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貴方の事は知りません
しおりを挟むあの子たちは逃げられただろうか。グジュグジュと皮膚が溶けていく音を聞きながら、力を振り絞って重たい盾を振るう。
腕、は、まだ繋がっている。骨、は、まだ溶けていない。なら、まだ、大丈夫だ。
少しでも時間を稼ぐ。あの子達が森の外へたどり着ける時間を。女王の御前にあの品を献上する時間を。
どうせ俺は死ねないのだ、女王が時間をかけて十全な準備をした兵をこの森に差し向けたとて生き残っているだろう。
「お、らあぁッ!」
力任せに盾を振るえば、スライムのような見た目をした魔物はビチャリと汚い音を立てて飛び散る。剥き出しになった核を掴んで引き摺り出し、フラフラの脚で踏みつけた。
「ぷキュっ」
「っは、気色、悪い声、出すなっての……」
核を潰されたスライムはそのままドロドロと溶けていき、やがて土の中へと吸収されていく。もうこの作業を何十回繰り返しただろう。まだ当分終わりそうにはない。
この魔物は核を守るようにして纏っているスライムに強力な酸性があるらしく、群れの中心で一人戦う俺の体はもう随分とぐちゃぐちゃに溶かされて、目も当てられない様になっていた。
本日の任務は、最近頻発している嘆きの森での不審な行方不明事件についての調査。
あくまで調査だった。だから出動命令を出された『剪定者』は俺以外まだまだひよっこの新人ばかりで、俺はその同伴者兼引率役。の、はずだった。
地元住民以外は寄りつかないと言う嘆きの森。そんな森を知り尽くしているであろう地元住民が、ここ数日で五人も行方不明になっている。行方不明になった誰もが、森を知り尽くしている老人やハンターたちだった。彼らのような玄人がいきなり森で遭難するとは考え難い。
少々緊張した面持ちのひよっこたちを引き連れて森に踏み込み、その最奥の洞窟でゾッとする光景を見た。
洞窟近辺に魔物が闊歩していた。その毒々しい紫の粘液の中に、幾つもの人骨を見た。半分溶かされて呻き声を上げている中年男性もいた。
このスライムは知能を持っており、明確な意思を持って人間を捕食しているのだ。そう思い至った。
一匹と対峙したが、粘度の高い外皮はろくなダメージを与えられない。俺の重い盾で轢き潰すようにしてようやく動きが止まった。剥き出しになった核はキラキラと輝いており、その表面からはまたじわじわと粘液が滲みだしている。
これは俺たちには手に負えない。撤退を、と声を上げた時にはすでに遅く、全方位を魔物の群れに囲まれていた。
こちらに居るのは弓使いや暗殺者といった斥候向きの役職ばかり。俺は耐久値が並外れて高いだけであって、魔力量はさほどない。新人三人を守り抜けるほどの技量はなかった。
『――走れ! 全員別の方向に!!』
俺はスライムから引き剥がした核を少年のうちの一人に持たせて指示を出し、何とか活路を開き森の外へと走らせた。少年たちの顔は青白かった。足が縺れそうになってる奴もいた。俺は相変わらずな自分の雇い主に悪態を吐きながら必死で盾を振るった。
俺たちをここに派遣した女王はわかっていたのだ。
最近の被害がこの魔物によって引き起こされていることを。そしてこの魔物が吐き出す粘液が強烈な酸性を有しており、兵器として有効利用できるかもしれないということを。
ああどうりで、俺以外の任務参加者は全員身軽で足が速い役職ばかりだ。元々こうなる予定だったのだろう。
俺を餌にして魔物を引き付けている間に、サンプルを採取した複数人を脱出させる。それを受け取って十分な対策をしたのち、魔物制圧の大義名分を振り翳してこの嘆きの森に攻め込むつもりだったのだ。
上手くいけば新たな兵器開発に必要な素材が手に入るし、無理だと判断したら森ごと焼き払って脅威から村を救ったと恩を売ればいい。
元々あいつらは半分くらい捨て駒だったのだろう。複数人いたのは、「誰か一人でも帰って来れば儲け物」程度。王宮にとって剪定者の命はそれくらい軽い。
そして俺は――何をやっても、死なないから。だから生餌にはピッタリ。彼女にとって俺はリサイクル可能な便利な捨て駒という認識なのだ。間違いはないが。
「いやー、でも、やっぱきついな。死なないって、きつい」
同胞の悲鳴を聞きつけてか、森の奥から草をかき分けてわんさかとスライムがやってくる。中には俺の背丈以上ある特大個体もいた。
ここは彼らの縄張りで、多分彼らはこの地域を守るための戦闘職だ。なら、完全にアウェーなのはこちらの方。
上手に死ねるかな、と乾いた笑いを零したところで、背後から草むらを掻き分ける音が響いた。
「――無事か!!」
体が溶けていく音を掻き消すように、凛と通る声が森の中に木霊する。ついで、目の前のスライムたちが青白くうねる炎に飲まれていく。
「もう大丈夫だ、安心してくれ。全て、俺が、焼き尽くす!」
風に靡くのは鬱蒼とした森の奥でもなお輝く銀の髪。俺の前に軽やかに躍り出た男は、安心させるかのように大きな声で宣言すると、その言葉通り圧倒的な火力で辺り一帯を火の海に変貌させた。
ああ、彼は確か、剪定者の中でも若くして女王に召し抱えられ、最近『庭園管理士』を戴冠したと噂の——。
「ハイン、リヒ……」
ハインリヒ・シヴァーデン。稀代の炎魔術の使い手にして、比類無き剣の使い手。前線に出ずとも良いほどの腕前なのに、なお民のためと率先して死地に赴き、絶望から全てを救う滅私の魔術騎士。
男が腕をかざし剣を振るうたびに、青白い炎は踊り狂って逃げ惑う魔物を容赦なく焼く。俺があれほど手こずっていた群れたちは、この男一人の登場であっという間に片付けられていく。
「まだ救える命があるぞ! アルファ小隊は洞窟内へ、ベータ小隊は負傷者の手当てを! 俺の炎は罪なきものは焼かない、魔物だけが炙られたはずだ! 救出を急げ!」
男の後ろに続いていた甲冑を身に纏う騎士たちが雪崩れ込んでくる。鎧に刻印されている紋章から見て、女王直属の近衛兵たちだろう。
増援が来て安心したのか、溶けかけている体がぐらりと揺らぐ。視界がぼんやりと滲んでいて音がどこか遠く聞こえた。死にかけている、のか。どうせ死ねないと言うのに。
そんな俺を抱き止めてくれる男が一人。剣を納めたハインリヒは、労るように俺の体を優しく抱き寄せる。冷たい甲冑が心地よかった。
「よくお一人で頑張られた、もう大丈夫ですよ」
「あの、子、たちは……」
とぎれとぎれの俺の言葉に耳を傾けるように顔を覗き込んできた二つのペールブルーが、大きく大きく見開かれる。信じられないものを見たように。
「いっしょ、に、来てたんだ……。そばかすのエルフの子と、褐色の弓使いと、獣人の暗殺者の子……。あのこ、たちは」
まだ年端もいかぬ子供達だった。きっと路頭に迷っていたところを女王の使者に拾われたのだろう。酸で溶かされて死ぬなんて酷くて惨めな終わり方なんてさせたくなかった。
あの子たちは逃げ延びただろうか。誰か一人ではなく、三人とも。
「――――なんで、何でアンタは『また』そんな役回りをやっている……!」
美しい顔が絶望に歪み、悲鳴じみた声が森に響く。アンタは何を言ってるんだ。またってどういう意味だ、俺達は初対面だろう。
それより、あの子達は無事なのか。
俺は身体が千切れそうなくらい抱きしめてくる不審な男に問いただすこともできずに、そのままぷつりと意識を失った。
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