通じるわけがない。

「いいえ! 元はと言えば、アードリアンさまに惹かれてしまった私が悪いのです……!」

 婚約者――アードリアンさまに縋りつく、女。いや、この場合は浮気相手というべきなのか。

 まぁ、そんな彼女は私を上目遣いで見つめる。目にたっぷりの涙をためた姿は、庇護欲をそそる。その証拠に、アードリアンさまは彼女に「キミは悪くない」と声をかけていた。

(……口角上がってるわよ)

 だけど、私は彼女の口角がほんの少し上がっていることに気が付いていた。

 でも、指摘する元気なんてない。だから、露骨にため息をついてアードリアンさまの前で仁王立ちをした。

「じゃあ、なに? あなたさまが償いでもしてくれるっていうの?」
「そ、それは……」

 彼が視線を逸らす。……あぁ、これは。償うつもりなんてないんだ。

 それに気が付いて、私はまた「はぁ」とため息をついた。それを見たためなのか、アードリアンさまが俯いて震えた。

「だ、大体、メリーナが悪いんじゃないか! キミには可愛げというものがない! そんなキミと一緒にいると、息が詰まるんだよ!」

 バンっと床をたたいて、アードリアンさまがそう叫ぶ。

 一瞬だけ虚を突かれた。けれど、すぐに頭の中にじわじわとした怒りがこみあげてきた。

 ぐっと息を呑んで、私は膝をつくアードリアンさまに視線を合わせるように、しゃがみこむ。

「息が詰まる? 私だって、あんたみたいな男と一緒にいるのは、息が詰まっていたわよ」
「……っ」
「そもそも、この世の中可愛げのある女ばっかりだって思わないことね」

 死ぬほど負けず嫌い。そのうえで反発心の強い私。そんな私が『可愛くない女』であるということは、よく知っている。合わせ、そんな女が嫌われるということも、知っている。

 かといって。私の性格がそう簡単に変わるわけじゃない。

 才能とか、愛らしい性格とか。そういうものはないから、その分努力で補おうとしていた。……無駄、だったけど。

 そう思って肩をすくめる私を見て、アードリアンさまが強く唇をかむ。

 その後、私をびしっと指さした。

「もういい! 俺はメリーナみたいな可愛げのない女とは結婚しない! この婚約は、破棄だ!」
「は?」
「俺は彼女と結婚する。だから、お前は用済みなんだよ!」

 アードリアンさまがそう叫んで、立ち上がる。形勢逆転とばかりに私を見下ろす彼の目には、明らかな蔑み。

 ……散々向けられてきた視線。心臓が、きゅっと縮まった。

「そもそも、お前との婚約だってこっちからすればメリットなんてないんだ! だから、困るのはお前のほうだ」

 確かに、それはそうだ。私の実家であるスルピアネク子爵家と、アードリアンさまのご実家ブレイナンス伯爵家。この二つの力関係は、あちらが上。婚約だって、父が頭を下げて取り付けてきたものだと耳に挟んだことがある。

(……どうしようかしら)

 正直、謝ればまだ許してもらえる状況にあるとは思う。……が。この男に頭を下げるなんて、絶対にごめんだ。

 ついでに言えば、私はこんな堂々と浮気をするような男と結婚したくない。

「ふん、今謝れば、まだ許してやらんことも……」

 胸を張ったアードリアンさまの言葉に、私はハッとする。

 ……そもそもな話。私は両親に恩はない。ということは、別に両親のために謝る必要なんてないのでは……?

(そうよ。そうだわ。別にここで婚約が破棄されようが、構わない)

 そう思ったからこそ、私はアードリアンさまの顔を見上げる。彼がニタニタと笑っている。

 多分、私が頭を下げて許しを請うことを待っているのだ。

 それに気が付いたからこそ。私は勢いよく立ち上がった。

「そんなの絶対に――ごめんだわ!」

 大きく手を振りかぶって、私はアードリアンさまの頬を平手打ちした。

 バシン! といういい音が聞こえる。不意を突かれたような間抜けな表情をするアードリアンさまを、私はにらみつけた。

「あなたに謝るなんて絶対にごめんだわ。だから、その婚約破棄――承ります」

 はっきりとそう宣言して、私は踵を返す。

 ……心は清々しい。けれど、この後のことを考えて――ちょっぴり、不安を抱く。

(はぁ、責められるんだろうなぁ)

 いっそ、このまま逃げ出そうか。そう考えてしまうほどに、私の気持ちは重たかった。
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