前世の私が邪魔して、今世の貴方を好きにはなれません!

当麻月菜

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第1章 今世の無慈悲な婚約者

 潔い……いや、いささかよすぎるイクセルの発言に、呆れとか怒りを通り越してフェリシアは感服してしまう。

 一方、無言でいるフェリシアをどう受け止めたのかわからないが、イクセルはテーブルに肘を付き物騒なことを言った。

「私は貴女に必要以上のことを話してしまいました。もし仮に婚約を受け入れないというなら、どんな手段を使っても貴女の記憶を消さなければなりません」

 この男、本当に警護隊の一員なのだろうか。国法を一から学び直してほしい。

「いいんですか?国の秩序を守るアベンス家の貴方がそんなことをおっしゃって」
「いいですよ。なぜならこの会話もろとも消しますから」

 本気の口調に、フェリシアは怖気が立つ。あまりに恐ろしすぎて、隠そうとしていた本音を口にしてしまった。

「どうせ記憶を消されるなら、貴方のお母様がどうしてお見合いの場にいたかだけは知りたかった……」
「おそらく見合いをぶち壊すためにやって来たのでしょう」
「……そうですか。ならわたくし、駆け足で馬車に戻る必要はなかったですね」

 しみじみと呟けば、イクセルは「まぁ、そうですね」と雑な返事をする。今の彼は仮初の婚約者になるか、ならないかの返事しか求めてないようだ。 

 きっと今のイクセルの頭の中は、意中の女性のことで埋め尽くされているのだろう。

(どのみち、彼とわたくしは結ばれる運命ではなかったのね)

 マザコン男なんて二度と御免と振ったけれど、実は彼はマザコンではなく他に好いた女性がいた。

 振ったつもりが振られたような感じになってしまったことに悔しくないと言えば嘘になるが、イクセルの性根の悪さを痛感した今、やっぱり彼と結ばれなくて良かったとお思う。

(前世の記憶はもしかしたらこのために与えられたのかもしれない)

 天にも昇るような気持ちで向かったお見合いが、実は利用されるだけの舞台だと知った時、以前の自分だったら立ち直ることはできなかっただろう。

「……ねぇ、イクセル様。もしもの話ですが、わたくしがお見合いを逃げなかったら、貴方は黙ってわたくしのことを利用していたのかしら」

 真っ直ぐにイクセルを見つめて問えば、彼は足を組み直した。

「さぁ、どうでしょう。ただ貴女を泣かすような真似だけはしなかったと誓って言えます」
「そう。誠実なんですね」
「ええ。貴女にだけはずっと。出会った頃から」

 嘘ばっかり。だけど利用されることを受け入れてしまった今、その言葉にほんの少しだけ救われたような気がする。

「わたくし貴方の期間限定の婚約者になりますわ」

 居住まいを正して、フェリシアは凛とした声で宣言する。その姿を見たイクセルは、綺麗な所作で右手を左胸に当てた。

「ありがとう。フェリシア嬢、貴女に心からの感謝を」
「いえ、感謝は不要です。その代わりお見合いでの一件は水に流していただきます」
「承諾しましょう」

 一つ頷いたイクセルは左の人差し指にはめていた指輪を外し、テーブルに置く。次いで親指に歯を当て噛み切ると、指輪の中央にある青にも銀にも見える宝石に血を一滴垂らした。

 イクセルの血を受けて、宝石が魔法陣を浮き上がらせる。

「アベンス家の嫡男イクセル・アベンスは、今日よりスセルの砦を去るまでフェリシア・セーデルと仮初の婚約者になることを誓う。その間、フェリシア嬢に対して最上の扱いを、そしてスセルの砦を去る時にはフェリシア嬢が望むまま報酬を与えることを約束する」

 言い終えるや否や魔法陣は金色に光り輝き、フェリシアの心臓がドクンと撥ねた瞬間に消えた。

 これは書面を交わす代わりに魂に刻む──四大家門の直系みが使える術。命を代償とするこの契約術は、めったなことでは使わない。

「あの……そこまでする必要あります?せめて一言、断ってからしてほしかったですわ」

 契約を交わす瞬間の鼓動は、あまり気持ちいいものではない。はっきり言って、不快だ。

 規格外の不意打ちに不満を漏すフェリシアだが、イクセルはどこ吹く風。それどころか、

「これくらいしなければ貴女が逃げてしまいそうだったので」

 こんな失礼な台詞を口にしたのである。

 思わず椅子を蹴倒して怒鳴りつけたい衝動にかられるが、逃亡した前科があるフェリシアは、ぐっと押し黙ることしかできなかった。

 それを都合よく解釈したイクセルはよやく席を立つ。

「では長々と失礼しました。今日のところはこれで失礼します──婚約者殿」

  片足を引いて気取った所作で礼を執るイクセルに、フェリシアは「はぁ、どうも」と若干おざなりに会釈する。

「フェリシア嬢、命を代償とした契約を交わした自覚がおありですか?」
「え……?」

 キョトンとするフェリシアに痺れを切らしたイクセルは、足音荒くフェリシアの前に立つ。思わずフェリシアは立ち上がってしまった。

「婚約者が帰ると言っているのですから、貴女はぼけっとしないで見送りをしなくてはいけないのでは?」
「あ」
「”あ”ではありませんよ、”あ”では。まったくこれから先が思いやられますね」
「……申し訳ありません」

 思うところは色々あるが一先ず頭を下げたフェリシアの顎をイクセルは親指と人差し指で持ち上げる。俗にいう顎クイである。

「ま、生まれて初めて婚約を交わしたのですから勝手がわからないのも仕方ありませんね。これからは逐一教えて差し上げましょう」

 じっと見つめられながら囁かれ、フェリシアの頬が熱くなる。性格は大問題だが、見た目はイケメン。不覚にもドキドキしてしまった自分が情けない。

「よ、よろしくお願いします」
  
 アタフタしながら身をよじってしまったが、イクセルはそれ以上触れ合うことはしなかった。

「では、失礼します。ああ、汗をかかせてしまったようですので、見送りは結構ですよ。風が涼しくなっているから、風邪を引いてしまう」
「お気遣い痛み入りますわ」
「そこは”ありがとう”でいいですよ」
「ありがとう」
「よろしい」

 まるで犬に”お手”の調教をしているようなノリで言われて、フェリシアはこれから先、彼との婚約者でいることに一抹の不安を覚える。

 しかし命を代価にした契約を交わしてしまった以上、もう後戻りはできない。

「……どうか何事もなく終われますように」

 イクセルが完全に姿を消したと同時に、フェリシアは神に祈りを捧げる。

 しかし知らず知らずの内にイクセルの策にはまってしまった今、フェリシアの祈りはおそらく神には届かない。
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