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vol.3「俺はヒジョーキン」
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郵便局の朝会は朝八時に始まる。「今日も吹雪です。運転には十分注意してください。昨日、誤配の苦情がありました。最近多いですよ。丁寧に配達してください」集配課長が声を張り上げる。話が終わると各班に分かれ作業に取りかかる。今日は月曜日。日曜日は配達がないので郵便物の量も二倍ある。
「誤配って誰ですか?」隣の正社員に尋ねた。
「ああ、スギだ。あいつは毎日やらかすからな。あいつのせいで、みろ!」
正社員は課長席の横にあるホワイトボードを指さした。スギの名前の上に高々とした棒グラフがつけられていた。このグラフは誤配があるごとに積み重なっていく。
「我が班は今月も首位を独走しています!」
手際良く郵便物を配達順に並べながら正社員は答えた。杉原寛ことスギは二十歳前後のヒジョーキンである。高校卒業後、調理師を養成する専門学校に入学したがすぐに辞めて、この仕事に就いた。悪い人間ではないのだが、要領が悪いため、よく怒られている。ヒジョーキンの勤務は十五時四十五分までで、超過すると残業代が発生してしまう。誤配と残業代が少なければ少ないほど上から評価される課長としては、ミスばっかりしているスギが残業代を多くもらっていることに不快感を抱いている。その為、課長だけでなく他の正社員からも「いいよな。仕事できなくても残業代もらえて」などと嫌みを言われている。机上の郵便物を並べながらスギの方をみると、班長が腕を組み、鬼の形相で背後に立っていた。
「おい、スギ!なしていっつも誤配すらんだ。このバカケ!皆よりでぎねえくせに!一生懸命やんねだがらだべ!このクソガギ!」
局内中に響き渡る声で怒鳴りちらす。ただ、班長の怒鳴る行為は、自分はしっかり指導していますよというパフォーマンスである。やれ、班長の立場も理解はできる。高校の後輩である課長から「また、誤配ですか、いつになったら減るのですかね~」などと嫌みを言われるのはかなりのストレスを与えていると思う。しかし、具体的な解決策を構築せず〈一生懸命〉〈頑張れ〉〈気合い〉の一言に己の責任を転嫁させ、相手のミスをプロパガンダする手法は無能者の証である。そういえば、小学校一年時の授業中、M七.七の大地震があった。パニックになった子供達は女担任の指示を仰ぐため、皆、一斉に前をみた。担任の狼狽ぶりは今でも脳裏に焼き付いている。「わ、わ~、おっかね~」そう叫ぶと窓を開けて、一目散にグランド方面に飛び出していった。それは見事な遁走だった。急いで担任の後を追ったが、クラスの数名が壁に激突し、転んでガラスの破片が刺さるなどの怪我をした。数日後、朝から担任は怪訝な表情でため息をついていた。いきなり立ち上がったと思ったら、教卓を両手で叩きつけた。「何でみんな!私の後についてこなかったの?なぜ怪我をしたのか分かる?普段から先生のいう事聞かないからでしょ!宿題は忘れてくるし、先生が一生懸命教えてもとび箱飛べないし、テストで百点取れないし。普段から頑張らないからでしょ!一生懸命やらないからでしょ!」こっぴどく叱られた。その後、担任は大声で泣き叫び、教室を飛びだした。この一連の行為は教育委員会、保護者を巻き込んで大問題へと発展した。その後、担任は学校から消えた。
郵便物を厚手のゴムで縛り、使い込まれた革のバックに入れる。ヨシ!出発の準備が整った。地下のバイク置き場に向かう途中、俺はスギの肩に手をあてた。「まあ気にするな。誤配は誰にでもある」たごさん……。スギは作業中の手をとめ、俺をみつめてきた。その顔は博打で大負けした親父のように老け込んでいる。「今日飲みにいきませんか?」珍しい、飲みに行くときはいつも俺から誘うのに。「ああ、いいよ。俺も飲みたかった。多分、いや、確実に俺の方が早く終わるからパチンコでもやっているよ。後で連絡くれ」スギの口元が少し緩んだ。「それよりお前、気をつけろよ。いつもより郵便物も多いし、吹雪だし、路面なんてボコボコだし」俺は年上風吹かせて忠告し、地下のバイク置き場へ向かった。自分のバイクに到着すると郵便物が濡れないようカバーをつけ、後輪タイヤのチェーンが切れていないか確認する。チェーンは切れてないな。よし、行くか。ブルブルブル。原付並みの排気量しかない相棒の頼りない音が不安をかき立てる。地上に出ると、吹雪が容赦なく顔を叩きつけてくる。路面は相変わらず凍結している。無意識のうちにギリギリと歯を食いしばってしまう。これが雪国の人間の寿命を一五年ほど縮めていることは間違いない。ハンドルを力一杯握り両足を地面に着けてバランスを整える。前を走る車のぼんやりとしたライトを手掛かりに前へ進む。すると前の車が急ブレーキをかけた。チィ、反射的に舌を鳴らしてしまう。しかし俺は冷静に七:三の黄金比率で後輪、前輪ブレーキをかけ、難なく停車させた。チェーンのついていない前ブレーキをかけるということはどういうことか。賢明な人間であれば予測できるであろう。しかし、スギという人間は、焦って前ブレーキかけてしまい毎日のように転倒している。普通だったらとっくに冥界行きだが、向こう側でも不要と判断され俗世に留まっている。そもそも凍結した道路に二輪車を送り込むという、卑劣極まりない蛮行を許してはいけない。お上の連中は暖房が効いた部屋でコーヒーを啜り、菓子を頬張り、窓の外をみて今日も吹雪だと、文句を言っている。ヒジョーキンは小銭程度の時給で吹雪の銃弾飛び交う中、生きるか死ぬかの戦をしている。毎年、転倒して骨折や靭帯損傷する者、接触事故、人身事故が頻繁しているにも関わらず改善されることはない。配達バイクの音がうるさいなどと、どうでもいい苦情に対しては全力で取り組むくせに、内なる者達の切実な声には鈍感極まりない。
「誤配って誰ですか?」隣の正社員に尋ねた。
「ああ、スギだ。あいつは毎日やらかすからな。あいつのせいで、みろ!」
正社員は課長席の横にあるホワイトボードを指さした。スギの名前の上に高々とした棒グラフがつけられていた。このグラフは誤配があるごとに積み重なっていく。
「我が班は今月も首位を独走しています!」
手際良く郵便物を配達順に並べながら正社員は答えた。杉原寛ことスギは二十歳前後のヒジョーキンである。高校卒業後、調理師を養成する専門学校に入学したがすぐに辞めて、この仕事に就いた。悪い人間ではないのだが、要領が悪いため、よく怒られている。ヒジョーキンの勤務は十五時四十五分までで、超過すると残業代が発生してしまう。誤配と残業代が少なければ少ないほど上から評価される課長としては、ミスばっかりしているスギが残業代を多くもらっていることに不快感を抱いている。その為、課長だけでなく他の正社員からも「いいよな。仕事できなくても残業代もらえて」などと嫌みを言われている。机上の郵便物を並べながらスギの方をみると、班長が腕を組み、鬼の形相で背後に立っていた。
「おい、スギ!なしていっつも誤配すらんだ。このバカケ!皆よりでぎねえくせに!一生懸命やんねだがらだべ!このクソガギ!」
局内中に響き渡る声で怒鳴りちらす。ただ、班長の怒鳴る行為は、自分はしっかり指導していますよというパフォーマンスである。やれ、班長の立場も理解はできる。高校の後輩である課長から「また、誤配ですか、いつになったら減るのですかね~」などと嫌みを言われるのはかなりのストレスを与えていると思う。しかし、具体的な解決策を構築せず〈一生懸命〉〈頑張れ〉〈気合い〉の一言に己の責任を転嫁させ、相手のミスをプロパガンダする手法は無能者の証である。そういえば、小学校一年時の授業中、M七.七の大地震があった。パニックになった子供達は女担任の指示を仰ぐため、皆、一斉に前をみた。担任の狼狽ぶりは今でも脳裏に焼き付いている。「わ、わ~、おっかね~」そう叫ぶと窓を開けて、一目散にグランド方面に飛び出していった。それは見事な遁走だった。急いで担任の後を追ったが、クラスの数名が壁に激突し、転んでガラスの破片が刺さるなどの怪我をした。数日後、朝から担任は怪訝な表情でため息をついていた。いきなり立ち上がったと思ったら、教卓を両手で叩きつけた。「何でみんな!私の後についてこなかったの?なぜ怪我をしたのか分かる?普段から先生のいう事聞かないからでしょ!宿題は忘れてくるし、先生が一生懸命教えてもとび箱飛べないし、テストで百点取れないし。普段から頑張らないからでしょ!一生懸命やらないからでしょ!」こっぴどく叱られた。その後、担任は大声で泣き叫び、教室を飛びだした。この一連の行為は教育委員会、保護者を巻き込んで大問題へと発展した。その後、担任は学校から消えた。
郵便物を厚手のゴムで縛り、使い込まれた革のバックに入れる。ヨシ!出発の準備が整った。地下のバイク置き場に向かう途中、俺はスギの肩に手をあてた。「まあ気にするな。誤配は誰にでもある」たごさん……。スギは作業中の手をとめ、俺をみつめてきた。その顔は博打で大負けした親父のように老け込んでいる。「今日飲みにいきませんか?」珍しい、飲みに行くときはいつも俺から誘うのに。「ああ、いいよ。俺も飲みたかった。多分、いや、確実に俺の方が早く終わるからパチンコでもやっているよ。後で連絡くれ」スギの口元が少し緩んだ。「それよりお前、気をつけろよ。いつもより郵便物も多いし、吹雪だし、路面なんてボコボコだし」俺は年上風吹かせて忠告し、地下のバイク置き場へ向かった。自分のバイクに到着すると郵便物が濡れないようカバーをつけ、後輪タイヤのチェーンが切れていないか確認する。チェーンは切れてないな。よし、行くか。ブルブルブル。原付並みの排気量しかない相棒の頼りない音が不安をかき立てる。地上に出ると、吹雪が容赦なく顔を叩きつけてくる。路面は相変わらず凍結している。無意識のうちにギリギリと歯を食いしばってしまう。これが雪国の人間の寿命を一五年ほど縮めていることは間違いない。ハンドルを力一杯握り両足を地面に着けてバランスを整える。前を走る車のぼんやりとしたライトを手掛かりに前へ進む。すると前の車が急ブレーキをかけた。チィ、反射的に舌を鳴らしてしまう。しかし俺は冷静に七:三の黄金比率で後輪、前輪ブレーキをかけ、難なく停車させた。チェーンのついていない前ブレーキをかけるということはどういうことか。賢明な人間であれば予測できるであろう。しかし、スギという人間は、焦って前ブレーキかけてしまい毎日のように転倒している。普通だったらとっくに冥界行きだが、向こう側でも不要と判断され俗世に留まっている。そもそも凍結した道路に二輪車を送り込むという、卑劣極まりない蛮行を許してはいけない。お上の連中は暖房が効いた部屋でコーヒーを啜り、菓子を頬張り、窓の外をみて今日も吹雪だと、文句を言っている。ヒジョーキンは小銭程度の時給で吹雪の銃弾飛び交う中、生きるか死ぬかの戦をしている。毎年、転倒して骨折や靭帯損傷する者、接触事故、人身事故が頻繁しているにも関わらず改善されることはない。配達バイクの音がうるさいなどと、どうでもいい苦情に対しては全力で取り組むくせに、内なる者達の切実な声には鈍感極まりない。
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