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二部 自ら誘拐されてあげましたが……何か?
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カレンから返事がないことを、拒絶と受け止めたアルビスは、もっと距離を取る。
その隙間に、リュリュが素早く身体を滑り込ませた。
二度と倒れさせないという意思が伝わるくらい、背後からリュリュに強く抱きしめられ、カレンは、そこまでしなくても大丈夫だよと伝えるために首を捻る。
視界に映るリュリュは、沈痛な顔をしていた。
「間に合わず、申し訳ありません」
きつく唇を噛んでいる姿は、誰の目にも怒りを堪えているように見えるようだ。そうじゃないのに。
ただ戸惑っているだけだ。アルビスが約束を守ろうとしていることも、ウッヴァがガチ泣きをしていることも。
「……おじさん、もういいって……どういうこと?」
アルビスを直視できなくて、カレンはウッヴァに目を向ける。
ボロボロ零れた涙を袖口で拭っていた彼は、はっと顔を上げた。
「申し訳ありません!わたくしが間違っておりました!!ど、どうか……お許しください……!」
「え、ちょっと……」
謝ってほしいわけじゃない。泣いている理由を、教えてほしいだけなのに。
「私にしかできないことがあったんだよね?それって、何?もういいって、何がもういいの?」
矢継ぎ早に問いかければ、ウッヴァはか細く、押し殺した声で、こう言った。
「……は、花を……見て、いただきたかったのです」
「え?……花??」
なんだそれ。と、言わなかったけれど、カレンは首を傾げてしまった。
そんな姿を目にしても、ウッヴァはもう何も言わない。後を引き継いだのは、アルビスだった。
シャッと、カーテンがアルビスの手によって開かれる。
夕日が遠慮なく窓から差し込み、カレンは眩しすぎて片手で目元に影を作る。
明るさに目が慣れた視界に映るのは、窓の向こうに広がる王城の庭園と引けを取らない、美しい花壇だった。
「この神殿は、かつて植物魔法の修業の場だった。その名残で神官たちは、自らの手で植物を育てている。今見えている花壇にある花は、サーバウルと言って、この神殿にしかなく──ウッヴァが品種改良を繰り返して完成したものだ」
淡々としたアルビスの説明を聞きながら、カレンは花壇に目を向ける。
サーバウルは子供の背丈ほどあるスズランみたいだが、花の形はどちらかというとホオズキに似ている。とにかく初めて見る品種だ。
「……すごいね。うん、可愛い」
素直な感想を口にすれば、ウッヴァは、また目からボロボロと涙を流す。
「あ、あり……ありがとう……ございます。うっううっ……!」
嗚咽まで加わったけれど、これが嬉し涙であることはわかる。
それにしても「お前は神殿の失われた権威を取り戻すのが使命だ」と主張していたけれど、要は花を褒めろということだったのか。
たったそれだけのために、賄賂を贈りつけられ、ストーカー行為までされたカレンの心境は複雑だ。
極刑を阻止して正解だったとは思うけれど、心の中でモヤモヤが広がる。
アルビスはどう思っているのだろうか。ふと疑問に思って彼を見ると、とても厳しい表情をしていた。
「お前はなぜ、そうまでしてこれを見せたかった?」
低いアルビスの声は、今度はウッヴァに返答を求めている。
「実は……その……これまで我々の神殿の後ろ盾になってくださっていたお方から、突然支援を打ち切られてしまい……やむを得ず、聖皇后陛下のお力を求めてしまいました。申し訳ありません……本当にわたくしは愚かな過ちを──」
「言い訳と謝罪は求めていない。やむを得なかった理由は他にもあるはずだ。包み隠さず述べろ」
「はっ。も、申し訳ございません!」
アルビスに尋問されているウッヴァは、ブルブル震えつつも、再び語りだす。
「し、支援を打ち切られて……神殿は、ここを維持することで精一杯で、もう新種の花の研究をする費用を捻出することはできません。後ろ盾になってくださったお方は、援助は打ち切りましたが、貸付という形で幾らかは用立ててくださいました。……しかし、返済はいつでもいいとおっしゃってましたが、突然、返済を迫られ……」
「え?待って。ここにある高級品とか、私に贈りつけたやつとかを売ればいいじゃん」
つい口を挟んだカレンを見て、ウッヴァは悲し気に首を横に振る。
「ここにあるものは……もう神殿のものではありません。後ろ盾になってくださった方のものでございます。そして、聖皇后陛下に献上した品は……その……」
「元支援者が、用意したものということか」
「は、はい。そうで……ございます……」
身内の恥を晒してしまったという感じで、ウッヴァは顔を赤くして項垂れる。
それでも、まだ語りたいことがあるのだろう。ぎゅっと両手を握り合わせ、顔を上げた。
「売れるものは全て売りました。他の支援者も必死に探しました。しかし……誰も、我々の後ろ盾になってくださる者はおりません。そうしているうちに返済期日を過ぎ、とうとう後ろ盾になってくださった方は、サーバウルを求められました。ここに咲いている花も、種も、研究資料も、全て。そうすれば、全ての貸し付けを消してくださると、おっしゃってくださいました。他の神殿の者たちは、その要求を呑めと。ありがたい話だと。しかし……わたしは、わたしだけは拒みたかったのです。一生を捧げた花を、どうしても手放したくなかったのです。わかっています。これはわたくしの、身勝手だと……」
だいたい事情が見えてきた。ウッヴァは、あの時こう言いたかったのだ。
『自分の命より大事な花を、守ってください』
聖皇后が神殿の後ろ盾になれば、これほど強力なものはない。元支援者も、サーバウルを諦めてくれると思ったのだろう。
(だったら、最初からそういえばいいじゃん!)
後ろ盾になるかどうかは別として、この神殿は、イル達がいる孤児院と同じだ。事情がわかっていたなら、カレンとて、あそこまで邪険にするつもりはなかった。
ここまで拗れたのは、全部、ウッヴァが無駄な虚勢を張ったせいである。
その隙間に、リュリュが素早く身体を滑り込ませた。
二度と倒れさせないという意思が伝わるくらい、背後からリュリュに強く抱きしめられ、カレンは、そこまでしなくても大丈夫だよと伝えるために首を捻る。
視界に映るリュリュは、沈痛な顔をしていた。
「間に合わず、申し訳ありません」
きつく唇を噛んでいる姿は、誰の目にも怒りを堪えているように見えるようだ。そうじゃないのに。
ただ戸惑っているだけだ。アルビスが約束を守ろうとしていることも、ウッヴァがガチ泣きをしていることも。
「……おじさん、もういいって……どういうこと?」
アルビスを直視できなくて、カレンはウッヴァに目を向ける。
ボロボロ零れた涙を袖口で拭っていた彼は、はっと顔を上げた。
「申し訳ありません!わたくしが間違っておりました!!ど、どうか……お許しください……!」
「え、ちょっと……」
謝ってほしいわけじゃない。泣いている理由を、教えてほしいだけなのに。
「私にしかできないことがあったんだよね?それって、何?もういいって、何がもういいの?」
矢継ぎ早に問いかければ、ウッヴァはか細く、押し殺した声で、こう言った。
「……は、花を……見て、いただきたかったのです」
「え?……花??」
なんだそれ。と、言わなかったけれど、カレンは首を傾げてしまった。
そんな姿を目にしても、ウッヴァはもう何も言わない。後を引き継いだのは、アルビスだった。
シャッと、カーテンがアルビスの手によって開かれる。
夕日が遠慮なく窓から差し込み、カレンは眩しすぎて片手で目元に影を作る。
明るさに目が慣れた視界に映るのは、窓の向こうに広がる王城の庭園と引けを取らない、美しい花壇だった。
「この神殿は、かつて植物魔法の修業の場だった。その名残で神官たちは、自らの手で植物を育てている。今見えている花壇にある花は、サーバウルと言って、この神殿にしかなく──ウッヴァが品種改良を繰り返して完成したものだ」
淡々としたアルビスの説明を聞きながら、カレンは花壇に目を向ける。
サーバウルは子供の背丈ほどあるスズランみたいだが、花の形はどちらかというとホオズキに似ている。とにかく初めて見る品種だ。
「……すごいね。うん、可愛い」
素直な感想を口にすれば、ウッヴァは、また目からボロボロと涙を流す。
「あ、あり……ありがとう……ございます。うっううっ……!」
嗚咽まで加わったけれど、これが嬉し涙であることはわかる。
それにしても「お前は神殿の失われた権威を取り戻すのが使命だ」と主張していたけれど、要は花を褒めろということだったのか。
たったそれだけのために、賄賂を贈りつけられ、ストーカー行為までされたカレンの心境は複雑だ。
極刑を阻止して正解だったとは思うけれど、心の中でモヤモヤが広がる。
アルビスはどう思っているのだろうか。ふと疑問に思って彼を見ると、とても厳しい表情をしていた。
「お前はなぜ、そうまでしてこれを見せたかった?」
低いアルビスの声は、今度はウッヴァに返答を求めている。
「実は……その……これまで我々の神殿の後ろ盾になってくださっていたお方から、突然支援を打ち切られてしまい……やむを得ず、聖皇后陛下のお力を求めてしまいました。申し訳ありません……本当にわたくしは愚かな過ちを──」
「言い訳と謝罪は求めていない。やむを得なかった理由は他にもあるはずだ。包み隠さず述べろ」
「はっ。も、申し訳ございません!」
アルビスに尋問されているウッヴァは、ブルブル震えつつも、再び語りだす。
「し、支援を打ち切られて……神殿は、ここを維持することで精一杯で、もう新種の花の研究をする費用を捻出することはできません。後ろ盾になってくださったお方は、援助は打ち切りましたが、貸付という形で幾らかは用立ててくださいました。……しかし、返済はいつでもいいとおっしゃってましたが、突然、返済を迫られ……」
「え?待って。ここにある高級品とか、私に贈りつけたやつとかを売ればいいじゃん」
つい口を挟んだカレンを見て、ウッヴァは悲し気に首を横に振る。
「ここにあるものは……もう神殿のものではありません。後ろ盾になってくださった方のものでございます。そして、聖皇后陛下に献上した品は……その……」
「元支援者が、用意したものということか」
「は、はい。そうで……ございます……」
身内の恥を晒してしまったという感じで、ウッヴァは顔を赤くして項垂れる。
それでも、まだ語りたいことがあるのだろう。ぎゅっと両手を握り合わせ、顔を上げた。
「売れるものは全て売りました。他の支援者も必死に探しました。しかし……誰も、我々の後ろ盾になってくださる者はおりません。そうしているうちに返済期日を過ぎ、とうとう後ろ盾になってくださった方は、サーバウルを求められました。ここに咲いている花も、種も、研究資料も、全て。そうすれば、全ての貸し付けを消してくださると、おっしゃってくださいました。他の神殿の者たちは、その要求を呑めと。ありがたい話だと。しかし……わたしは、わたしだけは拒みたかったのです。一生を捧げた花を、どうしても手放したくなかったのです。わかっています。これはわたくしの、身勝手だと……」
だいたい事情が見えてきた。ウッヴァは、あの時こう言いたかったのだ。
『自分の命より大事な花を、守ってください』
聖皇后が神殿の後ろ盾になれば、これほど強力なものはない。元支援者も、サーバウルを諦めてくれると思ったのだろう。
(だったら、最初からそういえばいいじゃん!)
後ろ盾になるかどうかは別として、この神殿は、イル達がいる孤児院と同じだ。事情がわかっていたなら、カレンとて、あそこまで邪険にするつもりはなかった。
ここまで拗れたのは、全部、ウッヴァが無駄な虚勢を張ったせいである。
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