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vol.8「回想…大学ラグビー部寮は魑魅魍魎の世界」
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八十六本の男根を収容しているラグビー部寮も、この時ばかりは静寂に包まれている。午後のやわらかな陽光は、土や草花と混ざり合い春の香をつくりだす。肌を撫でるような薫風は、ふわりと漂い、野郎どもが醸し出している獣臭を消し去っている。食堂に注ぎ込む陽だまりは、眼前に居座る陳腐な黒電話を照らしている。それはとても心地が良く、微睡んでしまう。
ジーン、ジーン。
鋭い音が耳の奥を突き刺してくる。「電話、電話、鳴っているよ~」調理室から寮母さんたちが叫んでいた。穏やかな空気に身を委ね、いつの間にか居眠りをしてしまった。急いで眼前の受話器を取り上げた。
「はい、F大学ラグビー寮だす」
まだ寝ぼけているのか、封印していた方言を出してしまった。
「OBの福原や、お前だれ?」
「は、は、はい、一年の田子作建二です」
なぜこれほど動揺したかというと、電話を三コール以内でとらないと外出禁止という寮規則があるからだ。この弱みにつけこんで業と電話をかけ、反応を楽しんでいるOBもいる。もし四コールでとってしまうと大変だ。寮長に対し、おい!今年の一年、電話三コール鳴ってもでないぞ、しっかり指導しているのか!と説教してくる。そうなるとミスをした本人だけでなく、一年生全員が外出禁止になってしまう。一人の罪を全員で贖罪する、この悪習はいつ、どこで、誰がはじめたのだろうか。誰もがおかしいと感じているにも関わらず続いているのは何故?為政者は自分たちの都合を優先し、教育者は死体の如く従順だ。盲目な群衆は崇め、賛美する。悪習は伝統的思考構造という名の臓腑に住みつき、繁殖し、やがて良きものとなる。
「お~、高校ジャパンの田子作か、期待の新人やんけ。A高校出身。身長一七五センチ、体重七五キロ。ポジションはスタンドオフ。ところでお前、スコットランドで脱臼したとこ大丈夫なん」
福原と名乗るOBは俺の経歴を調べ上げているだけでなく、関係者しか知らない怪我のことも知っていた。
「はい、まだ腕を吊っている状態です。あと二ヵ月くらいかかると思います」
「そうなんや、大事にしてや。ところでお前、誰の部屋っ子?」
関西弁という言語は警戒心を強める。
「は、はい。山田さんと平林さんと佐藤さんです」
俺は三コールで出られなかった失敗を取り返そうとハキハキ答えた。
「山田か……。お前、イジメられとるやろ?」
威圧的な声に受話器を握る手が震える。
「い、いや、そんなことないです。やさしい先輩です」
「そうなん。山田はガタイいいからな、部屋も狭いやろ」
急に舐めるような口調で語りかけてきた。四年生の山田さんは大型のナンバーエイトで、チームの大黒柱である。また二三歳以下日本代表に選出された逸材である。
「と、ところで、や、やまだは練習中、な、なにを履いている?」
福原は急に標準語になり、そして吃りだした。
「ス、スパッツか、ブ、ブリーフか?」
「はい、ほとんどスパッツです」
「そ、そうか。ホッホー!」
暴風雨のような鼻息が受話器を覆う。
「お、お前、毎日洗濯しているだろう。ど、どんな臭いする?」
「嗅いだことないので分かりませんが、汗臭いのは確かです」
「ホッ、ホッホー!」
「 と、と、ところで山田のあ、あ、あそこはデカイのか?」
はあ?思わずOBである事を忘れ、語気を強めてしまった。これが大学の体育会特有のノリと呼ばれるものなのか。とても煩わしい。ただ、先ほどの失敗を誤魔化してもらおうと少し付き合った。
「凄いですよ。今まで見た中で一番立派だと思います」
「ホッ、ホッ、ホッホー!」
強烈な寒気が全身を駆け巡った。粘っこい吐息が鼓膜に絡みつく。一本一本の繊維は脳、肺、神経に浸食し洗脳する。唯物的なものだけでなく、己が大事にしてきた柔らかく、純粋な部分まで黒く塗りつぶされそうだった。
―化け物さあったらお経唱えでみれ。
絶体絶命の中、ばあちゃんの言葉が脳裏をよぎった
ナムミョーホーレンゲーキョー。ナムミョーホーレンゲーキョー。俺は必死で唱えた。
「そうか、大きいのか~、み、みたいな~」
拝啓
慈愛満ち、賢明なる祖母ハナエ様。お経を唱えても一向におさまりません。寧ろ益々勢いをましています。受話器の向こうから鼻息吐息が聞こえます。助けてください。
敬具
「た、たごさく~た、たごさく~。けんじ~」
拝啓
源氏の血を受け継ぐ偉大なるご先祖様。数々の武功をあげ、至尊から賜った田子作姓が……。犯され、汚されています。これは私の名が災いしていると思います。なぜ〈建〉なのでしょうか。〈健〉であれば人偏があり、私を守ってくれたと思います。
敬具
ジーン、ジーン。
鋭い音が耳の奥を突き刺してくる。「電話、電話、鳴っているよ~」調理室から寮母さんたちが叫んでいた。穏やかな空気に身を委ね、いつの間にか居眠りをしてしまった。急いで眼前の受話器を取り上げた。
「はい、F大学ラグビー寮だす」
まだ寝ぼけているのか、封印していた方言を出してしまった。
「OBの福原や、お前だれ?」
「は、は、はい、一年の田子作建二です」
なぜこれほど動揺したかというと、電話を三コール以内でとらないと外出禁止という寮規則があるからだ。この弱みにつけこんで業と電話をかけ、反応を楽しんでいるOBもいる。もし四コールでとってしまうと大変だ。寮長に対し、おい!今年の一年、電話三コール鳴ってもでないぞ、しっかり指導しているのか!と説教してくる。そうなるとミスをした本人だけでなく、一年生全員が外出禁止になってしまう。一人の罪を全員で贖罪する、この悪習はいつ、どこで、誰がはじめたのだろうか。誰もがおかしいと感じているにも関わらず続いているのは何故?為政者は自分たちの都合を優先し、教育者は死体の如く従順だ。盲目な群衆は崇め、賛美する。悪習は伝統的思考構造という名の臓腑に住みつき、繁殖し、やがて良きものとなる。
「お~、高校ジャパンの田子作か、期待の新人やんけ。A高校出身。身長一七五センチ、体重七五キロ。ポジションはスタンドオフ。ところでお前、スコットランドで脱臼したとこ大丈夫なん」
福原と名乗るOBは俺の経歴を調べ上げているだけでなく、関係者しか知らない怪我のことも知っていた。
「はい、まだ腕を吊っている状態です。あと二ヵ月くらいかかると思います」
「そうなんや、大事にしてや。ところでお前、誰の部屋っ子?」
関西弁という言語は警戒心を強める。
「は、はい。山田さんと平林さんと佐藤さんです」
俺は三コールで出られなかった失敗を取り返そうとハキハキ答えた。
「山田か……。お前、イジメられとるやろ?」
威圧的な声に受話器を握る手が震える。
「い、いや、そんなことないです。やさしい先輩です」
「そうなん。山田はガタイいいからな、部屋も狭いやろ」
急に舐めるような口調で語りかけてきた。四年生の山田さんは大型のナンバーエイトで、チームの大黒柱である。また二三歳以下日本代表に選出された逸材である。
「と、ところで、や、やまだは練習中、な、なにを履いている?」
福原は急に標準語になり、そして吃りだした。
「ス、スパッツか、ブ、ブリーフか?」
「はい、ほとんどスパッツです」
「そ、そうか。ホッホー!」
暴風雨のような鼻息が受話器を覆う。
「お、お前、毎日洗濯しているだろう。ど、どんな臭いする?」
「嗅いだことないので分かりませんが、汗臭いのは確かです」
「ホッ、ホッホー!」
「 と、と、ところで山田のあ、あ、あそこはデカイのか?」
はあ?思わずOBである事を忘れ、語気を強めてしまった。これが大学の体育会特有のノリと呼ばれるものなのか。とても煩わしい。ただ、先ほどの失敗を誤魔化してもらおうと少し付き合った。
「凄いですよ。今まで見た中で一番立派だと思います」
「ホッ、ホッ、ホッホー!」
強烈な寒気が全身を駆け巡った。粘っこい吐息が鼓膜に絡みつく。一本一本の繊維は脳、肺、神経に浸食し洗脳する。唯物的なものだけでなく、己が大事にしてきた柔らかく、純粋な部分まで黒く塗りつぶされそうだった。
―化け物さあったらお経唱えでみれ。
絶体絶命の中、ばあちゃんの言葉が脳裏をよぎった
ナムミョーホーレンゲーキョー。ナムミョーホーレンゲーキョー。俺は必死で唱えた。
「そうか、大きいのか~、み、みたいな~」
拝啓
慈愛満ち、賢明なる祖母ハナエ様。お経を唱えても一向におさまりません。寧ろ益々勢いをましています。受話器の向こうから鼻息吐息が聞こえます。助けてください。
敬具
「た、たごさく~た、たごさく~。けんじ~」
拝啓
源氏の血を受け継ぐ偉大なるご先祖様。数々の武功をあげ、至尊から賜った田子作姓が……。犯され、汚されています。これは私の名が災いしていると思います。なぜ〈建〉なのでしょうか。〈健〉であれば人偏があり、私を守ってくれたと思います。
敬具
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