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世界一の悪女

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「それじゃあ行ってくる」

 遠征服に身を包んだルドルクは騎乗する前に、見送りに立つテルミィに一度だけ振り返って軽く手を上げた。

「行ってらっしゃいませ」

 夜が明けきらぬ青白い景色の中、テルミィはルドルクに向け手を振った。

 これから10日間、ルドルクは聖騎士達を率いてスコル討伐へ向かう。ニクル邸に戻るのは小雪がちらつき始める頃になるだろう。

 帰路は寒いだろう。凍てつく寒さに手がかじかんで、丈夫な彼でも風邪を引いてしまうかもしれない。

 でもルドルクは絶対に戻ってくる。ただその時、自分はここには居ない。
 
 そのことを知った時、彼は怒るだろうか。悲しむだろうか。それとも仕方がないと存外あっさり納得するのだろうか。

 未来のことなんて誰にもわからない。だからルドルクにとって一番最善なものを選んで欲しいと願うばかりだ。

「全員、副団長に敬礼」

 ザッと音がして、テルミィの背後にいる聖騎士達が最上の礼を執ったのが気配で伝わった。

「皆の者、無事の帰還を祈っている」

 領主であるラジェインが厳かな声で告げれば、ルドルクは騎乗したまま敬礼を返す。

 出立の合図であるラッパの音が響く。ルドルクを始めとするスコル討伐に向かう聖騎士達を乗せた馬が一列となり、蹄の音を高らかに鳴らしながら門の外へ向かう。

 聖騎士達の姿が見えなくなるまで、テルミィはずっとずっと好きな人の後ろ姿を目に焼き付けた。



 

 好きな人ができた。そして一生で一度でいいと思えるような恋をすることができた。

 その人は、モノクロの世界に生きてきた自分の世界を、色鮮やかに変えてくれた。切なさも、遣る瀬無さも、トキメキも、全部その人が教えてくれた。

 テルミィはここに来て、たくさんの幸せを与えてもらった。けれどルドルクを好きになったことが一番幸せだった。絶対に無くしたくないと思えるほど。

 だからルドルクを守る。どんな手段を使っても。たとえその結果、罪人になろうとも、一生暗い牢獄で過ごさなくてはならなくても。

 自室に戻ったテルミィは、チェストの中から二つの小瓶を取り出し窓辺に立つ。それから手に持っている小瓶を朝日に当てる。

「……よし、これなら大丈夫……うん」

 角度を何度も変えて、しつこいくらいに出来栄えを確認し、最終的に満足げにテルミィは頷いた。

 テルミィの手の中にある2つの小瓶の中身はサラサラした砂にしか見えず、朝日を浴びてキラキラと輝いている。

 けれど実態は、この国で禁忌とされる錬成を施した危険な物質だ。

 テルミィはそれを、誰にも気づかれぬよう寝る間を惜しんで作り上げた。自らの手で、罪深いそれを錬成したことに達成感を覚えるけれど、罪悪感は無い。無論、これを使うことすらも。

「じゃあ、ハク。いこっか」

 うん!と頷く代わりに、相棒はワホッと元気に吠えて扉の前に立つ。

 ハクはテルミィの決意を感じ取っているのか、以前の顔つきに戻っている。もうあの大きな手で二度と撫でてもらえないことも悟っているのだろう。なのに、いじらしく扉の前でお座りをしてくれている。

「……ねえ……ハク……私のこと、怒ってもいいんだよ?」

 伺うように声を掛ければ、ハクは尻尾をパタリと振って、心底くだらない遊びに付き合わされたような顔をした。
 
「そっか……うん、ありがとう……ハク」 

 くしゃりと顔を歪めて泣き笑いの表情を浮かべたテルミィは、ブンブンと顔を左右に振って気持ちを切り替える。

 それから手に持っていた小瓶を割れないように布でくるみ、空いてる方の手で文机から書類を一枚取り出すと、それらを大事に胸に抱いてハクと共に廊下に出た。

 向かう先は、領主であり、義父でもあるラジェインの執務室だ。

 行動範囲が限られているテルミィでも、執務室の場所は知っている。なぜなら、何度かここにお茶を運んだことがあるからだ。

 始めの頃は、余計なことをするなと叱られるかとビクビクした。けれどラジェインは、いつも満面の笑みを浮かべてテルミィを迎えてくれた。

 とはいってもラジェインは忙しく、執務室は人の出入りが激しかった。ゆっくりとお茶を啜る間もなく、次から次へと要件が持ち込まれる。

 それらを迅速に捌いていくラジェインは、物珍しそうにキョロキョロするテルミィに一度も「出ていけ」とは言わなかった。反対に「好きなだけ見物しなさい」と何度も言ってくれた。

 本棚にずらりと並べられた本に興味を示せば、惜しげもなく貸してくれた。執務室に入ってきた人達に、いつも自分のことを「娘」と紹介してくれた。

 ──なのに……私は、領主様の優しさを踏みにじろうとしている……ごめんなさい。

 執務室の扉の前に立ったテルミィだが、ノックをするのを躊躇ってしまう。

 胸に抱いてある小瓶はラジェインを困らすもので、書類は悲しませるものだ。そうとわかっているのに、自分の意思を貫こうとするのは、なかなか辛い。

 でも、後戻りはできない。するつもりもない。

 テルミィは深呼吸を3回繰り返して、執務室の扉をノックする。すぐに「入りなさい」とラジェインの声がした。

 扉を開けて顔を覗かせた途端、しかめっ面で書類に目を通していたラジェインはパッと笑顔になった。

「おはよう、テルミィ。もしかして朝食を報せに来てくれたのかい?」

 手に持っていた書類をバサリと投げ捨てるように置いたラジェインは、テルミィにおいでおいでと手招きをする。

「し、失礼……します……」 

 そろりと入室したテルミィをソファに勧めたラジェインは、机から立ち上がる。次いで、いそいそとコ―トラックに掛けてあった上着を手に取り、袖を通す。

「おや、ハクも一緒か。なら特別に干し肉をあげよう。儂の秘蔵のブランデーのお供に取っておいたやつだから旨いぞ」 

 扉の前でお座りするハクに気付いたラジェインは、早足で席に戻ると引き出しを開けてゴソゴソし始める。テルミィは慌てて止めた。

「あ、あの……今日はお気持ちだけで……」
「なにを言ってるんだ。気持ちだけじゃお腹は膨れないさ」
「い、いえ……そうじゃなくって……お話したいこと……いえ、お願い事があるんです」
「ん?何かな」

 首を傾げながらも干し肉を取り出したラジェインはハクの前にそれを置いて、テルミィが腰掛けている向かいのソファに着席した。

「ルドから、留守中は自分に代わってテルミィのお願い事はなんでも叶えてくれと言われているからな。ほら、遠慮しないで言いなさい」 

 ニコニコ顔で続きを促してくれるラジェインを、テルミィは直視できない。

「あ、あの……あのですね」
「うんうん、なんだい?」
「えっと……えっと……ですね……」
「うんうん。慌てなくていいから、落ち着いて話してごらん」

 何かを期待するような眼差しを向けるラジェインに、テルミィはもう耐え切れなくなった。

「こ、こ、これに……署名してください……!」

 胸に抱えている書類を両手に持ち直すと、テルミィはガバッと勢いよく頭を下げてラジェインに差し出した。

 押し付けられるように書類を受け取ったラジェインから笑顔が消えた。 

「……テルミィ、一つ確認してもいいかい?」 
「は、はい」
「儂にはこれが離縁誓約書と読めるのだが……?」

 どうか間違いであってくれ。そんな気持ちを全面に出して問うたラジェインに、テルミィは抑揚の無い声できっぱりと答えた。

「仰るとおり、これは離縁誓約書です。領主様……ど、どうか私とルドルクさんの離縁を……み、認めてください」
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