オム・ファタールと無いものねだり

狗空堂

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1.オム・ファタールと無いものねだり

呪われた編入生と、そのおまけ 4

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「ちょ、ストップ、そーすけ腹、腹痛い!」

 ぐ、と思いのほか強い力で腕を引かれてたたらを踏む。振り返れば、しおしおの顔をした篤志が脇腹を押さえながら訴えていた。

 ふむ、と周囲を見回す。食堂の喧騒は遥か遠く、中庭まで走って来たようだ。あと十分程度で昼休みは終わるし、まあいいだろう。アイツらだって授業が始まった教室に乱入してくることは流石にしないだろうしな。


「よし、そこのベンチで休むか」
「うええ、ドリア出るぅ……」
「出すな。戻せ」

 すっかり葉桜になってしまった木々を見ながら、二人でベンチに腰掛ける。昼休みが終わりかけている中庭には誰も居ない。なんだかすごく久々に二人きりになった気がする。
当たり前だ、この学園に編入してから篤志の周りには絶えず人が居る。これが毎日続くとすると、篤志が卒業するころにはどうなっているのだろうか。ぞっとする。


 生徒会メンバー、並びに猪狩や鹿屋たち。あの中に、果たして篤志を命に代えても守ってくれる奴は居るのだろうか。

 俺は、多分長くは生きられない。父親譲りの不幸体質だから、いつ事故や病気でぽっくり逝ってもおかしくはない。そうなったとき、誰がこいつを護ってくれるんだろう。誰がこいつを、ただの前野篤志として扱ってくれるんだろう。

 多分、いや絶対、こいつがこれから歩む人生は茨の道だ。愛される分憎まれる。いつその自分に向けられる大きな感情が、抑えきれない程の悪意に変化するか分からない。
 
 昨日笑って話していた相手が、次の日ナイフを振りかざしてくることなんてザラにある、らしい。そう語った旦那様の目は、一つも嘘を吐いていなかった。寂しい表情だった。篤志もいつか、そうなってしまうのだろうか。

 誰が味方か分からない一生なんてあんまりだ。せめてたった一人でも、篤志が胸を張って「コイツなら信じられる」と言える人間が見つけられれば。

 俺はきっと、安心して死ねるだろう。



「宗介」
「ん?」
「良くないことを考えてる顔してる。それ、やめて」
「エスパーかよ」
「俺、宗介のそう言う顔、嫌い」
「マジか。篤志に嫌われたら生きていけねぇな」

 おどけた様子で肩を竦めてそう言えば、篤志は一瞬だけくしゃりと顔を歪めた。何かを噛み締めるように、痛みと苦しみに喘ぐように。
 だけどその確かな痛みは一瞬で拭い去られて、あっという間にいつもの篤志に戻る。戻ってしまう。


 ああ、まただ。お前は時々そんな顔をする。そしていつだってそれを無かったことにして、何でもないように振舞うんだ。それは俺には言えないことなのか。俺はお前を家族のように思っているし、俺が悩んでいることは何だって相談するし、なんだって相談して欲しいと思っている。

 でも多分、篤志は違う。篤志は前野だから。きっと、俺みたいな凡人では分かってやれないことばかりなのだ。
だから、他の凡人よりかは幾分か篤志に近いであろうこの学園の人たちに。どうか、誰か一人でもいいから、篤志の心の拠り所になってくれないだろうか。そんなことを思いながら俺は学校生活を送っている。



「なあ、なんでそんな会長たちのこと避けんだよ」
 分かりやすく話題を変えた篤志にのってやることにする。
 会長。瑞光学園三年生、生徒会長の龍宮。学園の中でも最も多い親衛隊が居ると言われる、カリスマ溢れる優秀な男である。そんな完璧な男は現在篤志にメロメロであった。残念なことである。

「なんでって、捕まればお前の貞操が危ないからだろ」

 生徒会長の龍宮は言わずもがな、腹に何かしら抱えていそうな副会長の巳上も絶対ヤバい。書記の衣貫は怪力らしいから力づくで襲われたら抵抗できないだろう。会計の兎和はまだ本気じゃなさそうだが、ああいうのは沼にハマっておかしくなりやすい。沙流川兄弟は親衛隊の使い方が上手いから警戒が必要だ。ほらな、全員危険人物。


「貞操の危機って、そんな大げさな」
「お前三日前に食堂で公開キッスされたの忘れたんか」
「キッスて。ただの粘膜接触じゃん」
「今全国のファーストキス未経験者に喧嘩を売った。謝れ。主に俺に」

 流石モテ男、キッスをただの粘膜接触だなんて言いやがった。唇の一つや二つでがたがた言うようなレベルじゃないだろう。
 だが俺があの時後ろから龍宮の後頭部をペットボトル(空)でフルスイングしなかったら、秒でアイツの部屋に連れ込まれてペロッと美味しく頂かれてたんだぞ。砂盃が言ってた。


「初心だな~そーすけは。でもうん、会長は大丈夫だよ。衣貫先輩と沙流川はちょっと怪しい感じするけど、まあ今のところ平気。副会長と兎和先輩も賢いから、そのうち大丈夫になる」
「何を根拠に」
「ん~、勘? まあでも、それが一番の根拠だろ?」
 そう言ってカラカラと笑う。悔しいけれど何も言えなかった。



 前野の血を引く人間は特別秀でた能力は持たないが、その代わりに人を見る目だけは誰よりもあった。ぼんやりと分かるらしい、「こいつは大丈夫」と「こいつはヤバイ」などの人間の本質が。

 昔部費盗難事件の犯人として俺が疑われた時も、篤志は「人を見る目」でもってして真犯人を導き出し俺の汚名をそそいでくれた。煙草所持を疑われた時も、窓ガラス破損の犯人として疑われた時も。
 
 アレ、こうして考えると俺めちゃくちゃ疑われ続けてるな。まあでもこの不幸体質は父親からの遺伝なので、今更どうこうするつもりもない。篤志が居てくれてよかった、と言う話だ。


「……例え篤志が大丈夫だって思ってても。俺は全然思えないから、警戒し続けるぞ。俺が安心するまで精々守られることに付き合え」
「…………うん、分かった。ありがとな」
「自己満足だ、礼を言われる筋合いはねえ」

 少し遠くでチャイムが鳴る。あと五分で午後授業の始まりだ。戻るか、と立ち上がれば篤志も立って伸びをする。ぶわり、と四月終わりの風が、葉桜を揺らして駆け抜けた。

 そろそろ、四月が終わる。






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