親友に裏切られた侯爵令嬢は、兄の護衛騎士から愛を押し付けられる

当麻月菜

文字の大きさ
35 / 69
気付かないフリをしたままでいたい【夏】後編

6

しおりを挟む
 マリアンヌを壊れ物のように横抱きにしたクリスは、大股で目に付いた岩に移動する。そして、問答無用でマリアンヌをそこに座らせた。

「失礼させていただきます」

 そう言うが早いか、クリスは自身の手袋を外し、懐からハンカチを取り出す。それから、マリアンヌの濡れた足を拭き始めた。

「あ、あの……自分で」
「いけません」

 きっぱりと言い切るクリスの口調は、異様なほど圧力があり口を閉じざるを得ない。

 でも丁寧に足の指を一本一本ハンカチで拭う彼の手つきは、鳥肌が立つほど優しかった。

 剣だこがある節ばった手は大きく、自分の足などすっぽり隠れてしまう。しかも、これ以上無く丁重に拭いているというのに、拭き残しがないか素手で確認する徹底ぶりだった。

 そこまでしなくても良いのに。

 マリアンヌは、クリスを見下ろしながらそう思った。でも、口に出せない。

 少しでも身動ぎすると、すぐさま彼から睨まれてしまう状態で、そんなことを言っても聞いてもらえるはずがないだろう。

 でも、とてもくすぐったい。

 少しかさついたクリスの指先が触れるか触れないかという強さで、足の甲を撫で、そのまま足の裏に移動する。それが何度も往復するのだからたまったもんではない。
 
 ぞわりと不快でない何かが背中を走る。

「あ、あの……もっと雑に触っていただいても大丈夫です。それにこのお天気なら、そこまでしなくても乾きます」
「ったく、つまらない冗談を言わないでください」

 クリスのきつい言葉に、マリアンヌは瞬きを繰り返してしまう。

 こんなふうな物言いをクリスからされたのは始めてだ。不思議なことに、これもまた不快ではない。

 ただ、反対の足も同じ動作を繰り返すクリスには、いい加減にして欲しいとは思うけれど。

 くすぐったさを超えて、変な声が出てしまうのを堪えるのがとても辛いから。

「───……あまりヒヤヒヤさせないでください」

 マリアンヌの両足を拭き終え、ハンカチを懐に戻したクリスはポツリとそう言った。

 その口調は、不機嫌ではないけれど、恐ろしい悲劇を何とか回避できたといった感じの安堵からくるそれだった。

 約束より少し深いところに足を入れただけなのに、ずいぶんと大袈裟だ。

 マリアンヌはそう思った。でも、心配性ねとか、過保護ねとか、兄に向けて口にする言葉を飲み込んだ。

「……お魚がいたから」

 事情がわかれば、納得してもらえるだろう。マリアンヌはそう思い、おずおずと言ってみた。

 けれど、なぜかクリスは半目になる。

「ここは川ですから、魚くらいはいるでしょう。鳩かウサギでも泳いでいたなら、そりゃあ驚くかもしれませんが」

 呆れ切ったクリスの口調に、マリアンヌの眉が八の字になる。

 言われてみればその通りだ。
 でも、実際に川で泳ぐ魚を見たのは初めてだったのだ。はしゃいでしまったことは大目に見て欲しい。

 そんなことを目で訴える。そして、どうかこれ以上怒らないでとも。

 クリスと視線が絡み合う。

 彼のアイスブルーの瞳が世話がかかる子供を見る目つきから、次第に、今口にしたことを後悔するような目つきになる。

 そして最終的にクリスは、子煩悩な父親のように柔らかく目を細めた。

「そんなに見たいなら採ってきます。お待ち下さい」
「待って、いいわっ。そんなことしないで」

 素早く立ち上がって川へと足を向けるクリスの上着を、マリアンヌは慌てて引っ張った。

 予期せぬ行動に驚いたのだろう。クリスが前方へ倒れかかった。けれど、何とかバランスを取って、こちらに振り返る。

「……危ないです。マリアンヌ様」
「そうね。ごめんなさい。でも、魚は水の中でしか生きられないから、地上にあげてしまっては可哀想だわ。だから、いいの。ワガママを言ってしまって、ごめんなさい ───あ」

 最後に短い声をあげたマリアンヌは、心底申し訳ないといった感じで、しゅんと肩を落とした。

「……ごめんなさい」
「なにをそう何度も謝っておられるのですか?」

 謝罪の言葉はもう飽き飽きだという彼の口調がひどく不機嫌で、マリアンヌはクリスから目を逸らして口を開いた。

「……あなたの上着を濡らしてしまって」
「上着?ああ、そういうことですか」

 クリスは自分の上着を少し持ち上げて、小さく笑った。

「お気になさらず。こんなもの、すぐ乾きますよ」
「でも」
「でも、じゃないです。あなたもさっき言ったじゃないですか。このお天気なら、そこまでしなくても乾きますって」

 なんでもないと言った感じのクリスの声音に、マリアンヌは顔を上げた。

 太陽を背にした彼は、曇りの無い笑みを浮かべていた。

 マリアンヌはふと気付く。この前もそうだったと。

 街でクリスの上着に皺を付けてしまった時も、彼はこんな笑みを浮かべていた。まったく怒っていなかった。

「あなたは優しい人なのね」

 気持ちのままを言葉にすれば───。




 なぜかクリスは、片手で顔を覆って顔を背けた。

 指の間から見えるその顔は、ほんのりと赤く染まっていた。 
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。 ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。 ※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。 ※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。 ※新作です。アルファポリス様が先行します。

幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~

二階堂吉乃
恋愛
 同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。  1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。  一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。

四人の令嬢と公爵と

オゾン層
恋愛
「貴様らのような田舎娘は性根が腐っている」  ガルシア辺境伯の令嬢である4人の姉妹は、アミーレア国の王太子の婚約候補者として今の今まで王太子に尽くしていた。国王からも認められた有力な婚約候補者であったにも関わらず、無知なロズワート王太子にある日婚約解消を一方的に告げられ、挙げ句の果てに同じく婚約候補者であったクラシウス男爵の令嬢であるアレッサ嬢の企みによって冤罪をかけられ、隣国を治める『化物公爵』の婚約者として輿入という名目の国外追放を受けてしまう。  人間以外の種族で溢れた隣国ベルフェナールにいるとされる化物公爵ことラヴェルト公爵の兄弟はその恐ろしい容姿から他国からも黒い噂が絶えず、ガルシア姉妹は怯えながらも覚悟を決めてベルフェナール国へと足を踏み入れるが…… 「おはよう。よく眠れたかな」 「お前すごく可愛いな!!」 「花がよく似合うね」 「どうか今日も共に過ごしてほしい」  彼らは見た目に反し、誠実で純愛な兄弟だった。  一方追放を告げられたアミーレア王国では、ガルシア辺境伯令嬢との婚約解消を聞きつけた国王がロズワート王太子に対して右ストレートをかましていた。 ※初ジャンルの小説なので不自然な点が多いかもしれませんがご了承ください

転生した子供部屋悪役令嬢は、悠々快適溺愛ライフを満喫したい!

木風
恋愛
婚約者に裏切られ、成金伯爵令嬢の仕掛けに嵌められた私は、あっけなく「悪役令嬢」として婚約を破棄された。 胸に広がるのは、悔しさと戸惑いと、まるで物語の中に迷い込んだような不思議な感覚。 けれど、この身に宿るのは、かつて過労に倒れた29歳の女医の記憶。 勉強も社交も面倒で、ただ静かに部屋に籠もっていたかったのに…… 『神に愛された強運チート』という名の不思議な加護が、私を思いもよらぬ未来へと連れ出していく。 子供部屋の安らぎを夢見たはずが、待っていたのは次期国王……王太子殿下のまなざし。 逃れられない運命と、抗いようのない溺愛に、私の物語は静かに色を変えていく。 時に笑い、時に泣き、時に振り回されながらも、私は今日を生きている。 これは、婚約破棄から始まる、転生令嬢のちぐはぐで胸の騒がしい物語。 ※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」にて同時掲載しております。 表紙イラストは、Wednesday (Xアカウント:@wednesday1029)さんに描いていただきました。 ※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。 ©︎子供部屋悪役令嬢 / 木風 Wednesday

ストーカー婚約者でしたが、転生者だったので経歴を身綺麗にしておく

犬野きらり
恋愛
リディア・ガルドニ(14)、本日誕生日で転生者として気付きました。私がつい先程までやっていた行動…それは、自分の婚約者に対して重い愛ではなく、ストーカー行為。 「絶対駄目ーー」 と前世の私が気づかせてくれ、そもそも何故こんな男にこだわっていたのかと目が覚めました。 何の物語かも乙女ゲームの中の人になったのかもわかりませんが、私の黒歴史は証拠隠滅、慰謝料ガッポリ、新たな出会い新たな人生に進みます。 募集 婿入り希望者 対象外は、嫡男、後継者、王族 目指せハッピーエンド(?)!! 全23話で完結です。 この作品を気に留めて下さりありがとうございます。感謝を込めて、その後(直後)2話追加しました。25話になりました。

結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた

夏菜しの
恋愛
 幼馴染のルーカスの態度は、年頃になっても相変わらず気安い。  彼のその変わらぬ態度のお陰で、周りから男女の仲だと勘違いされて、公爵令嬢エーデルトラウトの相手はなかなか決まらない。  そんな現状をヤキモキしているというのに、ルーカスの方は素知らぬ顔。  彼は思いのままに平民の娘と恋人関係を持っていた。  いっそそのまま結婚してくれれば、噂は間違いだったと知れるのに、あちらもやっぱり公爵家で、平民との結婚など許さんと反対されていた。  のらりくらりと躱すがもう限界。  いよいよ親が煩くなってきたころ、ルーカスがやってきて『偽装結婚しないか?』と提案された。  彼の愛人を黙認する代わりに、贅沢と自由が得られる。  これで煩く言われないとすると、悪くない提案じゃない?  エーデルトラウトは軽い気持ちでその提案に乗った。

【完結】転生したぐうたら令嬢は王太子妃になんかになりたくない

金峯蓮華
恋愛
子供の頃から休みなく忙しくしていた貴子は公認会計士として独立するために会社を辞めた日に事故に遭い、死の間際に生まれ変わったらぐうたらしたい!と願った。気がついたら中世ヨーロッパのような世界の子供、ヴィヴィアンヌになっていた。何もしないお姫様のようなぐうたらライフを満喫していたが、突然、王太子に求婚された。王太子妃になんかなったらぐうたらできないじゃない!!ヴィヴィアンヌピンチ! 小説家になろうにも書いてます。

処理中です...