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気付かないフリをしたままでいたい【夏】後編
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マリアンヌを壊れ物のように横抱きにしたクリスは、大股で目に付いた岩に移動する。そして、問答無用でマリアンヌをそこに座らせた。
「失礼させていただきます」
そう言うが早いか、クリスは自身の手袋を外し、懐からハンカチを取り出す。それから、マリアンヌの濡れた足を拭き始めた。
「あ、あの……自分で」
「いけません」
きっぱりと言い切るクリスの口調は、異様なほど圧力があり口を閉じざるを得ない。
でも丁寧に足の指を一本一本ハンカチで拭う彼の手つきは、鳥肌が立つほど優しかった。
剣だこがある節ばった手は大きく、自分の足などすっぽり隠れてしまう。しかも、これ以上無く丁重に拭いているというのに、拭き残しがないか素手で確認する徹底ぶりだった。
そこまでしなくても良いのに。
マリアンヌは、クリスを見下ろしながらそう思った。でも、口に出せない。
少しでも身動ぎすると、すぐさま彼から睨まれてしまう状態で、そんなことを言っても聞いてもらえるはずがないだろう。
でも、とてもくすぐったい。
少しかさついたクリスの指先が触れるか触れないかという強さで、足の甲を撫で、そのまま足の裏に移動する。それが何度も往復するのだからたまったもんではない。
ぞわりと不快でない何かが背中を走る。
「あ、あの……もっと雑に触っていただいても大丈夫です。それにこのお天気なら、そこまでしなくても乾きます」
「ったく、つまらない冗談を言わないでください」
クリスのきつい言葉に、マリアンヌは瞬きを繰り返してしまう。
こんなふうな物言いをクリスからされたのは始めてだ。不思議なことに、これもまた不快ではない。
ただ、反対の足も同じ動作を繰り返すクリスには、いい加減にして欲しいとは思うけれど。
くすぐったさを超えて、変な声が出てしまうのを堪えるのがとても辛いから。
「───……あまりヒヤヒヤさせないでください」
マリアンヌの両足を拭き終え、ハンカチを懐に戻したクリスはポツリとそう言った。
その口調は、不機嫌ではないけれど、恐ろしい悲劇を何とか回避できたといった感じの安堵からくるそれだった。
約束より少し深いところに足を入れただけなのに、ずいぶんと大袈裟だ。
マリアンヌはそう思った。でも、心配性ねとか、過保護ねとか、兄に向けて口にする言葉を飲み込んだ。
「……お魚がいたから」
事情がわかれば、納得してもらえるだろう。マリアンヌはそう思い、おずおずと言ってみた。
けれど、なぜかクリスは半目になる。
「ここは川ですから、魚くらいはいるでしょう。鳩かウサギでも泳いでいたなら、そりゃあ驚くかもしれませんが」
呆れ切ったクリスの口調に、マリアンヌの眉が八の字になる。
言われてみればその通りだ。
でも、実際に川で泳ぐ魚を見たのは初めてだったのだ。はしゃいでしまったことは大目に見て欲しい。
そんなことを目で訴える。そして、どうかこれ以上怒らないでとも。
クリスと視線が絡み合う。
彼のアイスブルーの瞳が世話がかかる子供を見る目つきから、次第に、今口にしたことを後悔するような目つきになる。
そして最終的にクリスは、子煩悩な父親のように柔らかく目を細めた。
「そんなに見たいなら採ってきます。お待ち下さい」
「待って、いいわっ。そんなことしないで」
素早く立ち上がって川へと足を向けるクリスの上着を、マリアンヌは慌てて引っ張った。
予期せぬ行動に驚いたのだろう。クリスが前方へ倒れかかった。けれど、何とかバランスを取って、こちらに振り返る。
「……危ないです。マリアンヌ様」
「そうね。ごめんなさい。でも、魚は水の中でしか生きられないから、地上にあげてしまっては可哀想だわ。だから、いいの。ワガママを言ってしまって、ごめんなさい ───あ」
最後に短い声をあげたマリアンヌは、心底申し訳ないといった感じで、しゅんと肩を落とした。
「……ごめんなさい」
「なにをそう何度も謝っておられるのですか?」
謝罪の言葉はもう飽き飽きだという彼の口調がひどく不機嫌で、マリアンヌはクリスから目を逸らして口を開いた。
「……あなたの上着を濡らしてしまって」
「上着?ああ、そういうことですか」
クリスは自分の上着を少し持ち上げて、小さく笑った。
「お気になさらず。こんなもの、すぐ乾きますよ」
「でも」
「でも、じゃないです。あなたもさっき言ったじゃないですか。このお天気なら、そこまでしなくても乾きますって」
なんでもないと言った感じのクリスの声音に、マリアンヌは顔を上げた。
太陽を背にした彼は、曇りの無い笑みを浮かべていた。
マリアンヌはふと気付く。この前もそうだったと。
街でクリスの上着に皺を付けてしまった時も、彼はこんな笑みを浮かべていた。まったく怒っていなかった。
「あなたは優しい人なのね」
気持ちのままを言葉にすれば───。
なぜかクリスは、片手で顔を覆って顔を背けた。
指の間から見えるその顔は、ほんのりと赤く染まっていた。
「失礼させていただきます」
そう言うが早いか、クリスは自身の手袋を外し、懐からハンカチを取り出す。それから、マリアンヌの濡れた足を拭き始めた。
「あ、あの……自分で」
「いけません」
きっぱりと言い切るクリスの口調は、異様なほど圧力があり口を閉じざるを得ない。
でも丁寧に足の指を一本一本ハンカチで拭う彼の手つきは、鳥肌が立つほど優しかった。
剣だこがある節ばった手は大きく、自分の足などすっぽり隠れてしまう。しかも、これ以上無く丁重に拭いているというのに、拭き残しがないか素手で確認する徹底ぶりだった。
そこまでしなくても良いのに。
マリアンヌは、クリスを見下ろしながらそう思った。でも、口に出せない。
少しでも身動ぎすると、すぐさま彼から睨まれてしまう状態で、そんなことを言っても聞いてもらえるはずがないだろう。
でも、とてもくすぐったい。
少しかさついたクリスの指先が触れるか触れないかという強さで、足の甲を撫で、そのまま足の裏に移動する。それが何度も往復するのだからたまったもんではない。
ぞわりと不快でない何かが背中を走る。
「あ、あの……もっと雑に触っていただいても大丈夫です。それにこのお天気なら、そこまでしなくても乾きます」
「ったく、つまらない冗談を言わないでください」
クリスのきつい言葉に、マリアンヌは瞬きを繰り返してしまう。
こんなふうな物言いをクリスからされたのは始めてだ。不思議なことに、これもまた不快ではない。
ただ、反対の足も同じ動作を繰り返すクリスには、いい加減にして欲しいとは思うけれど。
くすぐったさを超えて、変な声が出てしまうのを堪えるのがとても辛いから。
「───……あまりヒヤヒヤさせないでください」
マリアンヌの両足を拭き終え、ハンカチを懐に戻したクリスはポツリとそう言った。
その口調は、不機嫌ではないけれど、恐ろしい悲劇を何とか回避できたといった感じの安堵からくるそれだった。
約束より少し深いところに足を入れただけなのに、ずいぶんと大袈裟だ。
マリアンヌはそう思った。でも、心配性ねとか、過保護ねとか、兄に向けて口にする言葉を飲み込んだ。
「……お魚がいたから」
事情がわかれば、納得してもらえるだろう。マリアンヌはそう思い、おずおずと言ってみた。
けれど、なぜかクリスは半目になる。
「ここは川ですから、魚くらいはいるでしょう。鳩かウサギでも泳いでいたなら、そりゃあ驚くかもしれませんが」
呆れ切ったクリスの口調に、マリアンヌの眉が八の字になる。
言われてみればその通りだ。
でも、実際に川で泳ぐ魚を見たのは初めてだったのだ。はしゃいでしまったことは大目に見て欲しい。
そんなことを目で訴える。そして、どうかこれ以上怒らないでとも。
クリスと視線が絡み合う。
彼のアイスブルーの瞳が世話がかかる子供を見る目つきから、次第に、今口にしたことを後悔するような目つきになる。
そして最終的にクリスは、子煩悩な父親のように柔らかく目を細めた。
「そんなに見たいなら採ってきます。お待ち下さい」
「待って、いいわっ。そんなことしないで」
素早く立ち上がって川へと足を向けるクリスの上着を、マリアンヌは慌てて引っ張った。
予期せぬ行動に驚いたのだろう。クリスが前方へ倒れかかった。けれど、何とかバランスを取って、こちらに振り返る。
「……危ないです。マリアンヌ様」
「そうね。ごめんなさい。でも、魚は水の中でしか生きられないから、地上にあげてしまっては可哀想だわ。だから、いいの。ワガママを言ってしまって、ごめんなさい ───あ」
最後に短い声をあげたマリアンヌは、心底申し訳ないといった感じで、しゅんと肩を落とした。
「……ごめんなさい」
「なにをそう何度も謝っておられるのですか?」
謝罪の言葉はもう飽き飽きだという彼の口調がひどく不機嫌で、マリアンヌはクリスから目を逸らして口を開いた。
「……あなたの上着を濡らしてしまって」
「上着?ああ、そういうことですか」
クリスは自分の上着を少し持ち上げて、小さく笑った。
「お気になさらず。こんなもの、すぐ乾きますよ」
「でも」
「でも、じゃないです。あなたもさっき言ったじゃないですか。このお天気なら、そこまでしなくても乾きますって」
なんでもないと言った感じのクリスの声音に、マリアンヌは顔を上げた。
太陽を背にした彼は、曇りの無い笑みを浮かべていた。
マリアンヌはふと気付く。この前もそうだったと。
街でクリスの上着に皺を付けてしまった時も、彼はこんな笑みを浮かべていた。まったく怒っていなかった。
「あなたは優しい人なのね」
気持ちのままを言葉にすれば───。
なぜかクリスは、片手で顔を覆って顔を背けた。
指の間から見えるその顔は、ほんのりと赤く染まっていた。
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