解呪結婚

nsk/川霧莉帆

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 料理の皿が空になる頃。月と星とに見守られ、人々は坂道を下っていった。
 扉の前で最後の客人、クレアとヒューゴが振り返る。
「今日は会えてよかった」
 笑顔を交わし、ベルタはクレアの手を握った。
「わたしもよ。気をつけて帰ってね」
 二人はアウリスへ一礼する。
「本日は楽しい集いをありがとうございました」
「こちらこそ。また来てくれ、ベルタの友人ならいつでも歓迎だ」
 二人は新しい灯りに照らされた道を寄り添って下っていく。それを見送るベルタとアウリスも同じように身を寄せ合った。
「たくさん知り合いができたわね」
「ああ。何人かとは会社の話もできた」
「ならきっと、これからもうまくいくわ」
 互いの顔には疲労以上に充足感が満ちている。
 そこへ足音が近づいてきた。メルヴィンだ。
「参加者名簿を更新しておきました」
「ありがとう。今日の片付けはそこそこにして、皆にも早く休むように言っておいてくれ」
「かしこまりました。ご主人様と奥様もごゆっくりお休みください」
 メルヴィンは足早に去っていった。
 それを見送り、アウリスが呟く。
「休んでもいられない、といったところか。確かに、本当に大変なのは明日からだな」
 早速、招待客に社の宣伝や出資者の募集をかけることになる。鉄は熱い内に打つものだ。
「またベルタにも手伝ってもらうことになるが……」
「分かってるわ。さぁ、明日のためにもう休みましょう」
 玄関扉を閉めて互いの部屋へ向かう。その道すがら、自然と手を握りあった。
「ベルタ。風呂に入るなら一緒に入ろう」
「それは嫌よ」
「流石に今日は何もしない」
「……まぁ、そうよね」
 数時間、色んな人と喋り続けていたのだ。できることならすぐにベッドに寝転がりたいところだ。
「私が寝ないように見張っててくれ」
「無理かも。わたしも眠たいわ」
「なら早く上がらないとな……互いに洗い合えば時間を短縮できるかもしれないぞ」
 手を振り切ろうとしたが、アウリスは笑って離してくれなかった。


 それから数日後。ロシュメール伯爵の書斎は届いた手紙にまみれていた。
 主なものは招待客からのお礼状だ。次に多いのは嬉しいことにレーヌ社への問い合わせ。他には『魔術卿』への冷やかし、ベルタへの誹謗中傷などがある。
 アウリスは最後の手紙をベルタの手から取り上げ、まとめて蝋燭の火にかけた。
「まだ読み終えてなかったのに」
「読んでどうするのだ」
「何もしないけど、一応わたしへの手紙だもの」
「もう燃えたよ」
 ソーサーの上で手紙は半分、灰になっていた。
「良くない相手と真面目に取り合う必要はないと、君が私に教えてくれたのだぞ。自分を例外にするなんてずるいのではないか?」
 紫色の瞳が不機嫌に細められる。子どもっぽい仕草にベルタは思わず笑った。
「おかしいことじゃないだろう」
「ごめんなさい。あなたに叱られるの、初めてだなって思って」
 ベルタはそそくさとソファから立ち上がり、窓を少し開けた。
 この頃、季節は夏へ移っていた。鋭い日差しをかいくぐって吹き込んだ爽やかな風が肌に心地よい。
「それは、もっと叱られたい、と解釈しても?」
 背後から抱きつかれて体温が上がる。服装が軽やかになったせいで体つきが分かってしまい、今更ながら落ち着かない。
「あ……あなたにできるの?」
「できるとも。叱らなければいけないところがベルタにはたくさんある」
 お腹に巻き付いていた腕が怪しい動きを始める。
 ベルタは慌てて言った。
「わ、わたしも叱ること、あるわよ」
「ん?」
「さっき何通か引き出しに隠したでしょう」
 期待に輝いていた双眸に焦りが浮かぶ。
「……何の話だ?」
「とぼけても駄目。可愛い封筒が見えたもの。どんな手紙かも大体想像がつくわ」
 甘くない見つめ合いの末、アウリスがそろそろと身を離した。
「怒っているのか?」
 ベルタは眉を寄せる。
「怒ってはないけど。でも仕方ないって思わなきゃいけないことには何だか腹が立つわ」
「仕方ない? どうして?」
「あなたは誰から見ても素敵だもの。謎に満ちてて美しくて……」
 そこまで言って、ベルタは我に返って顔を赤くした。アウリスが笑いをこらえていたからだ。
 結局向こうの調子に巻き込まれている――それが幸せでもあり、恥ずかしくもあり。
「っわたしは、あなたの手紙を燃やしたりはしないんだから。後でゆっくり読んだらいいわ」
「そうするよ。どんなことが書いてあるか楽しみだ」
「……もう!」
 くすくす笑いから遠ざかりソファへ乱暴に腰を下ろす。アウリスも自分の机に着いて返信の作業を始めた。ベルタが本気で怒ってはいないと分かっているのだ。
「あの中に君からの手紙があればいいんだがな……」
 歌うように呟かれ、一行目が思い浮かんでしまう。重症だ。
(もう治ることはないわね……)
 確信してしまえることにも何だか喜びがあった。

 返信した手紙にまた返信が来たり、会社への問い合わせが増えたりする間に、研究所は試作品二号を完成させていた。
「この湿布は筋肉疲労を改善するために作られました。有効成分は勿論のこと、冷感が症状改善を手助けします」
 再び開かれた会議でコルトは胸を張った。鞄から発せられるにおいも以前より少ない。
「使い勝手はよさそうだな」
「そうですね。あとは費用ですが」
 メルヴィンに渡された書類を見てアウリスは微笑む。
「うん。色々と気合が入るな」
「我が社の動きを見越した値上げが始まっているようです」
「分かった。今後は販売者との直接交渉に向けた作戦を練るとしよう。ところで、最近書き物が多いせいで腕の疲れが酷くてな……」
 横目でお伺いを立てられ、ベルタはコルトを見遣った。
「うちの研究員数人で試したところ、異常はありませんでした」
 メルヴィンは諦めたような顔をしている。
「……そうね。これからのために試してみるべきね」
「そうだろう。コルト、一枚くれ」
「はーい」
 解散後、ベルタはメルヴィンに小声で呼び止められた。
「奥様、お願いがあるのですが」
 アウリスとコルトが話し込みながら会議室を出ていく。メルヴィンはそれを確認して続ける。
「ご主人様が新しい製品を自らお試しになりたがったのは今回が初めてではないのです」
「そうなの……?」
「はい。研究所で製品をご覧になったでしょう。既に全種類お試しになっております」
 あそこには傷薬や解熱剤などもあったはずだ。ベルタの顔に心配が浮かぶと、メルヴィンは懸念を口にした。
「わざと風邪を引こうと努力なさったことがあります。気づいて止めましたが、咳止めが必要になってお喜びになっておられました」
「それは……どういうつもりなのかしら? 本末転倒じゃない」
「お暇つぶしのつもりなのではないかと」
「暇つぶし」
 唖然として繰り返す。
「今は奥様がおられますから無茶はなさらないとは思いますが、万が一妙な行動があれば、その時は宜しくおねがいします」
「分かったわ。任せておいて」
 ひそひそ話を終えた頃、アウリスもコルトと分かれた。先をゆく背中に追いついて顔を見上げる。
「なんだ?」
「いいえ。なんでもない」
 孤独は人を狂わせるのかもしれない。自分がこの人をしっかり見ておかなければ。
 ……そんな使命を抱きながらも、ベルタはその後アウリスに近寄らなかった。湿布の薬品臭には勝てなかったのだ。
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