オム・ファタールと無いものねだり

狗空堂

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2.龍の髭を狙って毟れ!

二人の秘密

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 甲板にはたった一人、先客がいた。流石に船の先の先までは行けないからタイタニックのような事は出来ないが、客が行けるギリギリのところで立ち尽くし、ただじっと海を見つめる男が一人。

海は腹に響く潮騒を繰り返しながら、男のことなど気にもせずに踊っている。太陽はまだどこにも見えない。だけど、夜明けの気配はする。

 潮風にたなびく絹のような髪。寝惚けた身体を叱咤するような冷たい空気の中でも、彼は背筋をピンと伸ばして遠くを見つめている。
俺はぺたつく強い風が不快でげんなりしているというのに、この人の周りだけは凛と澄んだ空気が漂っているような錯覚すら覚える。

 綺麗な人だ。どこまでも計算され尽くしている美術品を見ているような気持ちになる。


「…………そうも見つめられると照れるな」
「へっ、気づいて、」
 後ろを振り向かないままにそう言われて飛び上がりそうになった。俺達大分距離があったよな。この人後ろにも目がついているんだろうか。

「こちらへ。まだ時間はあるだろう?」
 僅かに振り向いた氷の麗人がそう告げる。俺のような者が隣に立っていいものか、と思案しながらも、彼自身が御所望ならば俺のような者に拒否権は無いだろう、と己を納得させて、鳳凰院の隣へと足を進める。

 視界の中にはただひたすらに海しかなかった。まだ朝日も昇っていない水面は、それでもいずれ来る輝きを待ち望んで薄ら明るく波打っている。
 船体に白波が当たっては弾ける音が、この船は確実に進んでいるのだと証明している。

「昨日、誠と話したよ。おかげでアイツは泣き疲れて眠ってる」
「腹割って話せたんなら、何よりです」
「そうだな、久々にあんな誠を見た」

 あの常時澄ました顔の先輩が泣いてる姿なんて全く想像できない。けれど、とりあえず夜中にバルコニーで立ち尽くす不審者にはならなかったのだと安心した。
 昨日は途中で離脱して部屋に帰って行ったので、どうにもその後が心配だったのだ。
 

「誠が随分と世話になったようだ。遅くなったが、私からも礼を言わせて欲しい。ありがとう」
 当たり前のように頭を下げられて情けない声を上げてしまう。あの鳳凰院に頭を下げさせたと知られたら、彼の親衛隊総出で袋叩きにされそうだった。脳内イメージで先陣を切って飛び掛かって来てるのは勿論鶴永先輩である。

「あ、頭上げてください! 俺は何もしてません。今のままじゃ嫌だって、アンタに認められたいって動き出したのは他でもない鶴永先輩本人です。あの人が選んだことだ」
「……そうだな。それでも。頑固なアレが走り出す為にはきっかけが必要だった。その役目を果たしてくれた君には、感謝してもしきれない」

 鳳凰院は目を細める。その声音だけで、彼がどんなに鶴永先輩を大事にしているかがよく分かった。


「君には感謝している。あのままだと誠の才能は潰れてしまっていた。私と共に居る事で失われる才能があるのならば、私は早急に誠を手放さなければならないと考えていたのだ」
「えっ、そうなんですか」
「私が理想とする未来は、どんな出自であれ才能がある人間ならば、それに見合った活躍が出来る世界だ。それを成す為には鳳凰院という大きな力が必要だ。だが、その舞台装置が役者を殺してしまうのならば本末転倒。その役者自身が輝ける場所へ送り出すのも又、見出した者の責だと考えている」

 この人はそんなことを考えながら日々を生きているのか。学業を完璧に熟して、風紀委員長として生徒を律しつつ、剣道部にも励み、その上で他人のことまで考えて。
 風紀委員たちが彼を慕い崇拝する理由を見せつけられた。確かにこの人の元に居れば、きっと『正解』が選べる。

 だけどこの人が考える最善が、必ずしも相手の最善であるわけではないのだ。鶴永先輩がそうであったように。彼は最善を選べる人間だが、最良を選べる人間ではない。

「人生は上手くいかないものだな」
「順風満帆日本代表選手みたいな人に言われても……」
「良かれと思って選んだ行動が、誰かしらを不幸にする。私は正直そう言うことが苦手だ。その瞬間の最善を選んでも、必ずしも最良にはなり得ないのは何故だろう」

 機械みたいな人だ。それと同時に、誰よりも他人のことを想っている人なのだということも分かった。
 彼が優秀な人間を好むのは実力主義なだけではない。そう言った人間こそ、鳳凰院というブランドを利用できるだけ利用して成長していって欲しいと思っているのだろう。

「先輩って、結構不器用ですよね」
「はじめて言われたな、そんな事は」
「何というか……。何事にも全力投球だから、投げられた人は毎回踏ん張ってミット構えるしかない、みたいな」
「何がいけない」
「バテるんですよ、大概の人間は。コミュニケーションって、すんげー適当な、それこそバウンドするような緩い球でも成立すると思うんですよね。受け止める相手の掌に収まりさえすれば」

 相手の最善を模索しなくても会話をしていいはずだ。与えた言葉全てが救いにならなくたっていいはずだ。
 持つ者はそれだけで発信する全てのものに付加価値を与えられてしまうけど、彼らだって毒にも薬にもならないような取り留めのない言葉を発したっていいはずなんだ。
 俺ら受け止める側が、そんなに気負わなくたっていいんだよって言えるようにならなければいけないはずなんだ。

 天才は消耗品だ。悲しいけれどそれは事実。いつだってその輝きを大衆に消費されて生きている。
 望まれた通りに振舞わなければ天才ではなく化け物と呼ばれ、社会から弾き出されてしまう。だから彼らは望まれた通りに形を変えて己の力を出力する。その形が、身を削った末の在り方だと知らぬまま、衆人は天才を喜んで消耗するのだ。

「……私は、不器用か」
「不器用で、結構頑固で、それですんげー真摯な人」
「……言われない言葉ばかりだな」

 くすくすと口元に手を当てて控えめに笑う鳳凰院。あ、なんだ、この人もこんな風に柔らかく笑うんだ。当たり前なのに忘れていた。この人だってただの十八そこらのガキだってこと。

 龍宮よりも薄い俗世の香りが、鳳凰院将成という男の認識を霞ませる。龍宮が多くの民衆に信仰される神なのだとしたら、鳳凰院は人里離れた大自然の中でひっそりと、だけれども泰然と君臨する神の様だった。


「……勿体ない」
「ん?」
「こんなに綺麗に、可愛らしく笑うのに。皆アンタの事、氷みたいだって勘違いしてるなんて」

 学園に蔓延る彼への印象は、『氷の様』だとか『冷酷非道』だとか、割と散々なものばかりだ。美しすぎたり完璧すぎたりすると、人は最終的に恐れを為す。そう思うと会長は良い塩梅で人間らしさを見せつけることを忘れていないのだな、と思う。

 多分会長も鳳凰院も、根底は同じタイプの人間だ。だけど鳳凰院は何処までも合理主義で、最善を尽くそうとする人間だ。大して会長は合理主義ではあるけれど、ある程度人間の感情の仕組みを理解している。

 だから丁度いい塩梅で形を崩して、大衆たちに馴染みやすさを演出しているのだろう。その妥協というか演技というようなものが出来ない辺り、鳳凰院は何事にも全力で取り組む熱血タイプで、一つのことに集中してしまう不器用な人に思えた。

「…………君も確かに、前野の家の者だな」
「? そうですけど……」
「性分は伝染する、或いは飼い犬は飼い主に似る、か」
 手摺に肘をかけた鳳凰院が微笑む。その美しい輪郭がじわ、とオレンジ色に蕩けて、俺は漸く海の果てに陽が昇り始めていることに気が付いた。

「あ。陽、登って来ましたね」
「うん。綺麗だ」
「鳳凰院先輩も綺麗だなって思うんですね」
「思わないと思ってた?」
「うーん、『日が昇っているな』って事実だけ認識してそうだなって」
「ふふっ……。そうだな、太陽は誰にでも必要なものだから。美しいと思うよ」
「やっぱそう言う方面ではあるのか……」

 必要とされるものを美しいと思う。それもまた、個人の美的感覚のうちの一つだ。
 水平線がぼやけてオレンジと紫に染まる。弾ける白波さえも夢のような色合いに染まって揺蕩う。ゆっくりと、されどじわりじわりと着実に時間が進んでいる。
 全部がスローモーションになったようだ。誰もが眠りに落ちているような世界の中、俺と先輩だけが生きているような不思議な感覚。

「私は使える人間が好きだ。もっとこの手で磨いてやりたいと思う。だから君の主や友人たちに声をかけるし、君には声をかけない」
「すごい急に悪口言いますね」
「でも恐らく、君は前野篤志にとって必要な存在なんだろう。だから彼は君を眩しそうに見つめる。美しいから」

 鳳凰院が俺の頬に手を添える。海風に冷やされた指先はすっかり冷たい。だけどそれは決して無機物の冷たさではない。人間の温度で、人間の肌だ。

「私は使える人間が好きだ。だから特別才の無い君を欲しいとは思わない。だが、見ていたいとは思った。君のその美しさが、どう前野篤志を磨くのか。磨かれた末に陽の元に晒される前野篤志の輝きはどんなものなのか」
「…………?」
「初めてだな、こんな感情は。必要としないのに気になってしまう、なんて」
「どうも…………?」
 さり、と少しかさついた指の腹が唇をなぞる。あれ、この動き、なんだかいつかどこかでも。

「将成、と」
「え?」
「鳳凰院、に敬称は長いだろう。なら、将成と呼んでくれ」
「怒られるので辞退させていただきます」
「なら、二人きりの時だけでも」

 駄目か? と呟く彼の顔に伺いの色は無い。もう彼の中では覆らない決定事項で、ただただ俺が頷くのを待っているようだった。どうして持つ者はこうも勝手に決めたがるのだろうか。

「……ゆき、なり、先輩」
「うん」
「……二人の時だけッスよ」
「うん。秘密だ」

 鳴りやまない潮騒の中、幻想的な色合いに身を染めた彼の少し幼い笑顔は、多分一生忘れられないだろう。
 鳳凰院将成という男は、無邪気に他人の可能性を信じている、ただの一生懸命な十八歳の子供だった。
 
 
 地平線を蕩かして、世界を焦がす太陽がじわじわと昇っていく。夜明けが来る。

 
 喧騒だらけの長い長い夜が明けて、ようやく俺はこの学園の人たちの本当の在り方を、欠片だけでも知れたような気がしたのだった。





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