7 / 47
第1章 今世の無慈悲な婚約者
5
気まずい沈黙が続いて、フェリシアはお茶を飲み続ける。しかし華奢なデザインのティーカップにはお茶は僅かな量しか入っておらず、すぐに空になる。
(お代わりしたいけど、今、席を立つのはよろしくない気がする……)
イクセルは薄く微笑み、口を開くタイミングをうかがうように、じっとこちらを見ている。ああ……辛い。
物音ひとつ立てただけで世界が破滅するような緊迫感の中、フェリシアは空になったティーカップをソーサーに慎重に戻す。
その瞬間、イクセルの唇が動いた。
「フェリシア殿、率直にお尋ねしますがもしかして私がここに来たことは迷惑でしたか?」
「ひっ……!」
低く艶やかな彼の声音は、今のフェリシアにとって心臓をナイフで撫でられるようなものだった。
無意識に声にならない悲鳴をあげてしまった途端、イクセルはこの世の終わりのような悲しげな表情を浮かべた。
「そうですか。貴女を困らせるつもりはなかったのですが……申し訳ありません」
「い、いえ」
条件反射で首を横に振ると、イクセルの表情がわずかに変わった。
「つまり、迷惑ではないと?」
「え?……あ、いえ……その……」
現在、フェリシアの中でイクセルは、会いたくない人ランキングでぶっちぎりの一位だ。迷惑に決まっている。今すぐ帰ってほしい。
そう言えたらどんなに気持ちが楽になるだろう。
しかし父と兄が王都で家門を存続させるべく奔走している最中、別荘で避暑ライフを満喫している自分がイクセルに無礼の上塗りをすることだけは絶対に避けなければならない。
フェリシアは前世で培った社会人の対人スキルを必死に思い出す。営業補佐として働いていた時は、急なトラブルだって何とか処理してきた。
今の自分は、あの頃とは姿も年齢もまったく違うけれど、度胸だけは変わらないはずだ。
「ねえ、イクセル様。駆け引きはそろそろやめませんこと?」
頭が切れる相手に姑息な手段を使うのは愚策。無駄な探り合いを放棄して、腹を割って話をするのが解決への近道だ。
前世の自分が出した答えに従い、フェリシアはイクセルに人懐っこい笑みを向けた。しかし彼は、提案に乗ってくれなかった。
「その言い方はちょっと心外です。私はここにきて一度も貴女の気持ちを試すような真似はしてませんよ」
心底驚いた顔をするイクセルは、天性の嘘つきなのかもしれない。
「わたくしだって、貴方の気持ちを試すような真似はしてません」
「ほう。それはこの場に限ってのことですか?」
「まさか。過去一度だって、わたくしそんなことは──」
「お見合いの席でも?」
「ええ。あ……っ!」
このやり取りは誘導尋問だった。まんまとそれに嵌ってしまったフェリシアは、とりあえず口をつぐむ。
「フェリシア嬢、今一度訊きますが、あのお見合いで取った貴方の態度は、私の気持ちを試したわけじゃないということですか?」
「えっと……気持ちを試すって……何を?」
「俗に言う”男の器”を、ですよ。わざと腹を立たせるような行動を取って、私がどこで気を悪くするかどうか推し量っていたのでは?」
「わたくしがそんな馬鹿みたいな測定をして、家門を危機にさらすような女に見えますか!?」
失礼極まりないイクセルの質問に、つい噛みつくように言い返してしまったフェリシアだが、これもまた失言だった。
「そうですね。見えません。ただ、あの日の貴女の行動が駆け引きだったら……とは、今でも願っていますけど」
「あはっ……どうでしょう……ふふっ」
「ま、違うなら違うで、ちゃんと説明をしてほしいですけどね」
ふわっふわな回答で逃げようとしたフェリシアを、イクセルはしっかりと捕まえた。
「で、どうしてお見合いの途中で帰られてしまったのですか?説明をお願いします」
やっと本題に入ってくれたが、失態が続いてしまったフェリシアはアップアップになっている。まともに話せる状態ではない。
そもそもお見合いを放棄した理由は前世の自分からの警告に従っただけ。でも、そんなこと言おうものなら、イクセルの怒りを助長するだけだ。
「あ、えっと……その……お、怒らないで聞いてくださいます?」
「もちろん。私はそんな手荒な真似をする男ではありませんので安心してください」
どの口が言うんだ!と、フェリシアは心の中で叫んだ。しかしそれをぐっと押し込み、口を開く。
「まずわたくしからお見合いを望んだというのに、あのような態度を取って申し訳ございません。本当にお恥ずかしいというか情けない話なのですが……あの場から逃げたのは、わたくしにアベンス家の一員になる覚悟が足りなかったからなのです」
「つまり怖気づいてしまった、と?」
「は、はい!そうです、そうなのです!」
マザコンの男との結婚に怖気づいた。それが正しい理由だが、まぁ似たようなものだ。
感情と口から出た言葉が一致して、フェリシアは何度もコクコクと頷く。だが頷けば頷くほど、イクセルは怪訝な表情になる。
「しかしフェリシア嬢、貴女はお見合い前に私に手紙をくださいましたよね」
そう言いながらイクセルは制服の上着の内側に手を入れ、現物を取り出した。
見覚えのある薄紫色の封筒を視野に入れた途端、あ、しまったと、フェリシアはお見合い直前の記憶を思い出して冷や汗を垂らす。
すっかり忘れていたけれど、如何なる努力をしてでも公爵夫人に相応しいと思ってもらえる自分になります的な決意表明に近い手紙をイクセル宛に送っていた。
(もう、馬鹿!わたくしの馬鹿!!)
前世の記憶がなかったとはいえ、ルンルン気分でこんな男に熱烈な内容の手紙を書いていた自分を、フェリシアは心底恨んだ。
(お代わりしたいけど、今、席を立つのはよろしくない気がする……)
イクセルは薄く微笑み、口を開くタイミングをうかがうように、じっとこちらを見ている。ああ……辛い。
物音ひとつ立てただけで世界が破滅するような緊迫感の中、フェリシアは空になったティーカップをソーサーに慎重に戻す。
その瞬間、イクセルの唇が動いた。
「フェリシア殿、率直にお尋ねしますがもしかして私がここに来たことは迷惑でしたか?」
「ひっ……!」
低く艶やかな彼の声音は、今のフェリシアにとって心臓をナイフで撫でられるようなものだった。
無意識に声にならない悲鳴をあげてしまった途端、イクセルはこの世の終わりのような悲しげな表情を浮かべた。
「そうですか。貴女を困らせるつもりはなかったのですが……申し訳ありません」
「い、いえ」
条件反射で首を横に振ると、イクセルの表情がわずかに変わった。
「つまり、迷惑ではないと?」
「え?……あ、いえ……その……」
現在、フェリシアの中でイクセルは、会いたくない人ランキングでぶっちぎりの一位だ。迷惑に決まっている。今すぐ帰ってほしい。
そう言えたらどんなに気持ちが楽になるだろう。
しかし父と兄が王都で家門を存続させるべく奔走している最中、別荘で避暑ライフを満喫している自分がイクセルに無礼の上塗りをすることだけは絶対に避けなければならない。
フェリシアは前世で培った社会人の対人スキルを必死に思い出す。営業補佐として働いていた時は、急なトラブルだって何とか処理してきた。
今の自分は、あの頃とは姿も年齢もまったく違うけれど、度胸だけは変わらないはずだ。
「ねえ、イクセル様。駆け引きはそろそろやめませんこと?」
頭が切れる相手に姑息な手段を使うのは愚策。無駄な探り合いを放棄して、腹を割って話をするのが解決への近道だ。
前世の自分が出した答えに従い、フェリシアはイクセルに人懐っこい笑みを向けた。しかし彼は、提案に乗ってくれなかった。
「その言い方はちょっと心外です。私はここにきて一度も貴女の気持ちを試すような真似はしてませんよ」
心底驚いた顔をするイクセルは、天性の嘘つきなのかもしれない。
「わたくしだって、貴方の気持ちを試すような真似はしてません」
「ほう。それはこの場に限ってのことですか?」
「まさか。過去一度だって、わたくしそんなことは──」
「お見合いの席でも?」
「ええ。あ……っ!」
このやり取りは誘導尋問だった。まんまとそれに嵌ってしまったフェリシアは、とりあえず口をつぐむ。
「フェリシア嬢、今一度訊きますが、あのお見合いで取った貴方の態度は、私の気持ちを試したわけじゃないということですか?」
「えっと……気持ちを試すって……何を?」
「俗に言う”男の器”を、ですよ。わざと腹を立たせるような行動を取って、私がどこで気を悪くするかどうか推し量っていたのでは?」
「わたくしがそんな馬鹿みたいな測定をして、家門を危機にさらすような女に見えますか!?」
失礼極まりないイクセルの質問に、つい噛みつくように言い返してしまったフェリシアだが、これもまた失言だった。
「そうですね。見えません。ただ、あの日の貴女の行動が駆け引きだったら……とは、今でも願っていますけど」
「あはっ……どうでしょう……ふふっ」
「ま、違うなら違うで、ちゃんと説明をしてほしいですけどね」
ふわっふわな回答で逃げようとしたフェリシアを、イクセルはしっかりと捕まえた。
「で、どうしてお見合いの途中で帰られてしまったのですか?説明をお願いします」
やっと本題に入ってくれたが、失態が続いてしまったフェリシアはアップアップになっている。まともに話せる状態ではない。
そもそもお見合いを放棄した理由は前世の自分からの警告に従っただけ。でも、そんなこと言おうものなら、イクセルの怒りを助長するだけだ。
「あ、えっと……その……お、怒らないで聞いてくださいます?」
「もちろん。私はそんな手荒な真似をする男ではありませんので安心してください」
どの口が言うんだ!と、フェリシアは心の中で叫んだ。しかしそれをぐっと押し込み、口を開く。
「まずわたくしからお見合いを望んだというのに、あのような態度を取って申し訳ございません。本当にお恥ずかしいというか情けない話なのですが……あの場から逃げたのは、わたくしにアベンス家の一員になる覚悟が足りなかったからなのです」
「つまり怖気づいてしまった、と?」
「は、はい!そうです、そうなのです!」
マザコンの男との結婚に怖気づいた。それが正しい理由だが、まぁ似たようなものだ。
感情と口から出た言葉が一致して、フェリシアは何度もコクコクと頷く。だが頷けば頷くほど、イクセルは怪訝な表情になる。
「しかしフェリシア嬢、貴女はお見合い前に私に手紙をくださいましたよね」
そう言いながらイクセルは制服の上着の内側に手を入れ、現物を取り出した。
見覚えのある薄紫色の封筒を視野に入れた途端、あ、しまったと、フェリシアはお見合い直前の記憶を思い出して冷や汗を垂らす。
すっかり忘れていたけれど、如何なる努力をしてでも公爵夫人に相応しいと思ってもらえる自分になります的な決意表明に近い手紙をイクセル宛に送っていた。
(もう、馬鹿!わたくしの馬鹿!!)
前世の記憶がなかったとはいえ、ルンルン気分でこんな男に熱烈な内容の手紙を書いていた自分を、フェリシアは心底恨んだ。
あなたにおすすめの小説
三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで
狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。
一度目は信じた。
二度目は耐えた。
三度目は――すべてを失った。
そして私は、屋上から身を投げた。
……はずだった。
目を覚ますと、そこは過去。
すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。
――四度目の人生。
これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、
同じように裏切られ、すべてを失ってきた。
だから今度は、もう決めている。
「もう、陸翔はいらない」
愛していた。
けれど、もう疲れた。
今度こそ――
自分を守るために、家族を守るために、
私は、自分から手を放す。
これは、三度裏切られた女が、
四度目の人生で「選び直す」物語。
隠れ蓑婚約者 ~了解です。貴方が王女殿下に相応しい地位を得るまで、ご協力申し上げます~
夏笆(なつは)
恋愛
ロブレス侯爵家のフィロメナの婚約者は、魔法騎士としてその名を馳せる公爵家の三男ベルトラン・カルビノ。
ふたりの婚約が整ってすぐ、フィロメナは王女マリルーより、自身とベルトランは昔からの恋仲だと打ち明けられる。
『ベルトランはね、あたくしに相応しい爵位を得ようと必死なのよ。でも時間がかかるでしょう?だからその間、隠れ蓑としての婚約者、よろしくね』
可愛い見た目に反するフィロメナを貶める言葉に衝撃を受けるも、フィロメナはベルトランにも確認をしようとして、機先を制するように『マリルー王女の警護があるので、君と夜会に行くことは出来ない。今後についても、マリルー王女の警護を優先する』と言われてしまう。
更に『俺が同行できない夜会には、出席しないでくれ』と言われ、その後に王女マリルーより『ベルトランがごめんなさいね。夜会で貴女と遭遇してしまったら、あたくしの気持ちが落ち着かないだろうって配慮なの』と聞かされ、自由にしようと決意する。
『俺が同行出来ない夜会には、出席しないでくれと言った』
『そんなのいつもじゃない!そんなことしていたら、若さが逃げちゃうわ!』
夜会の出席を巡ってベルトランと口論になるも、フィロメナにはどうしても夜会に行きたい理由があった。
それは、ベルトランと婚約破棄をしてもひとりで生きていけるよう、靴の事業を広めること。
そんな折、フィロメナは、ベルトランから、魔法騎士の特別訓練を受けることになったと聞かされる。
期間は一年。
厳しくはあるが、訓練を修了すればベルトランは伯爵位を得ることが出来、王女との婚姻も可能となる。
つまり、その時に婚約破棄されると理解したフィロメナは、会うことも出来ないと言われた訓練中の一年で、何とか自立しようと努力していくのだが、そもそもすべてがすれ違っていた・・・・・。
この物語は、互いにひと目で恋に落ちた筈のふたりが、言葉足らずや誤解、曲解を繰り返すうちに、とんでもないすれ違いを引き起こす、魔法騎士や魔獣も出て来るファンタジーです。
あらすじの内容と実際のお話では、順序が一致しない場合があります。
小説家になろうでも、掲載しています。
Hotランキング1位、ありがとうございます。
結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です
柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。
そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。
真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。
けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。
「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」
彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。
アンリは実は、亡き国王の婚外子。
皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。
完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ
音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。
だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。
相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。
どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。
真実の愛の裏側
藍田ひびき
恋愛
アレックス・ロートン侯爵令息の第一夫人シェリルが療養のため領地へ居を移した。それは療養とは名ばかりの放逐。
男爵家出身でありながら侯爵令息に見初められ、「真実の愛」と持て囃された彼女の身に何があったのか。その裏に隠された事情とは――?
※ 他サイトにも投稿しています。
再会の約束の場所に彼は現れなかった
四折 柊
恋愛
ロジェはジゼルに言った。「ジゼル。三年後にここに来てほしい。僕は君に正式に婚約を申し込みたい」と。平民のロジェは男爵令嬢であるジゼルにプロポーズするために博士号を得たいと考えていた。彼は能力を見込まれ、隣国の研究室に招待されたのだ。
そして三年後、ジゼルは約束の場所でロジェを待った。ところが彼は現れない。代わりにそこに来たのは見知らぬ美しい女性だった。彼女はジゼルに残酷な言葉を放つ。「彼は私と結婚することになりました」とーーーー。(全5話)
婚約者が私のことをゴリラと言っていたので、距離を置くことにしました
相馬香子
恋愛
ある日、クローネは婚約者であるレアルと彼の友人たちの会話を盗み聞きしてしまう。
――男らしい? ゴリラ?
クローネに対するレアルの言葉にショックを受けた彼女は、レアルに絶交を突きつけるのだった。
デリカシーゼロ男と男装女子の織り成す、勘違い系ラブコメディです。