38 / 148
一部 別居中。戻る気なんて0ですが......何か?
1
しおりを挟む
頭からすっぽりと毛布を被った佳蓮は、出窓の物置き部分に腰かけている。
大きな窓に顔を向けているけれど、色の消えた瞳は窓から見える景色を映していない。
はらはらと舞う雪も。真っ白に染まった整えられた庭も。
城をぐるりと囲む水堀に雪が吸い込まれていく様を、暗い瞳がガラスのように反射しているだけ。
佳蓮は今、西のルニン──初代の聖皇后が晩年過ごしたトゥ・シェーナ城で過ごしている。
どうして、どうやって、どんなふうに、ここに来たのか記憶がとても曖昧で、気付いたらここにいた。でも佳蓮は、そのことについて何の感情も抱かなかった。言われるがまま、ここへ来た。
あれほど強く望んだ場所にいるというのに。
パチパチと暖炉の薪のはぜる音だけが部屋に響く。
トゥ・シェーナ城で佳蓮に与えられた部屋は、離宮よりも広かった。
寝室と居間が分かれている豪奢な2間続きで、かつての聖皇后が使用した部屋でもある。
その広い部屋のクローゼットには素晴らしい衣装がたくさん用意されていて、片側の壁には読み切れない程の本が並べられている。
くつろげるソファーもあるし、ローテーブルの上には南方から取り寄せた新鮮な果実や、美しい砂糖菓子が日替わりで用意されている。
けれど佳蓮は、それらに目を向けることなく日中のほとんどを寝間着で過ごし、離宮で過ごした時と同じように、出窓の物置き部分に腰かけている。以前よりも、もっともっとやつれた顔で。
「……うっ……ううっ」
佳蓮は身体に巻き付けている毛布の中に手を滑り込ませ、下腹部に手を当てると低く呻いた。それは嗚咽に近いものだった。
一生忘れることができない悪夢を体験したあの後、佳蓮は今度は自分の身体にあの忌々しい男の子を宿してしまったのではないかという恐怖に襲われた。
もちろん汚されたのは精神だけで、肉体は何一つ傷ついてないのはわかっている。それでもあの時間は鮮明で、アルビスの荒い息使いも、身体に触れられる感覚も生々しく、言葉にできないほどの恐怖だった。今もそれが影のようにまとわりついている。
ここまま抜け出せない悪夢が一生続くのかと佳蓮は絶望し、いっそこのまま死んでしまいたい衝動に何度も駆られた。
精神だけの世界の中とはいえ、女性に対しての気遣いを一切しなかったアルビスを心の底から憎んだ。同時に自分があの男にとって更なる地位を得るための道具でしかないことを思い知らされた。
「……っ……ううっ」
とうとう堪えきれず佳蓮の瞳から涙が零れ落ち、しんとした部屋に暖炉の薪がはぜる音と嗚咽が重なり合う。
でも佳蓮は、こんなことになっても自分が取った行動が間違いだったとはどうしても思えなかった。
限られた情報の中で選択肢など他になかったし、もう限界だった。
ペットのように檻に入れらた生活も、一方的な思想を押し付けられることも、戻りたいと願い続けるだけの日々も。
だから逃げようとした。その選択は、やっぱり間違っていない。何度時計の針を戻したとしても、同じことを繰り返してしまうだろうと佳蓮は確信を持っている。
それでもどうしったって考えてしまう。他に方法はなかったのだろうかと。
でもどんなに考えたって答えは出てこない。
なぜなら、もうやりつくしたのだから。思いつく限りのことをして、それでも方法がなかったから逃げることを選んだのだ。
その結果、今佳蓮は絶望した場所にいる。
しかし佳蓮は、一度も城内にある聖なる泉がある神殿に足を向けてはいない。部屋に鍵はかかっていないし、城内であれば好き勝手に歩き回れることも知っているのに。
怖いのだ。自分がこれまでになく弱った状態でいることを自覚しているから。
こんな状態で神殿に行き、元の世界に戻れない現実を目の前に突き付けられた時、その絶望を受け止める自信がない。最悪、自分は壊れてしまうかもしれない。
アルビスにとって都合の良い人形になってしまうことだけは絶対に避けたかった。戻りたいという気持ちを無くしたくもなかった。
「……帰るよ、絶対に帰る。待ってて、お母さん。冬馬……それから、みんな……」
──私の事を忘れないで。諦めないで。過去の人間にしないで。
そう呟いた佳蓮は、窓ガラスにこつんと額を当てた。
大きな窓に顔を向けているけれど、色の消えた瞳は窓から見える景色を映していない。
はらはらと舞う雪も。真っ白に染まった整えられた庭も。
城をぐるりと囲む水堀に雪が吸い込まれていく様を、暗い瞳がガラスのように反射しているだけ。
佳蓮は今、西のルニン──初代の聖皇后が晩年過ごしたトゥ・シェーナ城で過ごしている。
どうして、どうやって、どんなふうに、ここに来たのか記憶がとても曖昧で、気付いたらここにいた。でも佳蓮は、そのことについて何の感情も抱かなかった。言われるがまま、ここへ来た。
あれほど強く望んだ場所にいるというのに。
パチパチと暖炉の薪のはぜる音だけが部屋に響く。
トゥ・シェーナ城で佳蓮に与えられた部屋は、離宮よりも広かった。
寝室と居間が分かれている豪奢な2間続きで、かつての聖皇后が使用した部屋でもある。
その広い部屋のクローゼットには素晴らしい衣装がたくさん用意されていて、片側の壁には読み切れない程の本が並べられている。
くつろげるソファーもあるし、ローテーブルの上には南方から取り寄せた新鮮な果実や、美しい砂糖菓子が日替わりで用意されている。
けれど佳蓮は、それらに目を向けることなく日中のほとんどを寝間着で過ごし、離宮で過ごした時と同じように、出窓の物置き部分に腰かけている。以前よりも、もっともっとやつれた顔で。
「……うっ……ううっ」
佳蓮は身体に巻き付けている毛布の中に手を滑り込ませ、下腹部に手を当てると低く呻いた。それは嗚咽に近いものだった。
一生忘れることができない悪夢を体験したあの後、佳蓮は今度は自分の身体にあの忌々しい男の子を宿してしまったのではないかという恐怖に襲われた。
もちろん汚されたのは精神だけで、肉体は何一つ傷ついてないのはわかっている。それでもあの時間は鮮明で、アルビスの荒い息使いも、身体に触れられる感覚も生々しく、言葉にできないほどの恐怖だった。今もそれが影のようにまとわりついている。
ここまま抜け出せない悪夢が一生続くのかと佳蓮は絶望し、いっそこのまま死んでしまいたい衝動に何度も駆られた。
精神だけの世界の中とはいえ、女性に対しての気遣いを一切しなかったアルビスを心の底から憎んだ。同時に自分があの男にとって更なる地位を得るための道具でしかないことを思い知らされた。
「……っ……ううっ」
とうとう堪えきれず佳蓮の瞳から涙が零れ落ち、しんとした部屋に暖炉の薪がはぜる音と嗚咽が重なり合う。
でも佳蓮は、こんなことになっても自分が取った行動が間違いだったとはどうしても思えなかった。
限られた情報の中で選択肢など他になかったし、もう限界だった。
ペットのように檻に入れらた生活も、一方的な思想を押し付けられることも、戻りたいと願い続けるだけの日々も。
だから逃げようとした。その選択は、やっぱり間違っていない。何度時計の針を戻したとしても、同じことを繰り返してしまうだろうと佳蓮は確信を持っている。
それでもどうしったって考えてしまう。他に方法はなかったのだろうかと。
でもどんなに考えたって答えは出てこない。
なぜなら、もうやりつくしたのだから。思いつく限りのことをして、それでも方法がなかったから逃げることを選んだのだ。
その結果、今佳蓮は絶望した場所にいる。
しかし佳蓮は、一度も城内にある聖なる泉がある神殿に足を向けてはいない。部屋に鍵はかかっていないし、城内であれば好き勝手に歩き回れることも知っているのに。
怖いのだ。自分がこれまでになく弱った状態でいることを自覚しているから。
こんな状態で神殿に行き、元の世界に戻れない現実を目の前に突き付けられた時、その絶望を受け止める自信がない。最悪、自分は壊れてしまうかもしれない。
アルビスにとって都合の良い人形になってしまうことだけは絶対に避けたかった。戻りたいという気持ちを無くしたくもなかった。
「……帰るよ、絶対に帰る。待ってて、お母さん。冬馬……それから、みんな……」
──私の事を忘れないで。諦めないで。過去の人間にしないで。
そう呟いた佳蓮は、窓ガラスにこつんと額を当てた。
51
あなたにおすすめの小説
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
冷遇された聖女の結末
菜花
恋愛
異世界を救う聖女だと冷遇された毛利ラナ。けれど魔力慣らしの旅に出た途端に豹変する同行者達。彼らは同行者の一人のセレスティアを称えラナを貶める。知り合いもいない世界で心がすり減っていくラナ。彼女の迎える結末は――。
本編にプラスしていくつかのifルートがある長編。
カクヨムにも同じ作品を投稿しています。
偽聖女として私を処刑したこの世界を救おうと思うはずがなくて
奏千歌
恋愛
【とある大陸の話①:月と星の大陸】
※ヒロインがアンハッピーエンドです。
痛めつけられた足がもつれて、前には進まない。
爪を剥がされた足に、力など入るはずもなく、その足取りは重い。
執行官は、苛立たしげに私の首に繋がれた縄を引いた。
だから前のめりに倒れても、後ろ手に拘束されているから、手で庇うこともできずに、処刑台の床板に顔を打ち付けるだけだ。
ドッと、群衆が笑い声を上げ、それが地鳴りのように響いていた。
広場を埋め尽くす、人。
ギラギラとした視線をこちらに向けて、惨たらしく殺される私を待ち望んでいる。
この中には、誰も、私の死を嘆く者はいない。
そして、高みの見物を決め込むかのような、貴族達。
わずかに視線を上に向けると、城のテラスから私を見下ろす王太子。
国王夫妻もいるけど、王太子の隣には、王太子妃となったあの人はいない。
今日は、二人の婚姻の日だったはず。
婚姻の禍を祓う為に、私の処刑が今日になったと聞かされた。
王太子と彼女の最も幸せな日が、私が死ぬ日であり、この大陸に破滅が決定づけられる日だ。
『ごめんなさい』
歓声をあげたはずの群衆の声が掻き消え、誰かの声が聞こえた気がした。
無機質で無感情な斧が無慈悲に振り下ろされ、私の首が落とされた時、大きく地面が揺れた。
騎士団寮のシングルマザー
古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。
突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。
しかし、目を覚ますとそこは森の中。
異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる!
……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!?
※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。
※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。
私が美女??美醜逆転世界に転移した私
鍋
恋愛
私の名前は如月美夕。
27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。
私は都内で独り暮らし。
風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。
転移した世界は美醜逆転??
こんな地味な丸顔が絶世の美女。
私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。
このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。
※ゆるゆるな設定です
※ご都合主義
※感想欄はほとんど公開してます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる