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傷口に触れて愛を知る
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テルミィの頭をあやすように撫でていたルドルクの手が次第に下に移動し、アプリコット色の髪を指にからませ遊びだす。
その光景をしっかり見ていたアイリットは、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「ふんっ、まったくもう。この様子じゃあ、うちで引き取るのなんて無理そうですわね」
「当たり前じゃないか。ん?……待て待て、まさか姉上は、その為だけにここに来たのか?」
「それ以外ないでしょ?」
「よく義兄上が許してくれたなぁ。俺は彼ほど器の大きい男を見たことがない」
「まぁ、お馬鹿な弟さんったら面白いことを。貴方の器が小さいだけですわよ」
「……大人しくしてれば言いたい放題言いやがって」
歯ぎしりせんばかりのルドルクをアイリットは小馬鹿にしたように笑った。次いで立ち上がり、ぐるりと温室を眺めた。
「それにしても、実家の物置がたった二ヶ月でここまで変わるとは驚きだわ」
晩春の日差しが差し込む温室には、石畳の通路とテーブルセット以外の場所に隙間なく草花が咲き乱れている。
ガラス壁の片側は主に自然界の植物が植えられおり、観賞用のカトレヤや薔薇やアマリリス。西の領地では栽培不可能と謂われている高山植物のエーデルワイスや、開花時期が過ぎたミモザもここでは満開だ。
ロータスが美しく咲いている噴水を挟んだ反対側には、テルミィが実験の為に錬成した魔法植物がひしめき合っている。
通常の5倍は実をつけるサヤエンドウや、子供の顔ほど大きい葉っぱのミントやバジル。現在開発途中の水をたくさん蓄えられる実の皮を柔らかくしたヤシの木や、年中蓋が閉じられたままのウツボカズラももちろん元気に育っている。
自然界と魔法植物が混合する光景は、はっきり言って奇妙だ。
しかし爽やかな午後の風に葉を揺らすその様は、どれもこれもが心地よさそうで、さほど違いが無いように見える。
「うちの妻は頑張り屋だからな」
まるで自分が褒められたかのように弾んだ声を上げたルドルクは、椅子に座ったままテルミィの肩を優しく抱く。
「見せつけてくれるわねぇ」
「それは、どうも」
腕を組んで忌々しいものを見る目つきになったアイリットに、ルドルクは挑発的にニィと口の端を持ち上げた。再び二人の間に火花がバチバチ飛ぶ。
そんな中、テルミィはといえば、別のことで頭がいっぱいになっていた。
──た……たった二ヶ月で、私、この領地を追い出されちゃうんだ。
テルミィにとってサムリア領を出ることは、ロスティーニ家の人間に捕まることを意味する。
平和な日々を知ってしまった今、それは死より辛いことだった。
「おい、どうした?寒いのか?」
ガタガタと震えだしたテルミィに気付いたルドルクが慌てて己の上着を脱ぎ、それをテルミィに包む。
「熱はないようだが……辛いか?もう部屋で休んだ方がいい」
「や、ち……違います。大丈夫……です。か…風邪……ひいてません」
今にも抱き上げそうなルドルクから身を捻って、なんとか紡ぐ。
でも本当は別の言葉を言いたかった。
お願いです、私を見捨てないで。ずっとここに居させてください。もっと良い子になります。居させてもらえるなら何でもやります。だから──
「どうか……ど、どうか」
「は?銅貨?……あっ!」
大いなる勘違いをしたルドルクだが、すぐにハッと目を瞠る。
「ばぁーか。お前はずっとここに居るんだよ。姉上は、父上と母上が10日後に旅行に行くから、その間だけお前を自分の屋敷に呼びたかっただけなんだ。ま、させないが」
ルドルクが早口で説明を終えた途端、テルミィは朝食でのニクル夫妻の会話を思い出す。
──た……確かに、言ってた!隣の隣の領地のルクフェンにいる友人に会いに行くって。
聞いてなかったわけじゃない。
ただサフィーネが「帰ってきたら家族が増えていれば嬉しいわぁ」と意味深な笑みを浮かべ自分に何かを期待する眼差しを送った途端、ルドルクとラジェインが同時に咽たことの方がインパクトが強すぎて、旅行云々の方が霞んでしまっていただけだ。
でもそれは言い訳でしかない。そして勝手に捨てられると思い込んで、ルドルクに心配かけたしまったことが申し訳ない。
「……ごめんなさい」
「いや、別に。それより思い出してくれて何よりだ」
羞恥で顔を赤くするテルミィを覗き込みながら、ルドルクはクツクツと喉を鳴らすようにして笑う。
「あの……私、お二人の旅の道中に役立てるものを何か錬成したいです」
「それは喜ぶと思うぞ。だが無理はするなよ」
「はい。……う、受け取ってもらえるようなものを、無理しないで……つ、作ります」
「ははっ、それは楽しみだな。俺にも見せてくれよ」
「は、はいっ」
シャキッと背筋を伸ばしてテルミィなりに歯切れの良い返事をした途端──
「近い」
低い声が聞こえたと同時に、テルミィとルドルクの間にアイリットが割り込んできた。
「まったくもう、わたくしがここに居るというのに二人の世界に入るなんて……寂しいじゃないっ」
ハンカチを取り出し、よよよと泣き出したアイリットはチラチラとテルミィを見る。ルドルクと同じアメジストのような瞳には涙一つ浮かんでいない。完全に噓泣きである。
「……ふっ、あは」
堪えきれずに吹き出してしまう。それから、こんな風に声を出して笑ったのはいつぶりだろうと考える。
すぐに思い出せないテルミィを、ぎゅっと抱きしめたのはアイリット。それを剥がそうとルドルクはしばらく悪戦苦闘する羽目になった。
その光景をしっかり見ていたアイリットは、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「ふんっ、まったくもう。この様子じゃあ、うちで引き取るのなんて無理そうですわね」
「当たり前じゃないか。ん?……待て待て、まさか姉上は、その為だけにここに来たのか?」
「それ以外ないでしょ?」
「よく義兄上が許してくれたなぁ。俺は彼ほど器の大きい男を見たことがない」
「まぁ、お馬鹿な弟さんったら面白いことを。貴方の器が小さいだけですわよ」
「……大人しくしてれば言いたい放題言いやがって」
歯ぎしりせんばかりのルドルクをアイリットは小馬鹿にしたように笑った。次いで立ち上がり、ぐるりと温室を眺めた。
「それにしても、実家の物置がたった二ヶ月でここまで変わるとは驚きだわ」
晩春の日差しが差し込む温室には、石畳の通路とテーブルセット以外の場所に隙間なく草花が咲き乱れている。
ガラス壁の片側は主に自然界の植物が植えられおり、観賞用のカトレヤや薔薇やアマリリス。西の領地では栽培不可能と謂われている高山植物のエーデルワイスや、開花時期が過ぎたミモザもここでは満開だ。
ロータスが美しく咲いている噴水を挟んだ反対側には、テルミィが実験の為に錬成した魔法植物がひしめき合っている。
通常の5倍は実をつけるサヤエンドウや、子供の顔ほど大きい葉っぱのミントやバジル。現在開発途中の水をたくさん蓄えられる実の皮を柔らかくしたヤシの木や、年中蓋が閉じられたままのウツボカズラももちろん元気に育っている。
自然界と魔法植物が混合する光景は、はっきり言って奇妙だ。
しかし爽やかな午後の風に葉を揺らすその様は、どれもこれもが心地よさそうで、さほど違いが無いように見える。
「うちの妻は頑張り屋だからな」
まるで自分が褒められたかのように弾んだ声を上げたルドルクは、椅子に座ったままテルミィの肩を優しく抱く。
「見せつけてくれるわねぇ」
「それは、どうも」
腕を組んで忌々しいものを見る目つきになったアイリットに、ルドルクは挑発的にニィと口の端を持ち上げた。再び二人の間に火花がバチバチ飛ぶ。
そんな中、テルミィはといえば、別のことで頭がいっぱいになっていた。
──た……たった二ヶ月で、私、この領地を追い出されちゃうんだ。
テルミィにとってサムリア領を出ることは、ロスティーニ家の人間に捕まることを意味する。
平和な日々を知ってしまった今、それは死より辛いことだった。
「おい、どうした?寒いのか?」
ガタガタと震えだしたテルミィに気付いたルドルクが慌てて己の上着を脱ぎ、それをテルミィに包む。
「熱はないようだが……辛いか?もう部屋で休んだ方がいい」
「や、ち……違います。大丈夫……です。か…風邪……ひいてません」
今にも抱き上げそうなルドルクから身を捻って、なんとか紡ぐ。
でも本当は別の言葉を言いたかった。
お願いです、私を見捨てないで。ずっとここに居させてください。もっと良い子になります。居させてもらえるなら何でもやります。だから──
「どうか……ど、どうか」
「は?銅貨?……あっ!」
大いなる勘違いをしたルドルクだが、すぐにハッと目を瞠る。
「ばぁーか。お前はずっとここに居るんだよ。姉上は、父上と母上が10日後に旅行に行くから、その間だけお前を自分の屋敷に呼びたかっただけなんだ。ま、させないが」
ルドルクが早口で説明を終えた途端、テルミィは朝食でのニクル夫妻の会話を思い出す。
──た……確かに、言ってた!隣の隣の領地のルクフェンにいる友人に会いに行くって。
聞いてなかったわけじゃない。
ただサフィーネが「帰ってきたら家族が増えていれば嬉しいわぁ」と意味深な笑みを浮かべ自分に何かを期待する眼差しを送った途端、ルドルクとラジェインが同時に咽たことの方がインパクトが強すぎて、旅行云々の方が霞んでしまっていただけだ。
でもそれは言い訳でしかない。そして勝手に捨てられると思い込んで、ルドルクに心配かけたしまったことが申し訳ない。
「……ごめんなさい」
「いや、別に。それより思い出してくれて何よりだ」
羞恥で顔を赤くするテルミィを覗き込みながら、ルドルクはクツクツと喉を鳴らすようにして笑う。
「あの……私、お二人の旅の道中に役立てるものを何か錬成したいです」
「それは喜ぶと思うぞ。だが無理はするなよ」
「はい。……う、受け取ってもらえるようなものを、無理しないで……つ、作ります」
「ははっ、それは楽しみだな。俺にも見せてくれよ」
「は、はいっ」
シャキッと背筋を伸ばしてテルミィなりに歯切れの良い返事をした途端──
「近い」
低い声が聞こえたと同時に、テルミィとルドルクの間にアイリットが割り込んできた。
「まったくもう、わたくしがここに居るというのに二人の世界に入るなんて……寂しいじゃないっ」
ハンカチを取り出し、よよよと泣き出したアイリットはチラチラとテルミィを見る。ルドルクと同じアメジストのような瞳には涙一つ浮かんでいない。完全に噓泣きである。
「……ふっ、あは」
堪えきれずに吹き出してしまう。それから、こんな風に声を出して笑ったのはいつぶりだろうと考える。
すぐに思い出せないテルミィを、ぎゅっと抱きしめたのはアイリット。それを剥がそうとルドルクはしばらく悪戦苦闘する羽目になった。
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