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第四章 これが貴女の生きる道

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 ライオットと一緒に年越しの花火を見てから4か月が経った。



 柔らかい風が花壇に咲く花を優しく揺らし、ガーデンテーブルに甘い香りを運んでくれる。陽の日差しはどこまでも穏やかで、気を抜くとうっかりうたた寝をしてしまいそうになる。

 ーーああ、平和だな。

 藍音はティーカップを口元に運びながら、頬が緩むのを止められない。

 元の世界では結婚してからも……いや、結婚後の方があくせく働いていた藍音だけれども、専業主婦に憧れはあった。

 夫の稼いだ金で三食昼寝付きの生活をする。料理も洗濯も掃除も時間を気にせずマイペースにこなして、好きなテレビを見ながらお菓子を食べる。

 そんな生活が続いて、いつの間にか独身時代の服が入らなくなって「あら、やだ幸せ太りね」なんて都合の良い言い訳をして、旦那のが稼いだ金で買い物をする。

 そんな生活、最高じゃん。夢みたいだ。

 終電の時間を気にしながら月末の締めに追われている時、栄養ドリンク片手に決算処理をしている時、藍音は毎度専業主婦の自分を夢想した。

 でも結局、専業主婦になることは叶わなかった。先に智哉がその座を望んでしまったから。

 一つしか無い席を話し合いも無く座られた瞬間、正直狡いなと思った。ふんぞり返って座り続ける智哉を見て、私ばっかりどうして?と愚痴を吐いたこともあった。

 満員電車に揺られながら、一人の方がよっぽど良かった。どうして結婚なんかしちゃったんだろうと何度も後悔した。

 その度に、自分はそういう星の元に生まれたんだから仕方がないと言い聞かせた。

 どうせ落ち着きのない自分は3日で飽きて、すぐにまた働きたいって言い出すに決まっているとネガティブなのかポジティブなのかわからないことを心の中で呟いて、何とか誤魔化し続けて毎日を過ごしていた。

 けれど今、藍音は絵に描いたような三食昼寝付きの生活を送っている。感想は? と訊かれたら、快適ですと即答できる。

 とはいえ、ライオットとはまだ正式に離縁はしていない。今は所謂、別居状態というものだ。 

 離縁に同意したライオットは、アイネに一生不自由することがない慰謝料を用意したいと自ら言ってきた。

 レブロン家は国王の犬として公にできない案件を秘密裏で処理をしてきた。その報奨とかもあり、他の貴族に比べてかなりの財がある。

 そのため慰謝料として譲渡する財も多く、手続きにかなりの時間を要するらしい。

 藍音は離縁した後は、元の世界で培った知識を活かして小動物と触れ合えるカフェとか、輸入業を営みたいと思ってはいるが大金持ちになりたいわけじゃない。 

 それに、いつアイネの身体から魂が抜けるかわからない。だから、人一人が生きていけるだけの収益を上げてひっそりと暮らしていければ良いと思っている。

 と、思っているが生憎それを伝えることが難しいため、現在はライオットに提案されるがまま王都の端にあるレブロン家の別邸に身を寄せている。

 もともと数代前の侯爵夫人が趣味で建てたと言われるここは、通称『緑陰の館』と呼ばれている。邸宅と呼ぶには小規模ではあるが、元の世界の基準で言えば大豪邸。

 手入れの行き届いた木々の緑が美しく、馬車をちょっと走らせれば街に着くという利便性の良さもあり、藍音はここをとても気に入っている。

 ちなみにここも慰謝料に含まれているので、離縁後もそのまま住むことができる。

 他にも鉱山とか、領地とか手に負え無さそうな財産もライオットはアイネに与える気だ。

 ということを正式な書面を交わしていないのになぜ藍音が知っているかと言えば、マメに……とまではいかないけれど、ライオットとは連絡を取っているからだ。

 定期的に届く離婚手続きの状況報告を兼ねた手紙は、いつもアイネの気持ちに寄り添う内容だ。体調を気遣う言葉も添えられている。

 離婚は結婚の100倍大変だというのは、どこの世界でも同じのようで色々面倒くさい手続きが必要になる。それをライオットは全部処理してくれている。この先、アイネが困らないように心を砕いてくれている。

 けれども淡々と綴られる文面には、夜会の時のような熱を感じることはない。

 藍音とて、あの時ライオットに抱かれたいと思ったのが恋心だったのか、酔った勢いだったのか、熱が冷めた今ではわからない。

 ただ、丁寧に離縁の手続きを進める彼に対して一抹の寂しさを感じてしまう。でも時間が経てば忘れる感情なのだろう。

 もしくは、真実を告げることをしなかった罪悪感のせいで、後ろ髪を引かれているのかもしれない。

「ーーそれでね、アイネさん。フェリクスの剣術試合は一緒に行けそうかしら?」

 向かいから弾んだ声がして、ぼぉーっと流れる雲を見つめていた藍音ははっと我に返る。

 実は現在進行形で、継母ルマリアと義弟フェリクスとお茶会をしていたりもする。

「え、あ……はい。光栄ですわ。ですか、わたくしがご一緒しても宜しいのでしょうか?」

 取り繕った笑みを浮かべて藍音がルマリアに尋ねれば、フェリクスが返事をした。
 
「もちろんです。学生生活最後の試合なので、是非姉上に来て欲しいです」

 騎士志望の義理の弟は迷いの無い口調でそう言うと、照れ臭そうな笑みを浮かべた。ルマリアも言葉は発していないが、「絶対に来て」という無言の重圧をかけてくる。

 別居生活が始まって、変わらないものと変わったことがある。

 変わらなかったものは、侍女のジリーが傍に居続けてくれること。

 藍音はジリーとの関係は、離縁するまでのものだと思っていた。殺意が無かったとはいえ、毒を盛ってしまった相手と一緒にいるなんてやっぱり辛いと思うし、ジリーにはライオットが与える報奨で新しい人生を歩んで欲しいと思っていた。

 しかしジリーは、アイネの元から離れるのを頑なに拒んだ。傍に置いてくれるなら、報奨金など要らないなどと馬鹿なことまで言うくらいに。

 加えて、毒を盛った事実を未遂にした嘘に乗っかったのにと恨みがましい目で見られてしまった。

 流石にそれは何か違うと言い返したかったけれど、無意識にハグをしてしまった後では説得力は皆無。ジリーは今でもアイネの侍女として緑陰の館で補佐をしてくれている。

 逆に変化は沢山あった。住まいが変わったのはもちろんだけれど、メイドも変わったしシェフも変わったし、帳簿付けの内容も変わった。
 
 なにより一番の変化は、これまでまったく交流がなかった継母と義弟が頻繁に顔を出してくれるようになったこと。

 今年の夏に名門騎士学校を卒業するフェリクスは、その後、王城で騎士見習いとなる。
 
 これまでフェリクスがどんな学校生活を送っていたかは不明であるが、話を聞く限りでは優等生で剣術試合では毎年優勝しているらしい。

 無論、今年も優勝候補に名が挙がっている為、是非ともアイネにその勇姿を見て欲しいということだ。
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